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時系列順で保存しとけばよかった





1-02a/覆す事はいつだって出来る

 もう何もかもに疲れてしまったんだ。

「悪いな、サラ」

 誰もいない空[クウ]へと向けて瞑目すると、アッシュは体の内に眠る力の泉を意識して閉ざした。
 途端襲う眠気に小さく笑いを噛み締め、持っていた紅い装丁の本へと視線を落とす。

「マリアの気持ちも分からないわけじゃないんだ」

 だけど、

 ぐらりと揺れた世界に逆らう事はせず、もう開く事もないであろう瞳を何の躊躇いもなく閉ざした。
 だけど、だからといって彼女の思い通りにする訳にも、してやる訳にもいかない。
 マリアの願いはサラを生かす。けれど同時に彼の尊さを殺してしまう物だった。
 そしてサラは言ったんだ「お前の好きにすればいい」と、唯一全てを覆す力を持った俺に向かって。

「おやすみ、」

 だから俺は俺のやりたいようにやった。
 迫り来る死を受け入れるつもりでいたサラの、その尊い刹那を生かした。

「サラを殺した非情な世界――」





 後悔なんてしなかった。だけど今でも心が痛む。





 でもこれも、サラがくれた尊い刹那。




1-02b/力を頂戴

 麻痺した感情は動かない。張り付いた無表情という名の仮面は揺らがない。その至高の地位を相応しい他者へと譲ろうともしない。
 銀の姫。隠し切れない侮蔑と嘲笑混じりの声に呼び止められ、アリアはその作り物じみた銀色の瞳に名も知らぬ血族を映した。

「何か用ですか」

 抑揚のない声。

「いや、」

 まるでアリアを呼び止める行為そのものが目的だったとでも言うように、男はローブの裾を翻しアリアに背を向けた。

「では私はこれで失礼します。――銀の姫」
「どうぞお気をつけて」
「えぇ」

 アリアはあくまで社交辞令としての言葉しか口にはしない。
 男の言葉は一見アリアに敬意を払っているように聞こえて、向けられた背が幼い《後継者》に傅く気がないことを物語っている。

「……」

 カツカツと靴底を鳴らしさっそうとその場を後にする男の背を暫しの間見つめ、アリアは自分が中庭に面した廊下を――人目につくにもかかわらず――歩いていた理由を思い出し、目的の場所へと再び歩き出した。
 胸元で音もなく逆十字のネックレスが揺れる。



 父が死んだ。



 それは本来哀しむべきことなのだろう。けれど残念ながら私は彼の死を悼むような感情など持ち合わせてはいない。むしろせいせいする。

「そうでしょ?」

 何もない廊下の向こうへと同意を求めるように上げられたアリアの声には、僅かに抑揚が戻っていた。
 微かに揺れた大気に軽く首を傾け――それでも仮面のような表情は変わらない――、アリアは立ち止まる。

「アッシュ」

 強く名を呼べば、それに応える様に空間が歪んだ。
 その歪みから顔を出した男は音もなく床に降り立つ。

「呼んだか?」

 向こう側の透けて見えるアッシュの腕を取りアリアは歩き出した。

「もううんざり」

 通り抜けるかと思われた彼女の腕にあっけなく捕まり、引きずられるように歩き出すとアッシュはアリアに気づかれないよう笑いを噛み殺す。
 アリアがアッシュを連れ込んだのは二人の初めて会った部屋だった。

「目を頂戴」

 そしてアリアはさも当然の様に言い放つ。





 その出会いは偶然であり必然だった。
 覚めないはずの眠りから覚めたのは俺。覚めないはずの眠りを覚ましたのはアリア。

「いいぜ?」

 事も無げに頷きアッシュはアリアの頬に手を添えた。

「力抜いてろよ」

 何の躊躇いもなく見上げてくる銀の瞳にそっと舌を這わせ、傷つけないように、痛みを与えないように、ゆっくりと丁寧に一度舐め上げる。

「嫌って言っても途中でやめたりしないからな」

 全ては必然。そして偶然。



 ――捕まえた



 全てはもう一度ここから始まる。




1-02c/来訪者

「アリアー?」

 音源のない室内に落ちた静寂。
 光源のない室内に落ちた暗闇。


 ジャラッ


 音としてではなく、感覚として捕らえた金属音。

「……」

 退屈を持て余し、意味もなくアリアの髪を梳いていたアッシュは椅子に座りだらりとベッドに伏したまま軽く目を細めた。
 気配はない。

「いるな…」



 ――ここだ



「用があるのは俺? それともアリアか?」

 次の瞬間アッシュはアリアの寝室から音もなく姿を消した。










「取り合えず用件を聞こうか」

 まず聞こえたのは酷く楽しげな声。
 傾いた屋敷の屋根に腰を下ろしていた女は一拍置いて現れたアッシュを一瞥し、口角を吊り上げた。

「俺はルーラ」(ルーラは白抜き

 頼みがあってきたんだ。

「それで?」
「聞いてくれるだろ?」



「――いいぜ」



 何の疑問も口にしないアッシュに女は笑みを深める。

「俺たちが出逢うのは来年」
「お前は違うだろ、旅人なんだから」
「そういう呼び方をするなら死神と呼んでくれ、気に入ってるんだ」
「死神、ね」

 自らを死神と称する女は確かにそれに相応しい姿をしていた。
 漆黒の装束に四肢を緩く拘束する鎖、凄絶な力。
 本来ならアリアに連なるもの以外を拒絶するはずのこの屋敷が彼女の侵入を拒まなかったのは、恐らく――



