空の、とてもとても高いところに浮いている、竜の都のお姫さま。魔除けの銀をその身に纏う、真赤な宝石の目を持つお姫さま。
ある日、はるか地上の国の騎士さまが、竜の都へやってきて、竜のお姫さまが持つ、たった一つの宝でお国を救ってくださるように、どうかどうかと頼まれました。
心優しい姫さまは、お国のためなら仕方がないと、大事な宝を手放され、道端の石ころを一つ拾ってくると、それを大事な宝の代わりにしようと考えました。
そうしてはるばる竜の国までやってきた、騎士さまの、地上のお国は救われました。
めでたし、めでたし。
「――と、いうわけで。お前、国に戻されることになったから。今日中に身仕度済ませるように」
「はぁ…」
いったい何が「と、いうわけ」なのか。わからないなりに、扉を開け放つなりおそらくとんでもないことを言い放った女性――エレイン・ヴィルヘルミラ――の勝手気ままな言動にも慣れっこなカッシュは、「あーよっこらせ」と居心地の良い出窓から腰を上げた。
「サーシャも連れていいっていいんだよね?」
「騎竜の一匹もいないと格好がつかないだろう」
「…ま、確かに」
カッシュにとって大切で、必要なものというのはそうない。姉に貰った本と、姉が仕立ててくれた服と、姉から贈られたものの全て。
それと、サーシャ。
(サーシャは騎竜というより恋人なんだけどなぁー)
まぁ、いいか。
読みかけの本をそのまま書架へと戻し、カッシュは何やら立ち読みを始めたエレインに一声かけ、他ならぬ彼女の私的な書庫を立ち去った。
長いこと暮らしている城内をあちこちへの挨拶がてら歩いていると、どうやら、生国で双子の弟が死に、世継ぎの王子がいなくなったため、やむなく竜都へ預けられていた「忌み子」のカッシュが呼び戻されることになったらしい…と、エレインが説明を省いた大凡の事情がわかってくる。
エレインが国へと返すカッシュの「代わり」にと使者の一団を率いる竜騎士団の長を望み、団長もそれを二つ返事で承諾したという――ある意味で今世紀最大の――スキャンダルに沸く城内。渦中のカッシュが情報を得るのは、比較的容易かった。どうして本人をすっ飛ばしてそんなことに…と、思わなくもないが。竜都における公式の立場が「竜姫のペット」であり、次代の竜帝の所有物でしかないカッシュにどうこう言える筋合いもない。
そもそも生国から正式に要請があれば返還に応じるというのが現竜帝――ひいては竜都――の方針だ。それでも頑として拒否すればエレインが何としてもここへ留まることができるよう動いてくれることをわかっているだけに、カッシュは聞き分けよく生国へ下るしかない。何より、元はと言えばエレインに拾われた命だった。エレインのいいように。エレインが本当に「欲しいもの」とトレードされたというのなら、まだ納得もできる。
聞くところによると、使者の一団を率いて竜都に入った竜騎士団長というのは大変な美丈夫で、エレインと同じ銀の髪を持ち、真夏の空のよう青々とした目の――竜さえ霞ませるほど凄絶な美貌を持つエレインと並べても見劣りしないほど、並の美女では隣に立つことさえ躊躇われるほどの――男らしい。
正直この世にエレイン以上の美貌の主はいないと確信しているカッシュも、些か気になる触れ込みだった。銀髪というのも、カッシュの生国では珍しい。主流は――カッシュもそうだが――金髪紫眼だ。銀髪が多いのは隣の大国。戦争中というわけではないが、けして関係良好でもない他国の血を色濃くその身に宿した男が国の要とも言える竜騎士団の長。これいかに。
はてさて首を傾げながらも自室へ戻ったカッシュは、部屋に入ってまず、人一人分こんもりと盛り上がった寝台へと近付き、上掛けをひっぺがした。
「ふわっ!?」
いかにも「驚きました」といった具合に飛び起きたのは、少女時代のエレインによく似た美貌の少女。ただしあくまで「よく似ている」というだけで、全く同じ造形でも表情の出し方一つでここまであからさまに違ってくるものか…と、使い魔として彼女を造った本人(エレイン)でさえ首を傾げてしまうほど、その少女はエレインからかけ離れて幼く、あどけなかった。
一目見れば誰にもエレインでないとわかる。
「なんだ、カッシュかぁー」
「もうとっくに昼過ぎてるよ、お寝坊さん」
見かけどおりに幼い仕草で目元をこすり、欠伸を零す少女――サーシャ――が寝台から下りるのに手を貸してやり、カッシュは自分も人伝にしか知らない事情を簡単に説明した。
「えー、じゃあもうカッシュとさよならだね」
「えぇー、なんで迷いなく残る体(てい)なの。サーシャも来るんだよ」
「サーシャはエレインと一緒!」
「姉さんは俺と一緒。サーシャは一人で竜都に残るの?」
「エレインがカッシュと一緒ならサーシャもカッシュと一緒!」
分別もろくにつかない子供を言い包めて拐かす悪い大人になった気分で、カッシュは「よくできました」とサーシャにご褒美のキスをした。
ノリノリである。
(第七書庫)
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