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「リーヴ?」

 放り出すよう些か乱暴に下ろされた先。
 カーテンのすっかり開かれたベッドに私のことを組み敷いて、リーヴは問う。

「どこがいい?」
「どこ、って…?」

 互いの呼吸が数えられるほどの距離。流れる血のよう真赤な双眸に見下され、胸騒ぎがするなんて初めてのことだった。
 慣れた行為。見慣れた容貌が、不穏。

「私を魔獣として連れ歩くつもりなら、私がお前のものだという印が必要だろう」
「そんなの…」
「刻めば、私はいついかなる時であろうと――どんな状況でも――お前の召喚に応じられる。――これがどういうことか、よもや分かないとは言うまい?」

 魔法使いは万能じゃない。リーヴと違って私は《王》でさえない人なのだから、保険は多い方がいうということなのだろう。
 リーヴはどこにいたって私の声を聞くことができる。だけど私の声がいつだってリーヴにまで届くとは限らない。

「…心配し過ぎじゃないの」
「私がこういう性質(たち)なのは、お前がそうなるように望んだからだ」
「……」

「服着て隠れるところ…」
「…背中でいいか」

「痛みはないだろうか…少し熱くなるぞ」
「そう言うならやめてよ」
「無理だ」

「っ――」

「わかるか? ――ここに私の《マナ》と同じ模様が刻まれている」
「ノスリヴァルディに何か言われたら、リーヴに無理矢理されたって言うから」
「好きにしろ」
「もう…」


「リーヴの《マナ》は、どんな形をしているの」


「きれい…」

 複雑な、幾何学模様だ。言葉では到底形容し難い形状をしている。肌を這う血色の筋は、強いて言うなら絡みつく薔薇の蔓じみて私に根を張っていた。

「気に入ったか?」

 未だ熱を持つ刻印にリーヴが触れると、背筋にぞくりと震えが走る。
 思わず漏れそうになった声はどうにか、既の所で呑み込んだ。

「うん。でも…ちょっと幅とりすぎじゃない? 背中が半分埋まってる。あとこれだと背中の出る服着たとき見えちゃうんじゃ…」
「隠すようなものでもないだろう」
「隠れる所がいいって言ったのに!」


----


「一人で座れる」
「そうか?」

 私の言うことになんてまるで聞く耳持たず、リーヴは私のことを抱きしめたまま。さも当然の事のよう一人で椅子に腰掛けて、大人しい背もたれと化す。
 そりゃあ私は、そうしてくれた方が楽でいいけど。

「ちょっとずつ動いたほうがいいって、ノスリヴァルディが言ってたのに…」

 目一杯寄りかかったまぶすくれていると、顰めっ面を抓まれた。
 むにー、と頬を引っ張ってくる指をはたき落とせば、宥めるよう頭を撫でてくる。
 誤魔化されないぞ…。

「手を退けて!」

 それ以上は怒るわよ…と、脅しつけるよう言ってようやくしっかりと腰へ回されていた腕が離れる。横向きに座らされていた膝から下りてすぐ隣りの椅子へ移れば、往生際悪く後ろ髪を引かれた。
 丸いティーテーブルへ頬杖ついたリーヴは、まるで「戻って来い」とでも誘いかけるよう髪に絡めた指を動かす。

「ついに逃げられたんですか?」

 ティーセットを持ってきたビューレイストにそう言われると、今度はリーヴが顰めっ面になる番だ。

「ビューレイストも一緒に飲む?」
「お望みとあらば」
「お前、仕事はどうした」
「急ぎの分は終わってますよ、勿論」

 三人分のお茶と、私だけが手を付けるお菓子をテーブルに広げ、ビューレイストはリーヴの正面――私の右隣――に陣取る。
 両手に花ってやつだろうか、これは。

「たまにはリーヴが交代すれば?」
「それはさすがに…いくら寵姫の『お願い』でも私が心労で倒れます」
「ふぅん?」
「あとで八つ当たりされるのも嫌ですしね」

 四六時中一緒にいるからまぁいいや――と。ビューレイストとばかり話して放っておくと、そのうちリーヴは椅子ごとにじり寄ってきて私の髪を弄り始める。
 横からやって、変に歪んだ仕上がりになったりしないのだから器用なものだ。

