「本当にお嬢様へお見せするんですか?」
「うん。だってイツキちゃん宛だからね、それ」
「怒られても知りませんよ」
「君は大丈夫でしょ」
「…それもそうですね」
(おみあいするよ!)
---
「――なぁに? それ」
話を切り出す前に内容がバレていることを悟って、天谷は素直に観念した。
「申し訳ありません」
「私はそれが何なのかを聞いてるんだけど?」
心からの謝罪はバッサリ切り捨てられる。
嗚呼匠め覚えていろよと、天谷は内心毒づいた。
(わたしもだいじょうぶじゃない!!)
---
「――なに、それ」
「お見合い写真」
「見合い? 誰の」
「恭弥のじゃないから私のでしょ」
「……」
「私もお年頃ってやつだからね。むしろ立場的に、今までこういう話がなかったことの方が不思議。…まぁ、匠か天谷あたりで止まってたんだろうけど」
「それで?」
「…それで?」
「受けるの、それ。君の手元にあるってことはあの人達の所で止められなかったんだろ」
「考え中ー」
「ふぅん…」
(しんぱい?)
---
「アリス、この写真の人間始末しておいて。証拠は残さず速やかに、事故で」
「…誰?」
「私の見合い相手」
「お前には見合い申し込むのも命がけか」
「やり方が強引なのよ。あと顔が好みじゃない」
「顔…」
(そのきはまったくありもしない)
---
「どこいくの」
「お見合い」
「…受けたんだ」
「一応ね。でもすぐ終わるから、もしよかったら外で待ち合わせて一緒にご飯食べない?」
「いいけど」
「うん、じゃあまた後でね。いってきます」
「いってらっしゃい」
(くるはずのないあいてとみあい)
---
「いくらなんでも早すぎない?」
「相手が来る途中で事故にあったらしくて、ドタキャンよ」
「ふぅん…」
「何食べたい?」
「中華」
「いいわね」
(いつもこんなん)
---
「……――恭弥、」
「なに」
「結婚しない?」
「別にいいけど」
「よしっ」
「じゃあ私ちょっと根回ししてくる」
「いってらっしゃい」
「いってきます」
「…いやに軽いプロポーズですね」
「……あぁ、そういうことになるのか」
「って、気付いてなかったんですか?」
(どうせしごとのつごうかと)
---
「イツキちゃん、イツキちゃん」
とってとってと近付いてくる足音を聞いて、天谷はどこかへ行ってしまった。多分お茶くみだろうけど。ただ単に匠と顔を合わせたくなかっただけかもしれない。
「お見合いする?」
「……は?」
もしくは匠の持ってくる話について予め知っていたか、だ。
「――誰が、何をするって?」
そういう話はせめて恭弥のいないところでしてくれればいいのに。
「あ、ごめんね恭弥君。昼寝の邪魔しちゃったかな」
「分かってるならさっさと回れ右して戻りなよ」
「嫌だなぁ今来たばっかりなのに」
今にも武器を取り出しそうな恭弥は体感温度が下がるほどの殺気をばらまいているのに、そんなの匠はどこ吹く風。涼しい顔で適当に腰を下ろして、懐から取り出した写真をばらりと畳に広げた。
「どれがいい?」
「どれって…」
枚数が多くて全て広がりきってない。ざっと見、三十枚以上は確実にあるだろうか。
「しないわよ、見合いだなんて」
「あ、やっぱり? そう言うと思った」
「大体なんなのよその数…」
「だってほら、イツキちゃんはうちの跡取り娘だから」
「じゃあそれ全部関係者なの?」
「まぁ一般人ではないとだけ言っておくよ」
「私に見合いさせたいなら、私より強くて恭弥より美形な男見つけてきて」
「贅沢だね」
「どこが」
(よりどりみどりもきょうみなし)
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人間とは何だ? ――それは私にとって、人の形をした私以外の全て。
では化物とは? ――それは私のとって、私そのもの。
私は人外の化物。よって私は隔絶される。人の世とは私にとって、常に薄い皮膜越しに存在する手の届かない世界だ。私の存在と人の世は、水と油のようにけして混ざりはしない。
けれど「不可能」という言葉を私は好まない。限りの無い命と人ならざる力を持つこの私に限って、可能ならざる事があるだろうか。
考えるまでもなく、そんなものありはしない。
そして私は術を見つけた。やはり私は人の世に混ざる事が出来る。そう、この私に限って望んで成しえない事などありはしないのだ。私は関わる事が出来る。不可能などありはしない。
この身より人に近く、だがけして人ではない。私と人の間に立つ事の出来る「人ならざる人」さえいれば、私は関わる事が出来る。何故ならそれは私であると同時に脆弱な人でもあるのだから。関われてしまう。何故ならそれは脆弱な人であると同時に私なのだから!
