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「誇りに思え」

 もしもそう、私がどこにでもいる平凡な人間だったとしたら、どうだろう。

「お前はこの国の礎となるのだ」

 私は幼くして世界に絶望することも、実の兄が父をその手にかける瞬間を目にすることもなく、ただ平凡に生涯を終えることができただろうか。

「はい、父さま」

 それとも、結末は変えられなかったのだろうか。





 描かれた魔法陣の中央に立つ。父さまの詠唱が狭い地下室の空気を絶え間なく揺らした。歓喜に満ち溢れた声。

「――ポルタメント」

 父から娘へ、別れの言葉はなかった。上辺だけでもなにか一言あれば、私は最期に全てを許せたかもしれなかったのに。

(さようなら、)

 貴方から貰えない言葉を私から与えるのはどこかおかしいような気がして、心の中でだけ別れを告げて、私は私を誘う力の流れに身を任せた。術者と同じ、綻びだらけの魔導は酷く不安定で、ああこれは失敗するなと、私はどこか他人事のように考える。


「――愚かな、ことだ」


 もしもそう、私がどこにでもいる平凡な人間だったとしたら、どうだろう。

「喰われているぞ、お前」

 私は幼くして世界に絶望することも、実の兄が父をその手にかける瞬間を目にすることもなく、ただ平凡に生涯を終えることができただろうか。

「お前が私の所有物だとも知らずに」

 彼と出逢うことも、彼と共に生きることもなく、ただただ、生きて、

「愚かなことだ」
「っ…」





 一生を、終える?





「『私と共に来るか? 人の子よ』」

 幼心に響いた言葉も、視線が手元の本へと注がれていては台無しだ。

「…それ、実体?」

 窓際においた読書用のソファーに陣取るリーヴの長い銀色の髪が、太陽の光を受けてきらきらと煌く。

「本体だ」
「それってまずいんじゃ…」

 どれくらいぶりだろう、彼が彼として私の前に姿を現したのは。

「問題ない」

 リーヴがミズガルズにいるためには沢山の制約がある。それはもう、沢山。だから黒猫がいて、本当に必要なときは私の体を貸す。それが一番簡単でリーヴにも負担が少ない方法。

「なくはないでしょ」

 なのになんで今更、リーヴはこちら側に来たのだろうか。

「…『そうすることが許されるのなら』、」
「……」
「どれほど制約があろうと関係ない」

 彼の考えることはいつまでたってもわからない。





「リーヴがそれでいいなら、いいけどね」
「ならこの話は終わりだ」
「えぇ」

 窓の外には明るい世界が広がっていた。

「それはそうと…いつまで寝ている気だ?」

 スコルに追い立てられ空を駆ける太陽は遠く、だがヨトォンヘイムにいては決して目のあたりにすることは出来なかっただろう。太陽の運行を司る女神ソールの歌声が、今にも聞こえてきそうだ。

「あと少し」
「喰われていると言っただろう」

 私には眩しすぎる。

「夢魔でしょ? 殺してくれたんじゃないの?」

 当然のように言う暁羽に他意はなかった。だからこそ微かな苛立ちが募り、私は眉間に皺を寄せる。

「出来るものならお前を二度も喰われたりはしない」
「…二度?」

 飛び起きる、とまではいかないものの、上体を起こし漸く起きる素振を見せた暁羽の表情はさえなかった。当然だ。一度ならず二度までも夢魔による侵入を許しているという事実は、私にとっても認めがたい。

「状況の深刻さを察したのなら仕度を」

 けれど認めなければならなかった。










「――嗚呼、なんてザマなの」

 一人の少女がさも悲劇じみた声を上げると、彼女を取り巻いていた複数の気配がそれに応じる。

「繋がれたネズミ一匹捕まえられないなんて」

 ガシャリと、鎖同士の擦れ合う音に少女は大きく頭を振った。嗚呼なんてこと。――繰り返す言葉には呪詛さえ宿る。

「嗚呼、情けない」

 ガシャリ、ガシャリ。耳障りな音の響く部屋で少女は大きく頭を振った。
 跪く黒衣の男が屈辱に整った容貌を歪め、二人を取り巻く気配が男を嘲笑する。

「私が出向かなければならないというの」
「我が君、」
「私が出向かなければ、お前は剣一つまともに手に入れられないというの!?」

 ガシャンッ。

「……」
「嗚呼、なんて情けない」

 ガシャリ。

「私が言ってることはそんなに難しいことかしら」

 ガシャリ、ガシャリ。

「私はただ、あの剣が欲しいだけなのに」

 黒衣の男をそっと、覆いかぶさるように抱きしめ、少女を嘆くように囁いた。

「私は欲しいのよ。あの――」

 男は、首肯する。

「〝災いの枝[レーヴァテイン]〟」

 そしてその存在を、部屋を包む闇に溶かした。

「必ずや、かの剣を貴女様の手に」

 ガシャリ。

「約束よ」

 少女は喜劇じみて笑った。

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