「あ、これ美味しい」
「寵姫は酸味のある果物が好きですね」
「んー…そうなのかな。結構な甘党だと自分では思うんだけど」
「それは加工品ですから」
「…元々酸っぱい果物を甘くしたのが好きってこと?」
「明日は手を加える前のものを持ってきましょう。食べ比べてみては?」
「そういえばジャムになってないそのものは食べたことないかも。うん。――楽しみにしてる」
「はい」

 一頻り話した後でビューレイストが仕事に戻ると、会話が途切れる。これといって話すことがないというわけでもないけど。沈黙が苦ということもない。
 リーヴが手を付けなかったカップにミルクと砂糖を流し込みぐるぐるとかき混ぜているうち、なんだか眠たくなってくる。
 小さなテーブルに頬杖ついてぼんやりしていたら、欠伸が零れ落ちる前にリーヴが席を立った。
 断りもなく抱き上げられるのは予想通りの展開で、特に驚くほどの展開でもない。二人してバルコニーから引っ込んで、私一人がソファーで昼寝だ。そういうお約束。
 体の隅々から力を抜いてリーヴへ寄りかかると、それはもちろんとても楽なことだった。気持ちがいい。

「ちょっとだけ」
「あぁ」
「すぐ起きるから…」
「おやすみ」

 こういう甘やかしが私を駄目にしているのだといういうことは、ちゃんとわかっていた。


***


「なにこれ酸っぱいっ…」
「甘いものもありますよ。品種によって違ってきます。――こちらをどうぞ」
「……あ、これは甘い」
「寵姫にお出しすると話したら厨房が用意してくれました。普通ここには、加工用のものしかないんですけどね」
「なんでこんなに違うの?」
「それはまぁ、そういう種類だからとしか言い様がありません。品種改良してあるんですよ。加工用のものはどうせ砂糖と混ぜますから。それ自体に甘さは必要とされないんです。生食用の方は色が鮮やかで粒も揃っているでしょう? 味と同じくらい見栄えも重要なんです」
「全部美味しくすればいいじゃない」
「加工用のものは、その分早く成長するし虫にも強いんですよ。あまり欲張りにはできないんです」
「ふぅん…」
「あとで農園の方へ行ってみては? 面白いかもしれませんよ」
「摘み食いしに?」
「歩き回れば腹ごなしにもなりますし」


***


「――ノスリヴァルディ?」
「あら、姫さま。どうしたの? こんな所で」
「散歩。ノスリヴァルディこそ、治癒士なのに畑仕事するの?」
「あぁ。これはね、薬なのよ。ぜーんぶ薬草。だからあたしが管理しておかないと」
「へー」
「あの辺りにあるのはハーブだから、姫さまにも分かるかしら? お茶の時間用にって、ビューレイストにも分けてあげてるのよ」
「ハーブ…カモミールとか?」
「カモミールも、ローズも、ミントも、タイムも、ラベンダーも。なーんでもあるわよ。この季節じゃ本当は手に入らないような花も、一緒に育てられない苗も、ここは土も水も特別なものを使っているから」
「…便利ってこと?」
「とーっても。本当はね、種を撒いてしまった後は放っておいても大丈夫なくらいなのよ。それでも手をかければかけてあげるだけいいものができるんだけど」


「あぁ、そろそ夜の時間よ。戻りましょ、姫さま」
「夜の時間?」
「ここでは四刻ごとに昼と夜が変わるの。つまり、一日二回は昼か夜があるってことね。明日は外が昼間のうちに来てもここは夜だから、気をつけるのよ」
「どうしてそんな風になってるの?」
「毎日が早く過ぎたように勘違いさせて普通より早く収穫するためと、夜しかできない作業が昼間にできるように。慣れれば便利なのよ」
「ふぅん…」