さぁ、はじめようじゃないか。
(六道の魔女/霧。介するもの)
----
どうすればいいのかは理解していた。簡単な事だ。力を見せつけ甘く囁いてやればいい。
人ならざる力が欲しかろう。その媒介たる目をやろう。代わりにいらなくなった目をおくれ。なるべく綺麗な目が欲しい。他に望みはしないから。残った赤目に合うような、綺麗な色の目が欲しい。それが対価。等価であるかは関係ない。私は綺麗な目が欲しい。
嘘は真の皮を被り鼻の利かない愚者の目を欺く。せめて耳さえ澄ましていれば歓喜と悦楽の違いくらい聞き分けられただろうに。
「――魔女は死んだ!」
愚かな人め。
私が手ずから抉り出した右目は青い目の子供に移植された。赤と青。ルビーとサファイア。対照的なその取り合わせを、私は一目で気に入った。だから少し、ズルをした。子供の体に容赦なく流れ込むはずの記憶と力に制限をかけ、元々平等で等価な両目に優劣をつけた。子供の未熟な精神が壊れてしまう事のないように。折角手に入れた宝石を、濁らせてしまう事がないように。
私は少し、ズルをした。
「力を手に入れた気分はどうだい? 少年」
初めから大切な右目を他にくれてやる気はなかった。だから私は散歩するような気軽さで少年の夢を訪れる。現実と同じ殺風景な夢の中。膝を抱え座り込んでいた私の《右目[デクストラ]》は、私を見るなりこう言った。
「――シニストラ」
嗚呼、なんと愉快な事だろう。私の事を《左目[シニストラ]》と呼ぶなんて!
「あぁ、そうとも。私が君の左目だ、デクストラ。話が早くてとても助かるよ。なにせ私は口下手だからね。一から説明するのは酷く億劫だと思っていたんだ」
笑う私に《右目》は無表情を張り付けた顔を向け手を伸ばしてくる。はてと首を傾げながらも私はその手を取った。――だって私はシニストラなのだから!
「口下手と言う割に、よく喋る」
「不必要な言葉を連ねてしまうから口下手なんだよ。だからその分君は言葉を選ばなければいけないよ、デクストラ。せめて君くらい口上手でないと私が面倒臭いからね」
「…そうですね」
だから君の考える事は何だってお見通しだよ、デクストラ。力が欲しいのだね。復讐してやりたいのだね。滅茶苦茶に壊してしまいたいのだね。――ならば何故即座にそうしないのだい。君はもう私のデクストラなのに!
