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全部まとめてあげたかったけど字数制限とかあるかんね





1-17/Paramnesia

「イッチ年生! イッチ年生はこっちだ!」

 人のざわめきが鬱陶しい。
 ここに、自分以外の人間が存在しているという事実が不快。

「ほら、行くよ」

 前を歩くリドルが繋いだ手に力を込めた。
 逸れないように。私が立ち止まっても、決して手放してしまわないように。

「さぁ、ついてこいよ――」

 目に見える繋がりを、くれる。










「――漸く帰って来たか」

 久しく沈んでいた意識が浮上する。
 けれど、同時に、再会にはまだ早すぎるのだと理解した。

「おかえり、レイチェル」

 おかえり、名も知らぬ我が子。





 もう待つことは苦ではない。





「気をつけなよ」
「大丈夫」

 最悪だった気分は空を見上げた途端嘘の様に晴れてしまった。

「ありが――」

 不自然に言葉を途切れさせ、ルーラが背後を顧みてもリドルは何も言わない。
 とすると、案外気付いているのかもしれない。

「ご一緒してもいっいでっすかー?」
「フォーマルハウト」

 この既視感に。
 けれどそれはアリアと出会ったときの比ではなく、「どうぞ」と、不自然さの欠片もない了承の言葉が口をついて出た。
 咎めるようにルーラに声をかけた少年を呼んだ少女は一度窺うようにルーラとリドルを見遣り、早く乗ろうとせがむ少年に折れ小船に乗り込む。

「すまない」
「いいえ」

 そしてルーラは気付いた。

「私はトゥーラ、トゥーラ・シルバーストーン」
「で、俺がトゥーラのフォーマルハウト」

 アリアの時よりも些か物足りない既視感。その正体に。
 だから今度は意図的に、人好きのする笑みを浮かべ己が名を告げた。

「ルーラ・シルバーストーン」





 血と血が呼び合う。




1-18/Secret

 その時覚えたのは軽い既視感と違和感。
 一族の人間でも全てが纏まっているというわけではないから知らない顔がいてもなんら不思議はない。けれど、

「頭、下げぇ~!」

 私は知らない。

「(なーに考え込んでんのさ)」
「(いや、)」

 こんなにも、

「(退屈はしなさそうだと思ってな)」

 こんなにも、底知れぬ力を秘めた同族を、彼女以外には。

「あったりまえじゃん。俺が目ぇつけたんだから」

 歩きにくい事この上ない岩の道を登りながら、トゥーラは先頭付近を歩く二人組に目をやった。
 視界の端にはこの悪路を物ともしないフォーマルハウトの姿。

「そうだったな」

 その、さも当然だと言わんばかりの顔に微笑した。

「お前はいつも抜け目ない」










「ねぇ、」

 気付いてる?