***


 ドワーフが管理しているのです。

「林檎とかどうやって採るの?」
「積み上がって」
「……あぁ…」


***


「馬だ!」

「乗れるかなぁ」
「よっぽど機嫌を損ねなければ、落とされるようなことはないだろう」

「――失敬な。この私が姫君を落としたりなどするものか」

「…馬って喋るの?」
「ここに真当な馬なんていやしないよ、姫さま。みーんなユニコーンさ。今は昼間だからこうして化けているけどね」
「凄い!」


「姫さまのためなら鞍くらいどうってことないさね」
「…現金な奴らだ」


「リーヴは?」
「こいつらは男を乗せん。城の中を走るくらいなら危険もないさ」
「わかった」

「さぁ姫さま、行きますよ」
「うん!」


「――女性に変わられればよかったのでは?」


***


 城壁の内側を一周りして戻ると、リーヴは地面に伏せたユニコーンの一頭へ寄りかかるようにして青草の上へ座り込んでいた。

「リーヴ!」

 呼びかける前から私の方をずっと見ていて、声をかけ手を振るとひらひら振り返してくれる。

「今度遠乗りに行こうよ、姫さま。朝から晩まで一日中、ウトガルズの果てまでだってあたしとなら楽しいよ!」
「そうね!」


「楽しかったか?」
「とっても!」
「そうか」
「ねぇ、今度は遠乗りに行かせて。今日じゃなくてもいいから!」
「ビューレイストに暇があればな」
「…リーヴは一緒に来てくれないの?」

「ウトガルド・ロキ。意地悪はよくないよ」
「何の話?」
「姫さま、姫さま。一生懸命お願いするんだよ。姫さまには逆らえないんだから」

「お前…分かって言ってるのか?」
「何を?」
「だから…」
「姫さまがんばってー」


「どこ行くの?」
「寝室」
「…疲れてないよ?」

「ユニコーンは乗り手に負担をかけないからな。…女しか乗せないというのが玉に瑕だが」


***


 下ろした私をそのままベッドの奥まで押し込んで、カーテンを閉ざしてしまう。
 リーヴは「つまりな」と、片手で私の視界を遮った。

「お前が私に要求しているのはこういうことだ」

 その、声質の変化に気付く。


***


 綺麗な女の人だ。

「美人…」
「…ビューレイストと大差ないはずだが」
「ぜんぜん違うよ…」

 触れ合った唇の柔らかさだって違っている。素肌を這う指の細さや抱きしめられた時の感触だって、全然。

「こっちの方が気持ちいい…」
「おい」
「だってぇ…」


***


「聞いてよビュー! リーヴの方が胸大きいのよ!」

「女になって見せたんですか? 甘やかしも大概ですね。
 あと寵姫、胸の大きさは調整できますよ」
「そうなの!?」
「できないと不便じゃないですか」
「…出来ないのが普通だと思う」
「それはまぁ、巨人に生まれた特権というやつですね。姿形の偽装は十八番です。なにせ、誰でも生まれながらに二つの姿を持つ種族ですから」


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 どこまでも無抵抗を貫いた体から、自由の次に奪われたものは一対の瞳。流れる血のように真赤な両の目。
 だから私へ「全て」をくれると言った巨人の《王》は、一番最初に「眼」をくれた。
 流れる血よりも深い紅色の、《王》が《王》である証の《印》として生まれ持った両の目を。
 だから今となっては私こそがそうだった。私の存在そのものが、彼が《王》である証。

 私だけが、リーヴを巨人の《王》――ウトガルド・ロキ――たらしめる。

 それがどれほど大それた行いか、知らなかったわけではないだろう。そうすることによって自分がどれほどのものを失うか、分からないほど愚かな人でもなかったはずだ。
 なのにリーヴは躊躇わず――ノルニルの告げた運命を辿るよう――手ずから抉り取った瞳を私へ与え、《印》は魔力に満ちた体へ根を張った。新たな器の隅々にまでくまなくその神経を行き渡らせて。
 リーヴは《印》を魔具に見立て、私を守る魔術の一端として機能させている。それくらいのことはいちいち告げられるまでもなく、誰よりも当事者である私には理解することができた。
 私の体に満ちる魔力の半分は、リーヴが生み出す《王》としてのもの。それは《印》を介して流れ込み、行き渡って、私の思い通りに操られることをよしとする。――そして同じくらいリーヴの意思にも従った。

 たった一人の牢獄。《闇》だけが私の傍にいた。私のために言葉を紡ぎ、知識を与え、確かな自我の芽生えを助けた。それ以外は何もなかった。本当は、それさえ許されてなどいなかったのだと《闇》はいつか言っていた。