「あぁでも、煩いのは嫌いかい? デクストラ。ならば私は口を噤もう。君が望むのなら目を閉じ耳を塞いだっていい。なにせ私は君のシニストラだからね。君の嫌がる事はしないさ」
「何故?」
「何故? 何故と聞くのかい、デクストラ。私が君をこちら側へ引きずり込んだのに。分かっているのかい? デクストラ。私は君の身に降りかかる不幸の一端を担う魔女なのだよ」
呪われた《魔女[ウェネーフィカ]》の力を持つ者がその意思のままに力を揮わないだなんて不幸、私は耐えられないのだよ、デクストラ。
「僕に恨めと?」
「選択するのは私ではなく常に君でなければならないのだよ、デクストラ。私は魔女であって人ではない。よって人の世に直接関わることは出来ず、唯一君が言葉にした願いを叶えるためだけに干渉を許される。だから恨むも許すも、君が考えた上で選択しなければならない」
君はただただ願えばいい。
「さぁ、思いを言葉にして願ってごらんよ、デクストラ。君は私にどうして欲しい?」
「――…そばに、」
「それを君が望むなら、未来永劫。何度命が廻ろうと」
それこそ《魔女》の《右目》に相応しい所業だ。
「この左目にかけて誓おうじゃないか」
(魔女の眼球/霧。契約)
失えば生きていけないだろうと思っていた。けれど実際そんなことはなくて、私は恭弥を失った今もなおのうのうと生きている。生きて、みっともなく足掻こうとしている。
だって未来は変えられるから。
(わたしがかえる)
----
「雲雀君は面白いものを手に入れたそうですね」
「…面白いもの?」
「おや、御存知ありませんか?」
「勿体つけないで教えて」
クフクフ笑う骸にいつも通り構うのが面倒な程には疲れている。けれどその理由がいつもの体調不良だと、分かっているらしい骸はお構いなしだ。「せっかちですね」とまた笑い、気遣いもなく話を進める。
「聞いたことはありませんか? 呪われた匣について」
それが正しい対応だ。
「……――あぁ、使用者が次々に死んでるっていう? それを恭弥が手に入れたの?」
「えぇ」
「ふぅん…」
「反応薄いですね」
「正直興味ない」
「まったくあなたときたら…」
「なによ」
「そのうち足元すくわれますよ」
「ないない」
(だるだる)
恭弥の振りをするくらいなら服装と私の意識でどうにでもなる。ネクタイを締めてベストを着込み、指輪を持ったら準備は万端。
「じゃあちょっと行ってくるから」
「うん」
「行ってきます」
試しで嵌めたボンゴレリングは想像よりも指に馴染んだ。
(おでかけいつき)
---
「雲雀、イツキはどうした」
「…さぁ? そのうち来るんじゃない」
(きづかれない)
---
前触れのない痛みと同時に血が沸騰するよう熱が上がる。心臓が脈打つごとにその熱は体を巡った。死に至る毒。けれど即死さえしなければどうにでも。
(ふつうむり)
---
動けばその分毒の巡りも早い。だからといって大人しくしているという選択肢は端からなくて、振り上げ振り下ろしたトンファーはガツリとポールを歪ませた。その上から更に蹴りつけて、支柱の支えをまず一本。同じ作業を繰り返して、最後にメインポールを蹴りつける。完全に倒すまでもなく、いくらか傾いたところで指輪は落ちてきた。
リストバンドに嵌め込んだらまたちくりと痛みが走って、ゆるゆると熱が下がっていく。まともに動けるようになるまでそうかからなかった。
「……」
さぁ、次だ。
(いちばんあぶないのがじゆうのみ)
---
張り巡らせた警戒に引っかかるものがあると、体が頭の命令を無視して動く。けれど一瞬遅くて、切り裂かれた皮膚は真っ赤な悲鳴を撒き散らした。
(VSおうじ)
---
「……」
切れた。
「ばっかじゃねーの」
「……――」
飛んでくるナイフを目前に勢い良く踏み切った体は宙を舞う。重力を半ば無視したような動き。ベルフェゴールの真後ろへ落ちるよう着地して、ギミックを作動させたトンファーで周囲のナイフを薙ぎ払う。
「げ…」
「誰が馬鹿だって?」
さぁ、落ちな。
(おうじしぼうるーと)
---
「ラッキー」
急な変化に体がついていかなかったんだとすぐに分かった。それなりに強い毒を打たれたと分かっていたのに無茶をした。今だって。
「ししっ。――死ねよ」
膝を突いた体は歯痒いほどに言うことを聞かない。放たれたナイフを見て飛び退かなくてはいけないと分かっているのに体が追いついてこない。
くそっ。
「誰に言ってるんだい?」
ぱっ、と手放したトンファーが地面に落ちるより早く。まくり上げたシャツの下から引っ張り出した銃の引き金を引いた。
(おくのてはつかわないほうがかっこいいでしょ?)
