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:賢者の石
1-01:the dawn [始まり]
1-02:Darkness [闇]
 1-02a:覆す事はいつだって出来る
 1-02b:力を頂戴
 1-02c:来訪者
 1-02d:手に入れたもの
1-03:Result [結果]
1-04:Determination [決意]
1-05:Chain [鎖]
1-06:Ideal [理想]
1-07:in the dream [夢の中]
1-08:Letter [手紙]
1-09:Encounter [邂逅]
1-10:Crow [クロウ]
1-11:Master [主人]
1-12:Key [鍵]
1-13:Necessity [必然]
 1-13a:再会にして出会い
1-14:Fate [運命]
1-15:Indifference [無関心]
1-16:Silverstone [シルバーストーン]
1-17:Paramnesia [既視感]
 1-17a:集う血族
1-18:Secret [秘密]
 1-18a:組み分け帽子の歌
 1-18b:血統
1-19:Disappoint [裏切り]
 1-19a:血を持たない血族
 1-19b:隠された狡猾さ
1-20:Supreme [至高]
 1-20a:聞こえない雑音
1-21:Window [窓]
1-22:Twins [双子]
1-23:Prison [牢獄]
 1-23a:塗り重ねられる仮面
1-24:Silence [沈黙]
1-25:Halloween [ハロウィーン]
 1-25a:ノルン
1-26:Declaration [宣言]
1-27:Ripple [波紋]
 1-27a:投げられた采
 1-27b:悪夢
1-28:Pain [痛み]
1-29:Reason [理由]
 1-29a:終末の夜




1-01/the dawn

「――」
「―――」

 階下から聞こえるくぐもった話し声は肝心の内容が聞こえない。
 かすかに聞こえる言葉を繋ぎ合わせたって無駄。もう誰が何を言おうと関係ない。関係なくなる。

「悲劇のヒロインなんてガラじゃない」

 右手に持ったのは叩き割った鏡の破片。

「でも、状況だけならそう言えなくもないんじゃない?」

 自分自身に嘲笑まじりの問いを投げ、手首に破片を突き立てた。
 動脈を抉るように深く、深く。

「さよなら、私」

 主のいない水槽に腕を浸して目を閉じた。





「今のお前に別れを告げな」





「――…」

 開け放った窓を背に立つ一人の女。
 普通ならありえない。だけど、今日ならどんな不思議だって受け入れられるような気がした。

「何しに来たの? 死神さん」

 黒い外套[ガイトウ]に、その隙間から垣間見える鎖。
 何て美しい死神。彼女に連れて行かれるのなら、死出の旅路にだって胸が高鳴る。

「言っただろう?」

 ジャラッ

「俺はお前を掻っ攫いに来たんだよ」










「俺はルーラ。――まぁ、今は憶えなくてもいいけどな」

 霞の様に消え失せた少女。残された漆黒の女。
 クツクツと湧き上がる笑いを押さえようともせず、ルーラは鮮やかに色付いた水槽に足をかけた。

「それにしてもエグい」

 広がる、紅。

「《君》がやったんだろ?」

 いつのまにか背後に立っていた男を顧みる事もせず、フローリングの床に広がった鮮血まじりの水に、ゆっくりと屈み指先を浸す。

「若気の至りさ」

 水によって薄められた鮮血が、淡く光を発した。

「―――」
「――――」

 階下からの声も、今は取るに足らないものだと思えるのは流れた時の長さだろうか。

「いい加減黙れ」

 放たれた言葉にははっきりとした力が込められていた。

「ウルサイ」

 騒がしかった家に静寂が落ちる。




1-02/Darkness

 くらい。
 クライ。
 暗い。
 くらい。

 どうしてここは暗いの。

「闇だからね」

 貴方は誰。

「不本意ながら君のパートナーだよ」

 パートナー?

「そう、だからいい加減起きてくれる?」

 起きる?

「心地いい闇の夢から」





 ――夢?





「やっと起きたね」

 紅。

「だれ…」

 黒。

「聞いてなかった訳じゃないだろ?」

 心地いい声。

「貴方は…」

 ここはどこ?

「僕は君のパートナー」

 貴方は――

「――トム・リドル」





 俺はお前を掻っ攫いに来たんだよ、ルーラ。




1-03/Result

「これは救い? それとも罰?」

 手首に巻かれた白々しい包帯を見つめながら、何度目か分からない問いを漸く口に出した。


 ルーラ・シルバーストーン。


 それがつい数時間前教えられた自分の名前。
 違和感があるわけではない、けれどその代わり実感もわかない。
 指先を掠めていってしまった私の名前は、一体どこへ行ってしまったのだろうか。

「それとも…」

 憶えているのは階下から聞こえる話し声。抉られた手首。名も知らぬ黒の死神。

「ねぇ、気紛れな神様」

 真っ赤に染まった水槽。

「これは救い? それとも罰? それもとまだ決めかねているの?」

 早く終われと、

「ねぇ、気紛れな神様」

 あの時私は願ったでしょう?










