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 十年バズーカに当たった。

「失敗した…」

 故意だ。
 構造解析してやるつもりだったのに半分も終わらないうちに未来へ飛ばされてしまった。

「――リナ?」
「……」

 聞き覚えのあるような、ないような声がして、煙の中を一歩飛び退く。たった五分の事だ。ばらけて逃げて問題はないだろうと、《バタフライラッシュ》を活性化させる。黒髪からざぁっ、と色が抜け、細胞同士の結合が解ける。

「逃がさないよ」

 一瞬、前。

「ぐえっ」

 声がした方向とは逆へ飛んでいたのに、何故か後ろから首を絞められバラけ損ねる。容赦のない遣り様だ。これは疑いようがない。

「ぎぶぎぶ」
「君が悪いんだよ」

 恭弥だ。

「逃げようなんてするから」

 ぱっ、と首に回されていた手が離れた途端、塞き止められていた空気が一気に流れ込んできて少しむせる。へたり込みそうになった体は後ろから支えられた。

「君、こんなに小さかったかな」
「お前はでかくなりすぎ…」

 ぐったり力を抜くと、更に引き寄せられる。

「こっち向いて」
「ん…」

 顎を持ち上げられるのとキスは同時だった。

「ちょっ、」
「なに」
「いやなにじゃなくてだな…!」

 艶っぽくもなんともない、ただ唇同士を触れ合わせるだけの挨拶。動揺する私の方が多分どうかしてる。

「顔真赤」

 くすりと笑いながら、今度は額へ。どうにかその感触から意識を逃そうとして、気付かなければよかったのにとんでもないものを見つけてしまった。

「恭弥、これ――」

 なのにこんなところで時間切れだなんて、そんなのない。





「――リナ?」
「……きょうや…」

 視界を覆う煙の中。声のした方へ伸ばした両手は難なく恭弥を捕まえた。

「きょうやぁ…」

 私の恭弥。まだ中学生の、私のことが一番大好きで戦うことにしか興味のない子供。

「私死んじゃう」
「殺しても死なないくせに」
「うぅっ…」

 半分泣きそうになりながら取り上げた恭弥の左手は綺麗なものだ。薬指には何もない。いかにもなシルバーリングなんて嵌ってない。

「恭弥」
「なに」
「お前子供のままでいたいとか思わない?」
「思わないね」
「……そうか…」



----



「静香どうしよう」
〈何かあったの?〉
「十年バズーカで未来に行ったら恭弥が薬指に指輪してた」
〈あらおめでとう〉
「は?」
〈…え?〉

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 煩わしいばかりの運命は、結局二人で一人分。
 だからどちらかが為すべきことを為せばいい。





