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「並中で何が起きてるかはあの金髪外人に聞いた方がいい」
「どうせ知ってるくせに。もったいつけてないで教えなよ」
「勿体つけてなんてない。あの金髪男に都合よく動くのが嫌なんだよ」
「なにそれ」
「あいつ、私のことはお前を動かすために利用してるのに事情は説明しようともしないじゃないか。なのにこれ以上あいつの苦労を減らすのは癪に障る」
「知らないよ、そんなの」
「それにあの金髪が恭弥にどう説明するか見てみたい」
「…そういうこと」
「ん?」
「つまり君は嫌がらせに僕を利用するんだ」
「…嫌?」
「別に。いいよ、好きにすれば」

 僕だって君を利用してる。

「――そうだな」


----


「今日は雨戦だって」
「ん…?」
「見に行くから車出しなよ」
「んー…」
「…眠そう」
「眠いんだよ本当に」
「事故らないでよ」
「頑張る」


----


「寝てていい?」
「好きにすれば」
「抱きついてていい?」
「いつもだろ」
「…それもそうか」

「終わったら起こして」
「落として?」
「…それは最後の手段にしてください」
「気が向いたらね」
「……おやすみ」
「おやすみ」
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「ねぇ、まだ?」

 もういいだろうと、背中へ回った恭弥の手は容赦も遠慮もなく私の髪を引く。

「まだじゃない」

 ぐいぐいやられて、仰け反りそうになるのを耐えたらそれはそれで頭皮の被害が甚大だ。
 やり方が子供じみてる。

「もういいから引っ張るな、抜ける」

 駄々っ子の手を抑えて体を離すと、恭弥を押し付けていた服の惨状が顕になった。血まみれ、というにはまだ足りないが、取り返しがつかない程度には血が染みてしまっている。

「おっまえなぁ…」

 話の途中で急に自分から擦り寄ってきたのはこのためか。

「なに」
「擦るなって言っただろ、傷が残ったらどうすんだ」
「残らないよ」

 何を根拠に、とは言い返せなかった。

「残ったことがない」

 これまでそうだったのだからこれからもそうなのだと、分かりきった顔で乾いた血の張り付いた唇を舐める。
 本当に分かってやっているのならとんでもない。

「手当する人間の腕がいいからな」
「手当?」

 あれが? ――揶揄するようでいて、心の底から酷くおかしそうに笑った恭弥は機嫌が直ったのか、そのままふらりと屋上を出て行った。

「あんたの事は殴らないんだな」
「引き金は引くがな」
「は?」

 この自由人め。

 来客用の駐車スペースに押し込んだ愛車に寄りかかりながら煙草を吸い始めてしばらく。無駄な存在感を無為に振りまく男はいかにも金持ち臭い高級外車でやってきた。

「よう」
「…どうも」
「あんたの車か? それ」

 そういう私も、人の事をとやかく言えるような車には乗ってないけど。

「いい色だな」
「恭弥の趣味」

 深い血溜りの色だと笑って言えば、《跳ね馬》とお付きの黒服は苦く笑った。

「あいつらしいな」

 声は少しだけ呆れ混じり。

「ところであんた、恭弥とはどんな関係なんだ?」

 ここでようやく本題。

「それを言うなら私こそあんたがどういうつもりで恭弥にちょっかいかけてるのか知りたいね、ドン・キャバッローネ」
「…同業者か」
「まさか」

 しらばっくれられるかと思ったのに、隠す気はないらしい。

「マフィアなんて群れた仕事、恭弥が許してくれない」

 ふぅっ、と最後のつもりで吐き出した紫煙が消える前に煙草を灰皿へ押し込んだ。それをシガレットケースごと車内へ放り込んで鍵を掛ける。

「私はリナ。…あんたは?」
「ディーノだ。こっちは部下のロマーリオ」
「どうも」
「よろしくすると恭弥がいい顔しないんだけど…まぁいいか」

 手の中へ握り込んだ鍵は次の瞬間消えて失くなった。勿論それを悟らせるような事はしないけど。

「で、あんたと恭弥の関係は?」
「野良猫と餌やりおばさん」

 至極真面目な声と表情でもって答えると、さも訝し気な目を向けられた。こっちは結構真剣だっていうのに。

「あんたは?」