「ルーラ」(白抜き



 二人目の侵入者がアッシュの前に姿を現した。

「死神の恋人か?」

 茶化すように言ってみれば女は微かに目を瞠り、現れた男は面倒臭そうに前髪を掻き上げる。

「……」

 垣間見えた真紅の双眸に今はいないあの人の面影を見た。

「いや、」

 漸く重い腰を上げると女は軽く左手を持ち上げる。
 薬指に嵌められた黒い指輪――そこに鎮座する紅の宝石――が、月光を弾き輝きを放った。

「ただのパートナーだよ」

 女の体を取り巻く銀色の鎖とは違う、あまりにも脆弱そうな漆黒の鎖が同色の指輪から伸びる。
 嗚呼、そういうことか。

「じゃあ確かに頼んだぞ」

 鎖は男の左手へと伸びていた。

「わかってる」

 唐突に現れた死神。それを迎えに来た真紅の闇。
 面白くなりそうじゃないか。



 俺たちが出逢うのは来年。



「ホグワーツ」

 思い当たる場所は一つしかなく、それ以外に相応しい場所もない。

 ――アッシュ

「今行くよ」

 声なき声に呼ばれ、アッシュもまたその場を後にした。




1-02d/手に入れたもの

 深い海の底から引き上げられるような覚醒。
 飛び込んできた暗闇。

「…頭痛い」

 本当に痛むのは頭ではなく瞳の奥だった。
 ズキズキと鬱陶しい痛みを訴えてくる右目を押さえ、アリアはゆっくりと寝返りを打ち体を起こす。

「アッシュ」

 ――今行くよ

 無意識のうちに零した呼び声には、声なき声が答えた。

「何処行ってたの…」

 音もなく現れた気配が歩み寄ってくる。
 闇になれない左目を頼りに手を伸ばし、痛む右目を押さえたままもう一度ベッドに沈んだ。

「痛むのか?」

 伸ばした手を絡めとられる。





 異端者。





「・・・少し」

 アッシュの行使した力をいい事にまた押し寄せてきた眠りも、脳裏をよぎるたった一言に霧散した。
 何を今更…そんな事今まで幾度となく言われ続けてきたではないか。
 悟られぬよう枕に顔を押し付けたまま小さく自嘲気味に笑い、アリアは体を起こす。

「でも気分はいい」
「微妙な答」

 漸く開いた右目には、はっきりと暗闇の落ちた部屋の光景が映りこんできた。





 そして復讐劇が始まる。




1-13a/再会にして出逢い

 人もまばらなプラットホーム。

「……」

 進行方向を向いた座席でじっと一点を見つめていたアリアは、聞こえるはずのない足音を聞いたような気がして手元の懐中時計を開いた。

「何時だ?」

 眠っていると思っていたアッシュが向かいの席から文字盤を覗き込む。

「10時10分」

 必要ないとは知りつつ針の指し示す時刻を読み上げた。

「まだ大分あるな」
「……」

 流した視線はプラットホームの入り口へ。

「アリア?」

 予感がした。










「失礼」

 遠慮も躊躇いもなく開かれた扉に目をむけ、――そこに立つ二人の姿を見止め――アッシュは皮肉気に口角を吊り上げる。

「久しぶりだな、死神」
「初めましてだけどね」

 かけられた言葉に軽い調子で答え少女は微笑んだ。

「アッシュ」
「はいはい」

 言外に「どけ」と命じられアッシュは大人しく席を譲る。

「どうも」

 上辺だけの礼を述べ、少女はアリアの向かいに腰を下ろした。
 軽い溜息とともに赤目の少年もアッシュの向かいに腰を下ろす。

「名前を聞いてもいいかしら」
「ルーラ。ルーラ・シルバーストーンです」

 かつて死神としてアッシュの前に現れた少女――ルーラ――は、アリアの手を取るとそこに恭しく口付けた。

「以後お見知りおきを」

 あたかも神聖なる者に対してのそれを、アリアは当然の様に受け入れる。

「お帰りなさい」

 浮かべるは微笑。告げるは、

「私のクリムゾンスター」

 失われし尊き名。
 他の血族が知れば何を言ってくるか分からない。実力を持って、ルーラの存在を消し去ろうとするかもしれない。

「ただいま」

 けれど全ては杞憂に終わるのだと、

「私のシルバーストーン」

 二人の瞳が物語っていた。




1-17a/集う血族

「それにしても、ホグワーツ創設以来だよな」
「何が」

 暗いプラットホームに夜独特の冷たい空気。

「何がって、」

 人が持っているにしては些か高い位置にあるランプの灯りに続きながら、アッシュは肩をすくめアリアを見た。
 その色違[タガ]いの瞳で。

「銀石と緋星の当主が揃うのだよ」

 元々アッシュの物である赤い瞳に闇は映らない。だが、アリアの銀の目は違う。
 左目と違って見通しの利かない右目に苛立つでもなく淡く笑って、アッシュはアリアの手を取った。

「アッシュ?」
「お前はちゃんと右見てろ」
「…わかった」

 冷たくも温かくもないその手を取った。
 今この場でという事ではなく、あの時、今は遠いあの場所で。

(それにしても変わらないな…)

 足を取られないよう周囲の様子を窺いつつも、アッシュは視線を遥か上空へと向けた。
 満点の星空。多少星の位置は変わっていても、星見でない俺にそんな事は関係ない。
 ただ美しいと、

「みんな、ホグワーツがまもなく見えるぞ」

 あの時と同じ場所、けれどあの時とは違う人の隣で、あの時と同じように思った。










「四人ずつボートに乗って!」

 半巨人の男がそう叫び、四という数字にルーイが軽く顔を顰めた。

「さらば友よ」

 その隣ではにこやかなルークがそんな事を言っている。

「なら僕は遠慮しようかな」
「悪い」
「君が謝る必要はないさ、――僕としては、是非ルークに退席願いたいものだけど」
「おお怖っ!」

 じゃあまた後でと、離れる事に何の躊躇いや不安もなかった。

「イディ? 君のご主人はどこだい?」

 背後に見知った気配が一つ。きっとルーイ達も気付いていただろう。

「知るかよ、あいつ手ぇ繋いでたのに逸れたんだぜ」
「あ、そう。…僕と来る気ある?」
「なきゃいねぇよ」
「ならよかった。――サイラー!」

 不貞腐れたように頭の後ろで腕を組むイディを先に小船へと押し込み、エリックは片手を挙げ声を張り上げた。
 その声を聞きつけたサイラーは何を言うでもなく歩み寄ってきて、開口一番。

