昼前に起きて弁当を作り、正午までに届ける。――それがようやく日課と呼べるようになった頃、事は起きた。
おかしいと思ったのは並中の敷地に入ってから。恭弥が殺気を駄々漏れにしている事なんて珍しくもないけど、その殺気がどうにもおかしかった。苛立ち混じりなのにどこか楽し気。普段目障りな群れを咬み殺している時とは明らかに様子が違う。
その理由が気になって屋上へ顔を出すと、尋ねるまでもなく答は知れた。同時にまた別の疑問が浮かびもしたけど。
「あぁ、来たんだ」
気配も音も無く、屋上の扉を押し開けた私を真先に恭弥が見つけるのはいつものこと。何か特別なセンサーでも付いているのか、隠れようとして隠れられたためしがない。
「来たよ」
不思議だ。
「恭弥の知り合いか?」
「貴方には関係ない」
「…恭弥ぁ?」
私が来てからも休まず恭弥と武器を交えていた男の、馴れ馴れしい言い様に思わず声が裏返る。
「恭弥、誰だよそれ」
「知らない」
「おっまえなぁ…!」
素っ気ない答に声を上げたのは男の方だ。心外だとでも言いたげに「リボーンの知り合いだってちゃんと言っただろ」だのなんだのぶつくさ続ける。それを恭弥は「関係ないよ」とバッサリ切り捨てた。
「僕は貴方を咬み殺せればそれでいい」
そりゃあお前はそれでいいだろうさ。
「弁当どうするんだよ」
「後でいい」
「…あっそ」
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「あぁ、来たんだ」
音も気配も完璧に絶てていたのに、恭弥はいつものごとく扉を開けた時点で私の存在に気付く。視線はちらとも向けられなかったが、端の吊り上がった唇から零れたのは間違いなく私に向けての言葉だ。
「来たよ」
声を上げ、気配を絶つ事を止めてようやく、恭弥と対峙する金髪男とフェンスにもたれていた黒服が私の存在に気付く。
「…誰だ?」
そう、これが正しい反応だ。
「貴方には関係ない」
金髪男の問いかけに答えたのは尋ねられた私ではなく武器を交える恭弥。その取り付く島もない言い様に、慣れている私はともかく他の二人は苦く笑った。
「そうでもねぇだろ、俺はお前の家庭教師なんだぜ?」
「なにそれ」
今度は恭弥に対する言葉へ私が答える。複雑な軌道を描く会話を、気にした風もなく男は笑った。
「俺はディーノ。ある人物に頼まれてしばらくこいつの家庭教師をする事になった」
なにそれ。
「僕は認めてない」
「まぁそう言うなって」
ことりと首を傾げて、いくらか黙考。したところで何も分かりはしなかった。圧倒的に情報が足りていない。
「面倒臭いな…」
ぽつりと独り言のように呟いて右手を腰の後ろへ回す。その動作を見慣れた恭弥は途端嫌そうな顔をして、金髪男の側から飛び退いた。それを不審に思ったのだろう、恭弥の視線を辿った男が振り返る。
私はにっこり笑ってありもしないホルスターから装飾銃を引き抜いた。
「――なっ、」
同時に、濡れたように黒かった髪から色が抜ける。漆黒から青みがかった銀色へ。同じように目の色も青から赤へと変化しただろう。白地に黒の意匠が施された装飾銃を構えれば完璧だ。
「ファルファッラ…!?」
仕事用の格好は意外と使える。とりあえず名乗る必要はないのだ。もっとも私は自分から「ファルファッラ」だなんて名乗ったことは一度だってないけど。
《ファルファッラ》の銃口をぴったり金髪男の眉間に合わせ、ことりと首を横倒す。顔は勿論笑顔のまま。こうした方が相手の恐怖心を煽る事が出来ると静香が言っていた。
「恭弥」
とうに武器を下ろしていた恭弥は、やれやれと肩を落として私に近付く。手を伸ばせば届く距離ギリギリで立ち止まったところを片手で引き寄せ、緩く抱きしめながら耳元でそっと謝罪した。
諦め混じりに零される溜息は恭弥なりの許容。
「お昼持ってきてるから、先に食べてて」
「いいよ」
私は内心ほっとしながら恭弥を送り出した。
「さて、と…」
ばたんと扉が閉まる音を合図に顔から表情が消える。
「心配するな」
かちりと撃鉄を起こす音が静かに落ちた。
「恭弥が煩いから殺しはしない」
そうは言っても、お気に入りに手を出されて大人しくしていられるほど私も大人じゃない。
「事情によってはその限りじゃないけどな」
こう見えて結構大人気ないのだ。
金髪男はあっさり口を割った。自分の素性から恭弥がおかれている状況まであらいざらい。あまりにあっけなく喋るものだから呆れて嬲る気も失せ、結局私は一度も引き金を引く事なく銃口を下ろした。
「…面倒くさい事になってる」
手放した銃はコンクリートの地面とぶつかる直前ぱっ、と霧散する。合わせて髪色も元に戻った。目の色も。それを見た金髪男――キャバッローネの《跳ね馬》ディーノ――は狐につままれたような顔をした。
「術士なのか?」
「企業秘密」
幻覚を使ってやれない事もないが、今ほど上手くやれる自信はない。
「話はわかった」
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