「――――」

 会話の内容はきっといつだって同じ。
 まるで一つのカセットテープを繰り返し再生しているかのように、毎日毎日、同じ内容の話ばかり繰り返す。

「――――」

 意味を成さない言葉ばかり。

「――――」

 耳を塞いだって無駄。

「――――」

 何もかも壊れてしまえばいいのに。と、思った。





 そしてこの世界がその願いの結果。




1-04/Determination

 窓枠に片肘を突いて、もう片方の手を空に向けて伸ばしながら、

「ねぇ、気紛れな神様」
「神なんていない」

 呟いた言葉に思いかけず返事が返った。

「……」

 仰け反るように後ろを向いて、バランスを崩してそのままシーツの海に溺れる。
 呆れの滲んだ紅[アカ]と目があって、だらしない格好のまま首を傾げた。

「神の存在を信じないの?」
「少なくともそう呼ばれる存在に助けられた事はないよ」
「…私も」

 天井に向けてもう一度手を伸ばして、ありもしない何かをその手に掴む。

「でも、信じるよ」

 そこに運命の糸があればいいと願いながら、

「死神だって神だもん」

 見えもしない糸を繋ぎとめる為に握り締めた。

「彼女は死神じゃない」
「知ってる」

 ねぇ、気紛れな神様。
 貴方がもしそこにいて、ここに運命の糸があったなら、

「あの人は死神なんかじゃない」

 もう二度と、

「私の女神よ」

 気紛れにこの糸を断ち切ってしまう事はしないで。

「僕にとっては――」

 嗚呼、なんて馬鹿げた思考。

「――だね」
「ぇ?」

 私はまた繰り返す気なのだろうか。

「今、何て言った?」

 せっかくチャンスを手に入れたのに、

「教えないよ」

 どうして追い縋ろうと考えはしないのだろうか。

「意地悪」
「自虐主義者に言われたくないね」

 逃げていく幸運を捕まえて、閉じ込めて、切れた糸を掴んで、繋いで、待ち受ける未来が受け入れがたいのなら、拒絶してしまえばいい。

「…もうやめたの、」

 手首の包帯をゆっくりと解いて、出来上がったばかりの瘡蓋[カサブタ]をなぞった。

「何を?」
「無意味な自傷。そして目を背ける事」

 日の光を知らず病的に白い肌に刻まれた証。

「これからは拒絶する」

 この傷がある限り私は忘れない。

「私は私を不幸にする世界を認めない。そうなる事を許さない」

 全ての罪と、怒りと、哀しみと、決意を。

「目を背ける事はやめる。これからは、自分の力で変えていく」
「そして君はそれを成し得る力を得た」
「そう」





「だから私と一緒に来て、リドル」





「――喜んで」

 絶対に忘れはしない。




1-05/Chain


「ねぇリドル、ここはどこなの?」

 それはあまりにも突然で、今更な問いかけ。
 長い間望んでいた世界が今ここにあるのかもしれないという期待と、酷似した別世界であるかもしれないという不安が、私の中で渦を巻く。
 窓際に寄せた椅子で分厚い洋書を読んでいたリドルは顔を上げ、その手に持つ本の表紙を私に見せた。

「…リドルがそんな物読むなんて、意外」
「僕は君の知っているトム・リドルであって、別の存在だからね」

 ハリー・ポッター。
 なんて素晴らしい響きなんだろうか。

「物語はお好きですか?」
「あまり幼稚な物でなければ」

 ならば彼[カ]の有名な物語は彼の御眼鏡にかなったのだろう。栞を挟み閉じられたその本の表紙には、鮮やかな不死鳥が舞っていた。

「今はいつ?」
「質問ばっかりだね」
「私は沢山のことを知っているけど、何も知らないの」
「矛盾してるよ。…じゃあ、社会見学がてら買い物にでも行こうか」
「買い物?」

 不死鳥の騎士団。
 何故もといた世界の出版物であるその本がそこにあるのか。とか、この世界の住人であるリドルがそれを読んでしまってもいいのか。とか、そんなことは私が今ここにいることに比べれば本当に些細な事。

「そう、買い物。君も良く知っているところへ」
「――あぁ、」

 なんて素晴らしい現実。あの家とは大違い。

「ダイアゴン横丁ね?」

 世界中が輝いて見える。





「――っと、その前に」
「リドル?」

 忘れる所だった。
 そう呟いてリドルは窓際の椅子から立ち上がり、本を置き去りにしてだらしなく寝そべった私に歩み寄る。

「手、出して?」
「手?」
「そう、左手」

 言われるがまま差し出した左手の手首には、もうすっかり包帯の取れた傷跡。
 その傷跡を掠めるように撫でて、リドルはポケットから取り出した〝何か〟を私の指に嵌めた。

「指輪?」

 まぁ、指に嵌めるものなんてそれ以外思いつきもしないんだけど。

「そう、指輪」

 ぱっと見目に飛び込む色は黒。そして、嵌め込まれた紅い石にどうしようもなく胸が騒ぐ。

「これはなに?」

 視線を釘付けにされたまま、ベッドの上に落ちていた右手でリドルの袖をつかんだ。

「僕だよ」
「リド・・ル?」

 予感にも似たものがよぎる。

「そう。他の誰がわからなくても、君ならわかるだろ?」
「…日記じゃなくてもいいのね」
「媒体は別に何でもいいんだよ。大切なのは、容量に耐えうるかどうか」
「ふぅん」

 本に出てきたリドルは日記の中にいた。
 だからなんとなく本体は日記とかそういう気がしてたんだけど…そうか、何でもいいのか。

「言われてみれば、この指輪リドルっぽいね」

 黒と、紅。

「でも、じゃあ、その体は?」
「いい質問だね」

 今こうして指輪をしているだけで、私は奪われているのだろうか。

「この体は一応本物。普通の人間と変わらない肉体。君と一緒にホグワーツへ行く為に貰ったんだ」

 命。あるいは、

「――ホグワーツ?」

 もといた世界ではその片鱗すら見えなかった、魔力を。

「私って魔法が使えるの?」
「もちろん。使えなければここにいる意味がない」
「私と一緒に行くって? リドルが?」
「一緒じゃなきゃパートナーの意味がないだろう?」

 あの日私は全ての不自然を受け入れた。

「誰もが恐れる《名前を言ってはいけないあの人》が、私と?」
「言っただろ? 僕はトム・リドルであってそうじゃない。同じであって同じじゃない。僕は君の手助けをするためだけに肉体を与えられた。――彼女に」