---
「……」
くらくらするなと、ぱたぱた落ちていく血を見ながらぼんやり考える。
止血止血。
引き裂いた裾を巻きつけて取り敢えずの応急処置。もう流れた分は仕方ないとして、これ以上はさすがに寒気がしそうだ。あぁこれは怒られるなぁと、頬の血を袖口でぺたぺた拭う。
まぁ、それについては後で考えるとして。
(つぎいこ)
---
ポールが視界に入った瞬間たっ、と駆け出す。故意的に作られた瓦礫を足場に跳んで、そう広くもないポールの上に着地。
「――ねぇ、」
拾い上げた指輪を気安く放る。
(たおすのはめんどかった)
---
「なぁ、あんた雲雀の姉ちゃんのほうだよな?」
「…喧嘩売ってるのかな」
「いや、ちげーって!」
「いいのかい? もし僕がそれを肯定すれば君たちは失格になると思うけど」
「…それもそーっすね」
(てんねんこわい)
---
「……」
「大丈夫。悟られるようなヘマはしませんよ」
「…何の用?」
「あなたの雲雀恭弥振りが素晴らしかったので、一つ助言を」
「…聞きましょう?」
「あなたの幻覚能力はそのほとんどが内向きに作用しています。六道眼の力を抜きにしても強力な力だ」
(だからこそ、)
---
呼びつけるようなエンジン音にどきりとした。あちゃーと内心肩を竦め、だからといって逃げられるはずもない。
(もう飽きたんじゃ…?)
大人しく待ってくれているうちに行かないと後が大変だ。
(けがしてるきがした)
---
「君にしては派手にやられたね」
「…そう?」
「さっさと乗りなよ。わざわざ迎えに来てあげたんだ」
「でも私血だらけ…」
「それが何」
「……もう…」
(どうせあらうのはきみ)
---
「随分綺麗に切れてるね」
「だとしても接着剤はやめてね」
「するわけないだろ」
「――ひゃっ!」
「うるさい」
「ちょっ、舐めるなら舐めるって言ってよ心の準備するから!」
「キスするよ」
「!!」
「――…あまい、」
「普通に血の味だったけど…」
「甘いよ。胸焼けしそうだ」
「じゃあもういいでしょ? いい加減シャワー浴びてさっぱりしたいんだけど」
「その怪我で?」
「う…」
「君に自虐趣味があるなんて知らなかったな」
「そんな風に言わなくったって…」
「イツキ」
「……なによ…」
「今度から顔は避けなよ」
「…嫌?」
「目障り」
「わかった」
「…ちょっと、なんでそこで笑うのさ」
(おんなのこだからね)
----
和室に本棚を置くと畳が傷むだろうとか、そんな理由。
人目を憚るようなものばかり押し込められた屋敷の地下に書庫があるのは、別に見つかるとまずい文献ばかり並べられているからじゃない。
その手のものは資料室だ。
「――姉さん」
ぱらりぱらりと、流し読んでいた本から顔を上げる。
作られた当初こそ「図書室」なんて呼ばれ方をされていた部屋は今、内状を知っている誰からもそうは呼ばれていない。
「なに?」
まぁ確かに、そんな可愛らしい蔵書量ではないけど。
「なに、じゃないよ。僕と手合わせしてくれる約束だったろ」
「…もうそんな時間?」
「あと二分で遅刻」
「あちゃー…」
これ見よがしに時計をぶら下げた恭弥はくつりとさもおかしそうに笑った。
「まぁ、こんなことだろうとおもったけどね」
(あねにあまい)
---
「ごめんね?」
「別に怒ってないよ。それに、時間にはちゃんと一緒にいた」
「…そういう問題?」
「そういう問題だよ」
(へりくつでもりくつ)
---
「イツキ」
「…はい?」
