鈍く痛みを訴えるこめかみを半ば押し潰す勢いで押さえていると、いつの間にか思考の大半を暁羽への恨み言が占めていた。むしろ痛みが強すぎてそれ以外のことが考えられない。
「帰らなくていいのか」
夜空の問いかけを理解するのにも長い時間がかかって、暁羽への殺意が鎌首をもたげた。
「……」
出来もしないことをと心中で毒づき、勢いよくソファーに倒れ込んで天井を見上げる。
(ばけもの…)
天井一面に描かれる巨大な魔法陣。その、あまりの複雑さに眩暈がした。
「暁羽がいないのに、僕まで彼女の傍を離れるわけにはいかないでしょう」
一見簡単そうな造りをしているのに読み解く糸口さえ見あたらず、規則的なようで不規則に並ぶ文字は複数の言語が混ざり合っていて怖ろしく難解。一体どれだけの時間と魔力を注げば、ここまで精密で捻くれた魔法陣が描けるというのだろう。
「律儀だな」
「暁羽ほど奔放には生きられませんよ」
ずきりと、また酷く頭が痛んだ。
「ひとまず王城へ」
含みのある言葉に頷いて、部屋を出る。当然のようについてくるリーヴは数歩置いて私の斜め後ろを歩いた。肩に乗るか前を歩くかしていた黒猫との距離に慣れている私は少しだけ戸惑い、その戸惑いを隠したまま王城へと足を進める。
リーヴは何も言わなかった。
「…面倒?」
「何がだ」
「私に憑いた夢魔を殺すの」
「面倒だからといって捨て置くわけにもいかないだろう」
「……そうだね」
時々、何故、リーヴが私の傍にいてくれるのかを考えることがある。たとえば今みたいに、私の都合でリーヴの手を煩わせた時、何故と、考えてしまう。リーヴに私を助けなければならない必然なんてないのに、と。
日中は開放される城門を形ばかり警備する兵が、私の姿を目に留め姿勢を正した。それまでの思考を頭の隅に追いやって、私も彼ら同様気持ちを切り替える。
「ご苦労様」
今日だけは、半ば押し付けられるように拝命した騎士号にも感謝した。
「で、どこ行くの?」
「…西の塔、」
さっと城内の気配を探ってリーヴが告げる。西塔といえば「開かれた王城」の中でも数少ない「閉ざされた場所」で、中は城に出入りする魔法師たちの研究施設になっている。
「六階」
「は、」
私が立ち止まっても、リーヴは止まらなかった。
「――私の部屋?」
逆転する立ち居地。離れていく背中。
「お前が厳重に守りの魔法をかけていたから、丁度よかったんだろう」
「……ちょっと待って。リーヴが探してるのって、まさか――」
まさかと、うわごとのように繰り返して私はリーヴの腕を掴む。
「リーヴ、貴方は何を探しているの」
ぐるぐると頭の中で奇妙な感覚が渦を巻いていた。心臓が怖ろしいほど速いスピードで鼓動を刻んでいる。――指先が、冷たい。
「……」
「リーヴ、答えて。どうして何も教えてくれないの」
「…知る必要がないからだ」
「私はっ」
「傀儡は傀儡らしく、していろ」
震える指先を払って、背を向ける。
「……て、ないで」
それがどんなに残酷なことであるか、私は知っていた。
「――さぁおいで、僕の所へ」
指先に絡みつくルーンを引き寄せ、口付けて、囁く。周囲を取り巻いていた帯状の魔法陣が漸く発動にたる力を与えられ、歓喜に躍った。
「光はここにあるよ」
放たれる光は眩いばかりの金色[コンジキ]。同色の髪を揺らし、同色の瞳を輝かせ、アースガルズの片隅で、ロキは笑った。
「僕が与えてあげるから、」
無邪気そうに差し出される手は、招く。
「僕の所へおいで」
打ち捨てられた枝を。
西塔六階。暁羽と共に幾度となくくぐってきた扉は姿こそ違えど、私を私と認めて大人しく道を開けた。音もなく開いた扉はやはり音もなく閉じ、施錠されると部屋の中に漂う魔力ともつかない気配が揺れる。
「――何者だ」
その微かな変化を、人は見過ごした。
「答える義理はないな」
「…他人の部屋に勝手に入っておいて、その言い草はないでしょう」
けれど人につき従う精霊の眷属は、ともすれば私よりも感覚に優れている。故にいち早く私の存在に気付き声を上げた地狼に、遅れて、人の子も警戒の色を露にした。
「勝手に?」
煩わしいことこの上ない。人など皆、寄りかかるものがなくては一人で立つこともままならない脆弱な存在であるのに。
「それは、違うな」
嗚呼、いっそのこと全て壊してしまおうか。そうすればもう煩わされることもない。暁羽に対してもそうしたように、ただ少し、この腕を揮うだけでそれは叶う。
「暁羽の許しを得ずこの部屋に足を踏み入れたのは、お前達の方だ」
なのに何故それが出来ない。簡単なことだ。暁羽にさえできたことを何の関わりもない人間と地狼相手に出来ないはずがない。
「失せろ」
出来る、はずだ。
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