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「出来の悪い相棒を持つと大変だな」

 見慣れた背中が崩れ落ち、見覚えのない銃を向けられる。
 聞きなれたはずの銃声が耳について離れないのは何故だろう。

「よ、る…」

 伸ばした手は届かない。動かなくなった体は遠く、だんだんと広がっていく血溜りに、美咲[ミサキ]は夜の死を悟った。大口径の銃で容赦なく打ち抜かれた胸にはぽっかりと大穴が開いている。――空っぽだ。

「てめぇも死ね」

 顔の良さだけが取り柄で、よく笑う馬鹿な男はもういない。
 ならばこの男も要らないだろうと、美咲はナイフを振り上げた。

 銃声と、金属音。

 真っ二つにされた銃弾が左右に分かれて壁にぶつかる。男は零れんばかりに目を見開いた。そして身に迫る《死》の存在を肌で感じて恐怖に震える。

「あなたが死ねばいい」

 美咲が突き出したナイフは狂いなく男の胸に吸い込まれていった。心臓の上に柄を生やした不自然な見てくれの男は刺された衝撃で何歩か後退り、倒れ、動かなくなる。
 狭苦しい路地に残されたのは美咲一人で、《脱落者》である二人の体は消えつつあった。

「さよなら」

 二人分の死体が消えて、残されたのは三丁の銃と幾らかの弾、美咲のナイフに、夜の仕込みナイフ。その中から必要な分だけを拾って、美咲はたった今殺した男の仲間が来る前に走り出した。
 明けない夜の街、《ナイトメアフィールド》は夢魔の遊び場。目が覚めれば全てが幻想。終わらせるには夢魔に勝つしかない。だから人は力を欲して銃を向け合う。ここでは《心》の強さだけが存在のより所。最も強い想いこそ真実。

 ふっ、と息を詰め小路から大通りへ飛び出した美咲は、周囲の異様な静けさに思わず足を止めた。
 普段なら建物の上で目を光らせている狙撃手がいない。でなければ、通りのど真中で立ち止まって無事にいられるはずはなかった。――彼らはいつだって獲物をいたぶりたくてウズウズしているのに。

「どういうこと…?」

 思いもよらない状況に美咲はきょろきょろと辺りを見回した。普段狙撃手が陣取っている窓や屋上、物陰にいくら目を凝らしても、人の気配すら見つからない。
 そこで漸く、異質な男の存在に気付いた。

「――夜?」

 グラリと世界が揺らいで、明けない夜の果てに光がさす。抗い難い力に引かれ体は傾き、咄嗟に伸ばした手は空を掻いた。

「なんで…っ」「――――」

 明転。





「――――、」

 目が覚めた直後はいつも同じことを考える。――どちらが現実だ。
 静かに電子音を響かせる目覚まし時計を止めて、美咲は寝覚めの悪さに顔を顰めた。ナイトメアフィールドへ行くようになってから二度寝には縁がなかったが、今日ばかりは考えてしまう。もう一度眠ってあの男の正体を確かめるべきか、否か。
 けれどそれは、必要のない逡巡だった。

「……な、んで…」

 辛うじてそれだけ口にして、美咲は飛び起きる。悲鳴を上げなかったのは《向こう》での慣れが原因だ。

「どうしてここにいるの!?」

 けれど現実世界に夢魔の力は及ばない。だから美咲は、自分の隣にいる男の存在に混乱した。

「――……」
(嗚呼、)

 これが夢ならよかったのに。――程なく目覚めた男に見上げられ、美咲は今更ながらに夜の死を実感した。硝子玉のように澄んだ目をしているという点で男は夜と酷似しているが、夜ではない。

 夜は死んでしまったのだ。

「どうして――ッ」

 突然泣き出した美咲に、男は驚きもせず手を差し伸べた。涙を拭うと同時に囁かれた言葉を美咲は理解できなかったが、穏やかな響きに慰められているということだけは理解する。