「ソファーの脇に本積むのやめなよ。邪魔」
「駄目…?」
「駄目」
「わかりました…」
(せちがらいげんじつ)
「何から話しましょうか」
「あなた、どこまでわかってやってるの?」
「どこまで、とは?」
「…腹の探り合いをするつもりなら帰るわよ。面倒臭い」
「せっかちですね」
「わかりやすいのが好きなの」
「そうですね…」
「どこまで、という表現は正しくありません。僕はその時々、抗い難い力に従って行動しているだけですから」
「抗い難い力?」
「彼女は自分が抱える闇に無関心で、それがどれほど自分を歪めているか気付いてもいなかった」
「初めはそれでよかったんです。彼女は歪むことでようやく自己を保てているような人でしたし。その歪みも含めて魔女でしたから」
「彼女の誤算は、その闇――狂気、とも言えますが――を自分の中にだけ留めておけると思ったことです」
「二つで一つの眼を分け合った僕たちが、そう都合よく他人でいられるはずないんですけどね」
「まぁそんなわけで、彼女の闇は僕にも伝染しました。その闇は彼女が危惧していた通り僕の精神を引っ掻き回そうとしましたが、――これも彼女の誤算の一つです――同時に六道輪廻を廻った彼女の持つ膨大な記憶という名の情報をももたらしました。その中で僕は、その闇を上手くいけば無力化出来る方法を知ったんです」
「ボンゴレの…」
「えぇ。ですがそれだけなら、他に遣り様はいくらでもありました。知っての通り僕はチートな力を持っていますから」
「そうね。じゃあ何であんなまどろっこしい方法で、しかも今は囚われの身なの?」
「僕は元々デクストラ――左目、という意味ですが――と呼ばれていて、その呼び名を気に入ってもいました。ですがある日、気付いたんです。これからは六道骸でなければいけないと。――なぜなら、」
「それを彼女が望んでいたから」
「……――嗚呼、そういうことなの」
「とんだお笑い種ね」
「結局、変えることだって怖かったんじゃない」
「でも、抗えたんでしょう?」
「おそらくは。ですが抗おうとは思いませんでしたね。彼女が姿を消したのが丁度その頃だったんです。唯一と言っていい手がかりをみすみす捨てる気にはなれませんでした」
「そう」
「沢田綱吉の手によって六道眼に由来する闇を浄化され、当初の目的を果たしたあなたがまだ六道骸でありつづけているのも、同じ理由?」
「だからこうしてあなたと話しているんですよ」
「それで? あなたは私にどうして欲しいの」
「言ったでしょう」
「現状維持、ですよ。あなたにとっても悪い話ではないはずだ」
「あなたはそれでいいの?」
「僕の力はどうやっても彼女のそれを上回ることはありません。本気で逃げられたら見つけようがないんです。ですが現状が維持される限り、少なくとも側にいることは出来る」
「満足、とまでは言いませんが…充分です」
「殊勝だとこ」
「あなたにも覚えがあるのでは?」
「…えぇ、そうね」
「あなたの話なんて聞くんじゃなかった」
「それは了承ととりますよ?」
「少なくとも理由もなく放り出すつもりは端からないわ」
「ならいいんです。その眼があなたの利になることはあっても、害になることはないでしょうから」
「せいぜいそう祈ってることね」
がつりと打ち付けた頭に一瞬意識が飛びかける。打ち所が悪いと、根拠もない確信が次の行動を急かしながら邪魔していた。
立ち上がれ。まだ動くな。反撃を。安静に。戦え。もうやめろ。――報復を!
