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――ある自我の終焉――

 微かに降って来る光によって煌く水底。目を眩ませるほどの強さも、眠りを誘うような温もりもない、深遠の淵。
 私という存在が呑み込まれていくのを感じながら、少しばかり残された意識と自我で、私は考えていた。決して答が出ることのない、ささやかな疑問。今まで幾度となく出口のない迷路に迷い込んできた思考がまた、廻る。同じところを、ぐるぐる、ぐる。
 無意識のうちに腕が光の方へと伸びた。助けを求めるように水を掻く。自分の腕であるはずなのに、それはどこか遠い。
 腕は光に届かず、私の思考も答に辿りつかない。助けを望む理由も相手もない私は現状にどうしようもない諦めを感じながら、悔いていた。結局見つけられなかった答、手にすることのできなかった光、私にとって必要なのかもわからないそれらを望みながら、僅かな素振で手は尽くしたと努力を投げてしまっていては、この理不尽で唐突な終わりに対する恨み辛みを口にするのも躊躇われる。
(もう少し、生きたかったな…)
 そして私は緩やかに、落ちるように、闇へ呑まれた。



――命の紡ぎ手――

「そうしていると、死んでいるみたいですね」
 体を残し出かけていた意識が、聴覚の拾った聞き覚えのある声によって体へと引き戻される。
「……」
 半ば条件反射ともいえる帰還。
「お前は――」
 肉体と精神の同調を待って口を開くと――まだどこかしらズレているのかもしれない――、寝起きのように気だるい声が零れた。
「時々、酷くおかしなことを言う」
 淡い水色の光が視界の端でちらちらと揺れる。目の前に広がる無機質な天井を見つめながら、僕は感情を忘れたかのように平坦な声で続けた。
「AQUAが僕の命を奪うわけがない」
 僕を包むAQUA――水の名を持つ液状コンピューター――が淡い水色に輝き、水際に立つカノエの笑い声が、ほんの一瞬世界を満たす。
「…それで?」
 浴槽ほどの深さもないプールの中、起き上がる素振も見せず呼び戻した意図を問うと、小さな水音と共に広がった波紋が頬に当たった。
「そろそろ貴方の〝新作〟が完成する時間ですから」
 すぐ傍まで来て手を差し伸べてきたカノエに、嗚呼もうそんな時間なのかと息を吐く。
「最終調整は貴方じゃないと出来ませんからね、――ハルカ」
「わかってる。悪かったよ…今何時だ?」
「大陸標準時で十四時二十分を回りましたよ、お寝坊さん」
 手を引かれ立ち上がると、髪や服に染み込んだAQUAは自らプールへと落ちた。プールを出る頃には、半日近く浸かっていたことが嘘のように体は乾いている。
「何か食べたい」
 途端、空腹が襲った。
「軽食でよければ用意していますよ。サンドイッチとコーヒーですが」
「それでいい」
 AQUAと長く繋がっていると、ネットワークにばかり意識が行って、体のことはすべて後回しになってしまうことを知っているカノエは取り合えず僕を食事の出来る部屋へと連れ出した。空腹を訴える胃を宥めている間に、体と心の同調を完全にしてしまわなければならない。
(これだから、予備生体は…)
 数日前、メンテナンスの為に緑色の――AQUAとは少し毛色の違う――液状コンピューターの中に放り込んだ〝自分の体〟のことを思い出しながらもう一度溜息を吐くと、カノエが密やかに笑った。
「人工生体のメンテナンスは、最低一週間はかかりますよ」
「わかってる…」
「だから言ってるじゃないですか。一つの体に拘らず、定期的に乗り換えた方がいいですよ。使えば馴染むんですから」
「僕はあの体が気に入ってるんだ」
「知ってます。新しいのを造ったほうが早いっていうくらい手間をかけて調整してるのを、いつも見てますからね」
「……」
 人の一生は短い。百年弱の一生で悔いを残すなと言う方が無理な話だ。世界は広くどこまでも続き、新たな知識は今この瞬間にも生まれ、己のものは古くなっていくのに。これから先無限に増え続ける情報を諦めて自我を喪失するということに、僕は耐えられなかった。
「気に入ってるんだよ」
 だから造り上げたんだ。僕が僕のまま、ありとあらゆる情報に触れることの出来る装置を。
「おかしな話ですね」
 人と同じ姿、同じ力、同じ終焉を持つ、〝人工〟の〝生体〟。
「…そろそろ〝彼女〟の最終調整にかからないと」
 人々は僕を命の理に背く者だと罵りながら、僕の紡ぐ偽りの生を求めた。生まれ持った肉体を、紅い血を捨て、そうしなければならない理由もないくせに、淡い水色に輝く血ともたらされる恩恵だけを望む。
「そういえば、随分久しぶりですね、貴方に人工生体の依頼が来るのは」
「安価の粗悪品が出回ってるのさ。どんな欠陥があるのか知らないけど、あの値段じゃ半年も持たないに決まってる」
 望むのなら与えよう。求めるのなら希うがいい。そうしたいと心から望むのなら、僕は止めない。自らの意思で選び取ることができるなら、そのほうがいい。でも、
「使った奴等は痛い目を見るさ」
 いつだって、代償を支払わされるのは選んだ自分自身なんだ。
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