他人に触られるのが嫌いで、厳密に何が嫌かと問われれば偏に体温というものが我慢ならない。冷たければ、問題なく触ることが出来るのだから。
私に触れる人間は、恭弥以外皆一様に死んでいるべきなのだ。
「お前はまたそういう無茶なことを…」
アリスに触れられるのは、実のところそう不快でもない。でなければ傍にいることだって許したりはしないのだ。機嫌の悪い時は人間なんて、隣に立たれるだけでも死ぬほど不愉快なのだから。そんなものを四六時中傍においてはいられない。
「恭弥にはベタベタしてるじゃないか」
恭弥に触れられるのは心地いい。元々一つの命。同じ体温を分けあって生まれたのだから。恭弥の熱を不快に思ったことは一度もなかった。あの温度に耐えられなくなったら、きっと私は自分自身でさえ生かしてはおけなくなってしまうに違いない。
「我侭な奴だなぁ」
だから、私に触れようとしてくる方が悪いのだ。
PR
何の前触れもなく抱きついたら、リドルはすぐに抱き返してくれた。それから少し首を傾げて、「どうかしたの?」と不思議そうに尋ねてくる。別に意味のある行動じゃないから、私は首を横に振るだけ振って何も答えなかった。ただ抱きつきたくなったから抱きついただけで、本当に深い意味なんてない。
「珍しいね」
「…そう?」
「そう」
「リドルが言うなら、そうかもね」
「うん」
----
鳩尾の前で組まれた手が解けて、背中に張り付いていた熱が離れる。
「まだ寝てていいよ」
開きかけた瞼に手の平で蓋をしたリドルは、耳元で囁くようにそう言った。
----
リドルが何を思ってどう行動するのか、私は知っている。リドルだってそうだ。私達は互いに互いの考えている事が分かる。だから私がリドルを拒む事はないし、リドルだって、私を一人にしたりしない。
(時々どっちかわからなくなる感じの話)
----
赤い装飾の付いた、黒い指輪。これさえあれば、私はどこでだって生きていける。だからこれ以外の物は、極端にいえば不要。
「本当に極端だね」
私の思考を読み取ったリドルが、面白いものでも見るように私を見下ろす。私と同じ、黒の指輪を嵌めた手はもう長い間
----
薄暗い部屋には、蝋燭の明かりが一つだけ灯されていた。小さな炎はゆらゆらと忙しなく揺れて、天井に映る影を生き物のように蠢かせている。
その影を眺めているうちに、寝起きでぼんやりとしていた頭は徐々に働き始める。まずは起きなくてはと、起こした身体の上を薄手のブランケットが滑り落ちた。
「リドル――」
ベッドサイドに置かれたスツールは無人。その代わり、枕元で黒い猫が丸まって目を閉じている。
「リドル」
意識して呼ぶと、黒猫は静かに目を開けて私を見上げた。真紅の瞳には少しだけ不機嫌そうな色が滲んでいる。
「お腹すいた」
「丸一日寝てたからじゃない?」
「何か作ってよ」
「……仕方ないなぁ…」
起こされたのが不満なのか、黒猫は少し渋るように目を細めてから、本当に仕方なさそうに体を起こした。
ぐぅっ、と目一杯伸びをして、欠伸を一つ。
「朝まで寝てれば良かったのに」
ぼやいた黒猫は音もなくベッドを飛び下りて、独りでに開いた扉から部屋を出て行った。扉はまた独りでに閉じて、蝋燭の火が大きく揺れる。
「ひどい」
----
ルーラが地下の書庫へ下りて、そろそろ一時間経つ。
「クロウ」
壁に掛けた時計の針が午後二時半を指し示すのを合図に、リドルは定位置のソファーを離れた。一瞬で人に擬態したクロウへ読んでいた本を放り、キッチンへ向かう。
別に何を言われた訳でもないが、クロウは投げて寄越された本を持って地下へ下りた。半開きになった書庫の扉を二度叩いてから開く。
「主」
「…なに」
呼ばれてから少しの間を挟んでルーラは顔を上げた。クロウが手に持つ本を示すと「あぁ、」と納得顔で立ち上がる。
「かして」
差し出される手にクロウは大人しく従った。ルーラやリドルと違って、クロウは書庫の全容を把握しきれていない。
「今日のおやつ何だった?」
