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 私も、いい加減人間らしくなってしまったものだと思う。





「どういうことだ・・?」


 状況を冷静に判断し、大方の目星をつけた思考とは裏腹な言葉が口をついて出た。


「どうせ判っているんでしょう?」


 だがそれも、私をここへ招いた男からすればお見通しらしい。


「・・・正直受け入れがたい」
「ですがこれは現実ですよ? 紛れもなく、貴女は今ここで僕と時間を共有している」
「廻るべき魂を、私は持たないのに?」
「貴女は確かに生きています。少々複雑ではありますが」


 どこかで見たことがあるような、けれど全く知らない光景が見渡す限り広がっていた。


「これも浅葱のおかげか・・」
「貴女が浅葱なんです」
「いいや、どうやら浅葱としての心は持ってこれなかったらしい」


 私はこの場所をしらない。なのに、どこか懐かしい。


「私はどうしようもなくバタフライ・ラッシュだ」


 どうしようもなく胸が苦しかった。

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 3年前の4月某日、何の前触れもなくあたしの「昨日」は終わることをやめた。










――○月○日事変/3年後の4月4日――










「――――」


 微妙にくぐもって聞こえるマイク越しの声は、まるで年寄りの歌う子守唄だ。抑揚がなく、どこか調子はずれなのに、眠気だけは確実にもたらすことが出来る。

 あたかも、誰も抗うことを許されない、魔法の呪文のように。

 時計の針は遅々としか進もうとしなかった。客観的な20分を主観的には3時間くらいに感じながら、あたしはずるずると落ちて来ようとする瞼をなんとか持ち上げた。
 視界の端に時折入り込むテレビカメラが気になってしかたない。


(何でこんなところにいるんだろう・・)


 当たり前のようでいてそうでない、けれど、今更考えてもどうしようもないことを、無駄だと知りつつあたしは考えた。
 それは纏わりついてくる睡魔を追い払うためだったのかもしれないし、終わらない「昨日」の中で、のうのうと生きている自分に対しての自己嫌悪だったのかもしれない。
 あたしの「昨日」は3年前の4月某日から終わらないまま、「今日」になることも出来ず、「明日」を望むこともなく、月が沈み太陽が昇る前の薄明るい空のように、酷く美しく、恐ろしいほどに幻想的なまま、停滞し続けている。
 主観的にあたしはまだ「昨日」にいるのに、客観的にあたしは「3年後の4月4日」にいる。この矛盾は、あたしの首を真綿で絞め続ける。
 あたしはあたしが嫌いだ。やはりこの思考は眠気覚ましなどではない。ただ単にあたしは、あたしに知らしめたいだけなのだ。ここにいることは間違っていている、と。ならどうすればいいのだという問いに対する、明確な答も持たないくせに。


「――――」


 耳から入ってくる「音」は「言葉」として焦点を結ぶことなく、消えた。
 なのにあたしの体は独りでに立ち上がり、周囲の流れに逆らうことなく体育館を後にする。
 今日から1年間、毎日のように足を運ぶことになる教室へと向かいながら、あたしは並び立つ校舎に切り取られ、狭苦しい空を見上げた。

 太陽は、ない。

 嗚呼やはりこんな所に来るべきではなかったのだ。空っぽな時間を生き続けることは無意味だと、あたしは今日までの3年間で学んだはずなのに、周囲の流れに逆らうことなくまた繰り返そうとしている。空っぽで、無意味な3年間を。


「ねぇ、あの人かっこよくない?」


 隣を歩く女子が声を潜めながらあたしの袖を引いた。
 あたしは彼女が指差した方を見て、表面的には緩く笑う。


「そうだね」


 あたしの「昨日」を停滞させ続ける男が、そこにいた。
 あいつのせいであたしの「昨日」はいつまで経っても終わらない。あいつが全てを狂わせた。あいつが――


「もしかして知り合い?」


 自覚なしに凝視していたのかもしれない。――隣を歩く女子にそう問われ、あたしは咄嗟に使い慣れた言い訳を口にした。


「小学校も、中学も一緒だったから・・名前だけはね」


 親しくないと強調しているようだと、この言い方に小学校から付き合いのある友達はいい顔をしない。けれど周囲に見知った顔がないのをいいことに、あたしは今日はじめて会った他人に嘘を吐く。
 親しくはない。あたしとあいつは全くの他人。名前くらいは知っているけど、それ以上でもそれ以下でもない。