「ある人から恭弥の家庭教師を頼まれてる」
「ふぅん…」
「悪いな。あんたの素性が分からない以上詳しい事は話せないんだ」
「別にいいさ」

 元々まともな回答は期待していなかった。素性さえ誤魔化されると思っていたのが正直なところ。

「あんたが悪意でもって恭弥を傷付けさえしなければ」

 私の本題はこっち。


「――何してるの」


 だというのにここで邪魔が入った。ある程度予測はしていたとはいえ、せめて言質がとれるまで待ってくれればいいものを。

「ただ話してただけだぜ?」
「…どうだか」

 ふらりと、それこそ気まぐれな猫のように現れた恭弥は、《跳ね馬》の言葉を受けて酷く胡乱気な視線を私へ向けた。

「あなたはそのつもりかもしれないけどね」

 なんというか、もうバレバレだ。

「人聞きの悪いこと言うなよ」

 批難する言葉には自分でも驚くほど説得力というものがない。

「まだ何もしてない」
「まだ?」
「まだ」

 揚げ足取りに繰り返して笑う恭弥はあからさまに愉快そうな顔をした。

「ちゃんと決めただろ」

 とんでもない。

「君が勝手にしていいのは僕の目の届かない範囲でだけ。ここで何かするのはルール違反だ」
「わかってるよ」

 引き際は分かってる。恭弥に見つかった時点で私は引くしかない。恭弥が私に対して寛大なのは、お互いのテリトリーが確と守られている間だけだ。
 

「それと、誰が野良猫だって?」
「お前いつからいたんだよ」
「注意力が足りてないんじゃない」


「じゃあなんて言えばいい?」
「そんなの自分で考えなよ」
「カレカノって言うぞ」
「好きにすれば」

「うわぁ…」

「あんた、顔真赤」
「うるさい」

 携帯の、アラームではなく着信音で目が覚めた。

「――……もしもし…?」
〈Bonjour, Farfalla. …ごめんなさい、まだ寝てた?〉

 半分どころかほとんど上掛けに埋れたまま、腕だけ出して音源を引き寄せる。どうせ番号を知っているのは片手で足りる人数だからと、そのまま寝起きである事を隠そうともせず電話に出た。

「ん…」
〈寝ながらでもいいからとりあえず聞いて〉
「Oui…」

 電話の向こうで静香が浮かべているであろう、すまなさそうでいて微笑まし気な表情が瞼の裏に浮かぶ。上掛けの上から頭を撫でられているような錯覚を伴う心地良い声は、けれどすぐさま目の覚めるような爆弾を落とした。

〈ヴァリアーの主力メンバーが日本へ向かったわ〉
「……うわぁ…」

 せっかくの朝が台無し。

〈…驚かないのね〉
「いや驚いてるよ、充分」

 おかげですっかり眠気が飛んだ。

〈何か心当たりでも?〉
「今こっちでハーフボンゴレリングが配られてる」
〈うわぁ…〉

 それでも未練がましくずるずると上掛けの下から這い出す。顔を上げた途端閉め切られていなかったカーテンの隙間から差し込む陽光に目を焼かれた。

〈大丈夫なの?〉
「…どういう意味で?」

 いつも起きる時間より随分早い。

〈貴女の恋人よ〉
「もう雲の刻印のついた指輪を受け取ってる」
〈…思いっきり渦中の人ね〉
「あぁ」

 まったく困った奴だよ、と溜息一つ。

「その上跳ね馬に鍛えられてる」
〈…この展開を予想した上で迎え撃つ気でいるって事?〉
「そうでない事を祈ってるよ」
〈頭痛くなってきた…〉

「静香、悪いんだけど…」
〈高跳び?〉
「は、恭弥が嫌がるから無理」
〈…じゃあ、何が「悪い」の?〉
「また迷惑かけそうだから」
〈迷惑? なによそれ〉

〈私が好きでやってるんだから、いいのよ〉
「ありがとう」
〈Je vous en prie〉
「よかったのか?」
「何が」
「あれ、キャバッローネね跳ね馬だろ」
「知らない。赤ん坊の知り合いだとは言ってたけど」
「赤ん坊?」
「赤ん坊」
「…わからね」
「そう」

(情報通でない蝶)


---


「じゃあ私帰るけど…」
「うん」
「帰りは迎えにくるから電話して」
「…どうして」
「雨降るって天気予報で言ってた」

(自分のものだって見せびらかしたい蝶)


----


「何しに来たの」
「迎え」
「呼んでもないのに来るな」
「ごめんごめん」

(見せびらかしたくない委員長)