「何が?」

 ホールの脇にある空き部屋に詰め込まれ、また少し気分の沈んだルーラはそれでも楽しげに微笑んだ。

「血が騒ぐの」

 きっともう既視感は覚えないだろう。その代わり、今こんなにも心が躍る。

「らしいね」
「何、その微妙な返事」

 繋いだ手を確かめるように握りなおしリドルはルーラを引き寄せた。
 体勢を崩したルーラはリドルに寄りかかり、瞬く。

「吃驚した」
「君は出逢った相手が血族かどうか知る事が出来るらしいけどね、僕は違う」
「分からないの?」

 リドルの肩に頭を乗せたまま仰け反るように横顔を仰ぎ見た。

「君の反応を見れば分かるよ」
「なんだ」

 見下ろしてくるのは見慣れた赤。嗚呼、落ち着く。

「でもはしゃぎすぎ」
「そう?」
「そう。…落ち着いたみたいだね」

 リドルがそう言って私を立たせるのと、マクゴナガル教授が戻ってくるのとはほぼ同時だった。

「さぁ、一列になって付いて来てください」

 確かに今日は気を抜けない。




1-19/Disappoint

「よ」

 そう何気なく声をかけてきたアッシュには目もくれず、その前に立つアリアにルーラは場所を譲った。

「お前ってさりげなく酷いな」
「何のこと?」

 そしてそしらぬ顔でリドルと目配せし笑う。
 アッシュはアリアの前に並んだ。

「ねぇ、アリアはどこの寮に入るの?」
「貴女が思っている通りの寮に」
「それはそれは」

 背後で交わされる会話に溜息一つ。

「寮は帽子が決めるんだぜ?」
「「知ってる」」

 頭上には満天の星空が広がっていた。





「グリフィンドール!」





 その寮の名が高らかに叫ばれた時、全ての事情を理解した上で笑みを零したのはルーラただ一人だった。

「さぁアリア」

 促すように、ルーラがアリアの手を掬う。

「ねぇルーラ」

 持ち上がった手を見つめ、アリアがルーラの手を握る。

「「またいつか」」



「シルバーストーン・アリア!」



 世界が音を失った。





「グリフィンドール!」





 帽子が叫ぶその瞬間[トキ]まで。

「嗚呼、やっぱり」

 ルーラは満面の笑みを浮かべ静寂の中一人手を叩いた。
 それにつられるように躊躇いがちな拍手がぽつぽつと起こり、やがてそれが大きくなる。

「貴女は、そちら側の人間なのね」



「シルバーストーン・ルーラ! リドル・トム!」



 ルーラの微かな呟きを、リドルだけが聞いていた。




1-20/Supreme

「おめでとう! ホグワーツ新入生、おめでとう! 歓迎会を始める前に、二言、三言、言わせていただきたい。では、いきますぞ」

 放っておけば頬杖を付くルーラの手をテーブルの下でリドルが掴んでいた。

「そーれ! わっしょい! こらしょい! どっこらしょい! 以上!」

 異常。
 テーブルの上に並ぶ大皿に料理が現れ、ルーラの唇が音も無く言葉を紡ぐ。

「もしかして、眠い?」

 確認するまでもないような気もするが、それでもリドルは一応問うた。
 ルーラは押さえられていたのとは逆の手で頬杖をつき上座に背を向けると、にっこりと笑い口を開く。

「すっごく」

 同時に「こんな脂っこいものよく食べられるな」と、全く笑っていない両目が吐き捨てていた。

「慣らしておけばよかったね」

 家の食事で。

「冗談でしょ」

 はっ、と鼻で笑いいつの間にか手元の皿に盛られていたポテトに――ぎりぎり行儀の悪さを指摘されない程度の荒っぽさで――フォークを突き刺す。
 当然それをそこに置いたのは彼女の使い魔だ。

「リドル、きっと私は今月中に胃を壊すわ」
「心配しなくても魔法薬で治るよ」
「……所詮夢は夢ね」



「なぁ」



「――はい?」

 したり顔で呟いたかと思えば、次の瞬間リドルでさえ舌を巻く変わり身の速さで笑みを振りまく。
 嗚呼、やっぱり君は不器用だ。
 声をかけてきた少年と彼に寄り添う少女に、シルバーストーンの人間だろうとあたりをつけ、リドルは気付かれない内に視線を目の前の料理へと戻した。

「あんた、当主様と一緒にいたよな?」
「えぇ」

 到底ルーラの好みそうなものはない。

「でも俺はあんたのことを知らない。――あんた誰?」

 不躾といえばそうだろう。けれどそれこそがルーラの待ち望んだ問いだとも知らず、少年は彼女に問いそして彼女は答える。

「それはね、」

 自らが、



「私が《オリハルコン使い》だから」



 至高の存在であることを。

「……ふーん…」

 少年がその瞳に好奇の色を宿したことにルーラも気付いただろう。

「じゃあ、あんた当主様とは真逆なんだな」
「そうね」

 使い魔を具現化させることの出来ない当主。
 オリハルコンを具現化させることが出来ると断言した魔使い。

「俺はカフカ、こっちは――」
「ポラリスよ」

 その二人が共にいた理由は――

「「よろしく」」

 考えるまでもない。





「さぁ、諸君、終身時間。かけ足!」




1-21/Window

 先頭を歩く監督生に続いて寮への道を進み、合言葉を唱え談話室へと入り、促されるまま足を踏み入れた自室で、ルーラは開口一番「窓がない」と嘆息する。

「どうかした?」

 たった今自分が閉ざした扉とは別の――恐らく男子寮に繋がっているであろう――扉から現れたリドルが首を傾げる。
 あまり馴染みのない杖を机の上に放りルーラはベッドに沈んだ。

「別に」
「別に、って顔じゃないよ」

 クスリと笑みを零したリドルは問答無用でルーラを引き起こしバスルームへと追いやる。
 中で寝ないでね。バタリと閉ざされた扉にルーラは「はいはい」と覇気なく答えた。

「母親みたい」

 嗚呼、けれど自分はこんなにも暖かい《母親》を知らない。
 思い出されるのは怒声と暗闇ばかりで、稀にその合間を鮮やかな紅が掠めた。

 嗚呼、もう二度と会うこともない《母》よ、貴女が私を生み育ててくれたことには感謝します。だから命だけは奪わないでおきます。だからもう私を苦しめないで、そっとしておいて。
 貴女は貴女の娘を愛さなかった。だから貴女の娘は愛を知らず育った。愛を知らず、信じることを知らず、希望という言葉を暗闇の中垣間見疑っていた。


 あの瞬間[トキ]までは。


「――レイチェル」

 私は貴女を探し出さなければならない。





 あの日見た灯火を灯し続けるために。





「う、わ」

 バスルームを出るなり動きを止めたルーラに、リドルは悪戯を成功させた子供のような、得意げな笑みを向けた。

「これで満足だろう?」

 ついさっき見た部屋とは明らかに様子が違っていて、そのギャップにルーラは呆然と瞬く。
 家具の位置は変えられ、どういう仕掛けが二つだった扉も一つに減り、そして何より――

「月が…」

 窓が、あった。
 硝子越しに広がる闇は濡れた様に深い。

「そんなに高度な魔法じゃないよ」

 それが紛い物でないと直感が告げる。
 恐る恐る近寄り触れた硝子はひんやりと冷たかった。

「どう?」

 魅入られたかのようにルーラは月を見上げる。
 ここは地下。けれど魔法界だ。

「開けてもいい?」
「どうぞご自由に」

 窓の傍から離れようとしないルーラに歩み寄りリドルは告げる。

「それは君のための窓だからね」

 望み通りにならないものなど何一つない。
 この世界の全てが君の生きる舞台でしかない。

「落ちなければ何をしてもいいよ」

 望みは、何?




