それは、全てが無に還る場所。
「・・・」
足元を流れていく澄んだ水に視線を落とし、朔魅はゆっくりと一度深呼吸した。
冷めた空気が肺に流れ込み微かな痛みを伴う。――足元の水は、もっと冷たいのだろうか。
「ずっと、」
何の前触れもなく落とされた声に朔魅は体を強張らせた。
「決めかねていました」
気配に疎いほうではない。
「私の思いと私の義務。私の運命[サダメ]と貴女の運命」
けれど気付けなかった。
声をかけられるまで。その存在が、悟らせようと気配を絶つことをやめるまで。
「姉上への忠誠と、陰陽の均衡」
背後の気配が一歩踏み出しても、そこに音はない。
「けれど、もうどうでもいいでしょう」
背を向けた相手に手を引かれ朔魅はよろめく。
体勢を崩した体をいとも簡単に抱きとめ、闇王――月詠――は切なげな吐息を吐きだした。
「貴女はずっと私のものだった。――私が、私だけが、少しずつ形を成してゆく貴女を見守っていた」
随分と長い間、待ち望んだ。
「けれど最も力ある貴女は蒼銀の神を選び、その色を望んだ。私は――」
その器が砕かれて以来。永遠と、その小さな欠片達が引き合って行くのを見守りながら。
「私が、闇の海で待っていたのに」
(嗚呼、そうか)
月詠の腕に抱かれるがまま身を任せていた朔魅は、微かに目を細め微笑ともとれる表情を形作った。
「私は神器の一欠片。永い時をかけ集まった、最古の神器の一欠片」
乾いた大地に降り注ぐ雨のように、知識が流れ込んで来る。
世界が湛えた闇色の水。染まらない欠片。染まった銀[シロガネ]。――これは私と月詠の記憶。
「何度生まれ、疎まれ、消されようとも、一度惹かれあった欠片達は離れ離れになることはなく、闇の世界でぬくもりに包まれ眠った」
二人分の記憶が混ざり合って完全な形を成していく。
「残されたのは三つの欠片。私と、銀と、そして――」
本当に、ずっと見守られ続けていたのだ。
幾度生まれ変わろうとも死した後、還る場所は彼の海以外他にないのだから、今思えば、彼になら容易い。
「あの、純白」
嘲笑うかのような声色でそう囁き、朔魅は今度こそはっきりと笑みを零した。
嗚呼、私が消されてしまう。最古の神器としての全てを思い出した今、私が私であり続けることは出来ない。
「一番小さな、人に近い「朔魅」
神器はたった一つでなければならない。
「私は、決めかねていました」
三つの神器は争いを招く。例え一つがその色を定めたとしても他の二つが、大いなる争いを。
「けれど、もうどうでもいいでしょう」
ただ、逃れる術は示された。
「貴女は私の物だから」
「いいわ、それで。生きられるなら」
漆黒から眩いばかりの白銀へと色を変えた髪が肩口を流れる。
嗚呼、これが〝私〟。器を満たす確かな力を感じながら朔魅は瞑目した。
「私も生きてみたい」
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