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 鈍く痛みを訴える頭を抱えてソファーに沈む。今日は目が覚めた瞬間からこの調子で、もしかすると痛みで目が覚めたのではないかと疑いたくなるほどだ。

「屋敷に帰ればいいだろう」
「まったくですよ」

 屋敷で帰りを待つ呪医見習いの妹のことを言っているのであろう、夜空の言葉に頷き返して体を起こす。

「暁羽がいれば今すぐにでもそうしたいところですがね」

 肩越しに後ろを顧みると、簡素な寝台にはあのエルフの姿があった。

「…逃げられたのか」
「貴方があっさり気を失っている間に」
「お前だって、転移中の記憶はないだろう」
「当然ですよ。僕は真っ当な人間なんですから」

 陛下曰く、彼女は強力な呪いをかけられているらしい。言葉と記憶を失ったのもその一端で、これから状況は更に悪化する可能性がある、と。

「真っ当、か」

 僕には想像も出来ないことだ。使者の証を持ち、記憶と言葉を失くし、呪いを受けたエルフが王城にいて、当のエルフは空間転移の後一向に意識を取り戻さない。
 これ以上、どこをどう弄れば状況が悪化するというのだろう。

「何か言いたそうですね、夜空」
「そうつっかかるな」

 例えば彼女を魔族に殺害される、とか?

「…八つ当たりでもしていないと、やってられませんよ」

 笑えない冗談だと思った。けれど天井に描かれた大掛かりな魔法陣が、冴えなかった陛下の顔色が、暁羽を一瞬とはいえ追い詰めかけた魔族の存在が、思考を怖ろしいほどの速さで悪い方へと引っ張っていく。

(次の任務は、絶対に断ろう…)

 ずきりとまた酷く、頭が、痛んだ。










「――暁羽」

 気を抜けば泥沼の眠りへ落ちそうになる意識をリーヴが引き止める。

「…ごめん」

 もう何度目かすら分からなくなったやり取りを繰り返して、私は小さく頭を振った。

「もうすぐ王城だ。気を抜くな」

 傾いた体が倒れてしまわないよう支えてくれていた腕が離れて、先に行けと背中を押す。足元を見ていた視線を上げると、城門を警備する兵の姿が遠くに見えた。

「今眠ったら、私どうなるの?」

 ただ歩いているだけでは眠ってしまいそうで、苦し紛れに会話を振ると、分かっているだろうにと、真紅の瞳に呆れが滲む。

「さすがに、目覚めるのは難しいかもしれないな」
「リーヴが呼んでも?」

 状況は怖ろしく深刻なのに、当事者である私には今一実感が湧かない。手の届く場所に本物のリーヴがいるという現実だけが鮮やかで、それ以外の全部が滲んでしまっていた。

「だから、夢魔を殺すんだ」

 夢魔による精神への影響が強まっているのだと、分かっている。でも理解は出来ていない。全てが表面的。全てが、他人事のように移ろう。

「そのためにあのエルフを――」



 鮮やかなのは、いつもたったひとつだけだった。



 魔法師の力を増幅させ魔族による干渉を防ぐ王城の防壁は強固だが、どちらにも当て嵌まらない存在に対しては完全に機能しない。一度その構成を知れば、逆に利用することも容易かった。

(西塔か…)

 暁羽の持つ魔法師としての力に作用する術式だけを選び取って、手を加えた物を隠れ蓑に目当ての者を探す。魔力で溢れた王城で個を特定するのは骨の折れる作業だが、そうすることで幾つかの手間が省けた。

「あの部屋には何重に魔法をかけた?」

 焦点を失いかけた瞳は弾かれたようにこちらを向き、無言のまま城の西側に位置する塔を示せば、緩く首を振られる。

「実験も兼ねて重ねがけしたから、覚えてない」
「攻撃系の陣は敷いていないな?」
「たぶん…」

 限界はもうそう遠くない。私がすぐ傍にいて支えていても、夢魔の力は確実に暁羽の精神を蝕んでいた。

「…行くぞ」

 今日中に全てを片付けてしまわなければならない。意図せずとはいえミズガルズの王が有利になるようことを進めることは癪だが、迷っている暇はなかった。

(今更潰されたりは、しない)

 これは私のものなのだから。










「――――」

 こえが、きこえた。ちいさく、ちいさく、わたしをよぶ、こえが。
 あのひとでは、ない。あのひとでも、ない。あのけものでも、ない。わたしのしらない、こえ。
 わたしは、しらない。なにも、しらない。だから、あのひとのことばにうなづいた。だから、こたえない。
 よばれているのが、ほんとうにわたしなのかさえ、しらないわたしは、わからないから。
 だからこたえない。だからきこえない。わたしはしらない。なにも。なにもかも。
 わたしはわたしがなんなのかさえ、しらない。しらなくていい。

「――ぅ、る」

 こえが、きこえた。ちいさく、ちいさく、だれかをよぶ、こえが。

「ゆ…ぅ、」

 わたしは、こたえなかった。だれかが、いったから。

「 ユ ー ル 」

 こたえては、いけない。










 本来そこにあった魔法錠は王の名の下に歪められ、部屋の中には覚えのある気配が三つ。既に足元の覚束無い暁羽を引きずるように連れ込んですぐに、鍵の歪みを修正した。

「――何者だ」

 そうして部屋の《内》と《外》は分かたれる。王城の持つ独特の気配は遠退き、逆に満ちた私の力を受け、暁羽が再び視線を上げた。

「自分の部屋に入るのに、名乗らなくちゃいけないの?」

 常と変らぬように、自身の変化を悟られぬように、暁羽は私の手を離れ歩き出す。

「不法侵入はそっちでしょうに」

 そう、それでいい。

「夜空。――陛下が仰ったんですよ。あのエルフをおくならここがいいだろうって…」
「私の守りがあったから?」
「おそらく」
「この部屋に何故こんなにも多くの守りが張り巡らされているか、蒼燈、貴方にわかる?」
「僕に貴女の考えることはわかりませんよ」
「それはね、」

 力を揮う。二つのマナの混じり合った力を。

「なにを…」

 部屋中に点在していた魔法陣は混ざり、反発し、増減を繰り返して、力を増す。

「「《閉じ込めるために》」」

 重ねた言葉は力を宿した。一度溢れた力は集束し、点在する光は小規模な爆発を繰り返す。

「閉じ込めるって……いったい…」
「馬鹿ね」

 暁羽は嗤って、天井に描かれた魔法陣の一点を指差した。

「一晩中この部屋にいて、あの魔法陣を読み解こうと思わなかったの?」

 刻まれた文字が命を得る。光を放ちながら流れ出した構築式は徐々に形を変え、巧妙に隠された本来の姿を顕わにしようとしていた。

「魔法書によって封じられて尚流れ出す力、魔術書を使って尚有り余る力、必要なのは力の逃げ道。逃げた力の溜まり場所」
「まさか…」
「ルーン文字で描かれた陣の特性くらい、知ってるでしょ?」

 力は反転し逆流を始める。大きすぎるが故に封じられ、逃がされていた力を急速に取り戻し、暁羽は目を輝かせ私を仰いだ。

「おまたせ」

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