「なんて名前?」


 だから、あいつの事をあたしに聞かないで。


「・・氷室 聖弥[ヒムロ セイヤ]」


 嗚呼、やはりこんな所に来るべきではなかったのだ。
 あたしの「昨日」は終わらないのにあいつは「今日」を生きている。そんな現実を見せ付けられるのは、本当に、苦しい。





 それでもあたしは、周囲の流れに逆らうことなくここにいた。










(馬鹿馬鹿しい)

 3年前の4月某日、何の前触れもなくあたしの「昨日」は終わることをやめた。










――○月○日事変/3年後の4月4日――










「――――」


 微妙にくぐもって聞こえるマイク越しの声は、まるで年寄りの歌う子守唄だ。抑揚がなく、どこか調子はずれなのに、眠気だけは確実にもたらすことが出来る。

 あたかも、誰も抗うことを許されない、魔法の呪文のように。

 時計の針は遅々としか進もうとしなかった。客観的な20分を主観的には3時間くらいに感じながら、あたしはずるずると落ちて来ようとする瞼をなんとか持ち上げた。
 視界の端に時折入り込むテレビカメラが気になってしかたない。


(何でこんなところにいるんだろう・・)


 当たり前のようでいてそうでない、けれど、今更考えてもどうしようもないことを、無駄だと知りつつあたしは考えた。
 それは纏わりついてくる睡魔を追い払うためだったのかもしれないし、終わらない「昨日」の中で、のうのうと生きている自分に対しての自己嫌悪だったのかもしれない。
 あたしの「昨日」は3年前の4月某日から終わらないまま、「今日」になることも出来ず、「明日」を望むこともなく、月が沈み太陽が昇る前の薄明るい空のように、酷く美しく、恐ろしいほどに幻想的なまま、停滞し続けている。
 主観的にあたしはまだ「昨日」にいるのに、客観的にあたしは「3年後の4月4日」にいる。この矛盾は、あたしの首を真綿で絞め続ける。
 あたしはあたしが嫌いだ。やはりこの思考は眠気覚ましなどではない。ただ単にあたしは、あたしに知らしめたいだけなのだ。ここにいることは間違っていている、と。ならどうすればいいのだという問いに対する、明確な答も持たないくせに。


「――――」


 耳から入ってくる「音」は「言葉」として焦点を結ぶことなく、消えた。
 けれどあたしの体は独りでに立ち上がり、周囲の流れに逆らうことなく体育館を後にする。
 今日から1年間、毎日のように足を運ぶことになる教室へと向かいながら、あたしは並び立つ校舎に切り取られ、狭苦しい空を見上げた。

 太陽は、ない。

 嗚呼やはりこんな所に来るべきではなかったのだ。空っぽな時間を生き続けることは無意味だと、あたしは今日までの3年間で学んだはずなのに、周囲の流れに逆らうことなくまた繰り返そうとしている。空っぽで、無意味な3年間を。


「ねぇ、あの人かっこよくない?」


 隣を歩く女子が声を潜めながらあたしの袖を引いた。
 あたしは彼女が指差した方を見て、表面的には緩く笑う。


「そうだね」


 あたしの「昨日」を停滞させ続ける男が、そこにいた。


 3年前の4月某日、何の前触れもなくあたしの「昨日」は終わることをやめた。










――○月○日事変/3年後の4月4日――










「――――」


 微妙にくぐもって聞こえるマイク越しの声は、まるで年寄りの歌う子守唄だ。抑揚がなく、どこか調子はずれなのに、眠気だけは確実にもたらすことが出来る。
 あたかも、誰も抗うことを許されない、魔法の呪文のように。

 時計の針は遅々としか進まない。客観的な20分を主観的には3時間くらいに感じながら、あたしはずるずると落ちて来ようとする瞼をなんとか持ち上げた。
 視界の端に時折入り込むテレビカメラが気になってしかたない。いくらローカルな地域番組の取材だからといって気を抜くと、後で痛い目を見ることになるだろう。
 起きてさえいれば一応の体面は保つことが出来るだろうと、普段は考えもしないような言葉が頭を過ぎった。「音」として入ってくる式辞の内容を「言葉」として取り込みたくないあたしの脳は、あたしをどこか遠い所にいるとても狡猾な〝あたし〟みたいにしようとしている。

