一四三一年、この世に生を受けた後のワラキア公ヴラド・ツェペシュは、生まれながらに優秀な魔術師であった。
一四五六年、邪悪なる儀式によって自らを人ならざる《吸血鬼》へと変貌させたヴラドは夜の支配者となり、魔性の者として世界にその名を広める。
彼には血を分けた子が二人いたが、《純血》の娘・リトラは彼自身が《血分け》を行い、魔性の者へと変えた愛人ニキータの子で、正妻であるキルシーとの子セシルは呪われた混血児《ダンピール》だった。
一四七六年、セシルは持って生まれた「吸血鬼を殺す力」によって実の父であるヴラドを手にかけた。こうして《真祖》と呼ばれる始まりの吸血鬼は昼と夜の分かたれた世界に別れを告げる。
けれど彼を祖とする新しい種は、彼の死後も夜の支配者として君臨し続けた。
ヴァンパイアフィリア。――それがあたしにつけられた病名。自分でも酷い言われようだと思う。好血症なんて、まるであたしが吸血鬼だと言わんばかりじゃないか。
「――立花夕里が、ここに宣言する」
立花夕里[タチバナユウリ]。今年で十八の高校三年生。性別:女。身長:一六七センチ。髪:近切ってないからちょっと伸びたけど黒髪のショート。目:同じく黒。持病:ヴァンパイアフィリア、あるいは吸血病、あるいは好血症と呼ばれる血を好む症状を示す病気。趣味、
「あんたの負け」
吸血鬼狩り。
宣言された勝利によって、あたしの目の前で無様に這いつくばっていた吸血鬼が青い炎と共に燃え上がり、やがて灰と化す。その灰を持っていた携帯灰皿に入るだけ詰め込んで、あたしはさっさと埃臭い廃ビルを後にした。
日はとっくに暮れていて、見慣れない街並みに青白い夜が覆いかぶさっている。
(最近多いな…)
あたしは生まれながらに吸血鬼を殺す術を知っていて、殺すことの出来る力を持っていた。何故知っているのか、何故持っているのかは自分でもわからない。でも、一つだけ理解していることがある。
吸血鬼はあたしの命を狙っている。殺らなければ殺られるという現実を前に持てる力の行使を躊躇うほどあたしは博愛主義者じゃないし、偽善者でもなかった。
目には目を、歯には歯を。遠い異国の法典に則って、ではないけど。あたしはそうすることを選んだ。だからまだ生きている。
なんて生きづらい世の中なんだろう。「人間ではないから」なんて薄っぺらい言葉が、命を奪う免罪符になるはずもないのに。
「――混血の臭いがするな」
ぴちゃりと粘着質な水音がして、あたしは立ち止まる。歩きながら考え込んでいたらしい。おかげで気付くのが遅れた。致命的でらしくないミス。
鼻につくのは夜の冴え冴えとした空気に薄められて尚強く存在を主張する、血の臭い。
異質な気配がねっとりと肌を撫でた。
「名を聞こう、我が同胞を手にかけし者よ」
限りなく満月に近い月の下。片手に大きな塊をぶら下げた男が少し先の曲がり角から姿を現す。塊は死んだか気を失ったかした人間で、男は口元を真っ赤に濡らした吸血鬼。
「立花、夕里」
あたしは心中で鋭く舌打ってポケットの携帯灰皿を握り締めた。
「憶えておこう。お前は優秀なハンターであるようだからな」
「それはどうも…」
闘って勝てる状況ではないと分かっているのに、目の前の男相手に逃げおおせられるとは到底思えないせいで、両足が地面に縫い付けられたように動かない。
もしかすると、あたしはここで殺されてしまうのかもしれない。
「だが残念だ。お前がハンターである以上、私はお前を倒さねばならん」
吸血鬼の男は引きずっていた獲物を何の未練もなく手放して、その言葉とは裏腹に嗤った。
「何か言い残すことがあるなら聞いてやろう。敬意を表して」
あたしという絶好の獲物を前に、勝利を確信してやまぬ笑み。
(言い残すこと、か…)
この手を、吸血鬼とはいえ生き物の血に染める度、あたしはその血の持ち主を忘れないよう努めた。努めていた、はずだ。なのに今、あたしは自分が初めて手にかけた吸血鬼の顔を思い出せない。男だったか、女だったかさえあやふや。
「必要ない」
ならば尚更、対峙する吸血鬼の言葉は戯言だ。
「人にしては気高くもある」
気休めは必要ない。誰かの記憶に残る必要だってない。あたしが生きることを選択して、この手を真っ赤に染めたあの日から。本当のあたしを知っているのはあたしだけ。
「ならばせめて、苦しめずに逝かせてやろう」
男は親指の腹で唇を拭って、吸血鬼らしい残忍な笑みを浮かべた。
青白い、夜。
「それはどうも」
あたしは目を閉じた。
「さらばだ、若きハンターよ」
「――ざぁんねんでしたぁ」
ガラリと色を変える世界。下ろされた瞼。
「なっ…」
「このコはあげなーい」
唐突に現れ、世界を反転させ、崩れ落ちる夕里の体を抱きとめた《灰被り》は、灰色の空の下場違いに笑った。
彼女へ死の祝福を与えようと翳されていたコールの手が、驚愕に震える。
「何故だ…」
空は雲もないのに不透明な灰色をしていた。世界の裏側。ヒンタテューラの領域が見渡す限りどこまでも広がっている。
引きずり込まれたのだと、コールは即座に理解した。色鮮やかな《表》の世界から、一瞬にして荒廃した《裏側》へと。
「小生のタカラモノだからネ」
たった一人の吸血鬼によって。
「だからキミにはあげなーい」
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