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小噺専用
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「嫌な夢を見た」

 出雲の一等地にある高天原[タカマガハラ]で、いつもそいつは踏ん反り返っている。

「だからなんだよ」

 《王巫女》卑弥呼。――それが、殺された天照の生まれ変わりであるそいつの、一応の呼び名だ。
 生まれ変わりといっても、こいつの記憶や力はまるきり天照のもので、あいつと違う所なんて呼び方以外にありはしない。

「だからな、須佐[スサ]」

 だからこいつは、天照と同じくらい理不尽で、強い。


「――落ちよ」


 パチリと閉じた緋扇[ヒオウギ]の音とともに、《風王》須佐は意識を失う。
 その呆気なさに卑弥呼は一度だけ肩を揺らして笑い、閉じた扇を須佐の体へと向けた。

「出雲でぬくぬくとしておれるのもここまでじゃ」

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「あの子は間違えた」

 だから放ってはおけないのだと、リカコは言う。その言葉が意味するところを、ユキエは嫌というほど知っていた。

「ですが…」

 もういらない。自分の言うことを聞かない子など子ではないのだと、言っているのだ。だからどこでどうなろうと知ったことではない、と。

「あの子のことは、既に伊岐[イキ]の者に頼んでいます」
「伊岐の…言霊の一族にですか? そこまでする必要は…」
「知霞[チカ]を出た以上、当然の措置です」

 嗚呼、この人には母としての情すらないのか。

「母さん」
「幸い、あの子は二人目の子を残して行きました」

 リカコに対する失望がじわじわとユキエの胸を満たしていった。同時にこれから辛い人生を送ることになるだろう妹と、その子供たちへの深い憐れみを覚えて目を伏せる。

「彩花[アヤカ]は貴女が育てなさい」
「……はい…」

 だからせめて、自分が預かる子供だけは、我が子のように守り育てよう。

「彩花にはいずれ、私の後を継いでもらいます」
「そんな…!」

 ユキエのそんな思いすら、リカコは踏みにじる。

「それが彩光のためです」

 全ての過ちを正当化するその言葉は、リカコの口癖だ。今まで何人もの人がその言葉の犠牲になってきた。
 そして彼女は、自分の実の娘さえその毒牙にかけることを厭わない。

「いいですね」

 嗚呼、彼女はもうとうに自分たちの母ではなかったのだと、ユキエは今更ながらに痛感した。

「はい…」

 その胸に彩光――ひいては知霞――を治める者の証を受けた日から、きっと彼女は人ですらない。人並みの情など、あるはずがないのだ。

「では、行きなさい」

 いずれ自分も妹たちのように切り捨てられてしまうのだろうかと、ユキエは底冷えするような気持ちになりながらリカコの部屋を後にした。

 いつも堂々としていて、迷いなく、真っ直ぐな言葉を操るその人が、時々寂しそうに俯くのを知っている。
 だから、初めて言葉を交わした日に決めたんだ。

「私は君を守れるくらい強くなるよ」

 君のためなら、《世界》を壊すことさえ厭いはしない。










「ほらご覧、華月様よ」

 ほんの少しまどろむだけのつもりだった。それがいつの間にか、本格的に眠り込んでしまったらしい。

「あの人が?」
「そうよ」

 一緒にいた少年は部屋にいない。
 どこか既視感を覚える会話は、庭から聞こえてきていた。

「華月様は二人いるの?」

 これではお目付け役の意味がないなと、一人ごちて体を起こす。その時肩から滑り落ちた上着は、紛れもなく自分が見張っているよう言われた少年のものだ。
 よくよく見てみれば、かけていた眼鏡と読んでいた雑誌も少し離れた所に置かれている。

「いいえ。華月様はお一人よ」

 妙な所で気が利く少年は、部屋を出てすぐの廊下に庭の方を向いて座っていた。こちらへ向けられることのない視線はきっと、微笑ましい会話を交わす親子に向けられているのだろう。
 幼く無邪気な子供の疑問を少年がどうするのか、私は興味本位で息を潜めた。

「でもね、姿はお一つではないの」

 その時だ。

「あっ」

 不意に少年の輪郭がぼやけて、瞬き一つの間に形を変える。
 短かった黒髪は背中を覆い隠せるほどの青みがかった銀髪に。中性的だった体は一気に丸みを帯びて女性のそれへ。頭の位置も高くなり、最終的に服装もがらりと変わった。
 そこにいるのは、もう私と同い年の少年ではない。この国で最も力ある一族の頂点に君臨する《言霊の巫女》、華月様だ。
 こんな所狭霧[サギリ]にでも見つかったら、きっと大目玉を喰らう羽目になる。でも咎める気にはなれなくて、私はただ黙って華月の行為を見守った。
 