「ねぇ――」

 夜へと差し伸べた手に触れる。確かな形を持たない《闇》は、やがて纏わりつくよう腕を取り巻いた。
 そうして上向いた手の中へ、小さな実体を落とす。

「ノアル?」

 それは、温かな小石だった。

「精霊石か」

 呟いたのは、私を抱き上げて運ぶ巨人の《王》。私が「リーヴ」と名付けた美しい人は、自ら「精霊石」であると判じた小石について「落とすなよ」と私に言いつけた。
 だから私はそれをぎゅうと握りしめ、胸元に抱きしめる。

「せいれい、せき…」

 とくりとくりと、微かに脈打ってさえいる小石の中にノアルの存在を感じた。私に世界の知識を与えてくれた闇の精霊を。
 ノアルは精霊石について話してくれたことがあっただろうか。思い出せない。ただ、精霊が生み出し人に与える魔石のことなら知っていた。

「輝石、と…何が違うの?」
「違わない。同じものだ。人はそれを精霊石と呼ぶし、そうでない者は輝石と呼ぶ。
 …そうか。お前の知識はその精霊から得たものか」

 返事の代わりに一度頷き、もう一度手の中の小石を覗き見てみる。正しく《闇》の結晶に相応しい、黒々とまろい有様の石は、それが私の知っている通りのものであるならこれから先もずっと長い間――それこそ、私が死ぬか石が砕けてしまうまで――一緒にいることになるはずのものだ。

「あとで、身につけられるよう加工させよう」
「うん」

 失くしてしまわないようしっかりと握りしめなおす。仕上がりが今から楽しみだった。ノアルが私に、精霊という自由な存在を捨ててまで寄り添ってくれるというのだから。失くしたはずだった「何もかも」のうち、一つはちゃんとこうして手元に戻ってきたから。
 ただただ嬉しかった。

 緻密に構成された魔法によって、見た目以上に広く作られているウトガルズの城は、ただ中を歩いているだけでも割と楽しい。楽しむことができた。いつまで経っても飽きるということはなくて――なにせ、同じ扉でも開く度に違う場所へ繋がっていたりすることさえあるのだから――城の中を歩きまわっている間は不思議と、四六時中私にべったりなリーヴにそう易々見つかってしまうこともなかった。同じ部屋にあまり長く留まっていると、すぐ追いつかれてしまうのだけれど。
 つまり城内の「探検」というよりは、リーヴとの追いかけっこ――ないし、かくれんぼ――を楽しんでいるのが実際。
 そうしてうろちょろしているうちに、今日は面白いものを見つけた。

「うわぁ…」

 水色に塗られた扉を開けて飛び込んだ部屋の中は、珍しくがらん、としていた。
 いまいち用途のわからない様々な道具や性質の悪い呪いをかけられた魔具、目も眩むほどの財宝が所狭しと並べられていたり、部屋の中なのにまるで外のよう風が吹いていて明るかったり暗かったり寒かったり暑かったりする普通じゃない部屋が大勢を占める中で、その部屋はあまりにただの部屋だった。荷物をすっかり運び出されてしまったあとのよう閑散として、中央にぽつんと一つ、大きな硝子のケースがおかれているだけの。
 近付いて行って見てみると、嵌め殺しのよう開きそうな箇所のないケースの中には、私よりも二回りは体の大きな銀色の狼が伏せていた。剥製のよう身動ぎもせず、けれどそうだと決めつけてしまうには、毛並みの一本一本までもがあまりに生き生きとしている。
 これはなんだろうと、抱いた疑問に答えてくれるだろう人を呼び寄せるのは簡単だった。

「ねぇ、リーヴ」

 その名を唱えた次の刹那には、背後へ気配が現れている。硝子ケースの前へと座り込んだ私のことを――逃がさないようにか――リーヴは包み込むよう抱きしめて、私の肩越しに私と同じものを見た。

「これなに?」

 前のめり気味だった体を後ろへ倒して寄りかかると、リーヴは私の手を下から掬い上げるようにして持ち上げ、ケースの上へと乗せる。何をするつもりなのだろうと見ていたら、手の平越し、流し込まれた魔力に溶かされるよう狼を囲う硝子がとろとろ落ちていく。

「フェンリルだ」
「フェンリル?」

 告げられた名前を私が鸚鵡返しに唱えると、狼はぱちりと目を開けた。首をもたげて私を見上げる。
 銀の毛並みに赤い目の、ただそこにいるだけで溜息が零れるほど「美しい」獣だ。