 一人の死神が私の前に舞い降りて、退屈で醜悪な日常を殺した。

「彼女はハリー・ポッターとの勝負に敗れ、消える寸前だった僕に言ったんだ」

 さぁ、選べ、

「そして僕は大切な物を失った」
「存在の存続の代償に?」
「あぁ、君と逢うためには必要だった。だけど僕は、それ以上の物を得たんだ」
「例えば?」

 消え行く記憶。

「普通の人間と変わらない体。君のいた世界についての知識。この世界に存在するものとは異なる力。…他にも沢山ね。代わりに失ったものは、今となっては本当に些細なものさ」

 全ての憎しみを対価に、

「僕は彼女に、僕を縛る鎖を奪われたんだ」

 三度目の生を。

「リドルは、それで幸福?」
「これ以上ないほどにね」

 死に逝く私に希望を、消え逝くリドルに新たなる生を与えた彼女は、きっと誰よりも優しい死神。
 それ以外に言いようがない。彼女は死神ではないけれど、確かに死神だった。

「それで、その指輪なんだけど」
「え?」
「まさかもうボケが始まった?」
「ぇ、いや…あ、そっか、この指輪の話してたんだっけ」

 呆れたようなリドルの溜息を聞いて、私は軽く肩を竦め笑う。
 だって仕方がないじゃない。彼女については知らない事が多すぎて、考え出したら止まらないんだから。

「そうだよ。とりあえずその指輪はもう二度と外さない事」
「どうして?」
「というか、外れないけどね」
「へ?」

 思わず妙な声が出たけど、確かにいくら引っ張っても黒の指輪は外れない。
 つけたときはああも簡単に嵌ったのに、どうしてこうこっちの世界の品物は気を抜けないんだろう。

「それは僕と君とを繋ぐ鎖」
「鎖?」
「僕が貰ったのはこの肉体だけだからね。魔法が使えないのは不便だから、必要な魔力は君から貰う」

 そういうリドルの左手にも、私と同じ黒の指輪。

「それって・・・私がこれを外したら、リドルはただの人間ってこと?」
「そう。でも滅多なことじゃ外れない。僕が外そうと思ったときか、君が本気で拒絶したとき以外は、外れないように出来てる」
「…ふぅん」

 私が本気で拒絶したとき以外。

「じゃあ、今はリドルが外れないようにしてるの?」
「その辺に投げ捨てられても困るからね」
「しないよ、そんな事」

 その一言が妙に引っ掛かった。

「ねぇ、リドル?」

 本気。って、

「ん?」

 そんな事ありうるのだろうか。

「さっきこの指輪が鎖だって言ったよね?」
「言ったけど、それがどうかした?」

 何よりも憧れた世界。誰よりも憧れたキャラクター。

「ふふっ、なんでもない」





 捕まえたのは、どっち?




1-06/Ideal

 透き通った空。頬を撫でる心地いい風。
 ジャラジャラと全身につけたアクセサリーが歩くたび揺れた。

「すごーい」

 極めて平坦な、声。

「ねぇリドルぅ?」
「…その気持ち悪い話し方止めてくれるかい?」
「ひっどぉい」
「ルーラ」

 いい加減本気で怒り出しそうなリドルの声を耳に留め、ルーラは貼り付けたような笑みを拭った。

「リドルはこういう笑い方好きだと思ったけど?」

 からかうように紡がれた言葉に軽く肩をすくめ、リドルは進行方向に向き直る。

「ルーラのはわざとらし過ぎ」





「それで?」
「?」
「さっき何を言おうとしたの?」

 どこにでもいるようなマグルの格好で二人並んで歩く。
 勿論行き先は彼[か]の《漏れ鍋》。ダイアゴン横丁への入り口があるパブ。

「あぁ、さっきね」

 ルーラは何気なく周囲へ視線を巡らせた。

「ただちょっと気になっただけ」
「何が?」

 目につくのは見慣れたアスファルトとコンクリートの街並みではなく、西洋じみて落ち着いた石畳。二階建てのバス。
 当然といえば当然。ここは私の住んでいた所とは国以前に世界すら違う。

「だってリドル、リドルじゃない」
「…あぁ、そのこと」

 薄汚れた空気さえあの場所よりは柔らかく感じた。

「僕はルーラの中に在った理想のトム・リドルだからね。君は映画の俳優、好きじゃなかっただろ?」
「だって私、女みたいな優男が好きだもん」
「僕も2、3年経てばそうなるよ。今は歳の関係で中性的だけど」

 ここがこれから私の暮らす世界。

「じゃあ2、3年経てば女子の視線を釘付けだね」
「それがルーラの理想?」

 あらぬ方を向いたまま繋いだ手に力を込めるルーラと、そのことについては何も言わずただ前を見つめるリドルの視線は交わらない。

「ただ一人心に決めた人を裏切らないのであれば。…浮気する男は大嫌い」

 平坦な声で紡がれたルーラの言葉には確かな侮蔑が篭っていた。
 繋いだ手をそっと引き寄せ、リドルはルーラの耳元で囁く。

「それがルーラの理想なら、僕はその通りの人間になるよ」

 唐突に歩みを止めルーラは見惚れるような笑みでリドルを捉えた。

「なら貴方に想われる女性は幸せ者ね、Mr.リドル?」

 悪戯っぽい光を湛えたラピスラズリの瞳を認め、リドルも同じように口角を吊り上げる。

「君以外に僕を虜にする女性がいるのなら是非お目にかかりたいよ、Ms.シルバーストーン?」

 そんな駆け引きにも似たやり取りに興じる二人は気付かない。





 ――見つけた





 一羽の鴉が飛び立った。




1-07/in the dream

「ただいまー」
「おかえり」

 誰もいないリビングへと声をかけたルーラにリドルが応え、ルーラはドサリとソファーに身を投げた。

「疲れた…」
「アクセサリー、外しなよ」
「んー」

 投げ出した左手を揺らすと幾重にも重ねていたブレスレット――に見せかけた封印具――が滑り落ち、ジャラリ。音を立てて床に広がる。
 うつ伏せから仰向けへと体勢を変え、右手と首から同じように封印具を落とせば、体が一気に重さを増した。

