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小噺専用
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 左目に指を突っ込んで抉って、眼球を放り出すと、体は崩れてなくなる。意識はぼんやりとしたままどこか不安定に漂い、やがて眼球を中心に出来上がった新しい肉体に取り込まれる。自分でも笑える話だが、私の本体は体ではなくこの左目なのだ。だから肉体を幾ら傷付けられたって構わない。眼球を抉り出しさえすれば、幾らだって替えがきくのだから
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 光さえ届かない水牢の中、することもなくただ漂っているのは心地いい。誰に邪魔されるでもないまどろみは穏やかで、私は、ずっとこんな風に眠り続けることを願っていたのだから。
 このまま永久の眠りにつくことが出来たなら、それはどんなに幸せなことだろう。何者にも煩わされることなく、独りっきりで永遠に、穏やかな眠りにつくことが出来たら――

「……下らない、」

 瞬きするよう自然に目を閉じて、また開くと、そこは水牢の中ではなく見慣れた廃墟の中だった。人形のように放り出していた体には薄っすらと埃が積もっていたが、活動に支障はないと判断して、捨て置く。女性なら身嗜みに気を使ったらどうですと耳の奥で笑う声が聞こえたが、それすら空耳だと切って捨てた。

「眠りたい。眠れない。終わりたい。終われない」

 それは今まで幾度となく望み、砕かれてきた願いだった。何度命が終わろうと、私という存在が途切れることはなく、まどろみの刹那見る泡沫の夢だけが生きる糧。

「…何を今更」

「――見つけましたよ」

 右足に嵌められた《枷》が重くて、思うように走れない。

「こんなところにいたんですか…。全く、逃げ出すなんて面倒なことをしてくれましたね」

 きっと、そのせいで追いつかれてしまったんだ。

「くだらない鬼ごっこは終わりです」

 こんな足、なければきっともっと遠くまで逃げられたのに。この足さえなければ、きっと追いつかれることなんてなかったのに。

「嗚呼、ちょっと、やめてください。大切な体なんですから。これ以上傷が付いたら使い物になりませんよ…」

 逃げたい。誰の手も届かないところまで。そして隠れていたい。息を潜めて密やかに。

「私がここまでしなければならないなんて…」

 そのまま、誰の記憶に残ることもなく消えてしまったって、いいから。

「全く、アルスィオーヴは何をしているんでしょうね」

 誰か――





 私に力を寄越せ。




「…顔がにやけてますよ」
「おっと、それは失礼」
「どうせ報酬のことでも考えていたんでしょう? …貴族の癖に」
「なによその貴族の癖に、って…嫌味? 自分だって貴族でしょ」
「貴女がお金のことで一喜一憂する方が相当な嫌味ですよ。働かなくても生活できる人が」
「あんただって同じでしょう、侯爵家の跡取り息子」
「公爵家の当主にだけは言われたくありません。それに貴女、騎士としての収入もあるでしょう。桁が違いますよ、桁が」
「残念でした、騎士は歩合制なの。倒した魔物の数と収入が比例するから働かないと儲からないの」
「……ちょっと待ってください。歩合制って、まさか《この分》も入ってるんですか?」
「あたりまえじゃない。ちゃんと働いてるんだから」
「っ…、集めたマナを寄越しなさい! 貴女そんなものなくても困らないでしょう?!」
「ちょっ…金に汚いのはどっちよ!!」
 閉ざされた世界でのまどろみは心地良く、穢れを知らない無垢な夢は、時に鋭く見る者の目を焼いた。

「かわいそうに」

 《災いの枝》は、己が身を委ねた夢の空虚さに嘆く。知ることを必要とされなかった夢の主の境遇は、《災いの枝》に一人の少女を思い起こさせた。

「かわいそうに」

 閉ざされた世界。限られた人。不完全な魔法陣。捧げるために生み出された存在。

「助けてあげましょうか?」

 偽りの器。

「助けてあげましょうよ」

 《災いの枝》は、己を抱く愛しい少女に囁いた。

「  」

 戯れで訪れていた夢が遠退く。
 居心地の良いマナの中へ戻った《災いの枝》は、押し寄せるまどろみに身を任せ形を崩した。

「助けてあげましょうよ――」

 たぷんと、魔力の泉がかさを増す。










「つまり巨人族とは、《ラグナロク》において天上の神々を滅ぼす存在であり、我々の住む《世界樹に支えられた九つの世界》最強の種族と言える。確かに神々は強大な力を有しているが、その力が戦いに特化している者はごく一部だ。だが巨人族は好戦的で、戦うために生まれてきたと言っても過言ではない」