「眠い」

 恐らくエリックが声をかけなければ乗り遅れるなりしていたに違いない。

「今日はえらくローテンションだね、それじゃまるで君のノイズみたいだ」
「どーでもいいけど最後になるぜ」
「おっと、それはいただけないな。おいでノイズ」

 至極どうでもよさそうに声をかけてきたイディに、エリックがサイラーの首周りに背後から抱きついていたノイズを引き離し小船へと連れ込んだ。

「ぅ、あー…」

 突然主から引き離されたノイズは、次なる寄生先と言わんばかりにエリックの腕へと絡みつく。

「相変わらずだね」

 そんなノイズを乗り込んだサイラーが引き寄せ、ノイズはまた主の首へと腕を回した。

「…二人も」

 どこからかイディの主人であるヴィアの叫びが聞こえないでもない。










「おいて行くなんて酷いよイディ!」
「知るかよ、手ぇ放すお前が悪いんだろ」

 嗚呼、またやってる。

「やぁ友よ、また会えてなによりだ」

 役者じみたセリフと共にエリックへと歩み寄る片割れと、もう飽きるほど見たヴィアとイディの痴話喧嘩とを見比べ、ルーイはもう一人の片割れと無言のまま目配せした。

「(行くか)」
「(そうですね)」

 使い魔と主人との間で無言の会話が出来るのは便利だと心底思う。
 ちなみにルークの使い魔であるステラ・ミラは何も言わずルーイとステラ・マリスに倣った。

「懲りないな」

 さらば我が弟、さらば我が半身。

「―――!!」

 岩の道を登り終えたところで、下から助けを求める声が聞こえないでもなかった。
 まぁ、人生そんなに甘くない。




1-18a/組み分け帽子の歌

 カツカツと規則的にテーブルを叩く指先を認め、サテラは小さく顔を顰めた。

「ケイト」
「何だ?」

 咎めるような声色で名を呼べば、予想外に楽しげな返事が返る。

「そんなに楽しみなの? 新入生」
「あぁ、そうさ。楽しみで仕方ないね」
「でも貴女の指先、苛立ってるようにしか見えないわよ」
「…すまない。癖だ」
「別にいいわよ」

 本当に気にしてない様子のサテラにケイトは笑みを深める。
 お前も落ち着かないようだな。
 本当に小さな、囁くような言葉を耳にしてサテラは目を細めた。

「それはもう」

 なにしろ我等が当主様のご入学ですから。
 棘を孕んだ言葉に苦笑を一つ。

「不幸な奴だな、お前」
「貴女もね」

 交わされる言葉に悪意がないことを知りつつ、そのやり取りに耳を傾けていたブルーは視線をあらぬ方へと向けた。

「来るぞ」
「あぁ、やっとか」

 主語のない言葉に待ちかねたとケイトは大広間の扉に視線を移す。

「やっとなの」

 軽い溜息一つ、サテラとコバルトもそれに倣った。










「あ、ほらジャック、あそこにカフカがいる」
「わかってる。それより「あ、ライズあそこにトッペルゲンガーがいるよ!」
「だから「臆病者のヴィアも!」
「…はぁ」

 お前らといるといつもこうだ。
 頼むから構ってくれるなと言うジャックの雰囲気に気付きライズは笑った。
 取りあえず新入生の列から知り合いを見つけては報告してくるディオスクロイを宥め、ベガの顔色を伺う。

「気にすることはない。いつもの事だ」
「それもそうだね」

 平然と答えたベガにジャックは上座に目を向けたまま肩を落とした。

「ベガ…」
「言っておくがライズは手ごわいぞ? ジャック。お前が口で勝つのはまぁ無理だろうな」
「「無理だ無理だー」」
「しっ」





 私はきれいじゃないけれど
 人はみかけによらぬもの
 私をしのぐ賢い帽子
 あるなら私は身を引こう
 山高帽子は真っ黒だ
 シルクハットはすらりと高い
 私はホグワーツの組み分け帽子
 私は彼らの上をいく
 君の頭に隠れたものを
 組み分け帽子はお見通し
 かぶれば君に教えよう
 君が行くべき寮の名を

 グリフィンドールに行くならば
 勇気ある者が住まう寮
 勇猛果敢な騎士道で
 他とは違うグリフィンドール

 ハッフルパフに行くならば
 君は正しく忠実で
 忍耐強く真実で
 苦労を苦労と思わない

 古き賢きレイブンクロー
 君に意欲があるならば
 機知と学びの友人を
 ここで必ず得るだろう

 スリザリンではもしかして
 君はまことの友を得る
 どんな手段を使っても
 目的遂げる狡猾さ

 かぶってごらん! おそれずに!
 興奮せずに、お任せを!
 君を私の手にゆだね
 だって私は考える帽子!





「ABC順に名前を呼ばれたら、帽子をかぶって椅子に座り、組み分けを受けてください」





「さぁ、我等が当主様の命運やいかに」




1-18b/血統

「オフィーリア・アッシュ!」

 誰が知りえるのだろう。
 誰が知りえたのだろう。
 この俺が、

『これはこれは』

 もう一度この場所に帰ってくるだなんて。

「さっさと決めてくれよ。アリア曰く全てはルーラの手の上らしいしな」
『ふーむ、だがしかし…』
「俺は、俺でしかない。そうだろ?」
『うーむ…よいでしょう。あの方の…――いや、これは余計なことですな』
「あぁ」
『ならば貴方がたに相応しい寮は一つしかない』





