壁際に置いていた水槽の水が揺れ、音を立てて跳ねる。
いつものように前触れもなく現れた月詠――ただし彼の本体は「魂の海」だ――に朔魅は目をやった。
一度彷徨った月詠の視線はすぐさま朔魅を捉え、細められた目の奥で淡い白銀色の光が揺れる。
漆黒だった朔魅の髪が流れるように色を変えた。
「月詠?」
「面倒なことになりました」
不本意そうな顔でそう告げ、月詠は手を差し出す。
「一緒に来てくれますか?」
窓際に置いていた水槽の水が揺れ、音を立てて跳ねた。
「須、佐・・」
ふらふらと覚束無い足取りで、それでも体は前へと進む。
「嫌だ」そう誰かが叫び、「嘘だ」そう誰かが泣いた。
「風王、須佐・・」
魔法の呪文。それは僕を僕たらしめる唯一のモノ。
「須佐之男命[スサノオノミコト]、」
踏み出した足が――ぴちゃり――血溜まりに触れた。
息づくために上下することのない胸。閉ざされた両の目。投げ出された四肢。凪いだ風。
血 に ま み れ た 体 。
「あ、っ、あぁっ、あっ・・」
僕が失われる。
「いいんですか?」
「ッ」
ざわり。
「死にますよ」
開放されるのだと、沙鬼には痛いほどわかった。
他者によって封じられていた力が発現する瞬間を、一度だけ見たことがある。
あの時自分の手に「矛」はなかった。
あの時自分の傍には主人がいた。
あの時自分はまだ何も知らなかった。
あの時自分は、ただ――
「誰が」
守られた。
「いいでしょう」
血が騒ぐ。その声[イシ]に従おうと。
身体中を巡る。隙を突き外へ飛び出そうと。
「我が名は時塔。遥か西の果て、召喚師の国を守りし四神が一人水龍[スイリュウ]が儲けし唯一の子」
「神子[ミコ]か、」
「こちらではそう呼ばれますか?」
水龍。司るはその名の通り水。
血。これ即ち体内を巡る「命の水」。
「分が悪いな」
小さく自嘲的な笑みを零し沙鬼は切っ先を上げた。
「そうわかっていて尚刃を向けますか」
大気が青みを帯びる。
それが目の前に立つ神子の放つ「氣」だと、誰に言われるでもなく理解した。
「言っただろう」
自分が〝人間〟である限り水を操る者には勝てない。
それでも挑まなければならない。
それが、
「私の主[アルジ]は我侭なんだ」
それが彼女の望みである限り。
「いいでしょう」
昔、一度だけこの力を使おうとしたことがあった。
その時可視の物として現れ、神の子としての力をことごとく封じた枷はもうない。
都合のいいことに、それを成す神はこの地の神々が不可侵の場所へと追いやってくれた。
「後悔するといい」
あの忌々しい地狼を、
「――力の差を思い知れ」
この国でならもう一度葬ることが出来る。
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