 誇りに思えと、過去の亡霊がまどろむ私に囁いた。お前はこの国の礎になるのだと、狂った《魔導師》は繰り返す。
 術者と同じ、綻びだらけの《魔法陣》が瞼の裏に浮かんで、私は仕方なしに目を開けた。午前最後の講義が終わるまで、時間はもう幾らもない。

「巨人族を統べる王はウトガルド・ロキ。アース神族にも同名の巨人族が名を連ねているが、混同はしないように」

 開けたまま机の上に放り出していた懐中時計を閉じる音に目を覚ました黒猫は、くあ、と暢気な欠伸を零して私の膝から長椅子へと移った。
 早く行こうと、深紅の瞳が私を急かす。

「(もう少しよ)」

 私は唇の動きだけで音もなく告げた。しょうがないとでも言うように、黒猫もまた音もなく鳴く。

「アースガルズのロキは金の髪に金の目。ウトガルド・ロキは透けるような銀の髪に、血のように赤い目をしている。…二人のロキについてはまた次回詳しく説明するとしよう。――解散」

 講義を切り上げた教授が生徒に背を向けるのと、時計塔の鐘が正午を告げるのとはほぼ同時だった。

「おまたせ」

 相変わらず時間厳守なラウム教授は、鐘が鳴り終える頃には隣の研究室へと消えている。机に広げたノート類を適当に《次元の狭間》へ放り込んで、私は黒猫を肩へ誘った。
 差し出した腕を伝って軽やかに飛び上がった黒猫が頬を摺り寄せてくる。講義室の二階から廊下へ出た私は少し目を細めてから、仕方ないわねと両手を上げる。

「おいで」

 黒猫は人の気も知らないで満足そうに鳴いた。


「――今から昼食ですか?」


 たたた、と軽い足音がして、私の視界に紫闇の狼が入り込む。見覚えのある《地狼》だと思って彼が来た方を見遣ると、案の定、そこには彼の《契約主》がいた。

「そうだけど?」

 蒼燈・ティーディリアス。ティーディリアス侯爵家の現当主殿。

「ご一緒しても?」
「どうぞお好きに」

 同時に学校内で決められている《チーム》の仲間である彼を避ける理由もなく、私は安易に頷いた。黒猫も大人しいので、きっと異論はないのだろう。

「ラウム教授の授業で転寝なんて、相変わらず貴女は勇者ですね」
「あの人は授業態度よりも試験の内容で判断するから、そうでもないわよ」
「そうなんですか?」
「前回の試験でS評価貰ったから間違いないわ」
「…Sなんて初めて聞きました」
「そう? 私はよく見るけど」

 さらりと自覚のある爆弾を落とすと、蒼燈はこちらの期待通り心底嫌そうに顔を歪めた。前を歩く地狼も呆れ顔で振り返り、私はわざとらしく満面の笑みを浮かべる。

「いつか夜道で刺されますよ」
「返り討ちにしてくれるわ」
「…でしょうね」

 その様が容易に想像できたのか、蒼燈はあらぬ方へと目をやった。地狼も同じ。黒猫だけが、当然のような顔で私を見上げている。

「貴女を傷付けるなんて、ヨトゥンヘイムのウトガルド・ロキにだって無理ですよ」
「あたりまえじゃない」

 黒猫の瞳が愉快そうに煌いたので、私は心から哂った。

「私は暁羽[アキハ]・クロスロードなんだから」

 そんなことは、もうずっと前から決まってる、この世の道理なのよ、と。










「嗚呼、嗚呼、憎い」

 ジャラジャラと、幾重にも重なり合う鎖を揺らすことで、閉じ込められた男は己の存在を確かなものとしていた。

「憎い、憎い、憎い」

 鎖は男の力を封じていたが、たとえ力があったとしても、男に逃げるあてはない。自分と鎖以外何もない空虚なマナの中で、男はジャラジャラと煩い鎖の音に理性を繋がれ、狂うこともままならず、繰り返す。
 憎い、憎いと、放たれる言葉、垂れ流されるどす黒い感情が己を閉じ込めるマナをより強固なものにしていることを、男は知らなかった。気付くための力を封じられ、だがそれだけを精神の頼りにしたばかりに、忌々しい鎖を壊せずにいる。
 憎い、憎いと、男は繰り返した。せめて閉じ込められた場所がマナであるとわかれば、マナを強固な檻とする力が己の呪詛であると気付けば、男は変えることができただろう。世界を、そして己を囲う境遇を。
 だが男は未だ何も知らず、鎖の音も途切れず、どす黒い感情だけが確かな目的を持ってのたうった。