1-22/Twins

「そろそろ起きたほうがいいよ」

 聞きなれた声と共にシーツの上に流していた髪を掬われ、まどろんでいたルーラは目を開けた。
 見下ろしてくる紅色の双眸と視線を絡ませ、欠伸をかみ締める。

「おはよう」
「……おはよぉ」

 持ち上げようとした左手にずしりと嫌な重みがかかった。
 その理由を意図せずして思い出してしまい、忘れていたことへの迂闊さも込めてルーラは重く息を吐く。
 苦笑したリドルが彼女を引き起こした。

「さいてー」
「解決策はあるだろ?」
「その発言も最低」
「なら、最低ついでに」
「――わっ」

 無常にも支えであった手を放され、ルーラは体勢を崩す。
 咄嗟に突こうとした腕は左。当然思い通りに動かせるはずも無く、起き上がったばかりの体がベッドに沈んだ。
 恨みがましい視線を向けてはみても、リドルに反省の色は無い。
 むしろ見惚れるような笑みを浮かべ、悪びれることなくもう一度手を差し出してきた。

「お手をどうぞ」

 ルーラは呆れて物も言えない。

「自分で起きる?」
「何がしたいのかわからない…」
「そんなことないよね?」

 今度こそ本当にルーラを引き起こし、リドルは恭しく彼女の手に口付けて見せた。
 あの時、ルーラがアリアにしてみたのと同じように。ただし今度はご丁寧に膝まで突いて、手の甲ではなく手の平に。
 胡乱気にリドルを見下ろしたルーラは、一拍おいて寝起きの無表情に薄っぺらい笑みを貼り付ける。

「男の嫉妬は醜い」
「君が誰かに頭を下げる必要なんて、ないだろ」
「あんなのお遊びよ。真に受けた?」
「鼻持ちならないだけさ」

 嗚呼、なんて愚かしいのだろう。

「忌々しくもあるけどね」
「そう」

 我が主こそ至高であると、信じてやまない使い魔の驕り。
 だかその使い魔は知っているのだろうか、主にとって使い魔こそが唯一、そして絶対の拠り所であるということを。

「じゃあ、もうしない」

 力が必要だ。決して何者にも侵されることのない、服従する必要のない、奪うことのない、力が。
 だから私達はここに来た。

「しないから、」

 物語を静観するだけならばここでなくともよかった。力を得ることだけが目的ならば、必要となる物が分かった瞬間掠め取ってしまえばよかった。それをしなかったのは、ひとえに

「私の願いを叶えて」

 私達がとても傲慢であるから、だ。



 その方が人間らしくていいじゃないか。



「僕はそのためにいる」










「「さてここで問題でーす!」」

 高らかに朝の穏やかな空気を蹴散らしたディオスクロイは、暖炉の前を陣取ったルーイとルークに、声をそろえ指先を突きつけた。
 頬杖をつき物憂げに爆ぜる火を見つめていたルーイと、眠りに片足をつかまれ舟を漕いでいたルークの視線が、見た目と言動だけは幼い使い魔達に向けられる。

「どっちがカストルでしょーう!」
「どっちがポルックスでしょーう!」
「…今お互いの名前を言い合っただろ」
「「はっ!」」
「図星だな」

 ディオスクロイに遅れ談話室に現れたライズは、部屋の隅で身を寄せ合う自身の使い魔たちを一瞥し、一人がけのソファーに腰を下ろした。

「当てたんだね。すごいすごい」
「あいつら、毎日あんなことやってるんですか?」
「うーん、どうだろ。女子には人気あるみたいだからそうなんじゃないかな」
「…へぇ」

 ルーイとライズが言葉を交わしている間にも、女子寮から出てきた生徒に小さな包みを貰いディオスクロイは二人で追いかけっこを始めた。そして程なく立ち止まり、どちらがどちらでしょうと問う。瓜二つの容姿と声で一見区別するのは不可能なように思えるが、互いが互いの名を言うのでそのことにさえ気付いてしまえは何ということはない。ただ滑稽なだけだ。

「自分の事は僕って言うから、分かりそうなもんですけどね」
「ああいう子供っぽいことをするところが、可愛いんじゃない?」
「…そうですか」
 少し前から動かなくなっていたルークの脛を蹴り上げ、ルーイは立ち上がる。

「そろそろ行きませんか?」

 可愛い可愛いと、あの二人をもてはやす生徒達の気持ちは理解できそうになかった。




1-23/Prison

「や」
「・・おはようカフカ、ポラリスも」
「おはようございます」

 女子寮から出ると当然のように近づいてきたカフカたちを連れ、ルーラは談話室を出た。

「私達を待ってたの?」
「ん、俺はあんたに付くのが一番良いと思ったから、そうする」
「そう」

 ささやかな疑問を投げれば悪びれた風のない答が返り、リドルと目配せし笑う。

「それが賢い選択でしょうね」
「…こえー人」

 カフカの隣を歩くポラリスはまだ探るような目をしていたが、それもそう長くは続かないだろう。

「俺たちと当主様以外で、あんたらに声かけた奴っている?」
「銀石に限るならレイブンクローのトゥーラとフォーマルハウトだけ。それ以外は当たり障りのない会話を何人かと」
「じゃあ、他の奴らは気付かなかったんだ?」
「どちらかというと様子見、でしょうね」
「馬鹿な奴ら」

 ルーラは振り返ることなく歩き続ける。誰が付いてこようと、離れていこうと、拒みはせず、目的のために他人を犠牲にすることを良しとはしない。

「目、見えてないんじゃねぇの」

 カフカは嗤った。彼女と言葉を交わしたその瞬間、自分は囚われてしまった。そしてこれから出会う誰もが囚われてゆくのだろう。彼女は自分が知る誰よりも気高く、澄んだ目で前を見つめているのだから。

「な? ポラリス」

 俺はきっと、彼女の囚人第一号、だ。










「一度校内探検でもしてみないとね。リドルには必要ないだろうけど」

 朝食の席では猫被りの笑みを惜しげもなく振りまいていたルーラが、人気のない廊下に入るなり表情や声色を一変させる。

「君には必要ないだろ」

 その変わり身の早さは、彼女の猫被りが付け焼刃であるということを忘れてしまいそうになるほど自然だ。

「いろいろ見てみたいの」

 彼女は誰に教えられるでもなく、人を惹きつける術を知っている。

「もしかしたら新しい隠し通路とかあるかもよ?」
「…かもね」

 だがそれは僕にも言えることだ。

「リドル?」





 訝しげにリドルの名を呼んだルーラは、立ち止まった次の瞬間何事もなかったかのように歩き出していた。
 ルーラと殆どの感覚を共有するリドルも、ルーラが気付いたものに気付き、そ知らぬ顔でその後に続く。

