「君はいつもつまらなそうだね」
「実際つまらないからな」
「あぁ、やっぱり」
あの方に近付いてはいけない。あの方に話しかけてはいけない。あの方に触れてはいけない。あの方の視界に入ってはいけない。あの方の――。
「そうだろうと思った」
《あの方》に関わってはいけないのだと、一族の大人たちは言う。
「何故つまらないのか、理由を聞いても?」
「…探し物が見つからないから」
《あの方》がいなければ一族としての体裁を保っていることさえ出来ないくせに。
「君に見つけられないものなんてあるの?」
「あるさ。俺にだって、見つけられないものの一つや二つ」
「…意外だな」
大切なものを大切だからと仕舞い込んで、そっとしておくなんて宝の持ち腐れもいいところだ。
「そうか?」
「一族の人間は大抵、君が万能だと思っているからね」
私はそんな大人にはなりたくない。そうなるものなのだと諦めて、受け入れてしまうことなんて絶対に嫌だ。
力は使うためにある。目が見るために、耳が聞くためにあるのと、それは同じことだ。
使わなければ意味がない。使えなければ価値がない。
私たちの《言葉》は世界を変える。
蘭はいつも飄々としてる感じの人だから暗めのシリアスには向かないことが判明
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