「ごめん、なさい…っ」

 それからずっと、美咲が涙を枯らすまで、男は彼女の傍にいた。










「どうぞ」

 差し出されたカップを両手で受け取り、男は窺うように美咲を見上げる。まるで小動物のようだと場違いなことを考えながら美咲が頷いて見せると、それきり疑う素振りも見せずカップの中身を口にした。
 警戒心の欠片もない。

「ねぇ、あなた名前は?」

 尋ねても、男が答えられないことを美咲は知っていた。言葉が通じないのだ。

「?」
「私は美咲。わかる? み・さ・き」

 案の定首を傾げた男に、美咲もこれくらいは理解できるだろうと自分を指差しながら繰り返す。
 男ははたと傾けていた首を戻した。

「ミサキ?」
「そう、美咲。――あなたは?」

 今度は美咲が首を傾げながら男を指差す。

「ベクシル」
「ベクシル?」

 男――ベクシル――は頷いて、もう一度美咲の名前を口にした。ミサキ、ミサキと、繰り返しているうちにアクセントの違いは消えていく。

「美咲」

 五分もしない内にベクシルは美咲の名前を正確に発音できるようになった。心底嬉しそうなベクシルに美咲もつられて笑い、最後のコーヒーを飲みほす。
 よいしょと勢いつけて立ち上がると、ベクシルはやはり小動物のようにその動きを追った。

「ご飯作るね」










――夜――

 ベッドに入って目を閉じ、ナイトメアフィールドに呼び込まれるその瞬間を美咲は何よりも恐れている。夢と現実の境界が曖昧になって溶けていくような錯覚が、彼女を捉えて離さないからだ。美咲は恐れている。夢が現実となり、現実が夢となることを。

「美咲?」
「…来て」

 立ち尽くすベクシルの手を引いて美咲は走り出した。やはり周囲に狙撃手の気配はなく、大通りに危険はなかったが、遠くから複数の足音が近付いてきている。昨日殺した男の仲間だとしたら厄介だ。逃げ切れる確証はないが、甘んじて殺されてやるほどお人好しでもない。
 埃っぽい路地に駆け込んで、複雑に入り組んだ道を奥へ奥へと進む。途中銃の装弾を確認するため手を放しても、ベクシルは美咲について走り続けた。立ち止まったり逸れたりする気配はないが、どの道彼を連れてこの場を切り抜けることは出来そうにない。

(追いつかれる…)

 足音はすぐそこにまで迫っていた。美咲は隣を走るベクシルを一瞥して、一度は手をかけた夜の銃をホルスターに押し戻す。――この小動物に銃が扱えるものか。

 銃声。

 背後からの銃弾は僅かに逸れて右側の壁に当たり、二発目の弾道にいたベクシルを壁際に押しやって、美咲は振り向きざま引き金を引いた。遊び弾はない。最低限の弾数でその場にいる《敵》の息の根をとめる。死体が地面に転がる前にまた走り出すと、ベクシルも当然のようについてきた。

「……」

 突き当りで左右に別れる道の右側から飛び出した人影をろくに見もせず撃ち殺し、左へ曲がる。緩く右へカーブした道は先が見えず、美咲はベクシルに右側を走らせナイフの留め金を弾いた。

『――――!』

 ベクシルが声を上げる。美咲には理解できない言葉の叫びは、真上からの銃声に掻き消された。
 避けられない。――美咲は直感する。ナイフで弾くにしても気付くのが遅すぎた。大通りのことがあって狙撃手はいないと、心のどこかで油断していたのかもしれない。

(私が死んだらっ)

 夜を殺した男に銃を向けられた時でさえ感じなかった感情が胸をよぎる。ナイトメアフィールドで生き残るために殺していた《ノイズ》が息を吹き返した。


 彼を残しては逝けない。


(ベクシル――!)