----


 引き寄せた頭にそっと唇を押し付けて笑った。

「夕方迎えにくるから」
「好きにすれば」

(二人の世界)


----


「…煙草、吸うんだ」
「うん、まぁ…口寂しい時たまにな」
「やめなよ」
「煙い?」
「キスした時苦そうだから」

(する事前提)


----


「ねぇ、」
「んっ?」
「なんで、キス、しないの…」
「あー…」
「たば、こ?」
「うん」
「やめろ、って…言った…」
「分かってるって」

(口寂しい→煙草吸う→キス出来ない→口寂しい、の無限ループ)

 昼前に起きて弁当を作り、正午までに届ける。――それがようやく日課と呼べるようになった頃、事は起きた。
 おかしいと思ったのは並中の敷地に入ってから。恭弥が殺気を駄々漏れにしている事なんて珍しくもないけど、その殺気がどうにもおかしかった。苛立ち混じりなのにどこか楽し気。普段目障りな群れを咬み殺している時とは明らかに様子が違う。
 その理由が気になって屋上へ顔を出すと、尋ねるまでもなく答は知れた。同時にまた別の疑問が浮かびもしたけど。

「あぁ、来たんだ」

 気配も音も無く、屋上の扉を押し開けた私を真先に恭弥が見つけるのはいつものこと。何か特別なセンサーでも付いているのか、隠れようとして隠れられたためしがない。

「来たよ」

 不思議だ。

「恭弥の知り合いか?」
「貴方には関係ない」
「…恭弥ぁ?」

 私が来てからも休まず恭弥と武器を交えていた男の、馴れ馴れしい言い様に思わず声が裏返る。

「恭弥、誰だよそれ」
「知らない」
「おっまえなぁ…!」

 素っ気ない答に声を上げたのは男の方だ。心外だとでも言いたげに「リボーンの知り合いだってちゃんと言っただろ」だのなんだのぶつくさ続ける。それを恭弥は「関係ないよ」とバッサリ切り捨てた。

「僕は貴方を咬み殺せればそれでいい」

 そりゃあお前はそれでいいだろうさ。

「弁当どうするんだよ」
「後でいい」
「…あっそ」



----



「あぁ、来たんだ」

 音も気配も完璧に絶てていたのに、恭弥はいつものごとく扉を開けた時点で私の存在に気付く。視線はちらとも向けられなかったが、端の吊り上がった唇から零れたのは間違いなく私に向けての言葉だ。

「来たよ」

 声を上げ、気配を絶つ事を止めてようやく、恭弥と対峙する金髪男とフェンスにもたれていた黒服が私の存在に気付く。

「…誰だ?」

 そう、これが正しい反応だ。

「貴方には関係ない」

 金髪男の問いかけに答えたのは尋ねられた私ではなく武器を交える恭弥。その取り付く島もない言い様に、慣れている私はともかく他の二人は苦く笑った。

「そうでもねぇだろ、俺はお前の家庭教師なんだぜ?」
「なにそれ」

 今度は恭弥に対する言葉へ私が答える。複雑な軌道を描く会話を、気にした風もなく男は笑った。

「俺はディーノ。ある人物に頼まれてしばらくこいつの家庭教師をする事になった」

 なにそれ。

「僕は認めてない」
「まぁそう言うなって」

 ことりと首を傾げて、いくらか黙考。したところで何も分かりはしなかった。圧倒的に情報が足りていない。

「面倒臭いな…」

 ぽつりと独り言のように呟いて右手を腰の後ろへ回す。その動作を見慣れた恭弥は途端嫌そうな顔をして、金髪男の側から飛び退いた。それを不審に思ったのだろう、恭弥の視線を辿った男が振り返る。
 私はにっこり笑ってありもしないホルスターから装飾銃を引き抜いた。

「――なっ、」

 同時に、濡れたように黒かった髪から色が抜ける。漆黒から青みがかった銀色へ。同じように目の色も青から赤へと変化しただろう。白地に黒の意匠が施された装飾銃を構えれば完璧だ。

「ファルファッラ…!?」

 仕事用の格好は意外と使える。とりあえず名乗る必要はないのだ。もっとも私は自分から「ファルファッラ」だなんて名乗ったことは一度だってないけど。
 《ファルファッラ》の銃口をぴったり金髪男の眉間に合わせ、ことりと首を横倒す。顔は勿論笑顔のまま。こうした方が相手の恐怖心を煽る事が出来ると静香が言っていた。

