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 通り雨にやられてすっかり濡れ鼠。ついてないなと思いながら家に着くなりバスルームへ直行すると、先に帰っていたらしい恭弥が同じような有様で制服を絞っていた。

「恭弥も降られちゃった?」

 ほんの少し握るだけで水がぼたぼた。玄関先である程度絞ったとはいえ、脱いでから改めて絞り直せば出てくる出てくる。いったいどこに溜め込んでたんだか。

「シャワーは?」
「恭弥が先でいいよ。その間に制服干すから、お湯溜めといて」
「わかった」


「…君が入ると湯が温くなる」
「なにそれ酷い」
「酷くない。本当のことだよ」
「そういう時は黙ってお湯足すとか、初めから設定温度上げとくとかさぁ…」
「熱がるくせに」
「お風呂は温いくらいがいいの!」
「そうだね」


「あ…」
「なに」
「着替持ってくるの忘れた」
「いつものことだろ」
「うんまぁ」

「適当に取ってくるよ」
「ありがとー」


----


 伸ばされた手が頬を包み込むように触れ、そのままゆるりと鎖骨にかけてを滑った時、予感はした。

「きょうや?」

 浴槽の縁にしなだれかかったまま。反対側の首元を押さえられたら動くに動けなくて、それ以前に気力が足りていない。雨に濡れるというのは想像より遥かに体力を消耗する、から。

「目、とじて」

 言われてその通り。目を閉じると目尻に柔らかい感触がして、次は唇。ほんの一瞬触れ合って離れた。

「まだだめ」

 体を押さえているのとは別の手が今度は視界を覆う。大人しく目を閉じ直すとそのまま髪を撫で付けられて、もう片方の手が首筋を支えた。

「んっ…」

 上向かされてもう一度。触れ合った唇の間から今度は舌を差し込まれて、思わず跳ねた体がべったり引き寄せられる。
 心臓の音が近い。

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 引ききった引き金に相応の反動がなくて、舌打ち一つ。
 使い物にならないと分かった銃をそれでも捨てることが出来なかったのは、それが幻覚によって作り出したまやかしではないから。

「アリス!」

 ホルスターに戻した銃とは別のシグが構えた手の中に構築される。引ききった引き金には今度こそ確かな手応えが伴った。

(手入れしない姉)


----


(失敗したかな)

 不自然に、ではない。けれど確かに会話は途切れて、訪れる沈黙。静寂でないのはある意味都合が良かった。
 何をどこでどう間違えたのだろうかと、思案。けれど致命的なミスはなかったはずだ。今更彼女の意図を読み違えたりはしない。

(全部計算ずくな弟)

 銃を使って人を殺すのはあんまり好きじゃなかった。簡単すぎてつまらないから。だけど今はもうそんなこと思わない。そもそも人殺しに楽しみを求めること自体間違っていたんだ。

「Addio――」

 決別を囁いて、指をかけた引き金は軽い。構えた銃の向こうで散る命の重さなんてそれ以上だ。私にとって何の価値もない。不要だから殺すのだ。
 乾いた発砲音は装弾数きっかりで途切れ、下がったスライドが戻らなくなる。弾切れだ。マガジンを変えないままストップに指をかければスライドが戻りはしても中は空のまま。構わず引き金を引くとあるはずのない銃声が空気を震わせた。幻覚だ。それでも人は死ぬ。もし幻覚に耐性のある人間が紛れていたとして、その時は有幻覚を使えばいいだけのこと。問題はない。

「――――」

 最後の一人を仕留めて深呼吸。手を離した銃は地面に落ちる直前霧散した、これも幻覚。初めから本当の武器なんて何一つ持ってはいなかった。まるきり手ぶら。なのに襲撃してきた男たちの、なんてだらしないこと。丸腰の女一人相手に全滅だなんて。