「――Ms.シルバーストーン」

 人気のない廊下に、二人の知らない声が落ちた。

「なにかしら? Mr.シルバーストーン」
「一夜にして悪名高きカフカを手懐けた貴女様に、遅れ馳せながら御挨拶に参りました」





 また一人、囚われ人。




1-24/Silence

 タッ、と物陰を飛び出した影は、鋭利な力と共にルーラへと襲い掛かった。
 不意をつかれルーラが一瞬驚いたような顔をしたように見えたのは錯覚で、彼女の目前に迫った魔の手は赤子の手を捻るように弾かれる。
 何者かの放った刺客――と、呼ぶのは大げさすぎるだろうか――は、奪うべき命を逆に奪われた。
 吊り上げられた口角が、周囲の驚きをよそに彼女がこの状況を楽しんでいることを物語る。

「ジェノス」

 落ち着き払ったリドルの声が、部屋を支配した。

「どういうことか説明してくれるかな」

 彼の視線は手元の本に注がれているが、ページにかけられた指先が動く気配はない。
 窓際の壁に寄りかかっていたジェノスはわざとらしく肩を竦め、持ち上げた指を弾き鳴らした。

「その前に、」

 そう言い置いた彼の影が濁り、呼び出されたアシェラが一通の手紙をポラリスに渡す。
 丁寧な手つきで手紙を受け取ったポラリスが時間をおいて頷くと、ルーラはさもおかしそうに肩を揺らした。

「リドル」

 咎めるでもなく、ただ呼んだだけともとれる彼女の言葉に今度はリドルが肩を竦める。
 本は音もなく閉じられ、手紙は彼の手にあった。

「わかってるよ」
「そう?」



 これが僕たちの日常。



「行こう、カリオペ」
「…そうだね」

 ルーラとリドルがいなくなった隠し部屋からは、一人消え、二人消え、最後まで動こうとしなかった僕をギルガメシュが面倒くさそうに立ち上がらせる。
 ついさっきまで灯っていた灯りが今はなく、薄暗い室内を抜けると扉は独りでに閉じた。

「この部屋には、もう――」

 バタンと音のした方を見ても、そこには何の変哲もない壁があるばかり。

「誰が来ることもない」

 途切れた言葉をギルガメシュが引き継いだ。
 寮への最短となる隠し通路に誘われ、僕は最後にもう一度だけ扉のあった壁を顧みる。

「来れないんだよ」

 ギルガメシュは答えなかった。










「何も言わないんだね」

 唐突なリドルの言葉にルーラはただ微笑するばかりで、何一つとして彼の望む答を口にしようとはしない。
 二人の距離に慣れきってしまった彼女は、時折こうして口を噤むようになった。
 リドルの存在を蔑ろにするわけではない。ただ口を噤むだけ。そしてそのときに限って、普段は見せない大人びた一面を惜しげもなく晒す。
 幼さ故に狡猾で貪欲なルーラではなく、本来の歳相応な彼女が顔を出すと、リドルは必ずといっていいほど全てが無意味なことのように思えてしまうのだ。
 何もかも投げ出して、ルーラと二人逃げ出してしまいたくなる。

「君は卑怯だ」

 それを誰よりも望まないのはルーラであるはずなのに、彼女はそれでもいいような顔をするし、無意識なのかそうでないのか、彼女の誘惑は到底抗い続けられるようなものではない。

「好きよ」(白抜き

 なんて残酷な主なんだ、君は。




1-25/Halloween

 光に群がる蛾のように集まってくる銀石をリドルが束ね上げた。私はただリドルの傍にいて、群がってくる虫達に笑みを振りまいただけ。
 全てが、必要とされる不要。

「トロールが地下室に…お知らせしなくてはと思って」

 だから今だけは我慢しておくの。





「ルーラ」

 先頭を行く監督生。その後に続く生徒。

「アシェラ、行かなくていい」

 今にも姿を消そうとしていたアシェラを呼び止め、ルーラは漸く重い腰を上げた。

「何が起きてるのかは、知ってる」

 それまでのつまらなそうな表情が嬉々とした物へと一変する。
 その豹変振りにリドルはいい顔をしないが、咎めようとはしなかった。

「今日は皆大人しくしてること」

 らしくもない彼女の《命》に異を唱える者はいない。誰もが好奇の色を瞳に映したまま首を縦に振った。
 そのことに気をよくしたルーラは笑みを深め、リドルと連れ立って人もまばらになってきた大広間を後にする。

「君も大人しくしてる気かい?」
「もちろん。お楽しみは、まだ先」

 左手の指輪を目の高さにまで上げると、身に着けた封印具がじゃらりと音を立てた。
 不愉快な重みは片腕を苛み続ける。いい加減慣れてしまわないあたり、やはり魔力を無理矢理封じ込めているせいなのだろう。

「鏡が出てくるまでは、待ちましょう?」

 だがそれも、すぐそこまでやってきた《お楽しみ》の前では、本当に些細なことだ。

「気が知れないね」

 私たちは可能性の未来を知っている。

「でも止めはしない」
「止めたって聞かないだろ」

 だから悪戯にその未来を壊したりはしない。

「かもね」

 全ては、必要とされる不要なのだから。










 彼女が何を考えているのか、なんてことはどうでもよかった。

「大人しくしてろってさ」

 彼女の些細な視線の動きだけで、俺は一族の血脈に揺さぶりをかけられているような錯覚に陥る。それがたまらなく楽しい。
 一族の始祖である銀石と緋星が生を受け、ホグワーツ誕生に関わり、今に至るまでの気の遠くなるような時の中で培われてきた歴史、一族の誇りを、彼女ならめちゃくちゃに壊して、ズタズタに引き裂くことが出来るだろう。――そう、盲目的に信じられる何かが彼女にはある。