自分が今まで読んでいた本と、クロウが持ってきたリドルの本。その両方をあるべき場所へ戻してルーラはクロウに尋ねた。クロウは少しだけ首を傾け、「ラズベリーの匂いがしていました」とだけ答える。今一つ的を得ない答だが、彼の主からしてみればそれだけで十分だった。
----
最近、リドルは昼間猫の姿でいる事が多くなった。する事が無い時は大抵日向か私の膝で丸くなっている。寒いらしい。ためしに抱えたまま外へ出てみたら真面目に怒られた。もうしない。
----
地下の書庫で本を読んでいたらリドルが不機嫌顔でやってきた。目が怖い。
「どうかした?」
「……」
「リドル?」
でもその原因は私じゃない。私相手に、リドルはこんな顔をしない。私のせいで機嫌が悪いのなら、ちゃんとその理由を話してくれるはずだ。
----
リドルと一緒にいるのはとても楽で、何一つ不自由がない。でもたまにその楽さが後ろめたくなる事がある。リドルは私の事なら何でも知っていて、私が一番快適に過ごせるように心を配ってくれるのに、私はリドルの事を何も知らない。分からない。
それがたまに、どうしようもなく苦しくて、苛立たしくて、もどかしい。
「ルーラ」
でもそんな考えすらリドルにはお見通しで、私がぐるぐる考え込んで動けなくなった時は、いつもただ名前を呼んで抱きしめてくれる。「そのままでいいんだよ」って、私をずるずると自分の領域へ引きずり込んで出られなくする。
それは抗い難い誘惑だ。
「ルーラ」
「なに…」
----
リドルはいつも私が何を見て何を感じて、何を思っているのか知っている。そういうものなのだと、私は知識として自覚している。
----
自分が少しおかしな存在なのだと、私はなんとなく理解していた。でもその事を気に病んだりはしていない。全て時間が解決してくれると分かっているから。
今はただ思う通りに生きていればいい。
----
シルバーストーンは、誇り高きスリザリンの血族。
----
俺を造った男は拾い物をするのが趣味だった。
----
朝目が覚めて、階下に下りたらソファーに子供がいた。しかも二人。
「…どゆこと?」
「拾った」
俺の独り言に一言で答えたサラは、眠っている二人に自分のローブをかけて部屋を出ていく。
「拾った、って…」
シンクの中には、甘い匂いのするカップが二つ放りこまれていた。
「誰が面倒みるんだよ」
----
サラが拾ってきた二人の子供は、思ったより簡単に俺達の生活に馴染んだ。二人とも歳の割に大人びていたのが良かったんだと思う。初めこそ子供は煩くて我儘な生き物だから邪魔になる、こっそり捨ててこようと毎日のように持ちかけて来ていたマリアも、二人がそのどちらにも当てはまらない事に気付いて口を噤んだ。とりあえずは。
----
サラが死んでも、銀石は泣かなかった。
「おやすみなさい、サラザール。愛しい人」
そう言って冷たくなったサラにキスをしただけ。
泣きわめいてその死を否定したがったのは、マリアだけだった。
「アッシュも、今までありがとうね」
「…これからも、だろ?」
俺の言葉に、銀石はただ微笑むばかりだった。だから俺は彼女が今何をしたいのかが分かってしまって、少しだけ泣きそうになる。
「ぎんせき、」
「私、この人を愛してしまったのよ。アッシュ」
だからと、銀石は酷く穏やかな顔でサラに触れた。
「大丈夫。あなたはとても長生きだから、きっとまた会えるわ」
後は好きにしていい。――そう言ってサラは息を引き取った。だから俺は銀石のする事を止められない。ただ見ている事しか出来なかった。
今日、緋星の姿を一度も見ていないのは、きっとこのためだったんだ。
----
考えている事も感じている事も、私達は何もかもを共有する事が出来るけど、別に二十四時間三百六十五日そうな訳じゃない。どちらかが意識しなければ、普通の人と同じ。だからふとした瞬間、リドルは私の世界から姿をくらませる。
----
正直、何が起きたか分かりたくもなかった。
----
「ルーラ」
そっと、押し殺した声でリドルは私を呼んだ。「ルーラ」「ルーラ」と、何度も、何度も、確かめるように。
「ルーラ」