「――……、」
痛む頭の中で思考が錯綜したのは刹那。結論を待たずに動き出した体が何より正直で、何もかもをねじ伏せるまでに結局二分もかからなかった。
終わってみればどうして一撃くらってしまったのか分からないほど呆気無い。
「 」
「…何か言った?」
だけどその代償は大きかった。
(なにもきこえない)
----
「匣の研究したいから出資して」
「…うちのラボでやれば?」
(唐突ブラザー)
----
藤堂の家に来てからある程度制限されていた行動範囲を広げる条件として匠は私たちに見張りを付けた。どこで何をしてもいい代わりに必ず天谷を側に置くこと。お世話係だと言われた女性がけしてそのためだけにいる人でないことは明白だった。ただそれが恭弥にとって悪いものでなければ私に不満はないし、そもそも天谷のことは決定事項で、その判断に私たちの意思が介在する余地はない。
(護衛>世話)
----
「匠様」
「なんだい?」
「お嬢様なのですが…」
「イツキちゃん?」
「どういう育ち方をしたらあんな野生動物になるんですか」
「何かあったの?」
「人の気配に対して過敏にも程がありますよ。二つ隣の部屋にいる私に気付くってどういうことですか」
「それは凄いね」
「喜ばないでください。あと、その関係でお二人の部屋を移したいのですが…」
「あぁ、うん。そうだね。移したほうがいい。好きな部屋使っていいよ」
「ありがとうございます」
(護衛=殺し屋)
----
「あまやさん」
「はい?」
「ありがとう」
「…なんのことでしょう?」
「いいたかっただけ」
(平仮名しゃべり可愛くないか)
----
一口含んで咄嗟に手が伸びた。恭弥が持っていたコップを叩き落として、けほりと飲み込みそうになった「お茶」を吐き出す。
「おねえちゃん?」
それでも口に入ってしまったものはどうしようもなくて、体が一気に熱を持つのが分かった。
激しくむせ込む音を異常と聞きつけ戻ってきた天谷の顔が青褪める。
「お嬢様!!」
(どくもられた)
----
「毒が効かないってどんな五歳児!?」
「――毒?」
「あ……――申し訳ありません、報告します」
「そうしてくれるかな」
(犯人≠天谷)
----
「…大丈夫」
「そんなわけ…っ」
「本当に大丈夫よ。騒がないで。恭弥が心配する」
「お嬢様…」
「体に害があるほど飲んでないから」
(よくあること)
----
人を殺すために育てられた私に匠は人を守れと言う。それも小さな子供を。
殺すことならたやすいだろう。私はそういうものなのだ。けれど生かすことは難しい。簡単であるはずがない。
(こわしてしまいそうでいやなんだ)
----
天谷の気配は読みづらい。それでも部屋に入ってくれば分かるから、必然眠っていた私の目も覚める。
「申し訳ありません…」
「……」
恭弥と二人。畳でごろ寝する私たちの上にタオルケットを広げて、天谷は本当に申し訳なさそうに目尻を下げた。
せっかく寝た振りをしたままやり過ごしてあげようと思ってたのに。
「…あやまらなくてもいいのに」
軽く体を起こして枕代わりにしたクッションの形を直しながら更に恭弥の方へ身を寄せて、また横になる。
ふわりと肩までかけられたタオルケットからは温かい匂いがした。
「隣の部屋にいますから、何かあれば呼んでくださいね」
「うん」
(姉は慣れた)
----
「雲雀君のそれは癖ですか?」
「…恭弥がなに?」
「イツキよりも先に料理に手をつけない」
「…あぁ、そのこと」
「まあ、癖と言えば癖なんでしょうね」
「あなたが毒見を?」
「そういうことが月に一度はあるような家にいたし、私なら少しくらい口に入れても平気だから」
(普通に一緒に飯食ってる骸)
----
「恭弥、それ食べちゃ駄目」