「従うの?」

 だから俺は彼女に傅いた。
 血族の誰かについておかなければ後々面倒だとか、彼女の力が並外れていたとか、ラピスラズリ色をした瞳の奥に深い闇を見たとか、そういうのは後からついてきた理由。

「まぁな」

 一目見た時から決めていた。

「ルーラの命令だし」

 彼女が一番相応しい。




1-26/Declaration

 しんと静まり返った校内を図書館へと歩いていたルーラは、カツカツと規則的に石床を叩く自分一人の足音を聞きながら、外に面した窓の外に目をやった。それまでのリズムを崩した足音が、やがて途切れる。

「……」

 結果の分かっている試合ほど面白くないものはない。――そう思って今日は行かなかったが、一度くらい見ておいても損はなかったかもしれない。何しろ箒で飛んだことはあっても、実際にクィディッチを見たことは一度もないのだから。

(グリフィンドールとスリザリンの試合以外なら、いいかな)

 遠くから聞こえてくる歓声に耳を澄ませ、少ししてまた歩き出す。
 ふと目に付いたタペストリーは確か図書館近くに出るのではなかっただろうかと、不確かな記憶でルーラは外の景色に背を向けた。
 カツリカツリと、石床を歩く音が消える。





「……あれ?」

 カツーン。

「…間違えた」

 怖いほど響いた足音にルーラは内心舌打ちした。
 咄嗟に振り返ると、一方通行なのか今出てきたばかりの通路は既に閉じ、触れたところでただ冷たい壁があるばかり。戻ることは出来ないし、見渡す限りそう易々と出してくれそうな気配もない。

(リドルに笑われる…)

 そこは大広間をもっと広くしたような場所だった。巨大なドラゴンが二匹で格闘しても十分であろう広さがあるのに、どこにも窓がないせいで酷く閉鎖的な印象を受ける。

「ルーラ・シルバーストーン」

 唐突に降って湧いた声に、ルーラは視線を遥か頭上の天井から目の前へと移した。
 ついさっきまで誰もいなかったはずの場所に、今は一人の少女。年上の同寮生。

「どちら様?」

 嗚呼さっき自分をつけていたのは彼女なのかと、ルーラは内心深々と溜息を吐いた。隠し通路で撒いてしまうつもりが、逆に誘い込まれるなんて。

「シェーン、シェーン・シルバーストーン」
「まぁそんなとこだろうとは思ってたけど…」
「冷静ね」

 本格的にリドルの嘲笑は免れられないらしい。――シェーンの髪が、風もないのにさらりと靡く。

「使い魔を連れてないってことは、オリハルコン使い?」

 徐々にその存在を顕にしていく魔力の波動を肌でひしひしと感じ、ルーラはどうしたものかと左手の指輪を盗み見た。
 クリスマスまでは何もせず、クリスマス以降も、出来る限り荒事は避けていこうと――あくまでそれは表向き、だが――考えていたが、この状況ではそうも言ってられない。リドルとの繋がりを利用してここを出ることはおそらく可能だが、逃走は敗北も同じだ。実力を試されている以上それはいただけない。

「銀石の決闘を申し込む」
「…受けましょう?」

 結局、ルーラに残された選択肢は一つしかない。

「使い魔を呼び戻したら?」
「必要ないわ」
「…後悔するわよ」

 目に見えない〝何か〟を構えるような仕草をして、シェーンが駆け出す。
 彼女が持つ不可視のオリハルコンがどんな形をしているのか、まだ見当もつかないルーラはタンッと床を蹴り無難にその攻撃を避けた。

(いきなり近づいてきたってことは武器は接近戦用で、構えからして剣かな…両手持ちだし、大剣?)

 着地までの僅かな間でそこまで推測して、着地した後は振り向き様に杖を構える。

「銀石が魔法を?」
「だって魔法使いだし。――レダクト」

 振り返ったシェーンの足元を粉砕し、ルーラはさらに彼女との距離をとった。派手に飛び散らせた破片の目晦ましが消える前に、左手の指輪に口付けそのまま真横に薙ぎ払う。

「でも、せっかくだからちゃんと相手をしてあげる」

 死なないでね。

「まさか…っ」

 驚愕に目を瞠るシェーンの反応はルーラの望むものだった。指輪から顕現する力の具現。銀石の中でも使い魔を持たない者だけが操ることの出来るオリハルコンを、ルーラは呼び出した。

「そのまさかよ」

 指に絡む、鎖と呼ぶには細く脆弱な漆黒のそれを引き寄せルーラは笑みを含む。クスリと、緩やかに細められた瞳は勝利を微塵も疑ってはいない。
 シェーン自身も、勝てる気はしなかった。

「貴女のオリハルコン、なんていうの?」
「…クライビアナ」
「私のは、ね? デスサイズっていうの」(デスサイズ白抜き
「――ッ!!」

 一瞬の出来事。ルーラのオリハルコンが立てた鈴の鳴るような音にかき消されその名はシェーンに届かず、彼女はそのことを気にかける余裕すらなくし、歪な床に膝を突く。否、突かされた。

