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小噺専用
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 ――全く、見てられない


 頭の中に直接響いてくるような声と共に、――ぐにゃり――少し先の世界が歪んだ。


「おい、大丈夫なのか・・?」


 山本の気遣うような言葉をよそに世界は歪み続ける。
 そして、悲鳴じみた高い音と共に、歪みは一つの存在を吐き出した。


「そうも言ってられないでしょう。この状況じゃ」


 背を覆い隠すほどに長い髪を払い、その言葉、仕草とは裏腹に幼い少女は、不敵な笑みを整った容貌に貼り付ける。


「心配なら足手まといをお願いね」


 血のように紅い彼女の瞳は、獲物を捕らえ酷く残忍に輝いた。

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 何度か招かれる内にすっかり見慣れてしまった光景が、どこまでも続いている。
 絵に描いたように美しいこの場所を私は知らなかった。


「骸・・?」


 常ならば柔らかい笑みと共に迎えてくれる少年の姿はなく、名前を呼んでも現れないところを見ると招かれたわけではないのだろうと、リナは状況を正確に把握したがる思考に一応の答を与え、ゆっくりと周囲を見渡す。
 どこまで行けばこの楽園は途切れるのだろうと考えかけて、やめた。ここは俗に言う精神世界[アストラルサイド]なのだから、「ここで世界が終わる」と強く思えば、見据える先は混沌へととって変わる。この世界は、人の心に正直すぎるから。


「どうするかな・・・」


 たった一人でこんな所にいても退屈で仕方ない。美しい光景は別段不愉快でもないから揺るぐことはないし、厄介ごとはごめんだと心底思っているのでその手のことは起きない。故にここはとても退屈な世界だ。
 より強い心の持ち主だけが楽しむことを許される、この世で最もエゴの強い楽園。


「骸ー?」


 あの子は、こんなにも美しい世界を望んでいた。



 たとえそれがどんな無理難題であろうと、お前の頼みなら、結局は仕方ないといいつつ聞き入れてしまうのだろう。


「恭弥、ちょっと出掛けてくるから」
「・・こんな時間に?」
「うん。今夜は帰れないかもしれない」
「携帯の電源は入れておきなよ」
「わかった。おやすみ」
「おやすみ」


 現に今も、私はお前の頼みだからこそこうやって行動している。お前の頼みでさえなければ、今頃温かい布団の中で惰眠を貪っていることができたのに。


「こんな風に話して平気なの?」
「(貴女となら僕に負担はかからないようです)」
「バタフライ・ラッシュのネットワークを経由してるってことか・・」
「(貴女の因子には助けられてばかりだ)」
「それば多分、私も同じ」




「――待ちくたびれましたよ」


 集中治療室。――扉の上に掲げられたプレートにはそう記されていた。


「これでも急いだんだから許して」
「無理を言ってすいません」
「構わないわ」


 だがその中で大人しく治療を受けているべき少女は呼吸器を外し、何でもないように体を起こしている。
 その腕に点滴こそ繋がれているが、それはリナが無理やりに引きちぎろうとはするなと言い含めていたせいだろう。


「服持ってきたから、一旦戻って」
「おや、僕はこのままでも構いませんが?」
「私とこの子が構うのよ」
「仕方ありませんね」


 ふっ、とほんの刹那意識を失ったように見えたが、リナの手を借りるまでもなく華奢な体が倒れることはなかった。
 何度か瞬いた幼い瞳が、やがてまたリナを捉える。


「あなたが、浅葱さま・・?」
「それも私の名前の一つ。でも、リナと呼んでくれると嬉しい。その名前はとても特別なものだから」
「リナ、さま」
「様もいらない。骸に何言われたか知らないけど、私は貴女と対等でありたいと思ってる」
「・・・リナ」
「そう、それでいい。・・貴女の名前は?」
「凪・・」


 今にも零れ落ちてしまいそうな目だ。ついさっきまではあんなにも落ち着いていたのに、今はもう不安と戸惑いで一杯。なのに恐怖は一欠片もない。


「じゃあ凪、私と逃げてくれる?」
「どこへ?」
「貴女が貴女の生きたいように生きられる場所へ」


 眩しいほどに、彼女の存在は真っ直ぐだった。


 私も、いい加減人間らしくなってしまったものだと思う。





「どういうことだ・・?」


 状況を冷静に判断し、大方の目星をつけた思考とは裏腹な言葉が口をついて出た。


「どうせ判っているんでしょう?」


 だがそれも、私をここへ招いた男からすればお見通しらしい。


「・・・正直受け入れがたい」
「ですがこれは現実ですよ? 紛れもなく、貴女は今ここで僕と時間を共有している」
「廻るべき魂を、私は持たないのに?」
「貴女は確かに生きています。少々複雑ではありますが」


 どこかで見たことがあるような、けれど全く知らない光景が見渡す限り広がっていた。


「これも浅葱のおかげか・・」
「貴女が浅葱なんです」
「いいや、どうやら浅葱としての心は持ってこれなかったらしい」


 私はこの場所をしらない。なのに、どこか懐かしい。


「私はどうしようもなくバタフライ・ラッシュだ」


 どうしようもなく胸が苦しかった。


「――イレイザー?」
「っ」



 何故、世界は穏やかに日々を過ごすことを許してはくれない。
 何故、世界は私達を放っておいてはくれない。



「待てっ」



 反射的に踏み出した足は、戸惑いと驚愕に支配された心とは裏腹に体を前へと運んだ。
 行く手を塞ぐように現れた男をかわす為に体勢低く踏み込む。相手は怯まなかったが、急な方向転換についてこれるほどの〝目〟はない。



「リナ・ウォーカー!」
「違う」



 自分にさえ聞こえないほど小さく呟いた言葉は、誰に聞かれることもなく、風に掻き消された。
 さっと走らせた視線が黒光りする銃身を捉えると同時に、培われてきた直感がそれが脅威になりえないことを告げる。――相手はプロであるが故にこんな場所で引き金を引きはしない。いつもの私なら逃げ切れると、囁く。










 だが逃げてどうする?










 緩やかに流れていく日常を、謳歌するようにリナは空を仰いだ。
 伸ばした手が雲を掴むことはないが、気まぐれな風が指先を掠め駆けて行くだけで、自然と笑みが零れる。



「ねー恭弥、今度どこか遊び行こうよ」



 世界はこんなにも温かい。私はそれを知っている。「温もり」を感じる「心」を獲得し、惜しみない温もりを与えられたから。



「――・・どこかって?」
「私の知らないところ」



 晴れ渡る空から午睡を邪魔された雲雀へと目を移し、リナは屋上の中央へと一歩進み出る。



「私が行ったことのないところ」
「いいけど、いつ?」
「いつでもいいの。でも、約束は今して」



 リナが光を背にしているせいで、雲雀にその表情を窺い知ることは出来なかった。
 持ち上げた手を光に翳し――けれどリナの姿は遮らない――、雲雀は光の眩しさとは別の眩しさに目を細める。



「約束するよ」



 君のためだけに、とはあえて言わなかった。
 言わずとも伝わるだろうという傲慢な感情と、こんな想い自分だけが知っていれば十分だという、天邪鬼な感情がぐるぐると奇妙な螺旋を描く。



「ありがとう」



 この世の光を集めたような彼女の存在が、誰よりも深い闇を内包しているという事実を、今は僕と彼女だけが知っていた。


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