「…ちょっと後悔」
「まぁ11歳前後から18歳の姿に変われば、比例して体も重くなるだろうね」
「頭が重いー」

 けれどホグワーツに行ってしまえばそうそうこの姿に戻ることも出来ないだろうから、仕方ない。
 荷物を持ったままリビングから姿を消したリドルの気配を何ともなしに追いながら、ルーラは見上げた天井に手を伸ばす。
 目に付くのは白い天井と魔法界では見かけない照明器具。所謂蛍光灯。

「なんて科学的」
「何か言った?」

 いつの間にかリビングに戻ってきていたリドルが照明のスイッチを入れ、ルーラは突然の眩しさに思わずソファーの背もたれに突っ伏した。

「あぁ、ごめん」
「……絶対わざと」

 ばたついた足の訴える所を正確に理解し、すぐさま謝罪したリドルの言葉からは微塵の誠意も感じられはしない。
 チカチカと瞼の裏で瞬く光に顔を顰めルーラは未だ重い上体を起こした。

「美人が台無し」
「誰かさんのせいで」

 薄闇に慣れていた目が徐々に機械的な明るさに慣れてくる。

「…光ってる蛍光灯なんて久しぶりに見た」

 そして慣れてしまえばどうという事はない。煌々と輝く光源を見上げルーラは目を細めた。

「何か飲む?」

 ここは本当に不思議な所。

「炭酸」

 見た目はロンドンのどこにでもあるような普通のアパルトマン。なのに部屋数は無駄に多いし、それに――

「よくあんなもの飲めるね」
「どーせホグワーツ行ったら飲めないし」

 暑くもなく寒くもない。

「あんまり飲んだこと、ないし」
「そう」

 例えるならば、

「ここ置くよ」
「うん、ありがと」

 夢の中。
 現実世界で叶わぬ暮らしを夢見た、幼い私の夢の中。

「どういたしまして」

 パチパチと泡の弾ける音がする。










「ねぇリドル」
「何?」
「今何時?」

 暇潰しにつけたテレビでやっているのは当然だけど見たことのない番組ばかりだった。
 テレビのリモコン片手にソファーの上で膝を抱えたルーラの隣に座っていたリドルは、背後の壁にかけられた時計を仰ぎ針のさす時刻を読み取る。

「7時50分」

 夕食はついさっき済ませた。
 落としたままだったアクセサリーはリドルがまとめてチェストに放り込み、ルーラの目の届く場所から隠した。

「暇」

 ルーラはリモコンをガラステーブルの上に放り出す。

「それで?」

 リドルは今日買ったばかりの本のページを捲った。

「こういう時ってどうやって暇を潰せばいい?」

 あの部屋にあったのは大きな窓と、ベッドと、熱帯魚の入った水槽と、クローゼット。

「今までは?」

 行動範囲は自宅の2階。

「熱帯魚眺めてた」
「飼ってもいいけど、僕等が学校行ってる間に干からびるね」
「前のは全部排水口に流したの」

 軽い軟禁。
 それでも外出することは出来た。

「残酷だね」
「魚は悲鳴なんて上げない」

 月に一度、嘘の様に優しい母が私を連れ出した。

「静かに静かに、流れてく。自分のこれからなんて考えないから」

 全てが刹那的。



「ルーラ」



 ガラステーブルの脚をじっと見つめていたルーラの視界を片手で覆い、リドルは膝に乗せていた本をテーブルの上に置いた。

「思い出さなくていい」

 翳された手の動きに合わせ瞼が落ちる。

「ここはあの薄暗い部屋でも、煩い家でもない。君の夢見た世界なんだ」

 リドルは祈るように目を閉じ、ルーラの肩に額を当てた。

「僕はここにいるよ」




1-08/Letter

 バサリ

「・・・」

 バサリ

「――おいで」

 まどろみから身を起こしルーラは見慣れぬ梟を手招いた。
 梟は迷わず滑空し、ベッドの傍に置かれたイスの背もたれへと移動する。

「いい子」

 ガチャッ

「――来たんだ」

 バサリ





「嫌われたかな?」

 飛び立った梟を見送りリドルが冗談めかして呟いた。
 さぁね。落ちてきたラピスラズリ色の髪を掻き上げルーラは手紙を裏返す。

「草原の隠れ家、ルーラ・シルバーストーン様並びにトム・リドル様…。――こういうのって普通別々に来ない?」

 宛名を読み上げたルーラがベッドを降りるより早く、リドルが身を乗り出し白いシーツの上に膝をついた。
 傾いた体を片手で支え、ルーラは再び落ちてきた髪を掻き上げてから手紙の封を切る。