「貴女の負けよ」

 悠然と告げルーラが笑う。
 彼女の左手から伸びた鎖は、シェーンのクライビアナをしっかりと絡め取っていた。

「私はルーラ、ルーラ・シルバーストーン。貴方たちが敵に回そうとしているのは千年振りに現れた二人目のクリムゾンスターだと、そう、仲間に伝えるといいわ」
「……」
「決闘の掟に従い私に傅[カシズク]く必要はないでしょ? 私は、結局自分の半身を呼び寄せなかったんだから。――行って」
「……くそっ…」




1-27/Ripple

 シェーンの姿は霧に紛れるように輪郭をぼやかしやがて消え、取り残される形となったルーラは目標を見失い地を這う鎖を、左手を握りこむような仕草一つで消した。
 その視線は暫く黒の指輪を見つめていたが、不意に逸らされる。

「そろそろ出てきたら?」

 どこへともなく発せられた言葉に対する反応はなかったが、少し間を置いて、ルーラが出てきたものとは別の隠し扉が開いた。現れたのはルーラも良く知る、同年の他寮生。

「エリック・シルバーストーン?」「まさか君が緋星だったなんて…」

 ホグワーツでも数少ないオリハルコン使いの一人。

「覗き見なんて悪趣味ね」
「っ…気に障ったのなら謝罪します、クリムゾンスター」
「貴方…」

 冗談のつもりで言った言葉に思いがけず深々と頭を下げられ、ルーラが戸惑いを表に出したのは一瞬。彼女はエリックが生粋のオリハルコン使い――緋星に忠誠を誓う者の一人――だと悟り、思考を切り替える。

「今日ここであったことを他言しないでいれる?」
「貴女がそれを望むなら、決して」
「そう」

 今必要なのは新しい手駒ではなく、時間、それも長ければ長いほうがいい。そもそも手駒集めはルーラの意思というよりリドルの趣味だ。

「ならもう一つ、お願いが」

 きらきらと眩しい光に満ちた目を向けられ、ルーラは悟られない程度に目を細め、口元に極々優しげな笑みを含む。意図的に、好意的な印象を目の前の同族に植え付けるために。





「――本命は逃がしたみたいだね」

 ルーラの〝お願い〟を受けエリックもまた姿を消した。

「そっちに気を取られてエリックに気付かなかったわ」

 完全にタイミングを見計らったリドルの登場にルーラは息を吐く。足元に散らばる封印具の残骸を始末する時間は結局手に入らなかった。

「随分派手にやったね」
「…予備とか、ある?」
「ないよ。君が一番良く知ってる」
「……」

 僅かばかり残っていたカタチさえも崩し、光の粒子となって封印具は二人の前から完全に消え失せる。優しい死神がルーラの為に残した〝優しさ〟が一つ、消えた。

「魔力は制御出来てる?」

 思わず伸ばした手を取られ、ルーラははっと息を呑んだ。
 少し間を置いて、頷く。

「ならいいよ。僕は何も言わない」

 そう言いながら、リドルは封印具の嵌められていたルーラの手首をなぞった。押さえ込んだ力を無理矢理引き出したせいで傷ついた肌に、恭しく口付ける。――傷は消えた。

「リドル…」
「君の体に傷なんてつけておきたくないんだ。これは僕のエゴだから、気にしなくていい」
「そう言うなら、いいけど…痛くない?」

 今まで自分のものであった傷を今度はリドルの手首に見つけ、ルーラは眉根を寄せる。よくよく見ると、鎖か何かできつく縛り上げられていたような傷痕だ。

「平気だよ。僕の本体は無傷だ」










「彼女が緋星だった…っ」
「ちょっと、ライズ落ち着いて…」
「彼女だったんだ!」

 らしくない。――いつもの落ち着き払った様子が嘘のように取り乱したライズを宥めながら、スクルドもまた驚愕を隠せないでいた。
 今年入学したばかりの、まだ幼い銀石の少女が己こそ緋星であると名乗り、力を示した。言葉だけなら誰も信じなかっただろう。けれど、誰もが初めから感じていた。彼女の持つ、強大な力を。だから慎重なライズでさえ彼女の言葉をあっさりと呑み込んでしまう。スクルドとて同じだ。確証はないと自分を抑えながらも、心のどこかで否定する要素がないと認めてしまっている。彼女があの緋星であると。

「シェーンはすぐサテラにこのことを報告する。瞬く間に噂は広がって…」
「どうなるの?」
「…力ない銀石と力持つ緋星。サテラは力ない当主を認めはしないし、オリハルコン使いに忠誠は誓わない。生粋の魔使いだから」
「それって…」
「ホグワーツの一族は割れる」

 最悪の展開だとライズは毒づいた。またしてもらしくない、苦虫を噛み潰したような表情で。そして続ける。

「三つ巴の抗争だ。ダンブルドア校長でさえ介入できない日常の底で、命がけの権力争いが始まる…」

 そうなることを、この場にいたならウルドでさえ否定できなかっただろう。





 良くも悪くも、事態は誰も予測しえない方向へ収束しようとしていた。




1-28/Pain

「――……ッ…」

 息苦しさに目覚めると、汗ばんだ額に冷たい手が添えられていた。それが誰の手であるかなんて、考えるまでもない。

「苦しい?」
「……」
「気を抜くからだよ」

 馬鹿にしたような言い方をするくせに、リドルの表情は冴えない。だから私は気付いた。中途半端な出口を与えたせいで暴れまわる私の魔力は、リドルの許容出来る量を超えてしまっているのだと。彼でさえ、この苦しみを私から取り除くことは出来ない。

「…ゆっくり息をして。君がちゃんと目を覚ませば、苦しくなくなるから」

 そっと抱き起こされ正面からリドルに寄りかかり、彼が背中をさする動きに合わせて呼吸をすると、あまり間をおかず私の中の力は息を潜めた。
 強張っていた体の力を抜くと、――思ってたよりも遥かに濃い――疲労の波が押し寄せる。

