3年前の4月某日、何の前触れもなくあたしの「昨日」は終わることをやめた。
――○月○日事変/3年後の4月4日――
「――――」
微妙にくぐもって聞こえるマイク越しの声は、まるで年寄りの歌う子守唄だ。抑揚がなく、どこか調子はずれなのに、眠気だけは確実にもたらすことが出来る。
あたかも、誰も抗うことを許されない、魔法の呪文のように。
時計の針は遅々としか進もうとしなかった。客観的な20分を主観的には3時間くらいに感じながら、あたしはずるずると落ちて来ようとする瞼をなんとか持ち上げた。
視界の端に時折入り込むテレビカメラが気になってしかたない。
(何でこんなところにいるんだろう・・)
当たり前のようでいてそうでない、けれど、今更考えてもどうしようもないことを、無駄だと知りつつあたしは考えた。
それは纏わりついてくる睡魔を追い払うためだったのかもしれないし、終わらない「昨日」の中で、のうのうと生きている自分に対しての自己嫌悪だったのかもしれない。
あたしの「昨日」は3年前の4月某日から終わらないまま、「今日」になることも出来ず、「明日」を望むこともなく、月が沈み太陽が昇る前の薄明るい空のように、酷く美しく、恐ろしいほどに幻想的なまま、停滞し続けている。
主観的にあたしはまだ「昨日」にいるのに、客観的にあたしは「3年後の4月4日」にいる。この矛盾は、あたしの首を真綿で絞め続ける。
あたしはあたしが嫌いだ。やはりこの思考は眠気覚ましなどではない。ただ単にあたしは、あたしに知らしめたいだけなのだ。ここにいることは間違っていている、と。ならどうすればいいのだという問いに対する、明確な答も持たないくせに。
「――――」
耳から入ってくる「音」は「言葉」として焦点を結ぶことなく、消えた。
なのにあたしの体は独りでに立ち上がり、周囲の流れに逆らうことなく体育館を後にする。
今日から1年間、毎日のように足を運ぶことになる教室へと向かいながら、あたしは並び立つ校舎に切り取られ、狭苦しい空を見上げた。
太陽は、ない。
嗚呼やはりこんな所に来るべきではなかったのだ。空っぽな時間を生き続けることは無意味だと、あたしは今日までの3年間で学んだはずなのに、周囲の流れに逆らうことなくまた繰り返そうとしている。空っぽで、無意味な3年間を。
「ねぇ、あの人かっこよくない?」
隣を歩く女子が声を潜めながらあたしの袖を引いた。
あたしは彼女が指差した方を見て、表面的には緩く笑う。
「そうだね」
あたしの「昨日」を停滞させ続ける男が、そこにいた。
あいつのせいであたしの「昨日」はいつまで経っても終わらない。あいつが全てを狂わせた。あいつが――
「もしかして知り合い?」
自覚なしに凝視していたのかもしれない。――隣を歩く女子にそう問われ、あたしは咄嗟に使い慣れた言い訳を口にした。
「小学校も、中学も一緒だったから・・名前だけはね」
親しくないと強調しているようだと、この言い方に小学校から付き合いのある友達はいい顔をしない。けれど周囲に見知った顔がないのをいいことに、あたしは今日はじめて会った他人に嘘を吐く。
親しくはない。あたしとあいつは全くの他人。名前くらいは知っているけど、それ以上でもそれ以下でもない。
「なんて名前?」
だから、あいつの事をあたしに聞かないで。
「・・氷室 聖弥[ヒムロ セイヤ]」
嗚呼、やはりこんな所に来るべきではなかったのだ。
あたしの「昨日」は終わらないのにあいつは「今日」を生きている。そんな現実を見せ付けられるのは、本当に、苦しい。
それでもあたしは、周囲の流れに逆らうことなくここにいた。
(馬鹿馬鹿しい)
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