私はただリドルにされるがまま、横になって目を閉じていた。
時々頬に添えられた手が静かに滑って、体の線を確かめるように素肌をなぞる。
----
「ルーラ」
咎める、というより呆れの方が強い声で、リドルは私を呼ぶ。同時に放り出していた腕を掴んで引き起こされた。
「せっかく気持ち良くなってたのに…」
お風呂上がりの温かいまどろみが一気に吹き飛ぶ。
「髪くらい乾かしなよ」
それでもまだ半分以上眠りに足を突っ込んでいた意識は、わしわしと乱暴に髪を拭く手に無理矢理引き戻された。
『痛い』
「目は覚めた?」
『眠い』
----
姿が見えない。――そう思って行方を捜したのは、単なる気紛れのようなものだった。家から出さえしなければ彼女がどこで何をしていようと構わない。だけどその時は何故か気になった。どこで何をしているのだろうと、知りたくなった。
だから探して、行きついた。
「――ルーラ?」
ザァザァと、音がする。降りしきる雨にも似た水の音。それはすぐそばで聞こえていて、その向こうから誰かが私を呼んでいた。
それが誰かなんて、考えるまでもない事だけど。
「ルーラ」
もう一度、今度はさっきより近くで呼ばれる。さっきより近くて、少しだけ不機嫌そうな声だった。
「…なぁに?」
「なに、じゃないよ」
雨の音がぴたりと止んで、火傷しそうなほど熱い手の平が頬に触れる。驚いてびくりと体を揺らしたら、声の不機嫌さが増した。
「冷たい」
「…そう?」
「死人みたいだね」
「そんなに私の事殺したいの?」
「殺されるような事してる自覚は?」
「死なない程度になら」
「…よく言うよ」
確かめるように濡れた髪を何度か梳いて、リドルは杖を抜いた。
「いい加減目を開けなよ」
抜く、気配がした。
「でないと乾かしてあげない」
「このままでいい、って言ったら?」
「真水の次は熱湯のシャワーを浴びたい?」
----
「気味の悪い子」
誰が口にするまでもなく、私は自分が周囲にどう思われているのかを知っていた。人形のような見目の通り泣きも笑いもしない《ハートレス》。気味の悪い出来損ない。一族内で最も濃い血を持ちながら、黒い髪も目も持たない銀の異端児。――私は知っていた。知る事の出来る力を残されたから。
----
次に目が覚めた時、全ては終わっていた。
「調子は?」
「…問題ない」
ソファーに横たえられた私の顔を覗き込むアッシュの目は片方が色を失くしている。逆に私の右目は赤く輝いているのだろう。――老体共の目を剥くさまが目に浮かぶ。
「お前、目悪かったんだな」
「アッシュが見えすぎるんだ。…やっぱりまだ慣れない。くらくらする」
左右で見え方の違う目は少しだけやり辛い。
<仮にも君は物語の主人公。その守護たるそれに嫌われたのは私か、はたまたこの呪われし血筋か>
ぐらつく視界。
感覚の麻痺した右手。
「私に恨みでもあるのかしらね」
自嘲気味に呟いて、ルーラは意図的に唇を噛み切った。
つ、と伝った鮮血をとりあえず右手首に擦りつけ小さく呪文を唱える。
「気休めだね」
悪趣味。
誰もいないはずの空き教室から伸びた手と希薄な気配に、声には出さず呟いた。
「知ってる?」
覗き込むようにして見下ろしてくる真紅の瞳にどこか安堵する。
「君の痛みは僕にも伝わって来るんだよ」
嗚呼――
「ごめん」
私は独りではなかったのだと
----
<せめてあんたが穏やかに眠れるように、俺は柄にもなく嘘を吐こう>
「遺される俺たちの気持ち何て考えてないだろ、お前」
「私は自分勝手だからな」
「よく言う」
行儀悪く机に腰掛け片足を抱いたまま、俺は緩く目を細め左手を持ち上げた。
「ただ、」
整った造形。
けれどそれは自分たちを造り出した彼にも言えることで、そういえばサラの周囲で見目醜い者なんて目にした事はない。
あくまで人間の容姿をした生き物において、に限るが。
「ただ、何だよ」
広げた指と指の隙間から覗き見るようにして様子を窺う。サラはこちらに目を向けようともしない。
手には文献、視線は正面の窓から外へ。
「銀石と緋星を、頼む」
「…あぁ」