「よかったわね」
「うん!」

 と言っても、次の瞬間にはまたいつもの少年姿に戻っていたのだけれど。





「優しいじゃないか」

 親子がいなくなるのを待って声をかけると、華月は驚いた様子もなく、小さく笑って肩を揺らした。

「俺はいつも優しいだろ」

 冗談っぽい言い方につられて私も笑う。
 確かに、彼はいつも誰にでも優しい。

「そうだね」

 時々、少し優しすぎると思ってしまうくらいだ。

「私は君より優しい人を知らないよ」
「それは言いすぎだろ」

 その優しさが、時々怖くなるのだと正直に言ったら、彼はどんな反応をするのだろう。
 困惑するだろうか。それとも――

「いいや、君が一番だよ」

 本当はわかっている。彼がどんな顔をして、どんなことを言うのか。私はわかっていた。

「君以上に優しい人がいるわけない」

 だから何も知らない、気付いていない振りをして笑うんだ。
 それが一番いいとわかっているから。

「ベタ褒めだな」

 初めて言葉を交わしたあの日、決めたんだ。君が笑っていてくれるなら、私はそれ以上を望まない。

「本当のことだからね」

 初めて言葉を交わしたあの日、君が《世界》の全てになったんだ。



(タイトルまで決めたうえで没なんだぜ)

「あの頃は可愛かったのに…」
「それはこっちの科白だ」

 どうしてこんなことになっちゃったんだろう。嗚呼、悔やんでも悔やみきれない。
 嘆く私を半眼で睨む華月に、もうあの頃の面影はない。中性的だった少年は、いつの間にか立派な青年だ。

「綺麗で儚げな華月様が好きだったのに」
「過去形で言うな。今だって変われるんだぞ」
「駄目だよ。普段の君を知ってるから素直にときめけない」
「お前な…」

 小さい華月様が大きい華月様の身長を追い抜いたのはもう随分昔の話だ。つい最近、私も大きい華月様に目線が並んだ。

「遠巻きに眺めてるだけにすればよかったなぁ…」
「全くだ」


「ほらご覧、華月様だ」

 そう言って、母はそっと頭を下げる。庭へ面した廊下に座るその人は、そんな母を見てちょっと困ったように頬をかいた。

「あの人が?」
「そうよ」

 母が「華月様」と呼んだのは、私と同じくらいの背格好をした男の子。でも、いつも儀式で大人たちに「華月様」と呼ばれているのは、すらりと背の高い女の人だ。
 髪の色も目の色も、纏っている雰囲気さえ違うのに、母はどうして二人を同じ名前で呼ぶのだろう。

「華月様は二人いるの?」

 私が素直にそう尋ねると、母は優しく微笑んで首を横に振った。そして「華月様はお一人よ」と、五歳の私には理解できない真実を告げる。
 きっと、知っておくだけでいいと思ったのだろう。

「でもね、姿はお一つではないの」

 母の言葉が呑み込めなくて、私は小さい方の華月様に目を向ける。そうすれば答が得られるわけでもないのに、じっと見つめてくる私がおかしかったのか、小さい華月様はくすりと笑って目を閉じた。

「あっ」

 驚いた私が思わず声を上げると、《大きい華月様》は人差し指を唇に当てて、またすぐに《小さい華月様》へ戻ってしまう。
 「内緒だよ」と、そう耳元で囁かれたような気がして、私は力いっぱい首を縦に振った。
 
「よかったわね」
「うん!」
「蘭、ちょっといいか?」

 控えめなノックの音がして、扉が開く。

「縁談の話以外なら構わないよ」
「縁談?」

 入室の許可も得ず入ってきた相手の反応を見て、蘭は首を傾げた。

「聞いてないの?」
「縁談話をか? 誰と誰の」
「……ふぅん…」

 どうやら本当に知らないらしい。――そう結論付けると、手元の書類から何枚か選び出して隅に印をつける。×印だ。
 《不可》の書類をまとめて分類用のケースへ放り込んだ蘭は、憑き物が落ちたような清々しい笑顔を訪問者に向けた。

「それで?」

 訪問者――華月――はそんな蘭の反応を訝しんだが、表立って問いただすようなことはしない。

「仕事で出かけるから、後を頼む」
「わかった」

 後はいつものやりとりで、程なく華月は生徒会室を後にした。

「そうか、まだ聞いてなかったのか…」

 血の雨が降る荒野に一人、立ち尽くす「悪夢」は言いました。

「こんな世界、滅んでしまえばいい」

 感情という名の色を失くし、酷く透明な言葉は流された血と共に乾いた大地に染み渡り、宿された力によって、ありとあらゆる命を拒絶します。
 夜を蝕む悪夢の化身は、たった一言でこの地を永遠の地獄と化すのです。

「こんな世界、いらない」

 その力の、なんと強大なことでしょう。

「なにもいらない」

 けれど同時に、悪夢の言葉はとても哀しげな響きを伴っていました。

「なにも、いらないんだ」


「ならば何故、貴様は涙する」


 愚かなことをと、悪夢に声をかけた男は自らを嘲笑いました。面識のない男でさえ、その魔術師の名は知っています。

「紅目の悪夢[ルビーアイ・ナイトメア]」

 その名は恐怖。その名は絶望。その名は終焉。その名は――

「まだ、生き残りがいたんだ…」

 死、そのもの。

「あらかた片付けたと思ったのに…おかしいな」

 男は理解していました。対峙する悪夢と自分の間にある、埋めようのない実力の溝を。刃を合わせて勝てる相手ではなく、逃げおおせることすら、存在を悟られた今となっては不可能であることを。