「噛まない?」
「噛まない」

 リーヴが言うなら大丈夫だろうと伸ばした手へ、フェンリルは鼻先を擦り寄せてくる。頭を撫でてみると気持ちよさそうに目を細め、ふっさりとした尾をぱたぱた振った。

「かわいい」

 無遠慮なほどにわすわす撫で回してもじっと大人しくしていて、とても賢い狼であることはすぐに分かる。

「気に入ったのなら連れて行けばいい」
「いいの?」

 問い返してなんてみるまでもなく、私が何かを望んだ時にリーヴが返す答えは決まっていた。

「お前の好きなように」





 閉ざされていた扉がひとりでに開いたその向こうは、バルコニーがあるどこかの部屋だった。窓は当然大きく開け放たれていて、遮るものもない。フェンリルは私を背に乗せたまま軽々と跳ね、その向こうへ飛び下りた。
 落下の感覚には慣れている。

 銀髪銀目の美丈夫と、銀髪藍目の美丈夫――異なる色の瞳以外、あとは鏡に映したよう瓜二つな顔を見比べて、はてと首を傾ける。

「双子?」

 私の言葉に顔を顰めたリーヴとは正反対に、初めて会うのに見慣れた顔の藍目の男は、にこにことした笑みを崩さなかった。
 リーヴが割と無愛想な方だから受ける印象は随分変わるけど、やっぱり二人の顔は驚く程によく似ていた。リーヴのそっくりさんはもう一人知っているけど――ビューレイストは女だから――男女の違いというのは結構大きい――と、そこまで考えてようやく気付いた。

「あ」

 なんだそういうことかと、分かってしまえば酷く間の抜けたことを言ってしまったものだと思う。
 リーヴのもう一人のそっくりさん――ビューレイストは、正真正銘「もう一人」のリーヴと言える存在だった。リーヴの《マナ》を分けて「作られた」二人目。誰よりも何よりも近く、たった一つの魂を共有する存在。

「あなたもリーヴだったの?」

 きっとそうなのだろうと思った問いかけに、けれど藍目の男は「おしい」とリーヴを指差した。
 ちょっとだけ違う――と。

「そいつが僕だったんだよ」
「え?」

 虚を衝かれたのは一瞬で、すぐに「まぁ、そういうこともあるか」と納得することができたのは、深く考えることに意味がなかったから。そうする意義を、何一つ見出すことができなかったからだ。
 始まりがどちらであろうと、事実として今はリーヴが「主」。《印》と《マナ》を併せ持つ巨人の《王》は、最早リーヴ以外にありえない。たとえ始まりがどちらであろうと、この現実は変えようのないものだった。
 私がリーヴへ名前をつけたその瞬間に、命運は決している。誰でもない巨人の《王》は私のリーヴになったのだから、それ以前のことには意味が無い。

「それは災難だったわね」

 かつては巨人の《王》であったのだという男も、今や単なる「リーヴの一分」。それなら「私のもの」に違いなかった。私が対価を払って手に入れた、「全て」の一つ。

「まったくだよ」

 堪えた風もなく肩を竦めた藍目の男は、私の前へ唐突に跪いて頭を垂れた。姫へ額突く臣下のように、けして間違ってもいない遣り様で。

「僕はロキ。以後お見知りおきを、お姫さま」
「…その名前は知ってるわ」
「あ、そう?」

 畏まった所作から一転、けろりと立ち上がったロキはいかにも「意外だ」とばかりに首を傾げて見せた。そんなものがただのポーズでしかないと即座にわかったのは、「ロキ」という巨人の名前があまりに有名すぎたから。

「アースガルズを治める神の《王》オーディンと義兄弟の契りを交わした巨人って…まさか、あなたなの」

 それは、生粋の巨人でありながら神の一員としてアースガルズに住まうことを許された者の名だ。神は一方的に巨人のことを嫌っているがため、アースガルズへ足を踏み入れることさえ並の巨人では命取りとなりかねないものを、わざわざオーディンの宮殿まで出向いて行って無傷どころか、逆に気に入られてしまった稀有な男――それが、今私の目の前にいる。

