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 工藤マイネは自分の《子》に感情を与えようとはついぞ考えたことがなかった。それはとても残酷なことだと思っていたし、何よりマイネが得意なのは「機械弄り」であって、純粋な機械へ感情を与えるようなことは神の領分。人がどうこうしようと努力してどうにかなるようなものではないのだとさえ考えてもいた。
 《子》を動かすために必要なのはプログラム。定義したプロトコルに忠実な文字の羅列。その中でどれほど「人間」のように振舞わせようとそれは所詮「そう」定められているからに過ぎず、またマイネもそれが正しい有り様だと考えていた。機械は機械。マイネはけして、「人」を作ろうと望み《子》を造ったことはなかったから。《子》とはただそれだけの存在で構わなかった。

「こんにちは」

 だからそれが予定にない音(ノイズ)を発した時。マイネはその音階が「言葉」であるということさえ咄嗟には理解できず、立ち尽くし声を失った。
 理解したくもなかったのだ。

「マスター」

 壊すため生み出す大切な《子》に、心が宿る残酷さなんて。





(糸断つ傀儡/解体屋と創造物。はんらん)
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工藤マイネ
 工藤新一の実姉。趣味の機械弄りが拗れ独学でアンドロイドを製造するに至った鬼才。その過程で生まれた感情を持つ非人間にあらゆる面で世話を焼かれる駄目人間。実家で同居中の弟には何故か恐れられている。小学校の入学式以来学校には通ったことがない。母の美貌を惜しみなく受け継いだ、抜き身のナイフじみて危なっかしいお嬢様。どこにいても否応なく人目を惹くが近寄り難い雰囲気を持つ。本人は割とゆるい。

アラヤ
 マイネが構築したシステムへ自然発生的に生じた自我。表向きにはマイネが開発した「アンドロイドのテスト用AI」とされている。「1.マイネを守る」「2.1に反しない範囲で自己を守る」「3.1と2に反しない範囲でマイネの命令に従い、最大限その利益を守る」という独自の三原則を持つため、マイネ以外には全くと言っていいほど従わない。マイネにもそれほど従わない。


「ミサナギさまミサナギさま」

 てとてとてとてと、大人が歩くほどの速さで危なっかしく駆けてくる。

「ミサナギさまー」
「あい、あい」

 足へひしっ、としがみついてきた人の子を軽々抱き上げて。ミサナギはぐるりと辺りを見渡した。

「一人で来たのかえ?」
「ひとりできたのだえ!」

 子供はいかにも誇らしそうに胸を張る。

「一度も転ばなかったのか?」
「あい!」
「そうか」

 親が目を離し、一人歩きさせるには幼すぎるほどの子供だった。

「偉いの」

 隅から隅まで丁寧に掃き清められた境内を横切って。参道の脇に建つ社務所まで。
 家内安全だの学業成就だの、無節操に並べられた札の類には目もくれず。
 ミサナギは腕を伸ばし硝子を叩いた。

「娘が脱走しておるぞ」
「だっそー!」

 何がおかしいのか子供はけらけらと一人で笑っている。

「フルミチ」
「ヨウコが一人で行けると言ったんですよ」

 からからと窓を開け、顔を出した神主も悪びれることなく笑っていた。
 子供の父が。

「転びでもしたらどうする」
「ちょっとくらい転んだ方が丈夫に育ちますよ」

 臆面もなく言って、ミサナギに抱かれた我が子の頭を撫でる。
 話の途中から妙に大人しくしていた。子供はミサナギへひしと抱きつき眠りかかっている。

「さっさと引き取れ」
「連れて行っちゃっていいですよ」
「…喰っちまうぞ」
「どうぞご随意に」

 食事に腹も膨れた昼下がり。子供にとっては身に染み付いた昼寝の時間。

「おやつは冷蔵庫に二人分用意してますから」

 ミサナギは子供を抱き直し、心底呆れたように息を吐く。

「私に子守をさせる気か」
「好きなくせに」
「お前のように神使いの荒い神主は初めてだぞ」
「光栄です」

 子供はとっくにくぅくぅ寝息を立て始めていた。

「褒めてない」





(子守りの神様/蛇と主。べったり)

 眺める分には綺麗な男。ぬらりひょんの孫は度々泉の畔へやってきた。
 銀木犀の木の根方。転がる私の傍に立ち。

「一杯やらねぇか」

 揺らされた徳利からはたぷん、とまろい音がした。

「酒は飲まん」
「下戸か」
「体に悪い」

 人間的な感覚の問題。
 ぬらりひょんの孫はあらかに不満そうな顔をした。

「俺の酒が飲めねぇって?」

 まったくもって俺様の言い様。

「好きじゃないんだ」

 合わさっていた視線を絶ち切って。目を閉じると、諦め混じりの溜息が隣へ落ち着く気配と重なった。

「手酌が嫌なら帰れ」
「何も言ってねぇよ」

 家へ帰れば酒くらい誰とだって飲めるだろうに。
 酔狂な男はしばらくの間黙って酒を飲んでいた。

「…眠っちまったのかい」

 あと少しで本当に眠ってしまおうかというところ。
 髪に乗った花弁を払い落とすよう髪を撫でられうっすら目を開ける。

「はおりはいらんよ」
「ん?」
「返しに行くのが面倒だ…」
「そうかい」

 返事はするくせ聞いちゃいない。
 どういうわけか笑いながらかけられた。藍色の羽織は温かく、遠退いたはずの睡魔をずるずる引き戻す。

「いらんと言うておるに」
「わざわざ返す必要ねぇさ」

 夜明けが近いことは分かっていた。

「やるよ」

 だから次に目覚めた時、ここにこいつはいないのだ。





(宵闇に逢瀬/華と夜。みつぎもの)