「なに、また?」
「これきっつい……何の毒だろ…」
「ねぇ、早くそっち食べてよ」
「まだ舌痺れてるのに…」
(慣れた弟容赦無い)
----
「天谷、天谷。それを私に頂戴な」
差し出されたのは子供の手。その瓶を渡せと乞うてくる。いつになく年相応の笑みを浮かべたイツキに天谷は戦慄した。つい数時間前まで見知らぬ誰かの悪意によって苦しめられていたとは思えないその笑顔はあまりに完璧でいて、――無邪気すぎる。
「ありがとう」
「っ!」
手に入れたばかりの「瓶」をみすみす渡してしまったことに気付いたのはイツキにくるりと背を向けられてから。愕然としながら天谷は足取り軽く駆けていくイツキを見送りかけて、はっと我に返りその後を追った。
「お嬢様!?」
(証拠持ち逃げ)
----
「――お前だ!!」
どこにそんな力があったのか、女とはいえ成人した大人一人引き倒して馬乗りになったイツキは、天谷が止める間もなく瓶の蓋を開け中身を女の顔へぶちまけた。
(暴挙)
----
「同じことがあれば私は何度だって同じことをするわ。だって、そうでしょう? 許せるはずなんてないじゃない。――あの女は恭弥を殺そうとした!!」
「分かってるつもりだったけど、改めて見せつけられると凄まじいね」
「申し訳ありません。私がついていながら…」
「別に謝ることはないよ。元々こうするつもりだったし。たまたまそれが今日で、たまたま手を下したのがイツキちゃんだったってだけ」
「しかし…」
「イツキちゃんがそういう子だって、知ってて引き取ったんだ。――将来が楽しみでいいじゃない」
(小さくなっても頭脳は同じ+証拠=処刑。ただし推理=本能)
----
「姉さん」
「…なぁに? 恭弥」
「自分のせいだと思ってる?」
「…思ってない」
「そう。なら、いいよ」
「つらく、ない?」
「姉さんの方がつらそうな顔してる」
「そんなこと…」
「あるよ」
(弟だと寝込む)
----
「恭弥君の呼び方はさ、なんていうか「僕のお姉ちゃん!」って感じでいいよね」
「…なにそれ」
(また馬鹿なこと言い出した)
「おや、こんな所で奇遇ですね雲雀君」
「……」
窓の外に体ごと顔を向け頬杖をついた体勢のまま一瞬で目まぐるしく思考を巡らせ、結局恭弥は振り返りもせずテーブルに突っ伏した。
「バテてますねぇ」
断りもなく向かいの席へ座る骸へ制裁を加えることは疎か言葉を交わすことすら億劫で、出来ることならこのまま眠り込んでしまいたいとすら思っている。
夏バテだ。
「イイ男が台無しですよ」
「……るさぃ…」
ようやくそれだけ絞り出して、テーブルの上で組んだ腕へ顔を押し付ける。そんな恭弥の様子に苦笑を一つ。「これは重症ですね」と、骸は運ばれてきたパフェに意識を移した。
「実は僕も少しバテ気味なんです」
それでも喋ることをやめないのはただの暇潰しだ。恭弥に存在を忘れられないためという意味合いもある。
「まったく嫌になりますよ日本の暑さは。知ってます? 今日の不快指数は午後二時現在92%もあるそうですよ」
勿論食べながら話す、という行為は骸自身好ましく思わないので言葉は途切れがちになるが、元々相槌さえ期待してはいないのだ。恭弥だって気にしてはいないだろう、と。
「さっきそこでイツキにあったんですけどね? 理屈は分かりますが今日のような日にあの涼しい顔を見ると本当に人間か疑いたくなりますよ。なんなんでしょうね彼女。アリスでさえこの暑さに参って姿を見せないのに」
君、彼女と暮らしていて殺意が湧きません? ――最後の一口を飲み下して、手放したスプーンがカランと音を立てる。その音を聞きつけたからかどうかは定かでないが、のそりと顔を上げた恭弥に骸は「おや?」と小首を傾げた。けれどそれもすぐ納得に変わる。