「グリフィンドール!」





「…グリフィンドール、だって?」
「何か問題でもある? ウルド」

 カタリとヴェルダンディの置いたゴブレットが音を立てた。

「いや、ただ…」

 珍しく歯切れの悪いウルドにスクルドが首を傾げる。

「絶対にスリザリンだと思っていたから、な」

 はっとしたように、二人の使い魔は息を呑んだ。

「「それは、」」

 示し合わせるでもなく重なった声にウルドは目を伏せ首を振る。

「ただそう思っただけさ」





 組み分けは続いていた。





「シルバーストーン・アリア!」

 水を打ったように静まり返った大広間に、たった一人の足音が響く。
 そこにいる全ての者が彼女の一挙手一投足に神経を研ぎ澄ませた。

「グリフィンドール!」

 そして言葉を失う。





「まさか」

 シルバーストーンは、スリザリンの家系だった。




1-19a/血を持たない血族

 組み分け帽子が高らかに叫んだ寮の名は、殆どの人間からすれば予想外のものだっただろう。

「グリフィンドール、か」

 躊躇いがちに起こった拍手に加わることはせず、思案するように口元に手を沿え、エリックは呟く。
 流石に大広間に入ってからはノイズを自力で立たせていたサイラーが、興奮気味に――それでも声は出来る限り落して――彼のローブを引いた。

「聞いた? エリック」
「サイラー、君は僕の聴力に喧嘩でも売ってるのかい?」
「違う違う、そうじゃなくて――」





「シルバーストーン・ルーラ! リドル・トム!」





「あいつだ」
「あぁ」

 短く切りそろえられたエメラルドグリーンの髪。
 垣間見えた瞳はラピスラズリの蒼。
 従える使い魔は闇色の髪にルビーレッドの瞳。

「様になってるな」

 上座の中央へと、緊張する様子も無く歩み出る二人。
 トゥーラが零した感嘆ともとれる吐息にフォーマルハウトは無言で頷いた。ついさっき組み分けを終えたアリアも充分人目を引くが、所詮彼女は一人だ。

 けれどルーラは違う。

 一目見ただけで分かるその美しさ、そしてそれに引けをとらない秘められし力。
 あれは誰だと、すぐ傍で顔見知りの同族が呟いた。

「ジョーカーさ」





「スリザリン!」





「そうじゃなくて、当主の、」
「…ありえないことじゃないよ」
「えっ?」

 当主の時とは打って変わって、盛大な拍手と共に選ばれた寮へと迎え入れられる同族を目で追いながら、エリックは「だってそうだろう?」と、首を傾ける。

「シルバーストーンの一族には確かにスリザリンが多いけど、全員って訳じゃない。グリフィンドールにだって――例えばウルドとか――、結構な魔使いがいる」
「でも、」
「トゥーラの親友にいたってはレイブンクローだ」

 シルバーストーンを名乗るものたちの心中も知らず進む組み分けを他人事のように眺めながら、エリックは口を噤んだサイラーの耳にも届かないほど小さく――半ば無意識の内に――呟いた。
 まぁ、確かに、

「銀石を名乗る人が獅子に選ばれるのは初めてだろうけどね」










 上座を下りるルーラとほんの一瞬だけ視線を絡ませ、アリアは目を細めた。
 寮のテーブルに着いた彼女の姿はもう見えない。彼女からも、自分達の姿は見えないだろう。

「アッシュ」
「んー?」

 私達は背中合わせに立っている。
 それは互いの最も無防備な部分を守りあうという意味でもあるし、同時にいつでも相手を殺せるということ。

「もし、何の打算もなく私が共にいることが出来る人がいるとすれば、」

 アッシュにその役は務まらない。彼は所詮私の力でしかない。

「それはルーラ以外ありえない」

 淀みないその言葉を受け、アッシュは瞑目した。

「そうだな」

 何も知らないくせにアリアを否定することしかしない血族たちと、《アリア》という一個人と向き合い、彼女を肯定する緋星。
 どちらが信用、信頼に足るかなんて、それこそ愚問なのだろう。

「俺もそう思うよ」

 しかもあの緋星は一筋縄でいく相手じゃない。




1-19b/隠された狡猾さ

 組み分け帽子の叫んだ寮の名に、サイラーははぁ、と大袈裟に息を吐き出した。

「ノイズ、おいで」

 グリフィンドールのテーブルへと向けた足は重く、裏腹に心は軽い。なんという矛盾。だが嫌悪感を伴うものではない。

「スリザリンなら、諦めもついたんだけどね」

 サイラーの言葉に応えるように、ノイズが声を上げて笑った。
 控えめなそれは二人を迎えるグリフィンドールからの歓声に掻き消されたが、すぐそばにいたサイラーには届き、そして――





「驚いたな」

 先に組み分けを終えていたエリックの目にも留まった。
 上座から下りたサイラーを自身の隣へと誘い、エリックは依然にやついたままのノイズを見遣る。

「ノイズはこの状況を楽しんでるのかい?」

 いつも眠たげで無気力極まりないノイズの顔にはっきりとした感情が浮かんでいる様子は、そう見られるものではなかった。
 エリックでさえ写真に残しておきたいと思うほどには、珍しい。

「複雑ではあるけど、退屈はしないかな」

 サイラーはそう言ってスリザリンのテーブルに目を向けると、ふいに手を上げ肩口で振った。

「私は姉さんと違って、不完全な物を厭わないから」





 自分とは違う道を歩むのだとわかっていた。あの子は、その不完全さを疎むことなく受け入れ、あるがままを愛[イツク]しむことが出来るのだと、知っていた。生まれた時から見守り続けてきたのだから、わからないはずがない。
 けれど私は、あの不完全さを到底受け入れることは出来ない。


 だから二人の道は分かたれたのだ。


「不幸な奴だな、お前」

 続く組み分けを見ているようでそうでなかったのか、ケイトの上げた声にサテラは微笑んだ。

「貴女もね」

 分かたれるべくして。










「ナビゼトリア」

 さも不機嫌そうなエドに声をかけられ、ナビザトリアは満面の笑みで彼を顧みた。

「わたくしの予言通りですわよ。プレゼントを楽しみにしていますわ、エド」

 弧を描く唇は容赦のない現実をエドにつきつける。

「…あれはお前が俺を嵌めたんだろうが」
「あら、嵌められるほうが悪いんではなくて? 見苦しいですわよ」





 上座からその手前へと目を移したファウナが聞き耳を立てながら身を乗り出し、ゼロスは手荒くローブを引くことで彼女を大人しく座らせた。

「ファウナ」

 窘める意味で名を呼べば、音にならない応えが返る。

「(だって、またやってるのよあの二人)」
「(ジャックがライズに勝てないのと同じですよ。構うだけ無駄です)」
「(構ってなんかないわよ。聞いてただけ)」
「(口を挟むつもりだったでしょう)」