 朝早く。人気のなくがらんとした教室で、目当ての机へ一直線。父さんが紙袋に入れてくれた羽織を置けば任務達成。人が来ないうちにさっさと自分の席へ引き上げた。
 そのまま突っ伏して眠る。


「ヨウコちゃん」


 呼ばれて目を覚ましてみれば目の前に昼のリクオがいるわけで。

「……なに…?」
「もうすぐ先生くるよ」

 ちょっとがっかり。

「すごく眠そうだけど。大丈夫?」
「睡眠学習するから平気」
「寝ちゃうことは前提なんだね…」

 困ったように苦笑する。昼のリクオはどうしたって夜のリクオと重ならない。根本的なところでは変わらないのかもしれないけど。
 私たちの場合とはやっぱり違うのだろうか。

「ほっぺた赤くなってるよ」
「む…」

 同じになってしまえばいいのに。
 どちらがどちらか分からなくなり、結局どちらともつかない生き物と成り果ててしまえば。

「髪の跡もついてる」
「まじでか」

 私のことだって隠さずはっきり教えてあげるのに。

「ちょっとだけだけどね」





(あなたを映す私と鏡/華と昼。こんせん)

 いつの間にか沈み込んでいた意識が自然と浮上する。
 目を覚ましてみれば、迫る朝から逃れるようぬらりひょんの孫は姿を消していた。羽織一枚勝手に残して。

「余計なことを…」

 体を起こすと肩までかけられていた羽織が落ちる。随分と長い間この場所へ留まっていたのだろう。藍色の布地には血のシミ一つ付いてはいなかった。
 皺一つない羽織を手近な枝へかけ、血染めの服を脱ぎ落とす。爪先からするりと泉へ浸かり込んでそっと一息吐いた。髪にこびりついてた血もさらさらと溶け落ち、体が冷ややかに清められていく。
 泉の濁りは凝り固まって底へと沈んだ。血の結晶が。おびただしいほど積み重なって泣いていた。憎い、憎いと。そうして道連れを求めている。引きずり込まれないうちに抜け出してしまう必要があった。
 洗って返せばいいかと冷えた体に羽織を被って杜から抜け出す。境内の端へぽつりと建てられた一軒家には、「まだ」と言うべきか「もう」と言うべきか、とにかく明かりが灯されていた。

「凄い格好だね」

 玄関からの堂々とした帰宅。ただいまと、声をかけるまでもなくフルミチは待ち構えるよう廊下の端に立っていた。。

「着替え忘れた」
「その羽織ってるのは?」
「友達が置いてった」

 長く腰ほどにまで伸びていた髪がゆらゆら短くなっていく。銀から黒へと色まで変えながら。背も縮んで、太腿の辺りにあった羽織の裾が膝を隠した。

「学校の友達?」
「そうだけど。妖怪よ」

 裸足の足で家へ上がることを躊躇うと、見透かしたよう抱き上げられる。
 もうそれほど小さな子供というわけでもないのに易々と。

「リクオ君?」
「うん」
「そういえば最近遊びに来ないね」
「忙しいんじゃない? 何かと」

 浴室までを運ばれて、温まってから出るよう言い渡される。出てくる頃に朝御飯の仕度も終わっているだろうからと。

「今日は学校どうする? 疲れてるなら休んでもいいけど」
「行く。――ねぇ、この羽織…」
「洗っておけばいい?」
「学校行くまでに乾く?」
「大丈夫だよ」

 慈しむよう私の髪をさらさら梳いた。





(透き通るように映える/華と父。あさがえり)

 一年中狂い咲いたまま。絶えることなくはらはらと花弁(はなびら)を散らす。銀木犀の根方。苔生した地面へ転がっていると、遠くからそっと近付いてくる気配に気付いた。
 杜(もり)がささめく。

「よう」

 月はなく、闇の深い夜だった。

「不当な侵入だよ。これは」
「入れねぇようにもできたんだろ」

 妖(あやかし)ものの目にはさして関わりのない。

「ここはあんたの杜だ」

 渾々と水の湧く小さな泉の畔(ほとり)。ぬらりひょんの孫は無防備な様子で立っていた。

「出入りする者の選別などいちいちするものか」

 私は私で、四肢を投げ出したまま。ようやく開けた目さえまたすぐに閉じて息を吐く。

「具合でも悪いのかい」
「疲れているんだよ」
「何故」

 帰り血塗れの服を替えることさえ億劫だった。

「人が私に願うのだ。あれをしろこれをやれ。おかげでおちおち遊び呆けてもいられない」

 厚く地面を覆う苔の上。足音もなく近付いてきたかと思えば脇腹の辺りへ触れてくる。次に腕。

「返り血だよ」

 どちらもおびただしく血に塗れている場所だった。

「…ひでぇざまだ」
「べたべたするよ」
「綺麗な髪が台無しだぜ」

 やんわりと撫でられた髪には乾いた血がこびりついてしまっている。

「血の臭いがしねぇのは奇妙だな」

 鉄臭さだけを花の香りが隠していた。

「そうかい?」

 だから余計に眠くなっていけない。





(花葬風月/華と夜。おうせ)
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