「恭弥」

 とうに武器を下ろしていた恭弥は、やれやれと肩を落として私に近付く。手を伸ばせば届く距離ギリギリで立ち止まったところを片手で引き寄せ、緩く抱きしめながら耳元でそっと謝罪した。
 諦め混じりに零される溜息は恭弥なりの許容。

「お昼持ってきてるから、先に食べてて」
「いいよ」

 私は内心ほっとしながら恭弥を送り出した。

「さて、と…」

 ばたんと扉が閉まる音を合図に顔から表情が消える。

「心配するな」

 かちりと撃鉄を起こす音が静かに落ちた。

「恭弥が煩いから殺しはしない」

 そうは言っても、お気に入りに手を出されて大人しくしていられるほど私も大人じゃない。

「事情によってはその限りじゃないけどな」

 こう見えて結構大人気ないのだ。





 金髪男はあっさり口を割った。自分の素性から恭弥がおかれている状況まであらいざらい。あまりにあっけなく喋るものだから呆れて嬲る気も失せ、結局私は一度も引き金を引く事なく銃口を下ろした。

「…面倒くさい事になってる」

 手放した銃はコンクリートの地面とぶつかる直前ぱっ、と霧散する。合わせて髪色も元に戻った。目の色も。それを見た金髪男――キャバッローネの《跳ね馬》ディーノ――は狐につままれたような顔をした。

「術士なのか?」
「企業秘密」

 幻覚を使ってやれない事もないが、今ほど上手くやれる自信はない。

「話はわかった」

 昼前に起きて弁当を作り、正午までに届ける。――それがようやく日課と呼べるようになった頃、事は起きた。
 おかしいと思ったのは並中の敷地に入ってから。恭弥が殺気を駄々漏れにしている事なんて珍しくもないけど、その殺気がどうにもおかしかった。苛立ち混じりなのにどこか楽し気。普段目障りな群れを咬み殺している時とは明らかに様子が違う。
 その理由が気になって屋上へ顔を出すと、尋ねるまでもなく答は知れた。同時にまた別の疑問が浮かびもしたけど。

「なんで跳ね馬…」

 所属している組織の性質と立場上、元々そういう情報は手に入りやすい。けれどそれを抜きにしても恭弥と武器を交えるイタリアーノが誰であるかくらい、裏社会へ足を踏み入れたばかりの下っ端にだって分かっただろう。トレードマークの刺青が隠れていたって、今時鞭を使う人間自体珍しいのだ。

「――誰だ?」

 状況を掴みかねて気配の絶ち方が甘くなっていたところを、フェンスにもたれ恭弥と《跳ね馬》の闘争を眺めていた黒服に見つかる。次に自分が取るべき行動がいまいちどころかさっぱり分からなかった。
 どうしたものかと視線を流せば、今気付いたといわんばかりに恭弥が笑う。

「あぁ、来たんだ」

 白々しい。

「知り合いか?」
「貴方には関係ないよ」

 恭弥と対峙する《跳ね馬》に殺意や悪意の類がないのは分かるから、多分手を出す必要はないのだろう。それにしたって訳の分からない光景だ。中学生とマフィアのボスが学校の屋上で戦っているなんて、そうそうある事じゃない。むしろ今ここで実際目の当たりにしていなければありえないと言ってもいいくらいだ。接点がさっぱり思いつかない。

「私には関係あるから説明して!」
「知らない」

 頼むから面倒事は私が日帰りでどうにか出来る範囲にしてくれ。

「お前なぁ…」

 頭を抱えかけたところで《跳ね馬》が「あっ!」と悲鳴じみた声を上げた。つられて顔を上げながら額直撃コースで投げ寄越された「何か」を受け取る。

「朝来たら応接室にあった」

 投げた恭弥は「あとは勝手にしろ」とでも言わんばかりに武器を構え直し、愕然とする《跳ね馬》の懐へ突っ込んだ。反応は遅れたものの紙一重でトンファーの攻撃を往なした《跳ね馬》の意識は、半分こっちに向けられている。私に、というよりこれは投げて寄越されたものにだろう。
 理由はその「何か」を見ればすぐに分かった。