「シルバーストーンだからね」
「使い魔の話?」
「うん、そう」

 この世界には物語に登場しない一族がいた。

「使い魔とその主人は引き離す訳にもいかないからね、寮だけじゃなくて部屋も一緒だったと思うよ」
「物知り」

 私の知らない一族。私の知らない力。私の知らない登場人物。
 読み落としたわけじゃない。これは、本当に記されていない事柄。

「だてに7年も通ってないよ」

 持ち合わせていない知識はリドルに教わった。
 今まで起きた出来事は物語の通り。でもこれからもそうだとは限らない。

「そうだね」

 不確定な要素が多すぎる。

「いつ買い物行く?」

 幸い封筒の中から出てきた手紙は記憶にあるものと大差なかった。

「その前に返事」

 必要なのは制服に教科書に杖、鍋に薬瓶に望遠鏡にものさし。

「あ、」
「何?」

 いよいよ物語が始まる。

「私猫欲しい!」
「却下」

 同じようで同じでない物語が。

「何で!?」
「ちなみにどんな猫さ」

 もうページを捲るだけではない。

「黒猫」
「あぁ、黒猫か」

 私は、

「絶対に駄目だね」

 本当に今ここにいる。




1-09/Encounter

「……なんで…」

 睨むようにリドルを見上げるルーラのエメラルド色の瞳には、不満げな色がありありと浮かんでいた。

「駄目なものは駄目だよ」

 それ以上の問答は無用と、リドルは部屋の扉に手をかける。

「リドル!」
「また後でね」

 バタン

「何でよ…」

 閉ざされた扉に枕を投げつけるとルーラは背中からベッドへ倒れた。
 不貞寝を決め込もうと寝返りを打ちながらブランケットを巻き込み、頭まで覆うと固く目を閉じる。

「理由くらい教えてくれたっていいじゃない」

 柔らかな日差しの下眠りに落ちるのはあまりにも容易だった。





 ――我が主





 音もなく羽ばたく、それは純白の鴉。
 誰。そう問いかけようとして、ルーラは自分の意識が肉体を伴っていない事に気付いた。

 ――我が主たるに相応しい人よ

 純白の鴉。瞳は目の覚めるような赤。
 一目見てアルビノだと分かるそれはけれど、きっとただそれだけのものではない。

 ――我が名はクロウ

 その存在は危険だと心が叫ぶ。

 ――我が名を呼べ

 呼んではいけない。そう訴える。

 ――さもなくば、


(あぁ、これは夢だ)


 ――須く主は失われるであろう

 胸を締め付けるような哀しみが伝わってくるのに、私は涙することも出来ない。

 ――主の為に我は希う

 心は危険だと訴える。クロウと名乗った烏は自分が消えると訴える。
 ジャラッ、と聞こえるはずのない音がルーラの耳朶を打った。

 ――須く、

 それは目覚めの兆し。

(待って!)





 ――我が汝、汝が我であるように





 息が出来ない。




1-10/Crow

「ッ――!!」

 耐え難い痛みに思わず飛び起きた。
 治[オサ]まらない心臓の鼓動が耳につく。ドクドクと、煩い。

「……っは、」

 ワンピースの胸元をきつく握り締めながら無理矢理に息を吐き出せば、漸く、見慣れた部屋が目に付いた。
 見下ろす床に日溜りはない。まだ部屋は明るい。

「……」

 抱き寄せた膝に顔を埋めもう一度、今度は深く息を吐き出した。

「にゃー」
「……」

 ゆらり

「……猫…」

 視界の端で艶やかな尾が揺れる。
 ざらりとした感触が手の甲をなぞり、ルーラは膝を抱く腕に力を込めた。

「駄目って言ったくせに…」

 ド、クン

「ッ」

 ドクンッ



 ――我が主



「苦しい…」

 擦り寄ってくる温もりを感じながらぽつりと零した言葉は、自分でも驚くほど淡白だった。

「最、低」

 バサリ

「我は汝、汝は我。それは共有せし命が故。――そういうことね」

 体を内側から侵食する痛みに、ともすれば屈してしまいそうになる。

 ――我は汝を、汝は我を救う。悠久の時は満ち今の世に全ては揃った

 この痛みに苛まれ続けるのなら舌を噛み切って死んだほうがマシだ。

 ――我等が抗う故はない

 噛み締めた唇から嫌な味が口内に流れ込む。



「そうでもないさ」



 事の成り行きを見守っていた存在が漸く重い腰を上げた。

「……」

 それまでの痛みと苦しみがまるで嘘の様に遠のき、思わず肩の力を抜くルーラの視線が、傍らの黒猫を捉える。

「そうだろ? ルーラ」

 真っ直ぐに見上げてくる双眸は見覚えのある赤だった。

「そうね」

 伸ばされた手が黒猫を捉え、何の抵抗もしないその体を腕の中へと閉じ込める。
 自分から引き受けた痛みが体の中を暴れまわっているはずなのに、この猫は、その事実を全くといっていいほど悟らせようとしない。
 隙がない。逆に言えば大馬鹿だ。

「でもごめん」

 私は躊躇った。だから間違えた。

「いいよ。少しずつ変えていけばいい」

 確かに夢の中で心はクロウを拒絶した。危険だと、呼んではいけないと訴えた。
 けれどそれは違うのだ。

「一つだけ言っておくわ」

 クロウを拒絶したのはあの場所にいた私で、今ここにいる私じゃない。
 私は変わる。そう決めた。変わらなければならない。

「私は貴方の主。でも、貴方は私の主じゃない」

 優しい死神の行為に報い、私が私を私たらしめるために。


 ――御意に


 激情と共に確固たる意志の宿る主の視線を受け、クロウは恭しく頭[コウベ]を垂れた。





 全ては定められし運命[サダメ]。




1-11/Master

「妙な烏に好かれた」

 会わなければならない人がいるからとクロウは草原の隠れ家を後にした。
 ルーラは溜息と共にベッドへ倒れこむと体を丸める。

「ルーラ」

 抱きしめられたままの黒猫が、押しつぶされそうになり非難の声を上げた。

「何で黒猫飼っちゃ駄目なの?」

 ほんの少しだけ腕の力を緩めながら目を閉じる。
 この温もりは手放し難いけれど、これ以上惰眠を貪る事は出来そうになかった。

「僕がいるからだよ」

 瞬き一つの間に本来の姿へと立ち戻り、リドルはルーラの頬に手をかける。

「猫じゃないくせに」

 不貞腐れた様な言葉とは裏腹にルーラは微笑んだ。










「アリア」

 徐々に近付いてくる気配に気付き、テーブルにうつ伏せていたアッシュが目を覚ます。
 本棚の最上段近くで梯子[ハシゴ]に腰掛けたまま活字を追っていたアリアは、視線を書斎の入り口へと向け本を閉じた。