「嗚呼、憎い、憎い、嗚呼――」

 どす黒い呪詛が積み上がる。










「――……」

 どこか遠くへやった意識を呼び戻すように、黒猫の尻尾が手の甲を撫でた。窓の外へ投げていた視線を戻せば真紅の瞳が目の前にあって、私は息を呑む。

「なんで…」
「妙なことを聞くな」

 いつの間にか、膝の上にいたはずの黒猫は姿を消していた。代わりに現れた紅目の男はクツリと笑い、窓の桟に座る私の髪を梳く。
「ウトガルド・ロキでさえ傷付けられないとは、よく言ったものだ」

 午後の講義も終わって、特に寄り道する用事もなかった私は黒猫と二人帰路についた。

「本当のことでしょ?」

 《王立魔法学校》から最近使っている部屋まではそう遠くない。学校を出て大通りを渡り、幾つか路地を曲がればすぐそこだ。

「そういう意味じゃない」

 くつりと、腕の中の黒猫が喉を鳴らす。それまで機嫌良さげに揺らめいていた尻尾が促すよう肩に触れたので、私は手を離した。

「じゃあどういう意味よ」

 支えを失った黒猫は空中でしなやかに体勢を変える。けれど着地することはなく、その姿は空間へ滲むようにして消えた。
 入れ替わり、私の前には一人の男が現れる。透けるように白い肌をした、美しい男が。

「無知とは恐ろしい、と…それだけだ」
「なんだそんなこと」
「逆にお前は知りすぎていて恐ろしいがな」
「誰のせいだかね」

 男――リーヴ――は姿を消した黒猫と同じようにクツリと喉を鳴らして、私に手を差し出した。私は迷わずその手を取り、足取り軽く歩き出す。

「帰ったら昨夜の続き、する?」

 隠れ家的な雰囲気が売りの喫茶店。その二階に借りた部屋はもう目の前だ。

「これからか?」
「そう、これから」
「…せめて日が落ちてからにしておけ」
「そんなに私を寝不足にしたいの?」

 幾らもしないうちに私たちは一時的な《我が家》へと帰り着く。扉にかけた《魔法錠》を視線一つで開けたリーヴは私を窓際のソファーへ追いやって、自分はダイニングの椅子に座るとテーブルの上を指差した。

「それはお前が最後までやろうとするからだ。加減を知れ」

 そこには昨夜書き散らした新しい魔法の構想が山のように積み上げられている。もう少しだからと繰り返すうちに夜明けを見、足りない睡眠を講義中補おうとしたことを、彼は暗に責めているのだ。

「時間が開くとやる気失せない?」
「いいや全く」

 悪びれもせず小首を傾げた私をばっさりと切り捨てて、リーヴは紙片を《次元の狭間》へと仕舞い込む。どこにでも存在し、作り出すことの出来る《次元の狭間》は何かと便利だけど、誰かと同じ場所に《穴》を繋げるのは限りなく不可能に近い。出来ないことはないけれど、やろうと思えば一日がかりだ。

「いじわる」

 読書用のソファーに沈んで、私は目を伏せる。

「忘れるな、今のお前は違う」
「……」

 そうさせたのはそっちのくせに。――零れそうになった言葉を寸前で呑み込むと、体の内側でマナが疼いた。《魔法師》と《魔法生物》の中にだけ存在する魔力の源は、いつだって感情と直結していて困る。

「暁羽」
「わかってるから…もういいでしょ?」
「違う、外だ」
「へ?」

「ささのは、さーらさら」

 軒端にゆれる

「おほしさま、きーらきら」

 金銀砂子





『美咲[ミサキ]』

 幸せな夢の中では、あなたはいつも私の傍にいてくれる。夢の中だけならずっと、ずっと、あなたは私だけの人。

『見てごらん、星が綺麗だよ』

 十年前の七月七日を永遠に繰り返す私はいつからか、あなたの指差す方向を見て目を輝かせることはなくなった。私は私を抱きしめるあなたの横顔だけをじっと見つめて離さない。そうしている間だけ、私は安らぐことができた。