「――破却せよ」


 放たれた言葉は、凄絶な力となって群がる妖を蹴散らした。


「遅かったな」
「・・白銀の華[カ]は我が魂を辿り歪んだ闇より疾く還る。我が魂を蝕みし闇の名の下に疾く還れ。たゆたいし闇は汝に沿う。疾く還れ。汝が意志は我が魂に刻まれている」
「無駄だ」


 二匹の妖狼と共に境内へと降り立ったアサギは白鬼や異邦の妖などには目もくれず、矢継ぎ早に呪を紡いだが、イザを取り巻く呪縛を打ち砕かんとした力は暁闇によって無効化される。
 

「破却せよっ!」


 苛立ちと共に放たれた言葉が大気を揺らした。
 ビリビリと肌を刺す怒気に、白鬼はほくそ笑みながら暁闇を掲げる。


「じきに堕ちる」
「させないわ」
「人ごときが、我に牙を剥くか」


 印を結び、振り下ろされた腕の先で瞬く間に妖たちが塵と化した。


「堕神風情に彼女を穢させはしない」


 駆けつけた十二神将たちの言葉さえ、彼女の耳には届かない。

「お前、いつもそんなことしてるのか?」



 周囲の忠告も聞かず暁羽に勝負を持ちかけた夕立がついに酔い潰れ、テーブルに突っ伏した拍子に、空瓶が将棋倒しになってけたたましい音を立てる。
 無残にもテーブルから落ち粉々に砕けた瓶はすぐに誰かが消した。



「結構楽しいですよ? やり方教えましょうか?」
「誰に試せって言うんだよ」
「それはもちろん・・」



 騒ぎ疲れて眠ってしまった彩花の髪を梳きながら、蒼燈はあらぬ方へと目を向ける。
 その視線の先に誰がいるのか、いちいち辿らずともわかってしまった華月は冗談、と大げさに肩を竦めた。



「後が怖いからやだね」
「そうですか?」



 どことなく不満気に首を傾けた蒼燈は小さく身じろいだ彩花に再び目を落とし、彼女の額に手を当てる。



「彩花は喜びますけどね」



 部屋の隅で我関せずと蹲っていた夜空がおやと顔を上げた。
 意図的に意識を手放した蒼燈の体は彩花と折り重なるように倒れ、傍目からは仲睦まじいその光景に、華月は笑みを含む。



「蒼燈はまた潜ったのか」



 呆れの滲む夜空の言葉には、浅く首肯することで答えた。



「他人の夢に潜るなんて高等魔術を易々とやってのけるあたり、さすが本場で育っただけのことはあるよな」



 ぶれいこうぶれいこう! ――呂律の回らない声で叫びながらワインのボトル片手にテーブルの上でストリップショーを始めようとした夕凪を夕立が強制退場させるのを見ながら、あたしは蒼燈の後を追ってパーティーの会場を後にした。
 あたしが「姉さんに何も言わないで出てきちゃったけど大丈夫かな?」、なんて思ってる間に蒼燈はどんどん先に進んで、あたしは置いていかれないよう半ば走るようにその後を追う。でもコンパスの差があって、追いついたと思って気を緩めるとすぐにまた二人の距離は開くから、あたしはその度、泣きそうになりながら今日は遠い蒼燈の背中を追いかける。
 何故か「待って」とも「置いてかないで」とも言えず、自分勝手な蒼燈を罵倒する言葉も思いつかなかった。

 そして闇が怖い。

 その恐怖が「後継者」としての守りを失ったことによるものなのか、冷淡な世界によるものなのか、黙って出てきてしまった罪悪感によるものなのか、昨日見た映画のせいなのかあたしには判らないけど、この暗闇の中置いていかれたら本当に苦しくて死んでしまいそうだ。こんな所に置いていかれたら、怖くて、怖くて、怖くて、きっとあたしは死んでしまうんだ。



「そ、ひ・・」



 なのに蒼燈は立ち止まっても、振り向いてもくれない。ただ黙々と――あたしと一緒じゃなく、一人で歩いてる時と同じ速さで――歩き続けるだけ。まるであたしなんか存在してないみたいに歩きなれた帰路を辿る。
 怖くて、寒くて、心細くて、あたしはもう殆ど走りながら蒼燈に並ぶのに、いつも鬱陶しいほど気の利く蒼燈はあたしの手を握ってはくれない。同じ速さで歩いてくれない。話しかけてくれない。


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