例えそれが自らの命を蝕んだとしても、それがサラの望みなら俺は叶えよう。
忠誠なんてものは誓わない。ただ、病的なまでの信頼を。
「俺もあいつ等のことは気に入ってるしな」
サラの死期が近いことを、俺とサラだけが知っていた。
(あんたがどうしようもないくらい俺たちの行く末を気にしていることくらい、気付いてるさ)
---
<こんな辛気臭い世界に長居するくらいなら命かけてやるよ。あいつは、何を置いても助けたいもう一人の俺だ>
「こんな世界もうごめんだ」
ジャラジャラと耳煩い音が鳴り、それよりもこの空間に存在していることが不快だと、レイチェルは盛大に顔を顰めた。
「俺は行くぜ」
乱暴な言葉遣いは幼い頃から変わらない。
その凄絶な力も。
年を追うごとに人間味を失ってきた容姿以外は何一つ変わらなかった。
「じゃあなクソジジイ、恨むなら呪われし一族と縁[エニシ]を結び俺を産み落としたあんたの娘を恨みな」
ギチギチと、まるで最強の盾に最強の矛をぶつけた様な。
ギリギリと、まるで自身を食い尽くすように。
「わしは何一つ後悔してはおらんよ」
「ハッ、後悔なんてされてたまるか」
こちとら望まれて生まれてんだよ。
「そうじゃの…」
全ての音が消え失せると、その場にもうレイチェルの姿はなかった。
ただ残された〝彼〟がはじめて彼女に送った髪飾だけが、
「また会えるかのぉ」
ゆっくりと、彼の手に落ちてきた。
(彼女が死に彼女が生まれ彼女が彼女として生きようと、生きたいと望み選び取った日)
----
<生きることを望め。たとえそれがいずれ来る終焉のためであったとしても>
白濁とした世界で消えかけた命の灯火を見た。
(死にたくない)
手を伸ばしたのは無意識の内。
そうさせたのは、おそらく今まで一度も顔を見せることのなかった生存本能。
(私は…)
生きたいか?
ゆらりと大きく揺れた灯火。明るくなっていく視界。
嗚呼、死ぬのか。と、それはあまりにも穏やかだった。
(生きたい)
死は苦しいものだ。
死は痛いものだ。
沢山の苦しみと痛みを知った者にしか穏やかな死は訪れない。
だから、だから…
(生きたいの)
たとえ本能に身を任せていたとしても、
たとえなけなしの自我で永遠考えたとしても、
(殺さないで)
答えは決まっていた。
上等。
(そのために俺は命を捨てた)
ぐらつく視界。
感覚の麻痺した右手。
「私に恨みでもあるのかしらね」
自嘲気味に呟いて、ルーラは意図的に唇を噛み切った。
つ、と伝った鮮血をとりあえず右手首に擦りつけ小さく呪文を唱える。
「気休めだね」
悪趣味。
誰もいないはずの空き教室から伸びた手と希薄な気配に、声には出さず呟いた。
「知ってる?」
覗き込むようにして見下ろしてくる真紅の瞳にどこか安堵する。
「君の痛みは僕にも伝わって来るんだよ」
嗚呼――
「ごめん」
私は独りではなかったのだと
----
<せめてあんたが穏やかに眠れるように、俺は柄にもなく嘘を吐こう>
「遺される俺たちの気持ち何て考えてないだろ、お前」
「私は自分勝手だからな」
「よく言う」
行儀悪く机に腰掛け片足を抱いたまま、俺は緩く目を細め左手を持ち上げた。
「ただ、」
整った造形。
けれどそれは自分たちを造り出した彼にも言えることで、そういえばサラの周囲で見目醜い者なんて目にした事はない。
あくまで人間の容姿をした生き物において、に限るが。
「ただ、何だよ」
広げた指と指の隙間から覗き見るようにして様子を窺う。サラはこちらに目を向けようともしない。
手には文献、視線は正面の窓から外へ。
「銀石と緋星を、頼む」
「…あぁ」
例えそれが自らの命を蝕んだとしても、それがサラの望みなら俺は叶えよう。
忠誠なんてものは誓わない。ただ、病的なまでの信頼を。
「俺もあいつ等のことは気に入ってるしな」
サラの死期が近いことを、俺とサラだけが知っていた。
(あんたがどうしようもないくらい俺たちの行く末を気にしていることくらい、気付いてるさ)
---
<こんな辛気臭い世界に長居するくらいなら命かけてやるよ。あいつは、何を置いても助けたいもう一人の俺だ>