「どうぞ」

 扉の前で立ち止まろうとした気配はあまりに希薄で、恐らく普通の人間ならば気付かない。

「失礼する」

 扉は音もなく開かれ、また気配の主も音もなく部屋へと足を踏み入れた。

「鴉か」
「久方ぶりだな」

 その姿を認めるなりアッシュは「なんだ、お前か」と、興味をなくしテーブルに頬杖をつく。
 鴉と呼ばれた男は大して気分を害した様子もなく、梯子を降りるアリアに手を貸した。

「ありがとう」
「いえ」

 結われる事なく流された髪を一度背へ払い、男はアリアから距離を取ると恭しく腰を折る。
 さらさらと極上の絹糸の様に流れ落ちた髪が、印象的な男の瞳を覆い隠す。

「ご報告に上りました。銀石の姫君」

 己の主以外に頭を下げるなど屈辱以外の何物でもないはずなのに、男はそんな素振り一つ見せずアリアの言葉を待った。

「彼[カ]の方の名は?」

 男の名はクロウ。

「――ルーラ・シルバーストーン」

 銀の書を抱[イダ]く守護獣が告げた既知の名に、人知れずアッシュは微笑んだ。










「彼の方に緋星の加護があらんことを」

 時は満ちた。




1-12/Key

 ――主

 ロンドンにあるアパルトマンと草原の隠れ家とは、たった一枚の扉で繋がっている。

「何? クロウ」

 その境界ともいえる扉に手をかけたまま背後を顧みたルーラは、微かに目を瞠りノブから手を放した。

「…何その格好」
「契約を交わしたので、私は私が知る限り如何様な生物にでも擬態することができます」
「へぇ」

 便利だね。
 背にした扉に寄りかかったままラピスラズリ色の髪を掻き上げ、落とされた言葉にはこれといった感情が含まれていない。
 そんなルーラの様子に何を言うでもなく、クロウは右手を差し出した。

「何それ」

 正確に言えば、そこに乗せられた鍵を。

「グリンゴッツの鍵です」
「誰の?」

 促されルーラは銀色の鎖が通された銀の鍵を手に取った。
 思っていたほど重くはない。けれど、それが紛い物だと思わせない程度の重さはある。

「シルバーストーン、銀石の姫様よりの贈り物です。今頃は名義の変更も終了しているかと」
「銀石ー…あぁ、当主サマね」
「魔使い側の、です」

 指先に鎖をかけ、ゆらゆらと目の高さで鍵を揺らしながらルーラは軽く肩を竦める。
 その手から音もなく鍵が消え失せた。

「じゃあありがたく貰っておくわ」
「はい」

 くるりと踵を返し今度こそ扉を開く。

「クロウも一緒に食べる? 遅い朝ごはん」
「いえ」
「あ、そ」

 バタン

「じゃ、午後の買い物は一緒に来てね」

 扉越しのくぐもった声にクロウは恭しく頭を下げた。










「今まで誰の金で買い物してたの?」
「…唐突だね」

 だって聞いてなかったし。――冷え切った炭酸飲料を喉に流し込みながらルーラは呟く。
 そうだね。――もっともだと言わんばかりに頷くと、リドルは《日刊予言者新聞》のページを一枚捲った。

「で、誰の?」
「彼女のだよ、決まってるだろ」
「どのくらいあるの?」

 ペタペタとフローリングの床を裸足で歩くルーラの足音がリドルに近付く。
 また一枚、ページを捲ろうとした手を止めリドルはしばし考えた。

「――贅沢しなければ、一生働かなくても大丈夫なくらいかな」
「ふぅん」

 ソファーの背もたれに腰掛けルーラはペットボトルの中身を飲み干す。
 背後からはリドルが新聞を捲る音。左手からは階下の通りを走る車のエンジン音。右手からは冷蔵庫の駆動音。

「買い物行こう?」
「君が着替えたらいつでも」





 嗚呼、今日で7月も終わりか。




1-13/Necessity

 持ち上げた左手には何ともいえない違和感があった。

(重い)

 身につけた封印具のせいではない。

(重たい…)

 これはきっと力が制限されているせいだ。
 右手と両足は問題ない。体が重いわけでもない。でも、左手だけが持ち上げようとすると限りなく重く感じる。

「…はぁ、」

 落とした溜息に隣を歩くリドルが振り向いた。

「幸せが逃げるよ」
「捕まえて瓶詰めにでもしといて」

 ひらひらと肩口で振った右手は軽い。

「封印具を付けてない時は重くないんだろ? 左手」
「うん? ……んー…うん」
「曖昧すぎるよその答」

 だらりとぶら下げた左手はそれだけならばいいのに、持ち上げようとするとやっぱり重い。

「クロウ」

 ルーラは重い左手を持ち上げリドルとは逆隣を歩くクロウのローブを掴んだ。
 掴まれたクロウはほんの少しだけ顔を顰める。――ただしそれは嫌悪からくるものではない。決して。

「封印具をオリハルコンで作れば、おそらくその違和感はなくなります」
「オリハルコン、って…この?」

 クロウの瞳から薬指の指輪へと視線を落とし首を傾げた。
 この指輪から自身の力を発現させ、オリハルオンを具現化出来るという事は知っている。けれど自身の力を抑えるために封印具を身につけているのに、抑えるべきもので抑えるべきものを抑えるというのはまた妙な話だ。
 そんなルーラの思考を読み取ったのか、クロウは首を横に振る。

