「何故、私を呼ばなかった」
どこからともなく現れたリーヴの、それが第一声。何について言っているのかはすぐに分かった。けれど何故、そんな事を言うのかは分からない。
「ビューレイストが一緒にいたから」
《護衛》が側にいたのに、何故わざわざリーヴを呼ぶ必要があるのだろう。
本当なら、ビューレイストの手を借りる必要すらないような相手だったのに。
「あれにお前の《中》は守れない」
「…貴方なら守れるって言うの?」
「少なくとも、抑え込むことは出来た」
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「血の臭いがするな」
どこからともなく現れて、リーヴは私の髪を一房すくった。
その理由も原因も――そしておそらく結果でさえ――知っている癖に何を今更と、胸中で毒づいて私は笑う。
「珍しい事じゃないでしょ」
「人間の血の臭いをさせて帰ったのは、初めてだ」
「人でも巨人族でも、同じ血よ」
「…違うな」
嗚呼やはり、彼は分かっている。分かっていてこんな事をしているのだ。
「少なくともお前にとっては、違った」
磨き上げられた宝石を思わせる真紅の瞳を直視出来なくなって、私は視線をあらぬ方へと流す。
「隠せると思ったのか」
逃げられないと、悟るには遅すぎた。そもそも私が帰るのを待ち伏せていた時点で、彼に逃がす気などさらさらなかったのだ。
「…貴方が気付いた事の方が不思議よ」
それが彼の言葉に対する肯定になるのだと分かっていても、言わずにはいれない。
「私の記憶が戻ったと、何故分かったの? リーヴ」
「…言ったはずだ」
私だけが知ることの出来る、私しか知りえないはずの変化。私以外の誰が、どうして知ることが出来るというのだろう。
「隠せると、思ったのか」
ゆるり、視線を上げると彼の瞳はその色を深めていた。まるで冷たい宝石に血が通ったような色合いの変わりように、私は知られてしまった忌々しさを忘れて純粋な驚きに突き動かされる。
「リーヴ、貴方…怒ってるの?」
まさかと、細くなる言葉にリーヴは言った。まるで、それがさも当たり前の事であるかのように。
「隠されて良い気はしないさ」
「そう…」
目元に触れようと伸ばした手を拒む素振りさえ見せず、僅かに目を細める事で受け入れて、したいようにさせて、彼はそれきり口を閉ざした。
伝えるべき事は伝えたのだと、纏う空気が告げている。
「貴方は変わるのね、リーヴ」
彼は変わった。その理由を私は知らない。知りたくない。本音を言えば変わって欲しくもないし、変わらないでいてほしい。
「私をおいて行くの?」
だって私は変われない。変わる事が出来ない。変わる事を誰も望んでくれなかったから、今更変わる事なんて出来るはずがない。
「私を――」
触れるなと、告げる声は自分でも驚くほど感情的な冷やかさを宿していた。
「これは私に捧げられた贄だ」
いつからかは、思い出せない。気付いた時にはもう後戻りの出来ない所まで来ていた。
「貴様らに返す道理はない」
手に入れた温もりを奪われないように、壊されないように、強く強く抱きしめて閉じ込める。
その存在が必要なのだと、私の理性ではない何かが告げた。だからその囁きに従って私は行動する。けして侵されることのないように。
「あの方の目は、磨き上げられた宝石。一切の感情を映さず冷やかで、だからこそ至上」
ノスリヴァルディと名乗った巨人族の女は、どこか危うげな雰囲気をその身に纏っていた。
「けれどこの頃、稀に血が通う」
その理由を、私は知らない。
「だから、なに?」
知りたくもなかった。
「まだ分からないの?」
流れる風が狂気を孕んで頬を撫でる。
「――貴女がっ」
感情のままに解き放たれた魔力は鋭く熱を生んだ。お気に入りのワンピースに赤い花が咲く。
くすりと笑みを浮かべながら、私は言葉より早く魔力を放った。
「リーヴが初めてくれた服だったのに。――どうしてくれるの?」
たった一筋、頬につけられた傷の代償は千の痛み。赤い花どころか全身を真赤に染め蹲るノスリヴァルディは、悲鳴すら上げられない。――あらかじめ声帯を切っておいたからだ。
「死んで」
とどめの一撃を放とうと、腕を振り上げた私の視界からノスリヴァルディが消える。《空間転移》したのだと気付いて後を追おうとしたら、魔力を練り上げるより早く腕を掴まれた。
「深追いはよせ」
いつの間に現れたのか、全ての元凶が静かに告げる。
「…止めるなんて初めてね」
いつだって私のする事に口出しなんてしないのに、今日は一体どうしたんだろう。
興味半分不審半分、薄く笑って魔力を収めた。
「深追いすると怪我をするぞ」
「もうしてる」
そう言って頬を撫でると、そこにあるはずの傷がない。ただぬるりとした血の感触だけが残っている。
「いつの間に…」
「これで追う理由はないな」
「そんなに殺されたくないの?」
この目に映る世界が色を失くして、困る事は一つ。
「どうかしたのか」
たった一つだけ、困る事がある。
「なんでもない」
「…そうか」
だから何も見なくていいように目を閉じた。たった一つと世界を引き換えて、私は安堵の息を吐く。
「リーヴスラシル」
「なぁに?」
これでもう、大丈夫。
「貴方の目は、まるで磨き上げられた宝石ね」
暗に感情がないようだと言われても、別にどうということはい。それが真実なのだから。
「でもこの頃、たまに血が通うわ」
「一緒に行こう」
ミズガルズとヨトゥンヘイムとを隔てるイヴィングの川を渡って、人間が私の《世界》へ入り込む。
「君はここにいるべきじゃない」
覚えたのは、想像を絶する嫌悪感。
「ぃ、や…」
そして、恐怖。
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