ひんやりとした冷たさが意識を白濁としたまどろみから呼び戻す。
「沙鬼?」
嗚呼、私はまた待たせてしまったのか。
そんな、後悔にも似た――だがそう言いきるには淡すぎる――感情に急かされ目を開けた。
「起きたの?」
すぐ傍で暁羽の声が聞こえる。
「沙鬼」
誰か――それは言うまでもなく暁羽だ――の指先が頬に触れ、沙鬼は漸く自分が酷く疲れていることに気付いた。
起き上がるために突いた腕が酷く重い。
「大丈夫?」
その重さを無視して上半身を起こし、沙鬼は声のしたほうを振り返る。
伸ばされた暁羽の手が頬に触れ、ゆっくりと髪を梳き離れていった。
「あぁ・・」
これといった表情のない相貌が今にも泣き出しそうに思え、沙鬼は目をそらす。
「どうしたの?」
「私はしくじった」
もう一度伸びてきた暁羽の手が、今度はそっと沙鬼の頭を引き寄せた。
「いいの」
「だが、」
「帰ってきてくれてありがとう」
「っ・・・」
「ごめんね」
嗚呼、私はまた哀しませてしまった。
そんな思いが心を蝕む。
「暁羽・・」
「でも、もう許さない」
嗚呼、そして彼女は手を下すのだ。
己が受けた哀しみ、私が受けた痛みを、その報いを、与えた者へと知らしめるために。
「一緒に来て」
彼女を哀しませた罪は重い。
「――あぁ」
彼女の行使する力の前では、死など、所詮救いでしかないのだ。
「――そういえば、」
ぱちり。弄んでいた緋扇を閉ざし、卑弥呼はさも今思い出した事ようにその言葉を紡ぐ。
緋扇に負けず劣らず鮮やかな紅を床に散らしていた男は、胡乱気に上座に座す彼女を見上げた。
「西の淡路にある淡島の、守が死んだらしいな」
「それがどうしたんだよ」
「いいや」
にやり。隠そうともせず楽しげな笑み浮かべ卑弥呼は水鏡の縁を叩く。
「ただ思い出しただけだよ」
そして、持っていた緋扇をその中に落とした。
「本当にそれだけさ」
水音はしない。
『時塔 蒼燈』
それはあまりに唐突で、月詠と朔魅にとって予想外の展開だった。
本来空間を渡る力を持たないはずの――それはある程度の条件を揃えることで可能になるが、今この場にその条件は一つとして当てはまらない――暁羽があろうことか沙鬼を伴い現れ、今目の前に捕らえられた少女の名を紡ぐ。
咄嗟にその意味するところを理解したのは月詠一人だ。
「言霊のっ」
「その罪如何様[イカヨウ]に償うか」
大気が殺気を帯びる。
言霊の姫巫女の――それとも今は「最古の神器」と呼ぶべきか――言葉に応えるように、風が渦を成し彼女の髪を靡かせる。
朔魅は戦慄した。
「あき、は」
「沙鬼を助けてくれてありがとう。闇王、朔魅。――これ以上は迷惑かけられないから、私が面倒みるよ」
何故。彼女は今いつもの淡々とした無表情ではない。にこやかに笑みを浮かべてさえいる。なのに、何故。こうまでも冷たい戦慄が身を凍らせる。
いや、わかっているのだ。私の本質が、最古の神器の一欠片である私自身が、自我よりも深い魂の奥底で。
奴 は 彼 女 を 怒 ら せ た 。
そしてそれは、死よりも深い絶望と暗黒をもたらす。
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