 せわしなくゼロスとエドの間を往復していた視線は不満気な色を帯び、ファウナは声に出してゼロスを非難した。

「君は何でも知ったような口を利くね」

 ゼロスはおやと内心首を傾げながら、それをおくびにも出さずファウナから視線を外す。

「いい加減、子供らしい振る舞いはよしなさい」

 ファウナはつまらなそうに唸った。




1-20a/聞こえない雑音

 為さなければならないことがある。私は、そのために力を望んだ。

「アッシュ」
「ん? あぁ…放っとけ」

 アッシュから契約の証として渡された右目は、闇を見通し、虚構を暴く。
 まだ誰も気付いていない《嘘》を見咎め、アリアは隣を歩くアッシュにだけ聞こえるよう声を落とした。

「あれは何」
「ポルターガイストさ。――大分鬱陶しい、な」

 集団が動くことを止め、つられて立ち止まりながらアッシュが「消すなよ」とアリアに釘を刺す。

「分かってる」

 降って来た杖は、誰に気付かれることなく赤い光に弾かれた。

「ピーブズだ」

 先頭にいる監督生が生徒達に囁き、次いで杖の束へと声を張り上げる。

「ピーブズ、姿を見せろ。――血みどろ男爵を呼んできてもいいのか?」
「おおおぉぉぉぉ! かーわいい一年生ちゃん! なんて愉快なんだ!」

 姿を現したポルターガイストは、アリアにとってあまり注視したくない見てくれをしていた。



「お目付け役なんて呼ぶまでもないよ」



 自分たちめがけて急降下してきたピーブズを避けるため、誰もが身をかがめる中、サイラーだけが楽しげな笑みを浮かべている。

「騒ぎは不味くないかい?」

 エリックの窘める様な言葉も、彼女を止めるには及ばなかった。

「ノイズ」

 サイラーに呼ばれ、それまで眠たげに目を擦っていたノイズが微笑する。

「――――」

 世界が音を失った。





「(あれは音を操るみたいだな)」

 使い魔とその主人が交わす心話とは少し違う、共有された力によってなされるそれに、アリアは小さく頷くことで答える。
 背を伸ばし胸に手を当て、歌うように口は動かされているが肝心の歌声は聞こえない。それどころか、痛いほどの静寂が場を包んでいた。
 それまでの威勢が嘘のようにピーブズは顔を強張らせ、酸素を求める魚のように口を開いては閉じる。

「(ピーブズには、何か聞こえているみたい)」
「(もしくは何かを見せられている、か)」
「(見せる?)」
「(目線が彷徨ってるだろ? 幻覚能力とか)」

 そして、永遠にも感じられた無音の時は唐突に途切れた。

「――今日じゃなかったら、こんな目にあわなかったのにね」

 サイラー・シルバーストン。サテラ・シルバーストーンを姉に持ち、銀石内の過激派に属する魔使い。





「どうです? 当主様。私のノイズはすごいでしょう」

 誇らしげにアリアと向き合うサイラーに、エリックは呆れ混じりの視線を向けた。
 おそらく、彼女は当主ことアリア・シルバーストーン――銀石を名乗る一族の至高――その人に己の力を披露するためだけに、普段は相手にしないようなザコに力を使ったのだろう。

「私達は貴女が従えるにたる者ですか?」

 アリアへの忠誠を仄めかし、サテラと決別するために、こんな茶番を演じてみせた。

「私に、従える者を選ぶ権利はない」

 同時に試したのだろう。生れ落ちたその瞬間から、出来損ないと疎まれ続けた彼女の在り様を。

「それはそれは」

 結果は、サイラーの浮かべる満足気な笑みが物語っていた。




1-23a/塗り重ねられる仮面

 出来損ないの当主と罵られようと、彼女の無表情は揺るがない。
 本当に何とも思っていないのか、低俗な同族を内心嘲っているのか、自らが異端であると自覚した上で沈黙を守っているのか、はたまた別の理由か・・――明確な答を知る者はいないが、ただ一つ彼女が〝独り〟であるという事実だけは、人形ほどの人間味すらない無表情と同じく揺ぎ無いものだった。





「あのカフカがねぇ…」

 ぐてっとよりかかってくるノイズを押しどけながらサイラーが零すと、その正面に座ったばかりのイディが何のことかと首を傾げる。

「カフカがジョーカーに嵌ったのさ」
「誰だよそれ」
「ルーラ・シルバーストーン。エメラルド色の髪をした銀石」

 彼の隣にヴィアがいないことに呆れながらも、エリックは彼が必要とする情報を躊躇いもせず与えた。
 知っていて損をすることではない。むしろ知らなければ、シルバーストーンとしては不味いことになるだろう。

 一族内の勢力図は刻一刻と変化している。

「へー」

 イディが何気なくサイラーの視線を追うと、その先には噂の〝ジョーカー〟がいた。
 己の使い魔とカフカ、ポラリスを連れ、急ぐでもなく大広間を後にする彼女の後姿はさながら女王。立ち居振る舞い、容姿、潜在する力、どれをとっても従うに足る。

「でもあんたは興味ないんだろ?」

 だが、あの気難しいカフカを手懐けるにはそれだけではいけない。もっと決定的な何かがあるはずだ。例えば――

「僕は銀石っていうより緋星側だからね」

 彼女が禁書の主である、とか。

「超マイノリティーだよね、オリハルコン使い」
「今ホグワーツにいるのは僕と3年のルーシィ、5年のシェーンだけだからね」
「ルーシィはともかく、姉さんと仲良いシェーンは敵に回したなぁ、私」
「彼女のクライビアナは怖いよ? 剣だし、僕のクィリアと違って見えない」
「でもオリハルコンの具現って高等技術なんでしょ?」
「決闘の時は見えないほうが有利だよ」