 暗転。





「漸く出てきたね」

 頭の中でカチリと歯車の合う音がして、ベクシルは哂った。彼が見上げた先で放たれた銃弾が静止する。勢いをなくした鉛玉はぽとりと地面に落ち、建物の屋上で銃を構える少年は舌打した。

「なんだ、記憶失くしたんじゃないの」
「失くしてたよ? 君が現れるまではね」

 少年の姿をした夢魔は笑う。ご苦労様と、小馬鹿にしたような言葉にもベクシルは動じなかった。

「条件はクリアした。悪趣味な遊びはお終いだ」
「夢の中で僕に勝てるとでも?」
「無理して勝つ必要はないよ」

 つ、とベクシルの指先が空間を伝う。夢魔の魔力によって構築された夢の世界に、全く異質な魔力が侵入する。
 刹那弾かれたように夢魔はベクシルへと飛び掛った。本能的な攻撃はベクシルの反応速度を超えていたが、そんなことは関係ない。

「今回、俺はただの《目印》だからね」

 ぐにゃりと、ベクシルと夢魔の間で《夢》が歪んだ。夢魔は恐怖に顔を引きつらせるが、もう遅い。

「 《 消 え 失 せ ろ 》 」

 《歪み》が発した声に、夢魔は苦しむ間もなくその存在を消失する。同時に夢の世界は崩壊を始め、歪みから溢れ出す力がそれを制した。

「――体はどうした」
「ちょっとね」

 歪みの放つ言葉からは、すでに夢魔を殺した凄絶な魔力は消えている。抱きとめた美咲を抱えなおして、ベクシルは歪みに一歩近付いた。
 歪みの向こうにあるはずの《帰るべき場所》が、今はもう見えない。

「体がなければ《こちら》へ戻ることは出来ない」
「知ってるよ」
「残る気か」
「君だって知ってるだろ? イヴリースの口癖を」
「…馬鹿な男だ」
「君に言われたくない」

 明けない夜が明けようとしていた。他でもない歪みの注ぐ力によって。

「あいつは怒るぞ」
「君がいれば大丈夫さ」
「ふん」

 夢が終わろうとしていた。

「妹によろしく」
「あれは私のものだ」
「彼女が君を愛してる限りはね」

 徐々に狭まっていく歪みと薄れていく体に気付き、ベクシルは微笑する。腕の中で美咲の体が掻き消えると同時に意識は一度プツリと途切れた。

『全ては対になるべくしてなるのさ』

 どこからか《銀の魔女》の笑い声が聞こえる。










「美咲。美咲、起きて」

 美咲は恐れていた。

「もう朝だよ」
「ん…」

 夢が現実となり、現実が夢となることを。

「美咲ってば」

 美咲は恐れていた。

「ベ、ク…シル…?」

 現実が夢となり、夢が現実となることを。

「悪夢は終わったよ」

 恐れ、抗い続けてきた。

「おはよう」










 ギシリとスプリングの軋む音がして、女は目を開けた。

「お帰りなさい」
「…起きたのか」

 落とされた口付けには同じものを返して、首筋を撫でた手の平はそっと制するよう押さえ込み、女は何も言わず傍を離れた男を咎めるように睥睨した。
 男は目を閉じる。血のように紅い色をした男の瞳は女の視界から消え、女は男の瞼を指先でなぞった。
 促され、男は目を開ける。

「一人なの?」
「あぁ」
「仕方のない人ね…。――まぁ、いいわ」
「随分と冷たいな」
「あの人もいい大人だもの。私があれこれ言わなくても大丈夫でしょう?」

 何がおかしいのかクスクスと笑いながら、女は男を誘[イザナ]った。伸ばした髪を引かれ抗えず、女の隣に倒れこんだ男は、それもそうだと一つ頷く。

「それに…」

 女は哂った。弧を描く唇に乗った鮮烈な紅が、男の目に焼き付いて離れない。

「夢はいつか覚めるものよ」

 女は哂った。それもそうだと、男は頷く。





「いい夢を」

 暗転。




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