「陛下?」
はたと視線を窓の外へ投げたカールに、エイリークは何事かと無言の内に問う。カールはエイリークの視線に気付きながらも、窓の外へと向けた注意を逸らすことはしなかった。
「…っ」
そして気付く。
「なに…?」
次いで彼の視線を追っていたエイリークも、大気を伝う微かな魔力の波動に気付いた。けれどその魔力が明確に〝何〟であるかまでは掴めずに、そっと息を潜める。
カールが弾かれるように席を立ったのは、その直後だった。
「エリー、ここ頼むよ!」
「えっ!?」
閉めきられた資料室を吹き抜ける風とともにカールは姿を消し、不意打ちを食らったエイリークは完全に出遅れる。
「――なんだって言うのよ、もうっ」
魔力は既に、王都のすぐそこにまで迫っていた。
「本当に、君って人は…」
呆れとも、感嘆ともつかない息を吐きながらカールは微笑した。次元の狭間から取り出した魔鏡は、魔力を注いでもいないのに力を帯びカタカタと小刻みに震えている。
「僕は確かに帰っておいでと言ったけどね、」
共鳴、しているのだ。
「これはちょっとやりすぎじゃないかな」
パリンと、魔鏡の割れる澄んだ音が光差す庭に落ちる。流れ込む力の大きさに耐えられず砕けた鏡は光の粒子となって、周囲を高い壁に囲まれる中庭に満ちた。己に与えられた最後の役割が何であるかを魔鏡が理解しているのだと気付き、カールは笑みを深める。
カールの知る世界と異世界との狭間を駆け抜けた魔力の塊は、その強大さに似合わず夜の静寂を乱さぬよう、静かに顕現した。
「おかえり、僕の――」
カールははっと口を噤む。それは本当に咄嗟の判断で、彼自身己がそうした理由に気付いたのは、見知った少女の瞳に静寂を見てからだった。
「……君か、」
カールもよく知る、彼の最も信頼する騎士の姿をした〝黒猫〟は、己の他に三つの存在を無事――全員が気を失ってはいたが――運び終えたことを確認すると、口元を笑みの形に歪めただけの、歪で、冷やかな笑みを浮かべる。
「これで満足か?」
カールを正面から見据えながらも、〝黒猫〟の瞳はカールを映してはいなかった。
カールは、その瞳に唯一映し出されることを許された存在を知っている。
「…なら私は戻ろう」
一度眠た気に瞬いて、〝黒猫〟は肉体を手放した。足元をふらつかせた少女を支えるために伸ばしたカールの手は――ぱしり――、少女の意思によって払われる。
「エルフは無事連れ帰りました。大仕事だったんですから、暫くは休みを下さいね」
有無を言わせぬ口調で告げると、暁羽はカールなど眼中にないとでも言うようにその場を後にした。残されたカールは払われた手をもう片方の手で覆い、深く息を吐く。
「君は――」
光差す庭の魔法は、いつの間にか解けていた。
「まぁたあっちに行ってたんだー?」
意識を取り戻すなり飛び込んできた甲高い声に、それでもなく悪かった機嫌が更に悪化する。
「それがどうした」
殺気すら混じる言葉とともに周囲を囲っていた障壁を解くと、その外側で足踏みしていた同族――グレイプ――が、嬉々として境界の内側へ足を踏み入れた。
「こっまるんだよねぇ、あんたにちょくちょくこっち空けられちゃ」
ちょこまかと周囲を跳ね回るグレイプの存在を疎ましく思いながらも、私は意識の大半をミズガルズの〝黒猫〟へと向けている。
だからだろうか、
「王様は王様らしく、どーんと、王座で威張りくさってなきゃ」
背中から胸にかけてを、文字通り灼熱の炎が貫いた。鮮やかに赤いその炎を、私は知っている。
「俺が代わってやろうか」
ぐらりと体が傾いて、私と私のマナを貫いた炎の刃が消失した。
「ばいばーい」
ひらひらとぞんざいに手を振るグレイプは、知らない。
「ウトガルド・ロキは死んだ!」
高らかに宣言したグレイプは、かつて王であった者の屍を前に笑った。比類ない力持ち永らくこの世界を支配していたウトガルド・ロキは死んだ。己が殺したのだと、その力を誇示するように二度と動くことない屍を踏みつける。
「これで俺が王だ! 誰にも文句なんて言わせない。王は俺だ! こいつじゃない!」
そんな彼を、ヨトォンヘイムに住まう誰もが冷やかに嘲笑していた。
「――黒猫?」
ついさっきまでそこにいたはずの存在が消える。一人と一匹分の足音は一人分の足音になって、私が立ち止まると、暗い小路に名ばかりの静寂が落ちた。
「っ」
次いで、焼け付くような心臓の痛みに苛まれる。咄嗟に握り締めた胸元で外套が不自然に歪んだ。これ以上の痛みを避けるため強張る体。不快さに顔を顰めることすらできず苛立つ私。その苛立ちを表現することも叶わず、この上ない悪循環。
詰めていた息を探り探り吐き出す。哀しいかな、人間である限り呼吸は必要だ。――それがどんなに痛みを伴う行為だとしても。
「……?」
けれど恐れていた苦痛が訪れることはなく、胸の痛みもいつの間にか引いていた。なんだったんだと独りごちて、黒猫の不在をここが王都であることを理由に切り捨てる。
誰かさんが――こちらから助けを求めたとはいえ――好き放題やってくれたおかげで、失った魔力を取り戻そうと体が睡眠を欲していた。部屋は目前。辿りつきさえすればこの際床でも構わないから早く眠ってしまいたい。
落ちたきり上がらなくなりそうになる瞼をなんとか持ち上げて、扉にかけた魔法錠を解くと、力尽きた体は本当にそのまま部屋へと雪崩れ込んで動かなくなった。扉が閉じると同時にかかる鍵の音を聞きながら、私は意識を手放す。
「――――」
冷たい手の平が頬を撫でたような気がした。
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