「なぁ」


 ありえないことだと知りつつイディは問うた。

「ルーラは、緋星なのか?」

 カフカの事を知って誰もが一度は辿り着いた可能性。彼と彼の使い魔以外知りえない、従うに足る絶対の理由。

「…どうだろうね」

 エリックですら、その答を知りはしない。

「ただ、彼女がフォーマルハウトが認め、カフカをも従わせたジョーカーであることだけは、確かだよ」
「嗚呼、憂鬱。姉さんだけでも敵としては強すぎるって言うのに」
「当主の器、か・・」

 だがいずれ明らかになるだろう。










「あいつはもう有名人か」

 感嘆とも取れるアッシュの言葉にアリアは無言のまま首肯した。
 そこには彼女ならば当然だろうという絶対の信頼があり、それを知るアッシュもまぁそうだろうな、と気安く肩を竦める。
 僅かな間真剣な色を帯び周囲を見渡した双眸が、何事もなかったかのようにアリアへと戻された。

「目、つけられてるぞ」
「それも思惑の内」
「へぇ」

 今度は明らかな好奇の滲む声を上げ、大広間の扉へと目を移す。
 話題に上がっている少女がそこを通ってから随分経つが、その時の様子が異様なほど脳裏に焼きついて離れようとしない。彼女の放つ魔力が、アリアの右目からじわじわと思考を侵そうとしてるようだった。

「恐ろしい女」

 ぽつりと、隣に座るアリアにすら届かないほど小さく零された言葉は紛れもない本心で、自分にそう言わしめる彼女は一体何者だろうと、アッシュは思考をめぐらせる。





 答が出ることはなかった。




1-25a/ノルン

「やはり、カフカの存在は大きいな」

 何の脈絡もなく呟いて溜息一つ。その背を深々と一人がけのソファーに沈めたケイトは、沈黙を守るサテラの読めない表情を窺い、目を閉じた。


「ルーラは確実に同胞を取り込んでいる。このままにしてはおけないんじゃないか?」
「そう騒ぐほどのことじゃない」

 コバルトはそ知らぬ顔で答えた。
 ブルーは納得いかないと言わんばかりにケイトを仰ぎ、彼女が会話を投げていることを知ると、眉根を寄せてその足元に寄りかかる。

「手は、打ってあるわ」

 サテラの言葉にコバルトが笑った。

「なんだ、もうバラすのか」
「ケイト」
「私は何も知らない」

 就寝時間をとうに過ぎ、四人以外誰もいない談話室。火の爆ぜる音は少し前から聞こえない。

「明日には分かるわ」
「何が」
「彼女が何者で、どの程度の力を持っていて、私たちの敵なのかどうか」
「……」
「主なしの使い魔じゃ歯も立たなかったんだから、次は…ねぇ?」

 ケイトははっと息を呑んだ。

「おやすみなさい、ケイト、ブルー。いい夜を」










 夜目の利くヴェルダンディに手を引かれ、明かりも灯さず談話室へと下りたウルドは、杖の一振りで暖炉に火を入れ招かれざる来訪者を迎えた。

「こんばんわ、お嬢さん」
「…それい嫌味かい?」
「ただの挨拶さ」

 ディオスクロイを伴わず、単身グリフィンドール寮へと現れたライズは、おかしそうに笑いながらソファーに座る。

「貴方に僕を責める権利はないよ。だって…」
「あんたが来ることを知ってて止めなかったから?」
「別に僕は構わないんだよ? カストルとポルックスさえいなければ、見つかる心配なんてないんだから」
「そういう問題じゃない」

 ウルドはライズの正面に座り、ヴェルダンディは姿を消した。

「わかってるよ。心配してくれてるんでしょ? ありがとう」
「…帰りはスクルド連れていけ」
「貴方がそういうなら、そうさせて貰おうかな」

 くすくすとおかしそうに笑うライズから顔を背け、ウルドは一枚の紙片を取り出す。暖炉で爆ぜる火を見つめながら差し出されたそれを受け取り、ライズは笑みを深めた。

「ありがとう」
「ご期待に副えなくて悪いが、奴のことは俺の占いに映らない。…だからそこに書かれてるのはあんたが知りたいことに関わってくるであろう、時間と場所だ。それ以外は――そこで何が起こるのかさえ――何もわからなかった」
「十分だよ」
「…わかってたのか」

 驚愕と怒気交じりの言葉から逃れるようにライズは立ち上がった。
 何もない場所から姿を現したスクルドが通りやすいよう――これじゃどちらの使い魔か判らない――肖像画を押しどける。

「ライズ」
「おやすみウルド、また明日」

 ライズは振り返らなかった。

「振られちゃった?」
「…行け、しばらく戻ってくるな」
「はぁい」

 気の抜けた返事と共にスクルドも談話室を後にし、暖炉の火を消したヴェルダンディがそっとウルドの手を引く。

「おつかいですか?」
「もしもの時、双子じゃ騒ぎが大きくなる」
「過保護ですね」
「…俺はもう、誰も失いたくない」
「ここはホグワーツです。ある程度の安全は保障されていますよ」
「銀石の力に対しては丸裸も同然さ。生徒が一人二人本気で暴れれば死者も出せる」
「物騒なことを言わないでください。…その為の貴方でしょう?」
「占えない同族がいれば意味がない」

 部屋への道すがら、星空を切り取ったような窓に目を留めウルドは息を吐いた。

「当主の星が動くな」

 ウルドは何も言わない。




1-27a/投げられた采

 まるであの時のようだと、思った。

「――アリア」

 アッシュに呼ばれ振り向くと、彼の更に背後には見覚えのある同寮の同族。サイラーを通じて稀に言葉を交わすくらいの接点しかない彼は、人気のない廊下を真っ直ぐにこちらへと向かって歩いてくる。

