耳を塞ぎたくような咆哮が轟いた。
ぴりぴりと肌を刺す殺気混じりのそれに、クライシスはバルコニーから身を乗り出し庭を見下ろす。
「誰がリークメシアを怒らせた?」
テーブルを囲む仲間の視線を一身に受けたイヴリースは、心外だといわんばかりに肩を竦め、咆哮の聞こえた方へと目を向けた。
「どこぞの雑魚だろう」
暗に自分ではないと主張するイヴリースを胡乱気に睥睨し、クライシスもまた森の向こうに目を凝らす。
「・・遠いな」
「お前でも見えないのか?」
「目はリークメシアの方がいい。――アイリス、何か見えないのか?」
「・・・」
クライシスに見えるのはどこまでも続く「死の森」と、連なる山々。庭にいるイヴリースたちにはその半分も見えていないのだろうが、それでもあの目立つ蒼の竜は見当たらない。山の向こうで暴れているのか、どこぞの谷に潜っているのか。
目視での確認を諦めまた庭へと目を落とせば、瞑想するかのように目を閉じたアイリスを正面に座るイヴリースが楽しげに見守っていた。
ついこの間リークメシアに手を出すなと言われたばかりなのに、全く懲りていないらしい。
「――血の海」
ぽつりとそれだけ言って、アイリスはクッキーに手を伸ばす。
それを聞いたイヴリースは空になったカップに紅茶を注ぎ足そうともせず、席を立った。
「行ってみないか?」
声をかけられた藤彩は悩むような仕草と共に首を傾げる。
「連れて行ってくれる?」
イヴリースは嬉々として答えた。
「もちろん」
「相変わらず・・」
藤彩の手をとりふわりと宙に浮き上がったイヴリースが、クライシスの呆れ混じりに零された言葉を聞きとがめバルコニーを仰ぐ。
「相変わらず?」
その視線は緩やかに上昇を続け、やがてクライシスを追い越した。
「羽も使わずに飛ぶんだな、お前は」
「なんだ、そんなことか」
誘われる藤彩の顔に恐怖の色はなく、――竜である自分でさえなんの支えもなしに宙に浮くなんて考えられないというのに――ただ一片の疑いもない視線が人に擬態した己の竜を見つめる様に、簡単にも似た吐息が零れる。
「妖狐なんかは、よくやっているじゃないか」
バサリと風を打つ音がして、渦を巻いた風から刹那目を逸らした隙に、本来の姿へと戻りイヴリースは飛び立った。
晴れ渡った空に白銀の輝きが舞い上がる。さながら光の獣。祝福された存在と呼ぶうる者がいるのなら、彼女こそそれに相応しい。
「狐は狐火を足場にしてるんだ、阿呆」
「己が欲望のまま略奪を繰り返す下等生物がっ」
鞭のように振るわれた尾が風を切り群がるドワーフを蹴散らした。
一向に減らないその数に、募る苛立ちが炎となって撒き散らかされる。
空よりも深い青をした、蒼い炎が。
「――ブルーフレイム」
クツクツと楽しげな笑い声が怒りに染まったリークメシアの思考に、唐突に割り込んできた。
「その爪と牙で敵を切り裂くなど、野蛮なことをしてくれるなよ」
途端、それまでの激情が嘘のように静まってしまう。
吐き出しかけた火炎は喉の奥へと引き返し、苛立たしげに地を打っていた尾は、戦慄し動きを止めたドワーフを蹴散らすこともなく下ろされた。
「貴方はブルーフレイムなのだから、その名に恥じない戦い方をしなくちゃね」
頭上で旋回を始めた銀の竜の背から嬉々として躍り出た藤彩は、事も無げに着地してみせるとそう言って、普段イヴリースがみせるものとは正反対の、屈託のない笑みを浮かべる。
その手には一振りの刀が握られていた。
「それにもう十分暴れただろう」
いつの間にか人の姿に擬態していたイヴリースが、空の高みからリークメシアを見下ろす。
「残りは私の藤彩におくれ」
答を必要とする問いかけではなかった。
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