「――雲雀さん、」

 過去は変えられる。

「大丈夫ですか?」

 僕が変える。

「何が?」
「いえ…」
「君は自分の心配だけしておくことだね、沢田綱吉」

 この、どうしようもない未来を何もかもなかったことにしてやり直す。そのために何が損なわれようと、もう構いはしない。

「大丈夫ですよ」

 今更引き下がれはしない。

「必ずうまくいきます。だから無茶だけはしないで下さいね」

 今度こそ救ってみせる。

「イツキさん」
「…彼女は死んだ」

 こんな未来は、いらない。

「だから壊すんだよ」



----



 お互いの仕事を気分で取り替えるなんてこと、珍しくはなかった。だからあの日も私は血生臭い仕事を恭弥に譲って、代わりに面倒な書類仕事を引き受けて、

「……」

 何も問題なんてないはずだった。

「――恭弥?」

 はずだったのに。



----



 あの日死んだのは私だ。

「どうして僕が? 咬み殺されることになるのは君なのに」
「この状況で何を言っている!!」

 だから「僕」は過去を変える。

「――うらやましいな」

 こんな世界に未来はいらないんだ。

 またシードルを送ってくれないかとお伺いを立てれば「自分でも作れるでしょう」と静香は笑って、「ちょっと待っててね」と甘やかに電話を切った。

「ちょっと…?」

 愛車は丁度マンションの地下駐車場へ滑り込んだところ。私の感覚で言うと「ちょっと」は五分十分の世界だ。
 いやでもまさかと、車を降りようとしたところで、こつり。

「…おおう」

 叩かれた窓の向こうで場違いな美女が満面の笑みを浮かべていた。

「Bonjour!」

 まじでか。





「XANXUSが暴れるとね、大変でしょう?」

 普段あまり本国を離れない静香が日本へ来たのはつまりそういうことらしい。

「ソルシエールとしての仕事か」
「そう」

 手土産として渡された紙袋には件のシードル。瓶と瓶の間を埋めるよう菓子の類もざらざら入れられていた。

「もしもの時、抑え込めるのなんて私くらいよ」
「確かにな」

 とりあえずで家に上げた静香は興味津々、リビングの中を見渡しながらソファーへ落ち着く。

「ちゃんと生きてるのね」

 そこかしこに見て取れる当たり前の生活感は、けれど確かに向こうでの暮らしぶりを知っている静香からしてみれば喜ばしいものなのだろう。仙人のように霞を食うような生活をして、死にはしなくとも人間らしさは確実に削ぎ落とされていく。
 《組織》の《蝶》として動くならむしろその方が好都合。でもここにいる間、そんな「手抜き」は許されない。

「恭弥がいるから」

 恭弥の「リナ」は人間だ。寝て起きて食べて泣いて笑っていつか死ぬ。それが必然。それが当然。
 それくらいの制約なければ面白くないと、恭弥が言った。

「すっかり骨抜きね」
「知ってただろ?」
「えぇ」


「知ってたわ」



----



「今のあなた、凄く綺麗よ」
「…どうも?」


「ねぇ、ファルファッラ。これだけは覚えておいてね」
「なに?」
「私はあなたを愛してる。ありのままでいて美しいあなたを」
「…知ってる」
「そう、あなたは知ってる。初めから見返りを求めない無償の愛し方だけは知っていた。だから私は、あなたに報われることを教えたあの子をとても得難く思うわ」


「忘れないでね、ファルファッラ。あなたは組織の蝶である前にあなた自身で、バタフライラッシュはあなたを構成する要素の一つでしかないのよ」
「わかってるよ」


「でも静香、これだけは覚えておいてくれ」


「恭弥にもしものことがあったら、私は終わるよ」
「えぇ」


「私だって、あなたのいない世界に興味はないわ」




「なに話してたの」
「ん?」
「あの草食動物と」
「沢田?」

「お前の怪我の具合聞かれた」

 ついさっきたんまり作った貯金がすっかり底をついているだなんて、気分屋にもほどがある。

「もう跡形もないよ」
「まぁそうだけどな」

 机に遮られて見えもしない足の傷を一瞥。

「お前が平気そうにしてるのは手当した人間の腕がいいからなんだからな」

 言いおいてごろりとソファーへ横になる。



----



「恭弥」

 一声呼び止め、肩越しにこちらを顧みた恭弥の手をとって持っていた指輪をするりと通す。

「おまもり」

 貸すだけだからなと、何か言われる前に釘を刺すとそれでも愉快そうに目を細めた。
 私から取り戻した左手を軽く仰ぎ見るように掲げて、「ふぅん」と笑う。

「いいよ」

 可愛気のない不敵な笑みだ。

「守らせてあげる」



----



「え、今日跳ね馬来ないのか?」
「らしいよ」
「…なんだ」
「なに」
「いや別に」
「用でもあったの」
「いや全然」
「……」
「や、ほんとに何もないって」

「何焦ってるの?」
「お前ほんとどんどん可愛気なくなっていくな」
「君はどんどん面白くなるよね」



----


 なんだ今日は修行しないのかと、気持ちとぼとぼ車へ向かう途中。奇妙なものに声をかけられた。

「ちゃおっス」
「…Ciao?」

 スーツを着た赤ん坊。アルコバレーノのリボーンだ。

「ディーノはやっぱりまだへなちょこだな」

 そういうものだと分かっていても二頭身の赤ん坊に流暢に話されると妙な感じがする。

「組織の殺し屋がこんな所で何してやがる」
「…驚いた」

 応接室に程近い、よって一般生徒があまり使いたがらない三階の廊下。誰に見咎られる心配もそうないから悠長に話していられる。

「どうしてわかった?」

 純粋に本当に、心底驚いていた。
 外を背に窓枠へ腰掛けたリボーンはにっ、と外見不相応な笑みを見せる。

「秘密だぞ」
「…まぁ、実のところ大して隠してもないしな」

 大方《ファルファッラ》を出している時の仕事仕様な格好を見られでもしたのだろう。元々髪と目の色が違うだけで変装らしい変装をしたことはない。《蝶》を見て生きていられたのなら、私に会って同一人物だと気付くことはさして難しくないだろう。