「Buonanotte」

 笑い話にもなりやしない。


「恭弥君、チョコ食べる?」

 突き出された拳をかわしつつ支えにもして体を跳ね上げる。

「ん」

 振り上げた足はあっさり空振った。
 勢いそのまま回って着地。

「白いのと茶色いの、どっちがいい?」
「白いのはお姉ちゃんが食べるよ」
「じゃあ恭弥君は茶色いの」

 追撃を更に後ろへ跳び退きながらかわす。

「ありがとう」

 いち、に、さん。――四で一呼吸。

「二人ともそろそろ休憩にしなよ」
「――、」

 匠の方へ意識が逸れたところを一撃。

「はい、イツキちゃんの勝ちー」

 ざまぁ。


 戦闘訓練、というと少し大げさ。だけど護身術の範疇か、と問われればそれは大分逸脱している。

「足元がお留守よ」

 言い様仕掛けた足払いを跳び上がって避けた宮内は着地でふらつき、そこを私は容赦なく蹴りつける。低く痛みを堪えるよう呻いた宮内は砂利の敷かれた庭をごろごろ転がっていった。そしてそのまま。蹴られた所を押さえて動かなくなる。

「死んだ?」

 真当な護身術を護身術として習ったことはないけど、ここまでやらないことだけは確かだ。

「プロテクターつけて、ます…」
「あ、そ」

 やってたら普通に怖い。

「まだやる?」
「御慈悲を…っ」
「やっとあったまってきたとこなのに」

 私の場合それ以外にさしてすることもないからついついやり過ぎてしまっただけ。他に面白いことがあればいいけど。この家で面白いことは大抵物騒だ。

「ねぇ宮内。明日は何が道具使ってやらない?」
「御慈悲を…っ」
「慣れないもの使ったらそこそこいい勝負になるかもよ? 宮内の得意なのでいいから」
「五分で拳銃使いこなした人が馬鹿言わないでくださいこの上武装なんてされたら本当に死にますよ俺!!」
「…あれは引き金引くだけじゃない」


「――なんだ、もう終わったの」
「んー、宮内がバテちゃって」
「鍛え方が足りないんじゃないの」
「私もそう思う。――宮内もっと頑張った方がいいわよ」


「…つまんない」
「じゃあ僕とやる?」
「恭弥と?」
「姉さんの見てたから大体の動き方は分かるよ。慣れればいいとこいくんじゃない。双子だし」
「…それもそうかも」
「ねぇ、やろうよ」

(双子12歳くらい)


----


「じゃーん」
「…なにそれ」
「武器庫漁って見つけてきた仕込みトンファー」
「今日はそれ使ってやるの?」
「よくない?」
「さぁ? 使ってみないとどうとも」


「あぁ、いいね。これ」
「でしょー」

(7日で武装)

「…なぁ、」
「なに?」
「お前今日何か食べたか?」
「……さぁ…?」
「ってか食べてないよな」
「そういえばそうかも」
「腹減らないのか」
「別に」
「まずいだろそれ」

(食べられない話)


----


「ところでシニスはどうしました?」
「霧戦終わってから引きこもってる」
「おやおや」
「軟弱なのよ」
「僕は結構好きですけどね。彼女のそういうところ」
「…そうなの?」
「えぇ。――意外ですか?」
「まぁそこそこ」


「本当にヴィンディチェの牢獄にいるの?」
「えぇ。結構居心地悪いですよ」
「でしょうね」
「…本当は、もう少し上手くやるつもりだったんですけどね」
「なに?」
「シニスの思い込みに負けました」
「…全部予定通りってわけじゃないのね」
「あくまでシニスが本体ですから」
「…そうなの、」

(霧戦翌日)


----


 殺気がなくても目に見える攻撃を避けられない恭弥じゃない。
 咄嗟に飛び退いた恭弥はゴーラ・モスカの攻撃を無傷でかわした。それを確と見届けて、ミサイルが降ってくる前にと私も駆け出す。
 有刺鉄線を軽く飛び越え、踏みつけた砲台を一つ潰したのは「ついで」。そのまま危険極まりないフィールドへ爆煙にも構わず突っ込んだ。
 記憶と感覚を頼りに走った時間はそう長くない。

「――恭弥」

 程なく合流出来た恭弥は無傷なのに酷く不機嫌で、忌々しそうに暴走するゴーラ・モスカを睨み付けていた。
 放っておいたら今にも突っ込んで行きそうだ。

「ちゃんと止めを刺さないから」
「…頭は潰した」
「せめて両目」

(雲戦)


----


「恭弥。お姉ちゃん、って呼んで?」
「おねえちゃん?」
「ん。今日からそう呼んでね」
「なんで」
「私が恭弥のお姉ちゃんだから」

 言われてみればたしかにそうなので、その時僕は頷いた。そしてそれきり。

「じゃあね、イツキちゃん、恭弥君。おやすみ」
「おやすみ」
「…おやすみ」

 あの人も、それ以外の誰もが彼女を「イツキ」と呼ぶのに。

(素直だけど不満)


