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 例えるなら、それは微睡みの最中に夢を見ているようなもの。起きなければいけないと頭では分かっているのに、目覚めへと踏み切ることができないでいる。そんな私を誰も咎めようとさえしないものだから、なおのこと。体を包む心地良さに身を任せ、いつまでも微睡んでいたいと思ってしまう。――だって、そうしている私はとても幸福だから。
 けれどけして、目覚めたくないというわけではなかった。目覚められなかったわけでもない。必要であれば、私はいつだって目覚めることができた。そうしたいと、ただ思いさえすれば。
 私はもう、ただ与えられるばかりを待つ愚かな女ではないのだから。





 自分がどういうものなのかということさえ分かっていないような、哀れな女。「微睡む自分」を磨り擦り潰すよう、「リーヴスラシル」――そう、巨人の《王》によって名付けられた人の姫――は目覚めた。
 随分と長い「微睡み」になってしまったものだと、自嘲するかのよう笑みを浮かべさえしながら。限りなく自分の意思によって目覚めたリーヴスラシルは、一人きりのベッドを抜け出す。
 天蓋から垂れるカーテンを避けたその向こうには――開け放たれた大きな窓越し――、どこまでも晴れ渡る青空が広がっていた。
 それを一目見て、リーヴスラシルはただ「綺麗だ」と思う。

「嗚呼――」

 微睡んでいた頃を除き、それはリーヴスラシルが生まれて初めて目の当たりにする「空」だった。
 高い高い塔の上へと閉じ込められていた頃には、夢見たことさえなかった「外」の世界。それが今、リーヴスラシルの前にはどこまでも果てしなく広がり、手を伸ばせば容易に届いてしまうほどの距離にある。
 なんて幸福な「現実」だろうと笑う。リーヴスラシルには最早、ままならない世界を恨めしく思いながら眠り続ける理由などありはしなかった。たとえ自分がどうなってしまおうと、「全て」を誓った約束が果たされ続けることは既に証明されているのだから。
 ならばあとは、生きるばかり。

「綺麗ね」

 躊躇いなく一歩を踏み出し、次の瞬間、リーヴスラシルはウトガルズを遠く離れた場所に立っていた。
 寝間着代わりに着ていたスリップから黒色のキャミソールドレスへと着替え、足にはきちんと靴まで履いて。ミズガルズ――ミッドガルドとヨトゥンヘイムとを隔てる柵――に沿うよう流れるイヴィングの河畔へと下り立ったリーヴスラシルは、ひらひらとスカートの裾を揺らしながら歩き出す。
 一見、楽しげな少女の振る舞いは、水辺へと涼みにやってきた良家の令嬢を思わせる。けれどそこはヨトゥンヘイムで、その姿をまともに見る者がいれば戦慄を覚えずにはいられなかっただろう。何故ならヨトゥンヘイムとは、黒い髪を持つ「人」にとって死者の国ヘルヘイムにも等しい「世界の果て」とされていたから。誰も、そこでリーヴスラシルのような「少女」が生きていけるとは思わない。もしもそれが可能であるとすれば、問題はリーヴスラシルにあるのだと当然のよう考えるに違いなかった。あれは「人」とは違う、何か恐ろしいものなのだ――と。
 そしてその通り、リーヴスラシルはただの人ではなかった。そんな存在であったことはついぞ、生まれた瞬間から――そしてきっと、いつか死んでしまうその時まで――一度としてない。
 リーヴスラシルは「特別」だった。リーヴスラシルが「リーヴスラシル」であるというただそれだけで、そこには大きな意味がある。

「――墜ちろ」

 そんなリーヴスラシルの一言は、遥かな頭上へと向けられていた。
 魔力の篭った、魔法の言葉。それはいつかリーヴスラシルが世界を服従させた悲鳴と等しい性質を持つもので、けれど実際の作用は、段違いにささやかなものだった。
 行使されたのは頭上を横切ろうとしていた竜を一匹、地面へと引きずり下ろす――その程度の力。リーヴスラシルにとってそれは、自分の両足で地面を歩くより余程容易なことだった。