「だけど何してやがる、ってのはご挨拶だな。生憎私はあんたが跳ね馬の所にいる頃からここに住み着いてるんだ」


「――何してるの」


「ちゃおっス、雲雀」
「やぁ、赤ん坊。――で? 君は帰るんじゃなかったの」
「ちょっと立ち話してただけだって」
「…行くよ」
「うい」

「雲雀、お前は知ってるのか」
「君が彼女の何を知ってるっていうんだい」
「その女は、


「僕の蝶だ」



----



 デスヒーター。野生の象でも歩行不能にするような猛毒だと言われても、大した感慨は湧かなかった。そのための指輪だ。
 恭弥の許しも出ているし遠慮はいらない。種は昨日の内にたっぷり蒔いているから、程なく恭弥の毒は中和されるだろう。立ち上がることさえできればポールくらいへし折れるはずだ。心配はいらない。恭弥さえ無事ならわたしは構わない。肝心の恭弥に対する手は打ってあるから、今日こそ本当に観客気分だ。安心して見ていられる。



 と、思った途端これだ。

「嗚呼あの馬鹿っ、あれほど顔に傷はつけるなって言ったのに…!」

 さすがに流れた血はどうしてやることも出来ない。



----



「――恭弥!」

 私が声を張ると、恭弥は嫌な顔をするでもなくそれに応えた。

「バタフライラッシュ――」

 かちりと頭の中でスイッチが入って、体中の細胞が色めき立つ。一瞬で夜色の髪から色素が抜けると同時に無数の黒い蝶が羽ばたいた。

「何だ――!?」

 それに紛れて私の体も人としての形を崩す。目の粗い赤外線の間を抜け、差し出された恭弥の手に手を重ねるよう再構築した体で、私は周囲の驚愕を他所に悠然と笑いながら銃を構えた。

「ファルファッラ…!?」
「アッディーオ!」

 声高に告げて引き金を引く。

「――はっ」

 簡単な仕事だ。



----



 赤外線の囲いが消えるなり駆け出して、迷わず恭弥に飛びついた。

「恭弥!」
「ちゃんと止血はしたよ」
「腕はな!」

 引き寄せたらすんなり寄りかかってきた体を引っ張り上げて足を掬う。抱え上げた体がずしりと重くなると同時に力の抜けた頭が鎖骨の辺りに乗って、首元を柔らかい黒髪がくすぐる。

「毒は中和出来ても血は作れないっての」



----



「恭弥はこのまま連れて帰るからな」

 視線が絡んだ瞬間告げて、またすぐ体ごと完全に目を逸らす。言い逃げだ。
 急にギアを上げすぎて指先がぴりぴりしてる。



----



 それはあまりにも唐突で、あらゆることに理解が追いつかないまま私は放り出されていた。

「――!」
「――――!」
「――!!」

 視界を遮る煙が晴れるより早く、周囲の雑音や殺気に反応した体が問答無用で臨戦態勢をとる。手の中に現れた《ファルファッラ》を握り締め、慣れた体は仕掛けられた攻撃にフルオートで応じた。
 無駄も躊躇いもない行動とは裏腹に頭の中はぐちゃぐちゃ。

「うわぁぁっ!!」

 気付いた時には私だけがその場に唯一五体満足で立っているような有様だ。

「…どこだここ」



----



「指輪に炎、灯してたな…」

 とりあえずすぐに逃げられる心積もりだけして思い出し思い出し、はてどういうことだと首を傾げる。指輪に灯す炎について、めざましく研究が進んだなんて話は聞いてない。その上その炎を利用した兵器だなんて――

「…あ、あったなそういえば」

 それだって私が突然見知らぬ場所へ放り出された説明にはならない。

「なんだってこんなことになってるんだ…?」

 そもそもここへ来る直前、一瞬立ち眩みのような状態に陥ったことが不可解だ。《バタフライラッシュ》をたんまり抱えた私に限って、立ち眩みだなんて。

「……」

 ぐるぐるぐるぐる考えた末。とりあえず一旦思考を放棄することに決めた。
 分からないなら分からないなりにやりようはある。





 比較的頭部の損傷が少ない死体から、完全に意味消失する前に可能な限りの情報を引き上げる。記憶というのはつまり電気信号だ。壱と零。《バタフライラッシュ》なら読み取れる。私には読み解ける。

