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小噺専用
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 昼間は活気に溢れ、人々の笑い声が絶えない街も、時計の針が頂点を仰げば静まり返る。
 ひっそりと、ともすれば息つく音さえ響いてしまいそうな夜の街を、男とも女ともつかない影が歩いていた。中肉中背、特にこれといってあげられる特徴のない、ありふれた人影だ。
 ぽつりぽつりと灯る街灯も、闇の深さに影を照らすことは出来ない。
 月は、我関せずと厚い雲の向こうに隠れてしまっていた。

 かつーん

 それまで些細な衣擦れの音一つ立てず闇を闊歩していた影が、足音高く立ち止まる。昼間なら車の行き交う道の真中で、影は懐から一枚のカードを取り出した。薄い金属で出来たカードは角の一つを細い鎖に繋がれているが、今はそれさえ闇が覆い隠している。
 カードを月に翳すような仕草をして、影は微笑んだ。

「――――」

 そっと、呼吸するように発せられた言葉が夜風に攫われる。
 たたん、と石畳の地面を蹴った影は、街灯の頭を踏みつけ更に高く跳躍した。

「――――」

 足首までを覆う、裾の長いコートが翻る。ばたばたと布のはためく音が静寂を乱すと、月は漸く雲の切れ間から顔を覗かせた。
 道沿いに並ぶ建物の屋根に着地した影の姿が、月光で浮き彫りになる。中肉中背、特にこれといってあげられる特徴のない、ありふれた影は、月と同じ色の髪を揺らしてもう一度カードを翳した。

「――――」

 そっと、呼吸するように発せられた言葉が夜風に攫われる。










「静かに、息つくように、消えてしまえたらよかったのにね」

 喫茶《アルカナ》を仕切る女主人、有栖[アリス]は、カウンター席で物憂げに息をつく客に一杯のココアを差し出した。

「砂糖は?」
「病気になるわよ」

 客の名は羽音[ハノン]。客といっても、訳あって一つ屋根の下で暮らす有栖の仲間だ。

「貴女のココアは甘くない」

 一目見ただけでは男とも女ともつかない中性的な容貌を苦く歪めて、ココアを一口。羽音は何かに耐えるようきつく目を閉じた。

「どうぞ」

 アルカナには、砂を吐くほどに甘いホワイトチョコレートが常備されている。本来はデザートに使うためのものだが、一口大に切り分けられたそれを羽音は嬉々として口にした。
 常人なら二、三欠片で手が止まる甘さも、羽音にかかれば五分と持たない。すっかり空になった器を引き寄せ、有栖は苦笑した。

「死神なのに早死にしそうね」
「それはただの呼称であって、僕は真性の死神じゃないよ」
「そうでした」
「…嗚呼――」

 静かに、息つくように、消えてしまえたらよかったのにと、謳うように羽音は繰り返す。
 病的な科白ねと、有栖は目を伏せた。

「狂ってはいない。これが正常なのだから」

 舞台じみた科白だと、羽音は内心自嘲する。

「嗚呼、消えてしまいたい」





 柔らかいドアベルの音が店内に響く。

「いらっしゃいませ」
「どうも」

 訪れたのは有栖も既知の客で、注文を聞く前に用意されるブレンドコーヒーに、客――流風[ルカ]――は小さく微笑んだ。

「ありがとう」

 二人の間に余計な会話はなく、沈黙を楽しむように流風が目を細めると、手をつけられていないカップとあいまってまるで猫がまどろんでいるようだった。男にしては華奢な体躯も、その印象を強めている。

「羽音はいつもここで寝ているね」

 カップから立ち昇る湯気が幾らか治まった頃、唇を湿らせた流風が微笑んだ。視線の先には、カウンターに突っ伏して眠る羽音の姿がある。
 肩にかけられたブランケットは、彼の昼寝専用だ。

「寝心地がいいのかしらね」
「カウンターで?」

 冗談めかした有栖の言葉に流風も肩を揺らす。背中を丸めた羽音の姿を見る限り到底そうとは思えなかったが、毎日のように目にするとなれば話は別だ。窮屈な体勢など、本人は気にもしていないのだろう。

「昔は貴方だって、よくここで寝てたじゃない」
「それは…」

 突然話を振られ、流風は言葉を詰まらせた。

「……あの頃はソファーがあったじゃないか…」
「ならまた置こうかしら。ピアノと一緒に」
「……」

 考えた末の反論も微笑みと共に封じられ、沈黙。降参だと諸手を上げると、有栖は声を立てて笑った。

「寝心地がいいのかしら?」

 繰り返される問いかけに、目を伏せる。

「最高だよ、ここは。居心地がよすぎて困るくらいだ」

 ゆっくりと、一言一言を噛み締めるような告白は静かに優しい空気に溶けた。

「光栄だわ」



(バカップル…)

 起きるタイミングを逃したカノンはどうしたものかと内心嘆息する。





 喫茶《アルカナ》の午後はこうして穏やかに過ぎていった。

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