「こんな世界もうごめんだ」
ジャラジャラと耳煩い音が鳴り、それよりもこの空間に存在していることが不快だと、レイチェルは盛大に顔を顰めた。
「俺は行くぜ」
乱暴な言葉遣いは幼い頃から変わらない。
その凄絶な力も。
年を追うごとに人間味を失ってきた容姿以外は何一つ変わらなかった。
「じゃあなクソジジイ、恨むなら呪われし一族と縁[エニシ]を結び俺を産み落としたあんたの娘を恨みな」
ギチギチと、まるで最強の盾に最強の矛をぶつけた様な。
ギリギリと、まるで自身を食い尽くすように。
「わしは何一つ後悔してはおらんよ」
「ハッ、後悔なんてされてたまるか」
こちとら望まれて生まれてんだよ。
「そうじゃの…」
全ての音が消え失せると、その場にもうレイチェルの姿はなかった。
ただ残された〝彼〟がはじめて彼女に送った髪飾だけが、
「また会えるかのぉ」
ゆっくりと、彼の手に落ちてきた。
(彼女が死に彼女が生まれ彼女が彼女として生きようと、生きたいと望み選び取った日)
----
<生きることを望め。たとえそれがいずれ来る終焉のためであったとしても>
白濁とした世界で消えかけた命の灯火を見た。
(死にたくない)
手を伸ばしたのは無意識の内。
そうさせたのは、おそらく今まで一度も顔を見せることのなかった生存本能。
(私は…)
生きたいか?
ゆらりと大きく揺れた灯火。明るくなっていく視界。
嗚呼、死ぬのか。と、それはあまりにも穏やかだった。
(生きたい)
死は苦しいものだ。
死は痛いものだ。
沢山の苦しみと痛みを知った者にしか穏やかな死は訪れない。
だから、だから…
(生きたいの)
たとえ本能に身を任せていたとしても、
たとえなけなしの自我で永遠考えたとしても、
(殺さないで)
答えは決まっていた。
上等。
(そのために俺は命を捨てた)
クリスマス休暇初日。周囲とは別の意味で浮かれていた私を、クロウの一言が現実へと引き戻した。
「アッシュ・オフィーリアがいない?」
小難しい内容の本ばかり詰め込まれた本棚に囲まれ、滅多に人の来ない図書館の特等席。リドルはおらず、人の姿をしたクロウと私以外周囲に人の気配はない。
「確かなの?」
「はい」
好ましいはずの静寂が、この時ばかりは少し恨めしかった。
「……」
指先にかけたページの角がはらりと落ち、既に目を通し終えた項目を意味もなく見つめながら、私は内心鋭く舌打ちする。
指輪を介して、リドルが近づいてきていることには気付いていた。
「探せる?」
鏡は、ある。
「それが命なら」
「必ず見つけ出して」
時間だって十分に残されている。焦る必要はない。今は突きつけられた問題を解決することだけに意識を割いて、全てはそれが解決してからで事足りる。
「御意に」
なのに何故だろう、酷く気が急いた。一瞬の遅れが命取りになるような気がして、意図せずして魔力が研ぎ澄まされる。
クロウは席を立ち、一礼して去った。
「――落ち着きなよ」
入れ違いで現れたリドルがわざとらしく息を吐く。
わかってるから。――広げた本を遠くへ押しやり、私は机に突っ伏した。
「僕は君が彼女のことを気にする理由は知らないけど、気にしてしまう理由なら知ってるから言うんだけどね、」
ちょっと神経質になりすぎだと思うよ。
「君なら大抵のことは力で解決できるんだから、少しはそっちに頼ってみたら?」
伸ばされたのはほっそりとした少女の腕。同時に聞こえてきた羽ばたきは、梟のそれよりいくらか鋭い。
舞い降りたその鳥が何なのか、理解すると同時に体が震えた。
「おい、ルーイ」
「わかってるよ、ルーク」
あれは《クロウ》だ。
「「クリムゾンスターがいる」」
声を揃えると同時に、俺達は歩き出していた。
...091222.
「あ、やべ」
捕まったわ。――誰にともなく一人ごちて、ジェノスは首を傾ける。
「大丈夫か? アシェラ」
「死んだ」
「悪い悪い」
アシェラは首元を煩わしそうにさすった。
「良かったな、便利な能力で」
ジェノスのペルソナ――アシェラ――の能力は「増やす」事。
...091222.