「銀石の姫君」

 侮蔑も嘲笑も含まない、むしろ敬意をはらうような声色に違和感を覚えた。
 この同族――エリック・シルバーストーン――は、私に何の感情も抱いていなかったはずだ。己がオリハルコン使いであることを理由に、一族間の権力争いから常に目を背けているのだと、どこか手のかかる弟のことのようにサイラーが語っていたのを憶えている。

「何か?」

 アッシュは面白いものでも見るようにエリックの動きを追っていた。
 エリックは恭しく腰を折る。

「ある人から伝言を預かってきました」

 デジャヴ。

「…聞かせて」
「はい」

 まるであの時のようだ。体の奥底に沈めた感情が疼く。培われてきた一族の歴史、付随する誇りに揺さぶりをかけられているようで、酷く気分がよかった。

「〝親愛なる友よ、共に深く眠ろう。夜は長いがじき明ける〟」

 彼女の一挙手一投足が、世界を私の望む方向へと導こうとしているかのように。

「彼女との眠りは心地いいでしょうね」





 自分とアッシュしかいない廊下でアリアは銀の懐中時計を取り出し、その表面を丁寧になぞった。

「もう少し待つと思ってたけどな」

 ぽつりと呟いてアッシュが訝しげに表情を歪める。
 確かにホグワーツで過ごす七年間を思えば早すぎるような気もするが、ルーラに限って失敗することなどありえないだろう。――少なくともアリアはそう信じていた。

「私の、クリムゾンスター」

 銀時計の表には銀石、裏には緋星の紋章が刻まれている。元々アッシュの持ち物であったそれに何故そんなものが刻まれているのか、アリアは知らない。アッシュも自ら語ろうとはしなかった。二人にとって重要なことではないから。

「早く…」

 重要なのはアッシュがアリアに与える力。アリアには力が必要だ。でもまだ足りない。まだ、アリアの前に銀の不死鳥は現れない。

「全部壊して」

 必要なのは姿を消した銀の不死鳥を呼び寄せる力。不死鳥の持つ赤の禁書に記された、血の魔力を奪う術。
 力が全てだと謳う一族の未来を奪い今を貶めて漸く、私は私となれる。そのために力を欲することは酷く皮肉だが、アッシュの力はいずれ私を殺すだろう。それは当然の代償。本当はルーラの行動が早すぎるなんて、これっぽっちも思ってはいない。

「アリア…」

 アッシュの力は今も着々と私を蝕んでいる。完全に呑まれてしまう直前の僅かな時間が最初で最後のチャンス。

「行こう、アッシュ」

 私は何を犠牲にしようと復讐を遂げる。










 自分の胸に手を当て、女はほくそ笑んだ。

「アッシュ・オフィーリア」

 空虚な体の中で燃え上がる、混じりけのない憎しみの炎。

「その忌まわしき力、せめてあの方の血脈のため捧げるがいいわ」

 人の生き血と死で描かれた魔法陣。中央に置かれた紅い装丁の本へと投げつけられる、死の種。
 女は哂った。混じりけのない狂気を持って。

「これがあんたの終わりよ」




1-27b/悪夢

「遺される俺たちの気持ちなんて考えてないだろ、お前」

 草原の隠れ家は訪れる者もなくとても静かで、片膝を抱き、椅子の上で目を閉じていた俺は唐突に、同じ部屋にいるはずの尊い存在が霞のように消えうせてしまうのではないかという恐怖に捕らわれる。

「私は自分勝手だからな」

 サラは至極真面目な声で答えた。
 俺は薄っすらと目を開けて、少しくすんだ色の床を見つめる。

「よく言うよ」

 不思議と、哀しくはなかった。

「ただ、」

 ただ、少し寂しい。

「ただ、なんだよ」

 首にかけた逆十字のペンダントが、俺の言葉に合わせて揺れた。サラの用意したルビーを緋星が加工して、俺が魔法をかけたこれは、もうすぐ銀石に贈られる。ささやかで心温まる誕生日プレゼント。――きっと銀石は泣いてしまうだろう。

「銀石と緋星を、頼む」

 その様子を思い描くのはあまりに簡単で、俺は少しだけ笑いながら十字架の輪郭をなぞった。

「…あぁ」

 それをサラが望むなら、俺はあいつらのために心を砕こう。サラの愛する全てが幸せになれるように、壊れてしまわないように、サラから貰った力を注ごう。

「俺もあいつらのことは気に入ってるしな」





 サラの死期が近いことを、俺とサラだけが知っていた。










「――どうして?」

 あの時と同じ言葉が鼓膜を揺らす。当然のように予想できたはずの状況に、俺は頭を鈍器で殴られたような衝撃を受けた。

「どうして、助けてくれなかったの」

 サラと同じ銀色の髪が揺れる。

「あんたにはそれが出来たのに」

 サラとは違う銀色の瞳が俺を捉えた。

「あんたにしか出来なかったのに」

 俺と同じ、サラによって造られた存在が憎悪に染まる。殺してやると、呪いの言葉が地を這った。

「――赦さない」

 私はあんたを赦さない。あの方を見殺しにしたあんたを、あの方を蘇らせる力を持ちながら、その墓前に祈りを捧げる裏切り者を。

「それでも、」

 俺は目を閉じた。あの時と同じように、同じ言葉を紡ぐために。

「サラは最期まで、俺に望みはしなかった」

 命はいずれ終わる。故に人は美しく、儚く、尊くて、刹那に輝かしいのだと、俺はサラに教えられた。だからサラの尊さを殺してまで共にいたいとは、どうしても思えないんだ。――でもこの気持ちを、お前に押し付ける気もない。

「あんたが殺したのよ…」
「……」

 自分が死んだ後は――今までだって、何かを強要されたことはないけれど――好きにしろとサラが言ったから、俺はサラの死を看取り、彼の尊さを生かした。

「殺してやる」

 俺がそうしたように、お前も好きにすればいい。

「誰よりも惨たらしく、惨めに、――あんたの愛する者と共に」

 憎しみに染まった瞳が歓喜に揺れる。あの時とは違う言葉、積年の怨みを今晴らすのだとマリアは笑った。

「まさか、お前っ…!」

 そして俺は悟る。俺にだけ向けられていた憎悪が、千年の時を経てついに、俺が守るべきものにまでその矛先を向けたのだと。

「アッシュ、アッシュ・オフィーリア! そうよ、あんたは正しかった。禁書の中で眠っていればこんなことにはならなかったのに。愚かな当主があんたを起こしてその愛を得た。あの方があんたに与えた至高の力を人間ごときが揮うだなんて…おぞましい」
「あいつは銀石だ!」
「それがなんだっていうの」