「ねぇ、誰か手を貸してくれない?」

 笑うリーヴスラシルの目と鼻の先。放たれた言葉の通りに「墜ちた」竜は、その背に二人の「人」を乗せている。
 無論それを分かっていて無茶な招き方をしたリーヴスラシルは、地面と強烈な激突を果たした騎竜の背から放り出される二人の内、明確に「こちらだ」と思う方だけを助けた。周囲を漂う《風》へと声をかけ、着地の瞬間衝撃を和らげてやることによって。致命的な負傷だけは、なんとか避けられるかどうかというような力加減で。
 どさりと地面へ転がされたのは、リーヴスラシルと同じ年頃の青年だった。

「ありがとう」

 そろそろリーヴに城を抜け出していることがばれる頃だろう、と――諸々の事情を鑑みながら――リーヴスラシルは手早く用件を済ませにかかる。
 間違いなく幸福だった微睡みから目覚め、わざわざこんな辺鄙な場所まで自ら出向いて来なければならなくなった「理由」を排除するために。リーヴスラシルは痛みに呻く青年の傍らへと立ち、その――流れる血のように赤い――両の目を覗き込んで囁いた。

「もう二度と、私の前に現れるんじゃない」

 そうして告げる。今度は再び、世界へと。

「ミッドガルドへ帰りなさい」

 充分な力と意思に満ちた言葉を以って、世界の在り様を思うがままに捻じ曲げる。
 最早その程度のことで、リーヴスラシルが休息を必要とするほどに消耗してしまうことはありえなかった。
 リーヴにできて、リーヴスラシルにできないことなどありはしない。二人が交わしたのはそういう「契約」で、リーヴスラシルの「対価」は既に支払わているのだから。
 リーヴの「全て」はリーヴスラシルのもの。それはつまり、リーヴが巨人の《王》として持つ魔力さえも、リーヴスラシルが好きなように引き出し使ってしまえるということだった。

 一匹の竜と二人の人はヨトゥンヘイムから消え去り、引き出された魔力の痕跡を追ってすぐにでもやってくるだろう、リーヴへまず何と声をかけてやろうか――と、リーヴスラシルはほくそ笑む。
 微睡んでいた頃のリーヴスラシルと、目覚めた今のリーヴスラシルが全く同一の存在であるとは言い難い。それでも自分のことをリーヴは「大切」にしてくれるだろうと、リーヴスラシルは疑ってもいなかった。そもそも「微睡む自分」こそが偽物で、そんなものさえリーヴは大切に「リーヴスラシル」として扱い続けたくらいなのだから。
 微睡むリーヴスラシルは、リーヴへ――「私が今の私じゃなくなっても、ちゃんと大切にしてくれる…?」――問うた。その問いかけに対するリーヴの答えは――「お前がそれを望むなら」――とんだ嘘っぱちもいいところで、それもそのはず。リーヴがリーヴスラシルのことを大切にする、その、「契約」の履行でしかない行為において、リーヴスラシルの意思が考慮される必然性などありはしない。
 リーヴとリーヴスラシル。二人が交わした契約は、お互いにただ与えられるものを与え合う、それだけのものでしかなかったのだから。

「早かったのね」

 例え自分がどんなものへ成り果ててしまおうと。リーヴが変わらず「大切」にし続けるだろうことを、リーヴスラシルは確信していた。最早疑う余地もない。
 だから現れたリーヴに対して臆面もなく笑いかけ、差し伸べられる《王》の手を恐れることさえしなかった。勝手な振る舞いを咎められることなどありはしないのだと、分かりきっていたから。

「おはよう、リーヴ」

 だからこそ、リーヴスラシルは目覚めることを恐れなかった。ずっと微睡んだままでいてもきっと幸福だっただろうに、あえて目覚め自分の足で歩き始めることを選びここにいる。

「私があなたのリーヴスラシルよ」

 きっとあの「微睡み」こそが、幸福なままに存在を終える最初で最後のチャンスであっただろうことを、分かってもいたのに。
 滅びだけが結末の運命へと、自ら飛び込むことさえ厭わなかった。





(わざわざ目覚めて出かける必要/姫と王。めざめ)
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