「……ボンゴレリング…」

 これなら私だって悲鳴をあげたくもなる。

「お前、これ…」

 そもそもこんなものがここにある事自体間違っているのだ。その上「応接室にあった」?
 んな馬鹿な。

「――あぁもうっ!」

 今度は私が悲鳴じみた声を上げて歪な指輪を握り込む。乱暴に頭を掻きむしった片手を凪ぐよう肩と平行に振り切って返した拳を開くと、手品のように黒い蝶が現れ翅を広げた。

「やめろ恭弥、そこまでだ!!」

 ひらりと舞い上がった蝶に恭弥はあからさまに嫌そうな顔をする。それでも《跳ね馬》との闘争をやめようとしないのは、私が自分に対して「これ」を使うはずがないと高を括っているからだろう。忌々しい。全くもってその通りだ。脅しが脅しになってない。
 だけど私も、今回ばかりは引くに引けない理由がある。

「チッ」

 舌打ち一つ。《跳ね馬》の方へと駆け出す私に、恭弥が目を瞠るのが視界の端で見て取れた。この展開は想像出来なかったのだろう。お互いの獲物に手を出さないというのが私達の間にある暗黙のルールだ。私はおろか恭弥でさえ、それを破った事は今まで一度だってなかったのだから。

「なっ――」

 展開が読めなかったのは《跳ね馬》も同じ。それでも振り向き様どうにか対応しようとした事は賞賛に値する。振り向いた瞬間本気で鞭を振るわれていたら私も一旦飛び退くしかなかっただろう。けれどそれ以外の中途半端な反応はないも同じだ。傷付ける事を躊躇った時点で勝負はついている。

「ボス!!」
「手を出すな、ロマーリオ!」

 屋上のざらついた地面へ《跳ね馬》を押さえ込んだ私を、恭弥は呆れ混じりに見下ろしていた。けれど不意に交わっていた視線を外すと、武器をしまい無言でロマーリオと呼ばれた黒服へと近付いていく。
 黒服――ロマーリオ――は一旦私の胸元へ照準を合わせた銃口を、《跳ね馬》の言葉によって下げたまま迷わせていた。ボスが素性の分からない女に押さえ込まれたこの状況で、どうするべきか量りかねているのだろう。私は敵意を顕にしていない。だからといって、《跳ね馬》を傷付けないという保証はどこにもないのだ。

「リナ」

 手を伸ばせば銃を叩き落とせる距離。立ち止まった恭弥は動向を窺う《跳ね馬》やロマーリオの事なんて素知らぬ顔で私を呼ぶ。その意図が分かっているのは私だけだ。

「――ファルファッラ」

 私に呼ばれ、下げられていた銃口から黒い蝶が現れる。
 いつの間に、という驚愕はいつまで経っても聞こえてこなかった。その代わり《跳ね馬》とロマーリオははっと息を呑みながら体を強張らせる。
 これは恭弥の報復だ。目には目を、歯には歯を。先にルールを破ったのは私だから自分は悪くないとでも言わんばかり。舞い上がった蝶を肩にとまらせ、振り向いた恭弥は嘲るよう口角を吊り上げる。

「殺すなら校外でね」

 恭弥の楽し気な一言で、それでなくとも張り詰めていた空気が更に針のような緊張を孕んだ。

「ちょっと聞きたい事があるだけだよ」
「どうだか」

 私が努めて軽く答え、恭弥が同じくらい軽い調子で返しても空気はさっぱり緩まない。
 まぁ、当然と言えば当然だが。

「お昼は応接室においてるから」
「そう」

 今ここにある何もかもから興味を失くしたような顔で、素っ気なく答えた恭弥は振り返りもせず屋上を後にした。残されたのは私と《跳ね馬》とロマーリオと、如何ともし難い緊張感。
 この程度で乱入をなかった事にしてくれたと、喜ぶべきかは微妙なところだ。

「なんでバラしちゃうかな」

 思わずぼやきたくもなる。
 とりあえずずっと押さえ込んだままだった体の上から退くと、起き上がった《跳ね馬》は慎重に私から距離をとった。心外だ。

「別にとって喰いやしないって」

 無害である事をアピールするため肩口でひらつかせた両手に意味はない。恭弥が考えている以上に《ファルファッラ》は悪名高いのだ。心臓が弱い奴は名前を聞いただけでぶっ倒れてもおかしくない。
 恭弥は知らないだろうけど、これでも有能な殺し屋なのだ。

「私、今休暇中だし」

 それはもう「死」と同一視されるほどには。





(望んだ平穏と歪な現実/蝶と雲と跳ね馬。ゆびわ)
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