「貴女のそれは特別です。漆黒のオリハルコンを成形することは不可能に近い。それに、封印具に適したオリハルコンは銀石の一族が操るそれともまた違います」
「人工物、ってこと?」
「はい。ただしそれを作ることが出来るのは守護獣と契約を交わし、銀の禁書を読み解くクリムゾンスター唯一人です」
「それってルーラのことじゃないか」
「私?」

 唐突に口を挟んできたリドルの方を振り向くと、リドルは「だって君、クロウと契約しただろ?」ともっともな事を言う。
 そうだね、うん。そういうこともあった。

「正解です。でも、不正解」
「どこが?」

 私の顔は左右を行ったり来たり。

「ルーラはまだ禁書を開いていない」
「その通り」

 その動作がどうにも面倒になって、視線を黒の指輪へと固定するとルーラは口角を吊り上げた。

「じゃぁ簡単じゃない」

 何が、とは言わない。

「開いてしまえばいいのよ」

 自分ではなく黒の指輪へとその視線を釘付けたルーラを見下ろし、クロウは躊躇いがちに口を開いた。

「しかし、」
「何が必要なのかいいなさい、クロウ」

 微かに目を瞠りクロウは思わず閉口する。
 自分は禁書が開けないとも、開く為に代価が必要だとも言ってはいない。――ならばいつ気付かれた? 己の枯渇した力に。

「私はこの腕の重さ、さっさとどうにかしたいのよ」

 見上げてくるラピスラズリの瞳はどうしてこうも不敵なのだろう。

(嗚呼、そうか)

 そしてクロウは悟る。己は履き違えていたのだと。

「賢者の石の、一欠片」

 この契約は、主なきまま消えかけた己の命を危ぶみ必要に駆られた結果でも、失われる禁書の価値を尊んだ結果でもない。
 紛れもなく、己は禁書のもたらす力に相応しい魂の主を選んだのだと。

「いいわ」

 それまでの、どこか面倒臭そうな表情を楽しげなものへと変えルーラは微笑んだ。

「ねぇリドル、素晴らしいタイミングだと思わない?」

 伸ばされた右手はリドルの左手を絡め取る。
 引き寄せられるがまま抗う事もせず、リドルは体を傾けた。

「まったくだよ」

 言葉とは裏腹にその表情は穏やかで、どこか企むような光を宿し真紅の瞳があらぬ方を見遣る。

「恐ろしい偶然だ」

 視線の先には一組の買い物客。

「あら、失礼ね」

 その二人の気配を視界に入れるより前から追っていたルーラは、リドルと――あたかも恋人同士の様に――指を絡めると、クロウのローブを手放した。
 逃げるように駆け出す。

「必然よ」

 見つめるはただ前を。




1-14/Fate

「悪い事したかな」

 キングズ・クロス駅の構内をトランク片手に歩くルーラの呟きを耳にしたのは、隣を歩くリドルだけだった。

「呼べば来るし、彼も来たいなんて思ってないよ」
「そうだけど…」

 返ってきた素っ気無い返事にルーラは唸る。
 確かにクロウは静寂と孤独を好む性質だからこういう場所は好まない。自分も無理強いしてまで連れてこようとは思わない。だけど、

「あの無駄に長い髪を三つ編みにしたい」
「…そういうこと言ってるから拒否られるんだよ」
「えー…」

 あの無駄に長い髪を三つ編みにするのがここ最近の楽しみだったのに。

「抜けるよ」
「へっ?」

 一瞬の暗転。そして視界に飛び込んできたのは眩いばかりの紅。
 あぁ、柵のことか。9と3/4と書かれた鉄のアーチを目に留め、ルーラは自分たちが目的の場所に辿り着いたことに気付いた。

「まだ早いの?」

 人もまばらなプラットホームを見渡す。

「すぐに人で溢れかえるさ」





 ――こっちよ





 酷い既視感を覚えた。

「……」

 巡らせた視線は最後尾の車両へと辿り着く。

「綺麗」

 見つけたのは自分と同じ赤。そして異なる銀。

「ルーラ?」
「行こう、リドル」

 手招くでもなくただ見つめてくる視線は、確かに自分を知っていた。

「私見つけちゃった」

 抑えきれない歓喜を隠そうともせずルーラは足早に客車へと乗り込み通路を抜ける。
 目指すは最後尾。恐らく異[イ]なる力で人払いのされた、出会いにはいささか不釣合いで、けれど十分であろう場所。










「前にも思ったけど・・」

 一通りの自己紹介を終えるとアッシュがおもむろに口を開いた。
 客車内をうろついてみようと立ち上がりかけたルーラはもう一度座席に座りなおし、呆れ半分の視線を彼女に向けていたリドルは興味なさげにアッシュを見遣る。

「何でお前、若いヴォルデモートとか連れ歩いてんだよ」

 刹那、アリアが振り上げ振り下ろした分厚い文献を視覚で捉えたのはリドルだけだった。
 鈍い打撲音がコンパートメントに落ち、声を上げる事も出来ずアッシュが頭を抱え縮こまる。