「男の子ですねぇ…」
「だまれ」
来客を告げる柔らかい電子音に遅れて、厨房から飛び出してくる店長らしき男の姿が骸からはよく見えた。「いらっしゃいませ」と曲げられる腰は九十度。その男を片手で軽くあしらいながら一言二言告げ、骸たちのいるボックス席へ目を向ける。涼しい顔をしたイツキに骸は内心げんなりした。それを顔に出したりはしないが。
汗一つかいていないとはどういうことか。
「ここも藤堂の系列なんですね」
「どうだったかな」
「店長最敬礼ですよ」
いい大人が、とは思わない。イツキはイツキでそれなりの雰囲気を振りまいているのでそれほどおかしな光景にも見えなかった。何より経営者としてのイツキの手腕は優秀だ。容赦がないとも言えるが。
「キャバッローネが表でやっている会社と共同で新しいブランドを立ち上げるそうですね」
「跳ね馬はまんまと口車に乗せらた」
「というと?」
「…さぁね。僕より君の左目の方が詳しいんじゃない」
意味ありげに話を濁した恭弥は僅かに体を窓側へ逃し、空いたスペースへするりとイツキが入り込む。
「何の話?」
持ってきた三人分の飲み物を配って、イツキはちらりと携帯を確認した。
「忙しそうですね」
「あなたは暇そうね。することないなら手伝わない?」
「冗談でしょう」
「口実あげるからマフィア絡みの人身売買組織を一つ潰して欲しいの。証拠は残さず速やかに。資料はクロームに預けてあるわ」
「仕方ありませんね…」
「ありがとう、助かるわ」
「そういうのは僕に回しなよ」
「国外だから駄目。日帰り出来ないし。知ってる? あっちは酷い時昼間の気温が四十度超えるのよ」
「あぁ、無理」
「でしょ?」
「あ、来た」
「何か待ってたんですか?」
「アリスに車回させたの。夜はきな臭いパーティーよ。上手くいけば麻薬組織を一つ潰して新興マフィアの鼻っ柱をへし折れるんだけど…骸も来る?」
「面白そうですね」
「四人なら人数も丁度いいわ。ツーペア。見栄えもいいし」
「ここは私が持つから」
「以前見た車と違いますね」
「あれはプライベート用。これは仕事用」
「四人乗りのフェラーリなんて邪道です」
「奇遇ね、私もそう思うわ。でも四人乗れないと困るでしょ」
「それもそうですけどね」
「出して」
「りょーかい」
「すっかり雑用係が板につきましたね」
「言ってくれるな」
「ドレスコードがあるようなパーティーなんですか?」
「まぁね。それなりにちゃんとしてるわよ、パーティー自体は」
「――薬臭い」
「麻薬犬か何かですか君は」
「アルコールと混ざって悪酔いしそうだ。さっさと片付けよう」
「もうちょっと待って。ブジャルドがまだ来てないの」
「――来たぞ、ブジャルドだ」
「もういい?」
「まーだ。別室に移るまで待って。――骸は?」
「モニタールームの方に回った」
「あと何分?」
「…もう終わったよ」
「恭弥、いいわよ」
「待たせすぎ」
「はい撤収ー」
「記憶の処理は?」
「いつも通りに。骸も呼び戻して」
「エレベーターホール辺りで合流出来る」
「恭弥」
「どうぞ」
「なに? それ」
「僕よりあなたが持っていた方が面白いことになりそうな情報ですよ。ついでにとってきました」
「そう。じゃあもらっておく」
----
「あ、イツキさんだ」
「雲雀も一緒みたいっすね」
「うん。――あ…」
「げ」
「ははっ、骸も一緒なのな」
「しかもあいつらが出てきたのファミレスじゃねーか!」
「仲良いのかな、あの三人」
「どうせ悪巧みしてたに決まってますよ、十代目!」
「悪巧みって…まぁ確かにそうかも知れないけど…」
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