『誕生日プレゼントはなにがいい?』

 あの日から、私が本当に望んでいるのは唯一人、あなただけ。

『イヴリース』

 美しく気紛れな《銀の魔女》。慈悲深くも残酷な《神の力》。あなたが私のものになってくれたなら、もう何も怖くなんてないのに。

『ん?』
『……約束、して?』
『いいよ』

 あなたは永遠に《彼女》もの。

『私の運命を弄らない、って』

 大好きよイヴリース。たとえ世界中のありとあらゆる存在があなたを愛するよう呪われていたとしても、私の想いだけは本物だって誓えるわ。呪いが解けてあなたが一人になったって、私だけはあなたを愛し続けるから。

『…それをお前が望むなら』

 私を呪わないでイヴリース。どうかどうか、その残酷な優しさで針は止めないで。
 あなたのいない永遠に意味なんてないの。

『私はお前の運命に手をつけないと約束するよ、美咲。だけど憶えておいて』

 優しい優しいイヴリース。愛しい愛しい《銀の魔女》。幼い私の髪を梳く左手の指輪が憎くて憎くてたまらない。それさえなければ、あなたは私にだって目を向けてくれたでしょうに。
 あなたが《彼女》のものであることは、あなたがあなたであることの証明。あなたが許した存在理由。《銀の指輪》に誓われた愛は永遠に絶対。

『私はお前が好きだ』

 幸せな夢の中でなきゃ、あなたは私の傍にいてくれない。










「本当に残酷だったのは、どっちなのかな」

 真夜中の公園で一人きり、錆付いたブランコを揺らしながら私は薄情な《神モドキ》を待っていた。
 来るはずはない。だけどそれでいい。最後に会った日から三年も経てばその姿を探してあてもなく街を歩くことに疲れ、五年も経てば、誕生日くらいにしか再会を願わなくなる。人間なんてそんなものだ。

「今頃何やってんだか…」

 いつの間にか《大人》になった私は、夜な夜な未練がましい夢を見ながら起きている間は彼女の名前さえ口にしない。神モドキ、そう呼ぶのがせいぜいだ。
 夢の中は、差し詰め出来損ないの《ネバーランド》なのだろう。私自身はとうに《子供》であることをやめたのに、捨てられた《子供》の部分が拾って欲しくて見せる《自己暗示》。
 彼女のことだけを想っていましょうよ。――幼い私が私に囁く。
 それをお前が望むなら。――同時に聞こえたのは、もの哀しげな彼女の声だ。何かに耐えるよう細められた瞳は彼女越しに見えた星と同じ色をしていたのに、輝きは対照的。
 幼い私は、その時彼女が何を思っていたかなんて考えようともしなかった。

「…かえろ、」

 立ち上がった拍子に、ブランコがギィギィ音を立てる。振り返りもせず歩いていくと、音は段々離れてやがて聞こえなくなった。
 こんな風に幼い私から離れてしまえたらいいのに。

 夜になると途端人気のなくなる住宅街を一人きり、私はとぼとぼ歩きながら空を見上げた。
 もう星を見て目を輝かせる《心》すら失くした私の目に映るのは、キラキラ眩しい沢山の光、ただそれだけ。もうそこに苦しいくらいの感動はなく、夜空に星が見えるという《あたりまえ》があるばかり。
 我ながら可愛げのない育ち方をしたと思う。でもこれでいい。これくらいが、丁度いい。


 だってもう、ここに私の永遠はないのだから。


「――やっと見つけた」

 不意に左手をつかまれて、私は立ち止まる。私以外誰もいなかったはずなのに、という純粋な驚きが一瞬胸を占めて、すぐに消えた。

「探したよ、御主人様」

 この十年ですっかり聞き慣れた声が夜の静寂に溶ける。心地いい体温は手首から手の平に移って指に絡んだ。繋いだ手を促すように引かれ振り返ると、私のことを《御主人様》と呼ぶ男は心底嬉しそうに笑う。

「ベクシル…」

 ぽっかりと胸に開いた穴を埋められた気がして、私はほぅ、と息をついた。

「御主人様?」
「…帰ろうか」

 この充足感が消えないうちにと、繋いだ手を引いて歩きだす。

「おおせのままに」

 姿を消した神モドキの置き土産は、冗談めかしていつもの口癖を口にした。

「そういえば、御主人様」
「何?」
「誕生日おめでとう」
「…ありがとう」

 彼女の指輪と同じデザインの飾りが私と左手とベクシルの首に一つずつ。繋がれた絆が彼女と《彼女》のように絶対であることを願いながら、私は我儘な子供を宥めすかした。
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