「あんまり考えないでやっちゃったからかな」

 それでも、男が「直死の宝石」と恐れられる真紅の双眸の前へその身を曝したのは、確かめたいことがあったからに他なりません。男は、最期に知りたかったのです。

「答えろ」
「…僕がなんで泣いてるか、だって?」

 虐殺の限りを尽くしながらも、歪むことのなかった容貌。にもかかわらず、悪夢の頬を絶え間なく伝う、――涙。

「そんなの決まってるじゃないか」

 男は魅せられてしまったのです。故に、その涙が何の、誰のための涙であるのかを知りたい。


「あの人が死んでしまったから」


 刹那宙を舞った紅目の悪夢は、魔術師でありながら剣士のように淀みなく剣を抜き、男へと斬りかかりました。

「だから僕は泣くし、世界なんていらないんだ」
「……貴様は、」

 男は紙一重で悪夢の剣をかわします。

「貴様は何故「――聞いてばかりだね、竜族の若造」

 即座に返された剣の切っ先は男の腕をかすめ、太刀筋を目にすることも叶わなかった男は、振るわれた剣の速さと悪夢が紡いだ言葉、その両方に戦慄しました。

「なっ…」
「気付かないとでも、思ったの」

 感情のこもらない声で、悪夢は嗤います。

「生まれて千年も経たないひよっこが、なんでこんなところにいるのかな」

 なんと愚かなことだろうと、言葉にされなくとも悪夢の瞳は告げていました。つい先ほど悪夢によって揮われた力は強大でしたが、人間より上位の種族である竜を殺すほどのものではありません。悪夢にとって男の力は些細なものなので、もし男が声を上げず息を潜めていたら、悪夢は男の存在に気付きもしなかったでしょう。
 なのに男は、自ら死を選択したのです。それは長命で思慮深い竜族にあるまじき愚行で、悪夢は同じく剣を抜いた男に再び斬りかかりながら、あまりの愚かしさに声を上げて笑いました。

「今の長老は、君みたいな子供も引き止められないの?」

 ありとあらゆる魔術を会得した悪夢にとって、剣での斬りあいは児戯に等しい行為ですが、小柄な体型ゆえの軽さをカバーするそのスピードには目を瞠るものがあります。現に幾多の戦場を渡り歩いてきた男は容易に翻弄され、少しも経たないうちに膝を突かされてしまいました。

「長、老…?」

 一片の曇りもない剣先を男の首につきつけながら、悪夢は首を傾げます。

「最近竜の姿を見ないのは、長老が引きとめてるからじゃないの?」

 そして男は、悪夢にとって驚愕の事実を口にしました。

「この大陸に…もう、竜はいない…」
「は…」
「俺で最後だ」

 カランと乾いた音がして、剣を取り落とした悪夢は、そのままふらふらと数歩後退しました。それに驚いたのは男の方で、凝視してくる視線にも構わず、悪夢は焦点の定まらない視線を落とします。

「竜が…滅んだ? この大陸で最も誇り高い種族が?」

 悪夢の声にははっきりとした動揺が現れていました。なりを潜めていた魔力の顕現が、男にその動揺が心からのものであることを伝えます。

「それに俺は〝長老〟なんて呼ばれる竜のことも知らない。竜は孤高だ。誰に従いもしない」
「…〝秩序がなければ、そこに輝く歴史は生まれない。故に竜を束ねる竜が必要だ〟――エンシェント・ドラゴンが滅んだのは知っていたけど、まさか…」
「エンシェント?」

 漏れ出した悪夢の魔力は瞬く間に広がり、男の目には世界が淡く紅に色付いて見えました。

「そんなことも知らないの」

 それは悪夢が日頃目にする世界の光景で、その中では、何一つ色鮮やかなものなどありません。唯一世界を染め上げる紅だけが確かな色です。

「……」
「本当、に?」

 壮絶な光景に絶句する男に、悪夢はどこか諦めを含んだ声で問いました。そして男が頷くと、力なく目を閉じます。

「そう」

 男の前に落ちていた悪夢の剣が独りでに鞘に収まり、紅の世界が消え、悪夢は落胆と共に肩を落としました。力ない右手が振られると、二人の周囲に溢れていた血と、おびただしい数の死体が消え失せます。
 そこには何一つ残されていませんでした。

「なら僕は君を殺さない。君が最後の竜だというのなら、僕は殺せない」

 いつの間にか止まっていた涙は再び流れ出し、悪夢の頬を濡らします。
 命拾いした男は、もう一度だけ、悪夢に問いました。

「何故、涙する」

 さらさらと流れていく涙を掬い上げ、悪夢は答えます。

「今日だけは、そう…失われた誇りのために」

 優しい風が、二人の間を吹き抜けました。


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