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 攻撃を仕掛けていた相手が魔族だと分かるや否や、暁羽は魔法書を捨て自らの魔術書を顕現させた。血の気の多い彼女らしい判断だといえばそうかもしれないが、対峙する相手が強ければ強いほど、切り札は最後まで取っておきたがる彼女にしては、早急な決断だとも思った。

「どう見る、蒼燈」

 深い紫色の毛並みを持つ地狼の言葉に、僕は努めて普段通りに返す。

「暁羽が負ける状況が思いつきませんね」

 地狼――夜空――の張った結界の強度は白の書を使った結界の比ではなく、そうそう破られることもないだろうが、それはあくまで〝暁羽がアルスィオーヴと戦っている間は〟という条件付だ。彼女が負ければ――王命に従いエルフを守ろうとする限り――僕たちに生き残る術はない。魔物相手ならまだしも、魔族相手に戦いを挑めるほどの実力と無謀さを、僕は持ち合わせていなかった。

「心配しなくても、彼女ならうまくやりますよ」

 そう、負けるはずがない。彼女は魔術師であり王の信頼厚い騎士なのだから、その誇りにかけて負けるはずはないのだ。

(でももし、貴女が負けるようなことがあれば――)





 無言のまま揮われる杖。咄嗟に地を蹴る魔族。焦らず杖先でその動きを追って術を発動すると、アルスィオーヴは舌打ちとともに力に力をぶつけた。

「学生にしてよくやる」

 魔法書を使っていては一生行使できないような大量の魔力を消費する術式を、魔術書は無言のままに発動させる。杖先の動きと意思だけで紡がれていく力を相手にするのはさぞ厄介だろうが、そういう意味で条件は五分だった。
 魔族はもともと、呪文や杖の類を使ったりはしない。

「だが力押しだな」

 アルスィオーヴが右手を掲げる。黒猫が肩に爪を立てた。わかってるわよと痛みに対する不満を訴える時間はない。

「魔力の絶対量で、魔族に勝てると思うな」

 振り上げた杖先を追って築かれる障壁。更に攻撃呪文を四重で重ね打って舌打ち。

「さらばだ、死を免れぬ人の子よ」

 そう言ってアルスィオーヴが落としたのは、両手で包み込めるほどの球体だった。見た目の割に恐ろしいほどの魔力が詰め込まれたそれはゆっくりともったいぶって落ち、途中ぶち当たった攻撃呪文を取り込んで、肥大する。

「うわやばっ」

 思わず声が漏れた。攻撃に攻撃をぶつけて相殺、あわよくば逆に攻撃へと転じてやろうという浅墓な思惑はあからさまに裏目に出て、その上障壁を築き直す時間はない。

「リーヴ!」

 そうこう考えているうちに球体は障壁に辿りつき、――爆発した。





 アルスィオーヴは笑う。対峙したミズガルズの子は確かに力ある存在ではあったが、自らの崇高な目的を妨げられるほどの存在でもなかった。所詮、人は人でしかないのだ。

「健闘は称えよう。…だが、」

 立ち込める土煙の下には、少女の肉片すら残されてはいないだろう。至近距離で魔族の持つ邪悪な力をもろ受け、髪一筋残されていればそれは奇跡に他ならない。この力の残滓すら、脆弱な人の身には致死の毒。初めから、結末は分かりきっていたのだ。
 この戦いはそう、言うなれば――。

「喜劇だな」



「――調子に乗るなよ、三下が」



 展開の速さに眩暈がしそうだった。確かに暁羽はやられたと、そう思い、また彼女の魔力も一際[ヒトキワ]大きな爆発とともに掻き消えていたのに、再び姿を現した暁羽は全くの無傷で、尚且つ魔力は先ほどの比ではないほどに膨れ上がっている。

「一体なんだって言うんです…」

 夢でも見ているようだ。いい加減非常識な人物だとは思っていたが、これはあんまりだろう。

「私たちに刃を向けたこと、後悔させてやる」

 どこかの悪役じみた言葉とともに地を蹴った暁羽の背で、肩につくかどうかほどの長さだったはずの髪が躍った。背を覆い隠すほどにまで伸びたそれを見て溜息一つ。非常識にもほどがある。

「お前の知り合いにはロクな奴がいない」
「…彼女がその代表格ですよ」

 暁羽の手の中で、杖は長剣へと形を変えた。彼女が真正の刃物を持っているところなんて式典くらいでしか見たことはないが、腕前はそこそこだと風の噂に聞いたことがある。

「どういう、ことだ…っ」

 アルスィオーヴが牙を剥き出して叫んだ。暁羽は無表情のまま、その瞳に僅かばかりの敵意を宿して飛躍する。

「喧嘩を売る相手を間違えたな」

 常人離れした跳躍力は魔力によるものだと思いたい。

「剣よ、我が名の下に示せ」

 でなければ彼女の方がよっぽど化物じみている。





 振り下ろした剣の一閃で両断した魔族の残滓は、反撃に打って出ることなく次元の狭間へと逃げ込んだ。

「……」

 私はそれを深追いする必要はないと判断して、空中での足場にしていた魔力を解く。落下のスピードを同じく魔力で抑え緩やかに着地すると、急激な魔力の開放につられ長さを増した髪が目に留まった。
 どうせ暁羽は、暇を見つけてまた切ってしまうのだろう。出逢ったばかりの頃を彷彿とさせて、私は長髪の方が気に入っているのに。

「…〝天は地に、地は天に〟」

 地狼が結界を解く素振を見せたので、まだ終わっていないことを示すために呪文を紡ぐ。暁羽の声で放たれる私の言葉は朗々と場に響き渡り、溢れる魔力がそれに応えて鳴動した。
 差し出した手の上に落ちる魔鏡の片割れが、魔力を伴った光を放つ。

「〝絶たれる事のない絆を手繰る。世界樹の枝を辿り開け、かの地への扉〟」

 剣を杖へと戻し、杖先に力を集め陣を描いた。必要なのはこの地に残る魔族の痕跡を消し去るための、一時的ではない強力な術式。大地に染み込んだ穢れを浄化しつくすまでは決して消えない、魔導の域に達しようかというほどの魔術。それを、口頭での術式と同時に構築する。

「〝応え、光差す庭〟」

 そして発動させた。
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