「ミルフィオーレ、…ボンゴレ狩り?」

 無機と有機の相半。それが私の強みだ。

「アンチナノマシン…? そんなの使われてないぞ」

 どうにも噛み合わないなと、ついでで取り込んだ情報端末のデータでようやく合点がいった。

「――十年後か、ここは」

 十年バズーカの存在は知っている。それが今誰の手にあるのかも。実際使用しているところを見たことだって。
 よってここが十年後の世界であることを認めるとしても、だ。

「何故あたったし」

「…今日は騒がしいから」
「そう?」

 首を傾げながら、匠は一瞬視線をあらぬ方へ流した。それは正に私が「騒がしい」と思っている部屋のある方で、耳を澄ますよう目を閉じた匠は少しの間そっと呼吸を抑える。

「――…耳がいいんだね」

 そうまでして、結局私と感覚を交わらせることは出来なかったらしい。

「何も聞こえない、って顔してる」
「うん、聞こえなかった」
「人がいるの、わかる?」
「知ってはいるよ」
「五人」
「…四人じゃなくて?」
「五人よ。四人と一人」
「そう…」

「嫌なことがあったら言えって、言った」
「うん、言ったね」
「なんでも?」
「どんな些細なことでも」
「……」

「二つ隣の部屋」
「今人がいる?」
「あそこまでなら人がいると分かる。耳を澄ませば何を話しているのかも」
「凄いね。…あ、だから眠れないのか」
「そう」
「じゃあ、静かにさせないとね」

「ここは物騒なところ」
「…ごめんね?」
「でもあなたは私を叩かない。だから言うんだけど…」

「明日は車に乗らない方がいいと思う」

「――そうするよ」

「並中で何が起きてるかはあの金髪外人に聞いた方がいい」
「どうせ知ってるくせに。もったいつけてないで教えなよ」
「勿体つけてなんてない。あの金髪男に都合よく動くのが嫌なんだよ」
「なにそれ」
「あいつ、私のことはお前を動かすために利用してるのに事情は説明しようともしないじゃないか。なのにこれ以上あいつの苦労を減らすのは癪に障る」
「知らないよ、そんなの」
「それにあの金髪が恭弥にどう説明するか見てみたい」
「…そういうこと」
「ん?」
「つまり君は嫌がらせに僕を利用するんだ」
「…嫌?」
「別に。いいよ、好きにすれば」

 僕だって君を利用してる。

「――そうだな」


----


「今日は雨戦だって」
「ん…?」
「見に行くから車出しなよ」
「んー…」
「…眠そう」
「眠いんだよ本当に」
「事故らないでよ」
「頑張る」


----


「寝てていい?」
「好きにすれば」
「抱きついてていい?」
「いつもだろ」
「…それもそうか」

「終わったら起こして」
「落として?」
「…それは最後の手段にしてください」
「気が向いたらね」
「……おやすみ」
「おやすみ」

「ねぇ、まだ?」

 もういいだろうと、背中へ回った恭弥の手は容赦も遠慮もなく私の髪を引く。

「まだじゃない」

 ぐいぐいやられて、仰け反りそうになるのを耐えたらそれはそれで頭皮の被害が甚大だ。
 やり方が子供じみてる。

「もういいから引っ張るな、抜ける」

 駄々っ子の手を抑えて体を離すと、恭弥を押し付けていた服の惨状が顕になった。血まみれ、というにはまだ足りないが、取り返しがつかない程度には血が染みてしまっている。

「おっまえなぁ…」

 話の途中で急に自分から擦り寄ってきたのはこのためか。

「なに」
「擦るなって言っただろ、傷が残ったらどうすんだ」
「残らないよ」

 何を根拠に、とは言い返せなかった。

「残ったことがない」

 これまでそうだったのだからこれからもそうなのだと、分かりきった顔で乾いた血の張り付いた唇を舐める。
 本当に分かってやっているのならとんでもない。

「手当する人間の腕がいいからな」
「手当?」

 あれが? ――揶揄するようでいて、心の底から酷くおかしそうに笑った恭弥は機嫌が直ったのか、そのままふらりと屋上を出て行った。

「あんたの事は殴らないんだな」
「引き金は引くがな」
「は?」

 この自由人め。
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