「馬鹿」

 アリアは何事もなかったかのように活字を目で追っていた。

「は、早い…」

 どこかしら外れたセリフに溜息一つ。
 ルーラの手を取りリドルは席を立った。

「リドル?」
「行かないのかい?」

 膝に置いた文献から顔を上げたアリアが「いってらっしゃい」と軽く手を振る。

「行く、行きます。じゃあちょっと行ってくるね」

 未だ頭を抱えたままのアッシュが「おぅ」と弱弱しい声で答え、ルーラはリドルに引かれるがまま最後尾の車両を後にした。




1-15/Indifference

 世界は酷く無感情で、故に己を構成する全てに対して酷く無関心だ。
 機械的に廻るそれをとめる術を知る者はいない。私然り、彼女然り。

「一緒にいる理由なんて、」

 けれどそれを終わらせる術なら知っている。

「貴方たちと同じよ、アッシュ」

 嘲笑うように口角を吊り上げたルーラの肩に一匹の黒猫が飛び乗った。
 リドル? 表情を訝しげな物へと変えルーラは一度立ち止まる。

「次だよ」

 主語のない言葉に一拍置いて頷いた。





「ハロー」

 軽い調子でコンパートメントの扉を開く。

「久しぶりだけど私のこと憶えてる?」

 唐突といえば唐突なルーラの言葉に対して声を上げたのは、見知った黒髪ではなく見知らぬ赤毛だった。

「知り合い?」
「うん。ルーラ…だよね? ダイアゴン横丁で会った」
「正解。――貴方は?」
「ロン。ロン・ウィーズリー」

 かといって完全な初対面というわけではない。ルーラは彼のことを一方的になら知っている。

「私はルーラ。ルーラ・シルバーストーン」

 知っているけど知らない。今はそんな曖昧な関係。

「よろしく」

 けれどそれもすぐに崩れ去るだろう。
 ただ、彼らが私を《知って》さえいればそれも大した問題ではない。










「ハリーのこと嫌い?」

 暫しの団欒。暫しの雑談。
 その後適当な理由をつけてがハリーたちのコンパートメントを離れるなり本来の姿へと戻ったリドルに、ルーラはそう問いかけた。

「どうでもいいかな」

 確かめるように手を動かしていたリドルの言葉は嫌いよりも尚酷い。

「興味がない、ね。まぁいいけど」
「君ってやっぱり不器用だね」

 アリアたちのいる車両に戻ろうと歩き出していたルーラは立ち止まり、一つ前の車両で壁に凭れるリドルを顧みた。

「不器用? 私が?」
「そう、君が」

 心外だと言わんばかりに顔を顰める。

「まぁいいけどね」
「あ、それ私のセリフ」

 世界は酷く無感情で、故に己を構成する全てに対して酷く無関心だ。
 けれどそれは私達人類にも言えることで、人々は全てに酷く無感情で無関心。

「……私は器用だよ」

 俯いたルーラに並びリドルは軽く息を吐く。

「じゃあそういうことにしておくよ」

 仕方がないと言わんばかりに。





 失われた物が戻らないことを知っている。だから私は失わない。




1-16/Silverstone

「おいルーイ、見たか?」
「俺がいつもお前と同じもの見てると思うなよ? ルーク。勿論見たさ」
「二人とも何を見たの?」
「紅[クレナイ]よ、ミラ」
「そうさステラ、ただルークの言いたいのはその紅を連れてたエメラルドの方だけどな」
「あら、そうだったの?」
「そうさ」

 二組の双子が交わす会話を聞くともなしに聞いていたエリックは、弄んでいたクィリアを音もなく消し去ると壁に寄りかかり目を閉じた。

「エリック?」

 窓際の座席に兄のルーイと向かい合って座るルークに声をかけられ、目は閉じたままひらひらと肩口で手を振る。

「まだ時間には早いし、僕は寝てるよ」
「「そう」」

 それぞれ主の隣に座ったステラが声を揃え、頷く気配がした。

「くれぐれも起こしてくれよ? 僕には信頼できる片割れがいないんだから」

 皮肉ともつかない言葉にステラ・マリスとステラ・ミラは顔を見合わせ笑う。

「俺たちもそこまで非情じゃないさ」

 ルークよりも遥かに信頼の置けるルーイの言葉にほんの少しだけ口角を持ち上げると、そのままエリックは意識を薄闇に沈めた。

「おやすみなさい、エリック」

 どちらともつかないステラの声を最後に静寂が落ちる。










 規則的なページを捲る音を聞きながらまどろんでいたポラリスは、近付いてくる足音に意識を浮上させた。

「3人」
「ライズか」

 主語のない言葉に足音の主を悟り、カフカは読んでいた本に栞を挟みこむ。

「やっとみつけたよ」
「ノックくらいしたらどうだ?」

 自らの使い魔であるディオスクロイ――カストルとポルックス――を引き連れて来たライズはノックもなしに扉を開き、かけられた割と棘のない言葉に悪戯っぽい笑みを返した。

「じゃあ貴方は先輩に対する礼儀を弁えるべきだ」
「「そうだそうだー!」」

 何かと騒がしいカストルとポルックスがハイタッチを交わし、疲れたと喚きながら扉の前に立つライズの背を押す。

「どうぞ」
「どうも」

 カフカの向かいで横になっていたポラリスはすぐさま席を譲った。

「クッキーでもどう?」
「「食べる!」」

 何も言わない主のそれは了承であると解釈し、クルリと手首と回したポラリスの手には次の瞬間二つの包み。

「「やった」」

 その中身を言われずとも理解した二人は顔を輝かせ差し出された包みを受け取った。

「ありがとう」
「どういたしまして」

 幼い容姿に騙されるべからず。
 その言動からは到底想像も出来ない攻撃力を誇る二人を従えるが故に、ライズは未成年ながら一族内で確固たる地位を持っている。

「ところでカフカ」
「何だ」

 鬱陶しげに自身の使い魔を見遣るカフカの横顔を見つめながら、ライズはいつもの喰えない笑みで窺うように首を傾げて見せた。

「クリフと一緒にいたんだけどね、これ以上迷惑をかけるのも悪いから着くまでこっちにいていいかな?」
「…二人が沈黙に耐えかねただけだろ」

 肯定ともつかない言葉には、ポラリスお手製のクッキーを頬張る二人が足をバタつかせ異を唱える。
 けれどカフカの「No」以外は全てが「Yes」だとポラリス同様熟知しているライズは、「ありがとう」と礼を述べ窓の外に視線を移した。





 程なくしてホグワーツ特急はホグズミート駅へと辿り着く。
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