クィレルが倒れた瞬間アシェラの気配が薄れ、双子が色めき立つ。
「トロールの絞殺には自信ないわ」
私は至極真面目な声で嘯く。
今を手を出す気はないので、そのまま監督生の指示に従って席を立った。
「「自信ないだって」」
くすくすと笑い合う双子に背を向け、リドルと手を繋ぐ。
「勢い余って刎ね飛ばしそうだから」
哀れ、クィレル教授は人混みの下。
...091225
真夜中に意図せず目が覚めてしまった時は、ふらりと寮を抜け出す事がある。
月のない夜はどうしても気分が落ち着かない。
「あんまりはしゃぐと封印が弾け飛ぶよ」
きっと魔力を無理矢理抑え込んでいるせいだ。溢れる魔力が、捌け口を探して体中を駆けずり回っている。
「大人しくしてたらそれこそ弾け飛ぶわよ」
...091225
まどろみの心地良さに縋り付いて半日寝倒した。いつもならリドルが起こしてくれるのに。
「……あたまいたい…」
こめかみにずきずきと嫌な痛みを覚えて三十分。じっと痛みをやり過ごしている間に赤らんでいた室内は藍に没した。
急に寒さが訪れたような気がして、上掛けにもぐる。
このままどろどろに融けてしまったら、どうしよう。
...091225
温もりがすり抜けていく夢を見た。
リドルは真実私のペルソナというわけではなくて、ただ私のペルソナであるかのように振舞っているだけだ。黒の指輪を誓約者とペルソナにある《繋がり》に代えても、私たちの魂は同一にして不可分にはならない。リドルの手はいつか、私の手を離す。そしてきっと、私も。
私が誓約者でなく、リドルがペルソナでない限り、それは絶対に避けられない未来だ。私たちはいつか分かたれて、元に戻る。全てが正常に。リドルが私を甘やかすのはそうする事を刷り込まれているからだ。彼の本心はどこにもない。
だからいつかきっと、私たちは分かたれて元に戻る。
...091225
「何が見える?」
「閉心術使ってるから別に何も」
「ちょっと、」
「冗談だよ」
「で、本当のところは?」
「…秘密」
みぞの鏡の前にて。
100130.
玄関から聞こえてきた扉の開閉音に、自分でもそうと分かるほどあからさまに顔から表情が失せた。力を抜いた腕がぱたりとソファーに落ち、投げ出した指先を見つめながら目を閉じる。
どれほど待とうと睡魔が訪れない事は分かりきっていた。けれど動く気にはなれず、そのまま無為に時間を浪費していく。五分、十分と正確な体内時計が時間を刻んで、痛いくらいの静寂は始業三十分前に破られる。
音源は目の前にあった。ソファーの前に置かれたローテーブルの上。飾り気の無い携帯が紫色のランプを点滅させながら歌っている。――恭弥だ。
呼ばれている、と分かって私は漸く行動を開始する。リビングから寝室へとって返し制服に着替え、携帯と財布だけをポケットに押し込んで家を出た。学校まではどれだけゆっくり歩いても二十分とかからない。
案の定、予鈴が鳴る前には応接室へ顔を出す事が出来た。
「おはよう、恭弥」
「おはよう」
自分の容姿について充分自覚している私は、家の外で不用意に笑顔を振り撒いたりはしない。それでも恭弥と二人っきりの時、自然と頬が緩むのは抑えられなかった。
「遅かったね」
「そう?」
「ギリギリだよ」
「でも間に合ったじゃない」
----
風紀委員が立て続けに襲われているという報告を受け、「あぁもうそんな時期か」と人事のように考えてしまう自分がおかしかった。でもしょうがない。桜クラ病にかかったのは私ではなく恭弥なのだ。
「いってらっしゃい」
いつにない機嫌の良さを自覚したまま恭弥を送り出して一人、抑えきれなくなった笑いを零す。
私は自分が「異質」である事くらいちゃんと理解していた。初めから私だけが異質な異端で不要な存在。だけど私はここにいる。だから私は躊躇わない。
「嗚呼、おかし、」
さぁ引っ掻き回しに行きましょうかと、私はパジャマ代わりのブラウスごと昨日までの「私」を脱ぎ捨てた。
新しく袖を通すのは女子用の制服。新しい私。「雲雀イツキ」としてではなくただの「イツキ」として、私は意気揚々と家を出た。
まずは恭弥と合流しなければ。
平日は滅多に乗らないバイクで並中前に乗り付けた私を見て、恭弥は笑った。