 心のどこかで信じていた。マリアが怨んでいるのはあくまで俺個人であって、復讐するべき相手は俺、ましてや銀石の血を引くものを傷つけるなんてありえないと。

「私はどんな手を使ってもあんたと、あんたの愛する者を殺す。大丈夫よ? あの方が愛した銀石と緋星は遠い過去だもの。今の銀石を殺したって、あの方は哀しまない」

 熱に浮かされたような目でマリアは語る。それはもう、俺の知るマリアではなかった。もしかするとサラが死んだあの日、俺の知るマリアもまた死んでしまったのかもしれない。

「種はもう蒔かれているわ。後は育つのを待てばいい。あんたはあの子が死ぬ前にあの子と一つになって自分だけ消えるつもりだったんでしょうけど、そんなの許さないわ。あんたはあんたの力で愛する者を殺して、あの子はあの方の力を使った報いを受けるのよ」

 最後に残るのは、あの方の血をより濃く受け継ぐ継承者。不甲斐ない銀石などではない。

「おやすみなさい裏切り者。今夜だけは、優しい夜を許してあげる。でももう二度と、あんたに安息は訪れない。暴れる力に苛まれ、愛する者の苦しむ顔を見ながら死ぬといいわ。――そして血の糧となるのよ」

 あの時も今も、俺は全てを覆す力を持っている。揮われなければ力なんて無意味なのに、俺はまた揮うことを躊躇い、それをお前が望むならと、無責任な言葉を紡ぐ。

「どうしろって言うんだよ…」

 そうすることが本当に正しかったのかなんて、考えたくもない。




1-29a/終末の夜

「あたま、痛い…」

 鈍い痛みに目が覚める。アッシュと瞳を交わした夜のように、目の奥の方が痛かった。

「……」

 暗闇の中、使えない左目の代わりに右目が世界を映し出す。机の上にあった銀時計は差し出した手の中にすんなりと飛び込んできて、私はそっと息を吐いた。
 まだ、アッシュの力はここにある。私は呑み込まれていない。大丈夫。まだ、大丈夫。

 ならばこの痛みは何?

 えもいわれぬ焦燥が襲った。心臓は唐突に鼓動を早め、耳の奥でドクドクと血の流れる音が煩い。目の奥がいっそう痛みを増して、頭が割れそうだ。

「アッシュ…?」

 紛い物の禁書に封じられていたアッシュを解き放ち、彼と契約を交わして以来、沢山の恩恵を受けてきた体。それがこんな風に不調を訴える原因は、一つしか考えられない。
 物理的な距離なんて関係なく――それこそ、魔使いと使い魔のように――届くはずの声に答えはなかった。そのことが私の焦りを増長させる。

「アッシュ・オフィーリア」

 上ずった声でもう一度その名を呼ぶと、部屋の中でパタンと音がした。扉が開く音とも、アッシュが現れるときとも違う音に何事かと振り返る。
 ヒュッ、と息を吸う音が、耳についた。

「どうして…」

 机の上には見覚えのある一冊の本。私が見つけた運命の鍵。銀の不死鳥が持つ赤の禁書の紛い物。紅の禁書。アッシュの揺り籠。
 シルバーストーン本家の自室に置いてきたはずのそれが何故そこにあるのか――それ以前に、この本にはアッシュが強力な守りの魔法を施していたはずで――、混乱する頭で手を伸ばす。
 机を離れた禁書は私の意志の弱さを表すように途中で失速し、床に落ちた。

「アッシュ…」

 アッシュは答えない。

「アッシュ・オフィーリア…」

 私は一人、目の前の光景に慄[オノノ]いた。

「どういうことなのこれは…っ!」

 運命の軋む音がする。途方もない恐怖が目の前にあった。私はそれが明確に何であるかを知らないのに、恐怖であることだけは知っている。
 紅の禁書には、小さな種が植え付けられていた。種は芽吹き、その根を禁書を覆うように伸ばそうとしている。〝喰い尽すように〟という言葉が脳裏をよぎった。
 アッシュが紅の禁書を守ろうとしたのは何故だろう。あの時も私はその理由を聞きはしなかった。二人にとって重要なことではないから、と。――けれど本当にそうなのだろうか。もしかすると私は、とんでもない間違いを犯しているのかもしれない。
 私にはアッシュの持つ力が必要だ。なら彼に関することは、どんなに些細なことでも知っておくべきではなかったのだろうか。紅の禁書に封じられていた理由、私と契約と交わした真意、彼が本当はどういう存在なのかすら、私は知らない。
 私は「銀石」としてしか扱われることのない自分を嫌い、そのことに固執するあまり、「アッシュ・オフィーリア」という個人に対してあまりに無関心すぎた。

 寝台の上に放り出していた銀時計を握り締めて縮こまる。禁書はまだ机と寝台の間に落ちていた。力を使おうとしてもきっと無駄だろう。今、私の頭の中は後悔で溢れていてそれどころではない。後悔だなんて、縁のないものだと思っていたのに。

(私は…)

 復讐を、遂げなければならない。そのために力が必要だ。力を得るためにはアッシュが必要。そのために私が選んだのは目に見える繋がり。交わした瞳。
 こんな所で崩れるわけには、いかない。

(…ルーラ)

 強く強く、その名を呼んだ。瑠璃色の瞳が宿す澄んだ光を思い浮かべながら、あるいは救いを求めたのかもしれない。けれどそのことを認められるほどの強さを、私は持ち合わせていなかった。

(ルーラ)

 いつから私は、一人では立ち上がることすらままならなくなってしまったのだろう。



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