「ルーラ、よく聞いて」
「なに…?」
「僕が君の苦痛を引き受けるのは当然のことなんだ」
「……」

 リドルが何を言おうとしているのか分かってしまって、私は何も見なくていいようきつく目を閉じた。
 続きを聞きたくないと思うのは、どこかでリドルが正しいのだと気付いてしまっているから。

「でも僕は君に依存する存在だから、君が心の底からそれを拒絶すればどうすることも出来ない。――君の苦しむ顔をただ見ていることしか出来ないんだ」

 彼はいつだって正しい。間違っているのは私。私だけが子供で、いつもリドルを困らせる。変わらなければと思うのに、ずるずると過去を引きずって、過ちばかりを繰り返す。

「焦らなくていい。だから、少しずつ変わって」

 信じているから怖い。頼ってしまっているという事実が私を追い詰めた。暗い夢の中伸ばした手を誰も引いてくれない恐怖がいつも私についてまわる。

「君はちゃんと分かってる。僕もそれを知ってる。…君はこれ以上どうすれば僕を頼ってくれる? 寄りかかってもいいんだよルーラ、誰も君を責めたりしない」
「……ぃて…」

 夢の中に貴方はいない。夢の中に彼女はいない。夢の中に光はない。でもねリドル、私が目覚めることが出来るのは貴方がいるから。

「そばに、いて…」

 貴方が現実で待っていると知っているから、私は目を覚ますことが出来る。

「…馬鹿だね君は」

 貴方は笑うでしょ? だから言わなかったの。知られたくなかった。優しい死神の好意に報いるために生きるのだといいながら、私はずっと貴方に会うためだけに目覚めている。こんな感情知りたくなかった。

「僕はここにいるよ」

 ずっとずっと、どこか私とは交わらない物語の中にいたかった。
 ずっとずっと、傍観者でいたかった。――もう引き返せはしないのに。










「おはようカフカ」

 たった一人の少女が現れただけで一気に張り詰める談話室の空気。
 カフカは人知れずほくそ笑み席を立つ。彼が恭しく腰を折り頭を下げれば、周囲の生徒がはっと息を呑む音が聞こえてくるようだった。

「おはようございます、ルーラ」
「ポラリスも、おはよう」
「おはようございます」

 ルーラはカフカが周囲の反応を楽しんでいるのだと気付き淡い微笑を浮かべただけで、いつもと変わった様子も見せず談話室の出口へと足を向ける。
 しっかりと繋がれたルーラとリドルの手にポラリスは違和感を覚えたが、彼らの関係を考えればそれはなんら不自然なことではない。むしろ普段の二人が淡白すぎるくらいだ。

「ポラリス」
「はい」

 少し遅れたポラリスを待ってカフカが立ち止まる。
 カフカはホグワーツに入学する前の刺々しさが嘘のようによく笑うようになった。他人ともよく言葉を交わし、ポラリスとしては少し寂しいような気もしたが、彼が楽しそうな様子を誰よりも傍で見ていられるのは嬉しい。

「ほら、手」

 差し出された手に目を瞬かせるポラリスの手を取って、カフカは少し強引に彼女と歩き出した。さり気ない気遣いで歩調を緩めていたルーラの半歩後ろにつけ、定位置に落ち着く。

「そういえば、ジェノスはどうしたの?」

 大抵彼の反対側を歩くジェノスの姿はなかった。

「あー…」

 どうだったろうかと、記憶の糸を手繰るように視線を彷徨わせたカフカは、すぐに諦めて傍らのポラリスに目を向ける。
 ポラリスは小さく首を傾げ、声なき声で答えた。

「(アシェラと出て行きましたよ)」

 彼女の言葉に嗚呼そうかと、カフカも漸く朝も早い頃の彼らを思い出す。

「朝から楽しそうな顔したアシェラに引っ張られて出てった」

 誰も彼も、ルーラに傅いた者は皆この騒ぎが楽しくて仕方がないのだ。

「そう」
「(さんきゅ)」
「(どういたしまして)」

 誰もルーラが緋星である理由なんて考えちゃいない。




1-29/Reason

 ルーラが大広間に現れたことによって、その場にいた一部の生徒の間で空気が張り詰める。事情を知らない生徒たちも何事かと息を潜め、朝の穏やかな喧騒は静寂に取って代わった。

「……」

 立ち止まったルーラを追い越してカフカがポラリスとスリザリンのテーブルへ向かう。ルーラはリドルの手を放し、この緊張の一端を担う少女の下へと足を進めた。

「――緋星」

 グリフィンドールのテーブルでアリアが席を立ち、ルーラは彼女に敬意を払うかのように小さく頭を下げる。リドルの不快感が指輪を通して届いたが、二人ともそんな感情おくびにも出さずポーカーフェースを貫いた。

「銀石」

 この時点で殆どの同族が一つの可能性に思い至る。

「昨日貴女に断りもなく力を使ったから、謝っておこうと思って」
「気にしなくていいわ」

 付き合いの長い友人といるような気軽さで言葉を交わす二人。
 可能性が音を立てて真実へと近づく。

「そう言ってくれると思ってた」

 力ない銀石と力持つ緋星。両者が相容れることなどありはしないと、誰もが思った。

「それと――」

 力が全てであるという一族の絶対。ルーラもまたそのように振る舞い、周囲に二者の隔たりを印象付けるため入学式以来一度だって言葉を交わしてはいない。誰にも気付かれないよう注意を払いながら、遅効性の忘却術まで使い二人が共にいる姿を見た者の記憶を消した。