 例えばそれが《枷》であったなら。堪えられなかっただろうと、リーヴスラシルは考える。そしてそれを、リーヴもまた分かっていたのだと。
 だからリーヴは、リーヴスラシルに《鈴》をつけた。首輪でもつけてどこか適当なところに繋いでしまった方が余程手っ取り早いにも関わらず。他でもないリーヴスラシルでさえ、立場が逆であればそうしていただろうに。
 四六時中誰かの動向を気にかけ――けれど結局は、その行動を力尽くで止めてしまうこともできずに――振り回され続けるなんて、きっと酷く神経がすり減る行為に違いなかった。

 野放しにされている――けれど、けして見放されてしまったわけではない――という事実に、リーヴスラシルはリーヴの愛を感じていた。愛されている自分を実感できて、変わることのない気持ちを確認するために奔放な振る舞いを敢えてして見せてしまうくらいに。
 リーヴスラシルが城を出た途端にそれをリーヴへ伝える「鈴」くらいなら――多少不便に感じることはあっても――愛故のものだと思うことができた。ただ鳴るだけのそれが、実害としてリーヴスラシルの自由を奪うことは絶対にありえないのだから。

「よろしかったのですか?」

 最早リーヴに悟らせることなくウトガルズの城を出られないリーヴスラシルが、それでも大人しくしているようなことはない。ちょくちょく抜け出しては、ひとしきり遊びまわった後で連れ戻される、というようなことを最近は繰り返していた。
 例外は、城下へ繰り出すのに供としてビューレイストを伴っているような時。突き詰めて言えばリーヴの「一部」でしかないビューレイストが付き添っていれば、リーヴも余程帰りが遅くならない限り大人しくリーヴスラシルの帰りを待っていた。

「いいのよ」

 だから本当は、黙ってこっそり抜け出す必要などありはしないのに。リーヴスラシルはリーヴをひやりとさせるのが楽しくて、わざわざ断りもなく勝手に城を抜け出す。
 そんなリーヴスラシルのことを、ビューレイストも強くは咎められないから、いつまでだって、リーヴスラシルが飽きるまで同じことが繰り返される。

「目を離したら私がどうするかなんて、リーヴは知ってるんだから」

 分かっていて目を離す方が悪いのだという理屈。ビューレイストは「それもそうだ」と簡単にリーヴスラシルへ迎合して、うきうき出かける大切な姫君に付き添った。どのみちリーヴスラシルの満足以上に、リーヴが心配をする意味などない。誰もその存在を害せるはずなどなかった。既に《王》の寵姫であると知らしめられているうえに、本人の生まれ持った魔力も良質にして豊富ながら、いざとなればリーヴの《マナ》から魔力を引き出して使ってしまえさえするのだから。実質的には巨人の《王》その人がふらふら出歩いているのと同じことだった。
 だからこそ、城下の巨人たちはリーヴスラシルを歓迎する。そしてその存在を害する愚かしさと危うさを理解してもいた。

 いつまでも強く憶えているのは、狂気に満ちた男の声。途方もない痛みと喪失。絶望的なまでの哀しみと、それら全てを塗り潰して余りあるほどの怒り。そして――温もり。
 失意の底から私を引き上げたのは、流れる血よりも深い紅色の目を持つ巨人の《王》だった。
 そして私はその日から、彼の「リーヴスラシル」になった。





 穏やかに繰り返されていた呼吸が止まり、少しして――それまでとは比べ物にならないほど密やかに――また再開される。
 それが、リーヴスラシルの癖だった。目覚めている間はいつだって、そんな風に息を殺しながら過ごしている。無意識の内に――そうすることを当前として、努めもせずに。
 だからリーヴは、いつだってリーヴスラシルの目覚めに気付くことができた。

「起きたのか?」

 声をかければ、横向いていた体がごろりと転がる。
 ヘッドボードへ寄りかかり、眠るまでリーヴスラシルが読んでいた本へ、暇潰しに目を通していたリーヴの方へと――転がったリーヴスラシルの腕はぱたりと、リーヴの膝に乗せられた。

「うん…」

 柔らかな枕へ埋もれながらの応えは酷くくぐもっている。
 寝起きで、気の抜けきった体を絡め取ってしまおうとでもするかのよう、乱れた髪を後ろへ梳いてやりながら――リーヴはリーヴスラシルの機嫌を窺って、膝へ乗せられていた手をやわく握った。
 そして、少なくとも不機嫌ではなさそうだと判じる。 

