「手を出して」
魔力は《マナ》によって生み出される。
《マナ》は魔法士の心臓だ。生きている限り活動を続け、止まれば死ぬ。大抵の魔法士は魔力の作用によって長い寿命を手に入れるから、魔力の枯渇が肉体的な死にも繋がってしまうのだ。
「目を閉じて。心を落ち着けて」
その代わり、傷の治りは早い。病気にもかかり難いし。成人してからは《マナ》が活動を止めるまで老いることもなかった。
「あなたにも私たちと同じマナがある。だからまずはそれを見つけて。あなたの体の中から溢れる力。その源を」
魔力は命の力と言い換えてもいい。まずはその存在を自覚させるところから始めなければならない。アロウはずぶの素人なのだから。生まれる前から世界と繋がっていた私のようにはできないだろう。
「今、渡しの魔力はあなたの魔力と絡み合っている。その繋がりを使って少しだけあなたの魔力を引き出すから、体の中から何かが抜けていくような感覚があるはずよ」
「……あ…」
「わかった?」
「なんとなく…」
「それが魔力を『使う』という感覚よ」
呼吸するよう魔力を操り、歩くよう魔術を使う。私にはそれが当たり前のことだった。改めて意識するまでもなく。確かな術を知らずとも、行うことはできたのだ。本能として。
「体の外に出した魔力は戻せない。マナは常に一定の魔力しか生み出さないから注意して」
「使いすぎるとどうなるんですか…?」
魔力を「消費」する感覚さえ掴んでしまえば、あとは応用。復讐と試行錯誤の段階だった。
繋いでいた手を放すと、アロウは不思議そうにその手を開いたり閉じたり。
「凄く疲れる」
「…割と軽いんですね」
「体力気力の類だからね」
そろそろ私も、出かけなければという時分。マントを脱いでも乗ったままになっているニドヘグごと頭を撫でると、アロウは察し良く問を発した。
「出かけるんですか?」
「ニドヘグをおいていくから。知らない人がきても扉は開けないように」
「はい」
その物分りの良さと同じくらい、飲み込みも早いと嬉しいんだけど。
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マントを取り返したリーヴスラシルが――何故か窓からーー出かけて行くのを見送って。アロウは頭上のニドヘグを腕の中へと引きずり下ろし、出かけに渡された腕輪をくるくると回して見聞する。
いきなり明かりを「消す」のは難しいからと、リーヴスラシルがアロウへ新たに与えた課題。はずは「灯す」ことから始めてみたらいい、と。
「紫、金、橙、青、茶、緑…」
腕輪に等間隔で嵌め込まれた精霊石のうち、金色のそれが《光》の属性を持つものだった。そこへ意識して魔力を注ぐことができれば光を灯せるからと、リーヴスラシルはアロウに言った。魔力を出せれば留めることも簡単だと。
魔力の扱いなんて、要は慣れでしかない。それが日常世界に溶け込んでいるというならつまりそういうことなのだろうと、アロウはリーヴスラシルの言葉をそう解釈した。
「他の石の属性も聞いておけばよかったな…」
うっかり《光》以外の精霊石に魔力を注いでしまった場合、いったいどういう反応が引き起こされるのか。やや怖怖と、それでもアロウはリーヴスラシルに教えられた感覚を思い出し再現するため目を閉じた。
「僕が教えてあげようか?」
けれどまたすぐ、開く破目になる。
「誰…?」
「あれ。思ったより驚かないな。せっかく黙って入ってきたのに」
「…勝手に入ってくるなんて、マナー違反ですよ」
一つしか無いベッドに腰掛けるアロウが顔を上げると、そこには目を閉じるまでいなかったはずの男が立っていた。
金混じりの銀髪を長く伸ばした、藍目の美丈夫。
「うちのお姫さまは気にしないから大丈夫。その証拠に、君の護衛だって大人しいだろう?」
《悪心》ロキは、いつも大切な「お姫さま」にしているよう嘘偽りなく真実を告げた。アロウを混乱させる意図さえなく。時分の主張に対してまっとうな根拠までつけて。
そしてロキの言うとおり、アロウの腕の中でニドヘグは大人しくしていた。
よもやロキともあろう者が、リーヴスラシルの目と鼻の先で悪さもしないだろうと考えている。そしてそれは正しかった
ロキとて命は惜しい。
「お姫さま。って…リーヴスラシルのことですか…?」
「うんそう」
けれど好奇心に勝てもしない。姿を見せてちょっかい出すくらいは許されるだろうという希望的観測で、内心リーヴスラシルの寛大な処置を期待していた。
「僕はロキ。君は誰?」
「アロウ…」
「それじゃあアロウ。僕が君に、精霊の属性について教えてあげよう」
アロウに対する親切は、リーヴスラシルに対するご機嫌取りも兼ねている。それでいていつも通りの暇潰しでもあった。
ロキは常に退屈しているべき神なのだから。
----
別に夜中でなくとも構わない。けれどアロウの面倒を見る責任というものを考えると、夜のうちに済ませておいた方が無難な仕事。
肥えた魔物の討伐なんて、大して手間のかかる作業でもない。精霊石がなかろうと、ニドヘグがいなかろうと。それは変わらなかった。レーヴァテインを使うまでもない。腰に下げたショートソード二つ。それだけあれば事足りた。
ミリシアから東に抜ける街道をやや北に逸れて、少し行った辺り。――そういうぼんやりとした指示で獲物を探さなければならないのはいつものことだった。なにせ魔物は移動する。結界のある都市や集落には近付けないとしても、食事となる《マナ》の気配を嗅ぎつけてはうろうろと。
見つけるために必要なのは直感の類だった。私の場合は、もう少しだけ楽をするけど。
「ノアル」
クロスロードは地域的に《闇》の力が強い。今が夜であることも相まって、力をかりるならノアル以上の適任者はいなかった。
「この辺に大きめの魔物がいる筈なんだけど。どこか知ってる?」
「――あぁ、知っているとも」
姿を見せるだけでなく、存在に人を模した肉体まで伴わせ。現れたノアルはまっすぐに北を指差した。
「…ミリシアからは離れてるわね」
「より近くにいる命の気配を追っている。そろそろ狩時だろう」
「あんまり育ちすぎても換金に困るしね…」
頷き合って、私が走り出す前にノアルは姿を消していた。《闇》に紛れる気配だけを漂わせて。
「道、逸れたら教えてね」
別に足がいなくても、これくらいの距離なんてことない。
充分に駆けていけた。
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