「…嗚呼、早かったわね」

 私たちのことを放っておいてくれれば、こんなことにはならなかったのに。

「長旅ご苦労様、クロウ」





 一度手にとめたクロウを肩へと移し、アリアと二、三言葉を交わしたルーラは意味ありげにスリザリンのテーブルへと視線を投げ、踵を返した。

「リドル」

 すれ違い様声をかけられ僕は彼女について歩き出す。心の中ではこれが本意ではないのだと嘯きながら、彼女がわざとそうなるよう力を隠さなかったことを僕とクロウは知っている。
 無意識なのかそうでないのか、彼女は明らかに周囲を煽るように行動した。そしてこれがその結果。ホグワーツ中の同族が彼女の一挙手一投足に神経を研ぎ澄ませ、まんまと弄ばれた。

「楽しそうだね」
「見た? サテラ・シルバーストーンの表情、おかしいったらないわ」

 刹那の快楽。

「でもこれからは動き難くなる」
「ライオンを絹糸で縛るようなものよ」
「言うね」
「何も怖くなんかないわよ。だって――」

 彼女の言葉の合間を縫ってクロウが再び飛び上がる。その姿を追って、ルーラは天を仰いだ。

「傍にいてくれるんでしょ?」










 白くなるほど握り締められた手の平を壁に叩きつける嫌な音が、コバルトの鼓膜を揺らす。

「サテラ」
「あの子が…っ!」

 どうしようもない憤りはサテラの中で逃げ場をなくし、再び振り上げられた拳をコバルトは仕方なしに受け止めた。

「どうして気付かなかったの!?」

 世界中のありとあらゆるものを憎悪するような声で、サテラは叫ぶ。彼女はそう易々と自分を許せはしないだろう。――何故、こんな簡単なことに気付けなかったのか。

「緋星の任命権は銀石が持つ! こんなっ、誰でも知っているようなしきたり…どうしてっ」
「…この千年埃を被っていたしきたりだ」

 当主を選ぶのは銀の不死鳥。当主は一族の中から己の右腕たる者を指名し、白の守護獣の同意を持って緋星とする。――あの時大広間に現れた白い鴉が〝白の守護獣〟ならば、ルーラ・シルバーストーンは当主と守護獣の認めるれっきとしたクリムゾンスターであり、当主に付き従う者。彼女が力を持つ以上、彼女の格下である同族は彼女に倣[ナラ]わざろうえない。
 たとえ当主にどのような感情を抱いていたとしても、それが銀石の掟。力ない者は力ある者に従う。

「……私たちはもう当主の言葉にはっきりノーとは言えない…」

 それが一族の絶対。サテラが今の当主を認めない唯一絶対の理由。




1-dawn

「――――」

 言葉なんて不確かなものを必要としない私たちの繋がりは、その絶対性とは裏腹に酷く脆い。天性のものではない《魔使い》と《使い魔》という関係は、たった二つの指輪によって成り立ち、指輪さえ外してしまえば、いつだって私たちは独りだ。

「ルーラ?」

 そのことを誰よりもよく知っているのは私で、誰よりも深く理解しているのはリドルで、だから私たちは沢山のことを、なるべく言葉に出して伝えようと努力する。

「今の…感じた?」
「…まぁ、一応」

 繋がりによる共有は、言葉の手助けをする程度で十分だ。

「薄い硝子が割れたみたいな…」
「僕自身は感じなかったけどね」

 さりげなく付け加えられた言葉にルーラは表情を曇らせる。繋がりを介して感じたのなら、リドルにその正体を訪ねるのは愚かな行為だった。

「――クロウ」

 ルーラが一声呼べば、クロウはどこからともなく姿を現した。今日はカナリアの姿をしている彼の耳元で二、三言囁き、ルーラは手を上げる。飛び立った白影は廊下を抜けて中庭へと消えた。

「そんなに心配?」
「不確定要素はない方がいいでしょ?」
「別にいいんだよ、心配ならそれでも」
「リドル?」
「君はここで生きてるんだから、当然だよ」

 何でもないことのようにリドルは言って、ルーラの手を取り歩き出す。

「そうね…」

 たとえ紛い物であろうと、繋がりがある以上下手な言い訳に意味はなかった。

「私はあの子が心配。だって、初めての友達だもの」
「そう」
「それに、ちょっと似てる気がするのよ。…ほんの少しだけね」

 会話が途切れ、ルーラは目を閉じる。繋いだ手がある限り暗闇を歩くことに恐怖はなかった。
 思い浮かべるのは月明かりに照らされる狭い部屋。壁際には無造作に本が詰まれ、窓の前には割れた蛍光灯。乱れたベッド。
 ルーラには暗闇よりも恐ろしいものがあった。古い名前と共に捨てた世界。死神によって崩壊した日常の全てが今となっては恐怖そのもので、――ルーラはアリアにどこか自分と近しいものを感じていた。だから、気にかけずにはいれない。

「ねぇリドル」
「なに?」
「次の時間サボらない?」
「僕は構わないけど…どうかした?」
「理由がないと二人っきりになれないの?」

 けれどそうしていられるのも、ルーラが力を得るまでだ。――指輪を通して流れてくるルーラの思考を拾い上げ、リドルはそっと目を細めた。
 一度ルーラが望む力を手に入れてしまえば、二人は二度と相容れない。たとえアリアがどう思おうと、ルーラが今の生温い関係の継続を望むはずがなかった。

「まさか」

 だから今は何も言わない。ただ君の望むようにと、無責任な言葉を吐いて笑みを浮かべる。それが偽りでない限り、ルーラがリドルの《嘘》に気付くことはなかった。気付く必要もない。

「湖の見える隠し部屋にでも行こうか」
「そうね」

 全てはほんの一時、退屈しのぎの戯れにすぎないのだから。
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