「おはよう、リーヴ」
「おはよう」

 ふにゃりと幸せそうに笑ったリーヴスラシルの目元へ口付けて――機嫌の悪い時にこれをやると、ともすれば無造作に振り上げられた腕が強かに打ち付けられることさえあるのだから、恐ろしい――リーヴはリーヴで、さらりと肩を流れた己の髪を掻き上げた。
 くすくすと聞こえた声に視線を落とせば、取り零した髪の一筋に擽られたリーヴスラシルが笑っている。

「くすぐったい」
「お前が長い方がいいと言うから」

 背中を覆い尽くして余りあるほどに長い髪が、これ以上リーヴスラシルを笑わせてしまうことのないように――傾けていた上半身を起こすリーヴは、本当にただそれだけの理由で髪の長さを弄らずにいた。

「だって綺麗だし」

 良質な魔力が通い、それ自体がまるで輝いているかのような美しさの髪――同じものを、リーヴスラシルもまた持ち合わせている。
 けれど黒と銀では見栄えというものが違うのだという羨望を、リーヴは解さない。それでも悪い気はしなかった。

「三つ編みしていい?」
「お前の好きなように」

 横になったまま手を伸ばしてくる横着なリーヴスラシルを抱き起こし、好きなようさせてやりながら――リーヴもまた、手元に流れてきた黒髪を手慰みと編みこんでいく。
 何度も同じ事をされているうちに覚えた編み方はざっくりと、寝乱れたリーヴスラシルの髪を一つにまとめた。
 簡単に解けてしまうことがないよう端を魔力で仮留めすると、いつの間にか手を止めていたリーヴスラシルもその出来栄えに満足したようにこりと笑う。

「ありがとう」

 リーヴの髪は手を離されてさらりと解けた。

「もういいのか?」
「うーん」

 返事ともつかない声を上げながらリーヴの膝へと倒れ込んだリーヴスラシルは、仰け反るよう体を伸ばして両手を投げ出す。ぐったりと脱力して、天蓋から垂れるカーテン越しに外が晴れていることを確かめ――ひっくり返ったままに今度こそ頷いた。

「もう起きる」

 勢いつけて起き上がり、そのままベッドを抜け出ていく。
 そうしてリーヴスラシルがまず向かうのは浴室と決まっていた。

「ビューレイストにお茶と何か摘めるもの頼んで」
「あぁ」

 シャワーを浴び身綺麗にして、身仕度が整う頃には簡単な朝食の用意も済んでいる。

「今度はきっちり編んでね」

 ソファーに足まで上げクラッカーを摘むリーヴスラシルに、そう言って目の細かなブラシを渡されて――リーヴは快く仕事を引き受けた。
 背を向けてくるリーヴスラシルと同じソファーへ横向いて座り、流された髪を丁寧に梳き解かし編み込んでいく。端を留めるのに使ったのはやはり細長く紡ぎ出した魔力で、それなら髪を傷めることなく、解くのも容易かった。

「リーヴはなんでもできるのねぇ」

 仕上がった三つ編みを肩に乗せ体の前へと垂らし、感心したよう一纏めにされた髪を撫でるリーヴスラシルは、「お返しに」と今度はリーヴの髪を一筋だけ編み魔力で留める。
 そのまま、正面から抱きつくよう伸ばされたリーヴスラシルの腕はリーヴの肩を掠め、頭の後ろで髪を掴んだ。

「お前がやれと言うから」
「でも別に、私が言うからできるってわけじゃないでしょう? 近いものはあるんだろうけど」
「どうかな」
「そうなのよ。だって、そうでなきゃ私がリーヴに無理難題を突きつけてることになっちゃうじゃない」

 伸し掛かるよう押し倒されたリーヴは大人しくリーヴスラシルの腰を抱く。されるがままに、さも機嫌の良さそうな容貌を見上げた。

「あなたにできないことなんてないの」

 そうでなければならないのだと、リーヴスラシルが言うのなら。その通りになるのだろうと、リーヴは他人事のよう考える。けれど最早――自分に何が為せるのか、為せないのか――そんなことさえ、リーヴの思い通りにならないというのが真実だった。
 流れる血よりも深い紅色の目を持つ人の姫。リーヴスラシルだけが、未来永劫リーヴの在り様を決める指針となり得る唯一。リーヴスラシルが「できる」と言えばできるのだろうし、「できない」と言えば、それがリーヴの限界だった。
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