「気が利くでしょう」
ハンドルを明け渡せば、はっきりとした肯定も否定もないままあっという間に景色が流れ出す。
玄関から聞こえてきた扉の開閉音に、自分でもそうと分かるほどあからさまに顔から表情が失せた。力を抜いた腕がぱたりとソファーに落ち、投げ出した指先を見つめながら目を閉じる。
どれほど待とうと睡魔が訪れない事は分かりきっていた。けれど動く気にはなれず、そのまま無為に時間を浪費していく。五分、十分と正確な体内時計が時間を刻んで、痛いくらいの静寂は始業三十分前に破られる。
音源は目の前にあった。ソファーの前に置かれたローテーブルの上。飾り気の無い携帯が紫色のランプを点滅させながら歌っている。――恭弥だ。
呼ばれている、と分かって私は漸く行動を開始する。リビングから寝室へとって返し制服に着替え、携帯と財布だけをポケットに押し込んで家を出た。学校まではどれだけゆっくり歩いても二十分とかからない。
案の定、予鈴が鳴る前には応接室へ顔を出す事が出来た。
「おはよう、恭弥」
「おはよう」
自分の容姿について充分自覚している私は、家の外で不用意に笑顔を振り撒いたりはしない。それでも恭弥と二人っきりの時、自然と頬が緩むのは抑えられなかった。
「遅かったね」
「そう?」
「ギリギリだよ」
「でも間に合ったじゃない」
----
風紀委員が立て続けに襲われているという報告を受け、「あぁもうそんな時期か」と人事のように考えてしまう自分がおかしかった。でもしょうがない。桜クラ病にかかったのは私ではなく恭弥なのだ。
「いってらっしゃい」
いつにない機嫌の良さを自覚したまま恭弥を送り出して一人、抑えきれなくなった笑いを零す。
私は自分が「異質」である事くらいちゃんと理解していた。初めから私だけが異質な異端で不要な存在。だけど私はここにいる。だから私は躊躇わない。
「嗚呼、おかし、」
さぁ引っ掻き回しに行きましょうかと、私はパジャマ代わりのブラウスごと昨日までの「私」を脱ぎ捨てた。
新しく袖を通すのは女子用の制服。新しい私。「雲雀イツキ」としてではなくただの「イツキ」として、私は意気揚々と家を出た。
まずは恭弥と合流しなければ。
平日は滅多に乗らないバイクで並中前に乗り付けた私を見て、恭弥は笑った。
「気が利くでしょう」
ハンドルを明け渡せば、はっきりとした肯定も否定もないままあっという間に景色が流れ出す。
最後までリボーンたちに見せず、未来に置いてくることもしなかったせいで私の雲鴉は匣型のままだった。「匣兵器」というくらいだからそれが正しい形だと私は思っているけど。ポケットに入れっぱなしというのも正直邪魔臭い。
角張ってるし。
「…使っとけばよかったかな」
かと言ってこんな匣、使い所がなかったというのが正直なところ。私にとっては好ましくても、基本生肉しか食べない雑食性の匣なんて沢田がいい顔するはずないし。匣の性質上、このまま知られないでいた方が都合良いのも本当のこと。
委員会仕事も趣味のあれこれも一段落して、時間の空いたおやつ時。屋上の塔屋に上って開こうとした雲鴉の匣は、炎を近付けるなり熱に耐えかねたようどろりと溶けた。
「うわぁ…」
匣どころか《六道眼》の指輪まで道連れだ。全部溶け落ちてから思い返してみれば、むしろ匣の方が指輪の道連れにされたような気がしないでもないけど。
「垂れてますよ」
いつの間にか現れていて、手元を覗き込んでくる青猫の言う通り。溶けた匣と指輪は一緒になって私の手からぽたぽたと垂れ落ちていった。
冷たくも温かくもない鈍色の、金属じみた光沢を持つ液体がコンクリートの上へ静かに広がっていく。
「というかこれは大丈夫なの…?」
指先に残っていた最後の一滴まで綺麗に落ちきって、私の手には何も残らない。
「随分綺麗に混ざりましたね」
「匣と指輪が?」
「それとあなたの血。――こうなる直前、何を願ったんです?」
「何、って…」
確かに「もう少し持ち歩きやすければいいのに」と思いはしたけど、それはあくまで「思った」だけだ。アリスに確と願ってはいない。
「ちょっと考えただけよ?」
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