ヨトゥンヘイムの《王》の右腕たる巨人が一切の妥協無く、持ちうる技巧のあらん限りを尽くして織り上げた魔布。その性能はあろうことか物理攻撃の無効化(・・・)から始まり、魔力による干渉の阻害と続き、更なる魔術の重ねがけによって実際にはどれほどの機能を持たされているのか、ノスリヴァルディにさえも想像が及ばないほどだった。
けれど。何よりもまず、そこまで手の込んだことをする意義が見出せない。明らかに過剰防衛が過ぎる。
そもそもウトガルド・ロキと並んで遜色ないほどの魔力量を誇るリーヴスラシルに、後付けの守りなど必要ない。魔力の伴わない攻撃であれば周囲に漂う余剰魔力だけで防ぎきってしまえるほど、リーヴスラシルの生み出す魔力は法外だった。その上、四六時中傍について離れようとしないウトガルド・ロキのことを思えば、上等な魔布を着せることさえいっそ馬鹿馬鹿しい。
「我ながら傑作ではなかろうかと」
ちょっとどころでなく得意満面なビューレイストは、トルソーにでも着せたかのよう程良い高さへ浮かべる外套を隅から隅までくまなく点検し、その出来に充分満足できたのかにやりと笑う。
「ジャケットはまだ時期的に早いと思うだろう?」
「そもそもいらないでしょ。外套羽織ったら嵩張るわよ」
ノスリヴァルディのそれは、外套があれば上着の類は必要ないだろうという主張。無論、そもそも中に着る服の機能的に――温度調節機能は至極当然の如く完備されているのだろうと、ノスリヴァルディは踏んでいる――外套そのものが必要とされていない事実を度外視してのことだが。
そんなノスリヴァルディにトルソーの正面を譲り、ビューレイストは外套の内側から引っぱり出したベルトのバックルをかけ、深さのあるフードごと見えない肩からごっそり布を落として見せた。
見目麗しい刺繍の施された裏地が表へ出ると――いかにも高性能な魔布製の代物として正しく、あちこち通常ではありえないような微調整を経て――丈長なオーバースカートができあがる。
表地の黒と裏地の赤とのコントラストは、どう控えめに表現したところで素晴らしかった。
「手が込んでるわね…」
そして、そうなるとカウチにおかれた黒のノースリーブに白シャツという上半身が些か物足りなく思えてくる。確かに下のスカートと揃いのジャケットでもあれば「完璧」だと、ノスリヴァルディも納得せざるをえなかった。
とはいえ今時分のウトガルズを歩くのであれば、むしろジャケットのない状態の方が服装の程度としては丁度いいというのが実際。ビューレイストも、それについては異論なかった。
ジャケットは冬までに仕上がればいい。
「鞄の類はないの?」
トルソーから取り上げた外套をカウチへ移すビューレイストに、ノスリヴァルディはふと気になったことを訊いてみる。
並べられた衣服一式の中にはちょっとした小物入れになりそうなベルトポーチはあるが、まともに「鞄」と呼べるようなものはなかった。
「外套の内ポケットを拡張、全体の重量は軽めに固定値をとってある」
「容量は?」
「寵姫が使うのであれば無制限と言って差し支えない」
「さすが。《王》に連なるお方はやることが無茶ねぇ…」
それなら確かに、鞄はいらないだろうとノスリヴァルディも納得してしまう。
その処置が――ビューレイストが簡単に言ってのけるほど――容易に施してしまえるような類のものでないことは、重々承知していた。
ただ、それをさらりとやって退けられるからこそのビューレイストなのだ。
「やっぱり、魔力の消費を考えなくていいとあれこれ弄りやすいの?」
「当然だな」
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「寵姫の体は《マナ》が生み出す魔力を蓄えられない。それは致命的だが、主が傍に張り付いている限り実害はない。…とはいえ、垂れ流される魔力をそのままにしておくというのも勿体無いだろう」
「その状態で実害がないって辺り途方も無いわね。私たちのお姫様は」
「…溜め込む器がないなら代わりを与えれば済むことなのに、主は何故《枝》を寵姫へ持たせないんだと思う?」
「独占欲」
「やっぱりそうかな…」
「それ以外ないでしょ。他に何か思いつく? わざわざ大切なお姫様を不安定なまま放っておく理由。たとえ実害がなくったって、姫さま的には不自由もあるでしょう。常にその時、生み出されただけの魔力しか使えないんだから」
「…それでも街一つ吹き飛ばす程度軽いが」
「違う違う。ウトガルド・ロキのやることなすこと、まともに抵抗できないってことが問題なのよ」
「主は寵姫を傷付けない」
「背中に契約印刻まれてたわよ」
「……」
絶句。
「しかもでかでか、これみよがしと。さすがに芸術的な仕上がりだったけど、あの様子じゃ碌な説明なんてしてないわよ。あんたと同じで、自分の都合の悪いことは聞かれるまで言わないんでしょう?」
「人聞きの悪い言い方をするな」
「それが悪いとは言わないけどねぇ」
「その契約印、内容を見たか?」
「読み取れるわけないじゃない。ちょっと見惚れておしまいよ」
「…下がっていい」
「えぇ?」
「寵姫の仕度は私が。どうせ外套の説明もある」
「ウトガルド・ロキに直接訊けばいいじゃない」
「寵姫の前で? 聞かせられない内容だったらどうする」
「そんな可能性あるの?」
「ないと思うか?」
「あなた、最近楽しそうね?」
「どういう意味だ?」
「生き生きしてるわよ。…あなたに限ったことじゃないけど」
「あぁ…その筆頭は間違いなく主だな」
「私、今の《王》が好きよ。あなたにこんなこと言っても仕方がないってわかってるけど、やっぱり《王》は民と共にあるべきだわ。心をもって寄り添うべきよ」
「主の心はお前に寄り添ってなどいない」
「でも、姫さまはお優しい方よ。姫さまの傍にいる限りウトガルド・ロキが民を虐げることはないないわ。たとえ私たちに対する感心はなくとも、だからって私たちが理解できないわけでもない。――そうでしょ?」
「心を得たことそのものが重要だと?」
「お飾りの《王》より心無い《王》の方がなお性質(たち)が悪いとは思わない?」
「…確かに、その感慨は私の手に余るな。難解だ」
「残念ね」
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「うわぁ…これ全部ビューレイストが作ったの?」
「えぇ」
驚くほど、リーヴスラシルに対して配慮のなされた契約だった。むしろウトガルド・ロキに全く旨みがないと言ってもいい。そんな契約を刻むくらいなら、かえって何もしない方が良かったとさえ思えるほど。
だからこそ、ビューレイストはウトガルド・ロキの真意に気付けた。つまり、契約としての体(てい)を成していない印を刻むことこそが目的だったのだ。
どちらかが命を落とすまで、けして消えることのない刻印。それは肌へ散らした鬱血よりも余程――そしてあまりに明確な――所有の主張だった。よもや見過ごしてしまいようもない。
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上等な魔布を着慣れたリーヴスラシルは何の疑問も抱くことなくそれを身につけ、ウトガルド・ロキに対してそれを自慢するようくるくると回って見せた。
「似合う?」
「あぁ」
無論、ビューレイストがリーヴスラシルのために作った衣装だ。似合わないはずがない。
「ありがとう、ビュー」
「どういたしまして」
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