関わるべきではないと、ノスリヴァルディは言った。だが関わらずにはいれない。
我らは物言わぬ木偶ではなく思考する駒なのだ。
(――主よ、気付いているか)
力を欲しのたうつ彼[カ]の闇は、翡翠色の静寂に身を潜め期を窺っている。我が力は歪んだが、それもまた《唯一の声》によって本来の色を取り戻すだろう。目を覚ませ、我が主。身の程をわきまえぬクズが主の宝を狙っているぞ。
主の願いと共に我は再び剣を取ろう。
あの日失われたものを取り戻すのだ。
「――沙鬼[サキ]」
苛立ちの隠しきれていない声に、沙鬼は心地いいまどろみから現実へと引き戻された。閉じていたせいで光に慣れていない目を庇いながら視線を上げると、そこにはさも不機嫌ですといった顔の彩花が立っている。
王立魔法学校の中庭は、既に午後の講義が始まっていることもあってそこそこに静謐としていた。
「なに」
傾けた首がゴキッと可愛くない音をたて、反射的に音のした場所を押さえる。彩花はニコリともせず、沙鬼が首に嵌めた銀色の《環》を指さした。
「入れるでしょ」
「…主語」
「あんた。王城。首輪」
「首輪じゃない、チョーカーだ」
「入れるでしょ」
沙鬼は首を横に振る。
「連れてはいけない」
「……」
「分かりきったことだろう」
「…もういい」
今にも零れ落ちそうな涙は視界から消え、向けられた背にはっきりと表れる負の感情。
沙鬼にはどうすることもできなかった。首に嵌めた《グロッティの環》は沙鬼が貴族の従者であることを示す物であって、便利な通行証ではないのだから。
「……」
溜息と共に憂鬱な気分を吐き出して、沙鬼は眠りなおそうと居心地のいい場所を探して身じろいだ。ごつごつとした木の幹には一箇所だけ丁度いい具合の窪みがあり、そこに落ち着くと、睡魔はすぐに訪れる。
「…ガキが」
静謐。
「ごくろうさま」
姿勢を正す兵に一瞥とともに短い言葉をかけ、暁羽は普段と変わらないゆっくりとした足取りで王城の《裏門》をくぐった。彼女の隣にはリーヴがいたが、そのことを咎められるでもなく、王城全体に張り巡らされた結界が反応するわけでもなく、想像以上に容易く果たされた侵入に思わず肩が落ちる。
「だから言っただろう」
得意気に笑って、リーヴはさっと王城内の気配を探った。
「お前といれば問題ない」
「それもどうかと思うけどね」
匿われているエルフの気配は巧妙に隠されていたが、見つけるのにそう時間はかからず、交わされた視線一つで行くべき方向を示され暁羽は頷く。
魔法師の力を増幅させ魔族による干渉を防ぐ王城の防壁は強固だが、どちらにも当て嵌まらない存在に対しては完全に機能しなかった。それをいいことに、リーヴは暁羽の持つ魔法師としての力に作用する術式だけを選び取って利用し、少ない労力で望みを果たす。
同じく気配を探っていた暁羽にもすぐにエルフの居場所は知れた。傍に憶えのある気配が三つ。
「呪屋か」
ティーディリアス侯爵家が有名な召喚師の家系であるように、コールドチェーン伯爵家もまた有名な呪術師の家系だ。当然その次期当主である冬星・コールドチェーンにも、呪いに関して城付き魔術師とも肩を並べられるほどの知識と技術がある。
だが所詮人だ。――心中で鋭く舌打ちしてリーヴは暁羽に急ぐよう促した。
呪いは確かに無力化されていたが、あのエルフが抱える問題はそれだけではない。呪いはあくまでその《問題》の一部が偶然表面化したものに過ぎず、原因を取り除かなければ意味がなかった。
「影にいる」
「え?」
「地狼に姿を見られたくない」
「それはいいけど…体だけ別の次元に放り込んでおけば?」
「…そうだな」
一度立ち止まって額に当てられた手がそのまま視界を塞ぎ、体の中に何か流れ込んでくるような感覚がして、手が消える。
空になったリーヴの体が足元から次元の狭間に消えていくのを見送って、暁羽は何事もなかったように歩き出した。
(西塔でいいんでしょ? 六階の、私が使ってた)
(あぁ)
精神を一時的に同居させた二人に音を伴う言葉は必要ない。その代わり表情や仕草から読み取っていた情報は手に入らなくなり、それだけが不便だと暁羽はぼやく。リーヴは呆れ混じりに溜息を吐いたが、気付かれることはなかった。
(そういえばここにもあったね)
西塔唯一の出入り口である扉の前に立って、六度のノック。ノックの回数と魔力に反応した魔法錠は直接六階へと道を繋げた。
(もうすぐ消える)
「…そう」
これが終われば休暇だ。
「――《包囲》」
扉を開け放ち、杖を振り下ろす淀みない動作がどちらの意思なのか、二人にも分からなかった。その直後紡がれた言霊は確実にリーヴのものだが、彼が杖を振る必要はない。言葉に魔力を込めているのだから。
「《反転》《固定》」
ちらりと視線を、突然の出来事に出遅れた蒼燈と傍観するつもりらしい冬星に向け、暁羽は内心嘆息した。
エルフへと向けられていた杖は天井に描かれた魔法陣へと矛先を変える。言霊ではない単なる呪文は口の中で小さく呟かれるだけで、発動した魔法陣は鮮やかな紅色に輝いた。
(エルフの構成を書き換える)
(ここで?)
振られた杖に応えてエルフを隔離した結界は魔法陣の真下へと移動する。
「何をするんだい?」
「…仕事」
冬星の、場違いに楽しげな言葉が暁羽の気をそいだ。魔力はリーヴが思う通りに揮われ、またエルフの存在も、彼が望む通りに書き換えられていく。
「なにを…」
「まぁ、黙って見てなよ。見物だ」
結界の中で、紡がれる言霊が帯のようにエルフを取り巻いた。幾重にも重なり合ったそれは途切れることなく、エルフの体に張り付いては消える。
「エド、カルマート、――フィーネ」
最後だけは魔法師らしく締めくくって、リーヴはエルフの周囲に張り巡らせていた結界を解いた。エルフはゆるやかに真下のソファーへと下ろされ、魔法陣の放つ光が色を変える。
「起きろ、《ユール》」
鮮烈な紅から、穏やかな翡翠へ。
「 は い 」
そして、《覚醒》。
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