----


「イツキちゃん!!」

 初めて聞いた匠の悲鳴は赤く濡れていた。

「騒がないで…」

 潰れた視界は半分だけ。ならまだ走れる。私は戦える。

「かすっただけだから」

 まさか折れるとは思わなかったし、至近距離だったから避けきれなかったけど。本当にかすっただけ。大したことない。血が出すぎるのは傷付いたのが頭なせいだ。

「避けたの…?」
「避けなきゃ死ぬでしょ」
「…凄い反射神経だね…」


「心配した?」
「あたりまえじゃないか…」
「大丈夫だって言ったのに」

(折れた刀)


----


「触るな!!」
「イツキちゃん!?」
「……さわらないで…」
「でも手当しないと…」
「無理。我慢できない。放っといてお願いだから」
「仕方ないな…」


「――きょうや、」
「押さえてればいいの?」
「うん。頼むよ、恭弥君。治療が終わるまででいいから」
「こんなの卑怯!!」
「そうだね」

(理性<本能<弟)


----


「匠、狙われてる」
「え、本当? 嫌だなぁせっかくの休みなのに」
「五、六…――八人」
「八人! 僕一人に随分大所帯だなぁ」
「噂になってるんじゃない」
「うん?」
「最近どこ行くにも私連れてるから」
「あぁ、そうかも」


「こっち」
「やっつけちゃうの?」
「生かしといた方がいいの?」
「リーダーっぽいのくらいは」
「考えとく」


「ごめん、散らかした」
「うーん…まぁ、これくらいならなんとかなるでしょ」

(ぐっちゃぐちゃ)


----


「イツキちゃんイツキちゃん。今年の誕生日プレゼントは何が良い?」
「……――学校行きたい」
「…小学校?」
「中学。来年から」
「意外だなー。イツキちゃんそういう群れてるの嫌いだと思ってた」
「嫌いは嫌いだけど、いい社会勉強になるでしょ」
「…きっとつまらないよ?」
「心配?」
「狡い言い方だなぁ…」


「恭弥、私ここ出ていくけど恭弥はどうする?」
「なに、家出? やめときなよ宮内が哀れすぎる」
「ちがくて。来月から中学通うのにここからだと都合悪いから」
「中学?」
「そう。社会勉強に」
「ふぅん…」
「どうする?」
「別に。好きにすれば」
「はぁーい」

(脱ひきこもり)


----


「――もしもし?」
〈あ、イツキちゃん? ちょっとお仕事頼まれてくれないかな〉
「なに?」
〈僕の護衛〉
「…いつ」
〈今から。もうすぐ並中に着くんだけどいるよね?」


「恭弥、匠が来てるからちょっと出てくる」
「君が甘やかすからつけあがるんだよ」
「あれをどう躾け直せと」


「何しに来たの」
「んー、ちょっとね。野暮用」


「人に会うから」
「誰?」
「ドン・ボンゴレ」
「どっ…」
「びっくりした?」
「吃驚もなにも…」
「一応挨拶しておこうと思ってね」
「あいさつ、」
「いくら並盛が勢力的な空白地帯だからといって、実質まとめてるのは君だからね。で、君はうちの九代目」
「…嫌味っぽいのは嫌われるわよ」
「そんなんじゃないよ」


「制服で来ちゃったし」
「いいんじゃない? 可愛いし。学生のうちはそれが正装だよ」


「はじめまして、ボンゴレ・ノーノ」
「お嬢さんと会うのは二度目だね」
「…その節はどうも」
「綱吉君の守護者のお姉さん、であってるかな?」
「えぇまぁ」


「この子は僕の孫で藤堂イツキ。うちの九代目なんですよ」


(埋まっていく外堀)

 ずっと長い間、ただひたすらに眠り続けていたことはなんとなく覚えている。望まれて目覚めたことも。けれど対価として差し出された体に妙な混ざり物があったせいで、そちらへ気を取られているうち、私は持っていたはずの過去を失くしてしまった。
 それでも辛うじて自分がどういうものかくらいは覚えていたし、結果手に入れた力は私のためにあつらえたようなものだったから、あまり惜しくは思っていない。今ここにある「私」という自我は失くした記憶に基づくかつての「私」とは当然のように違っているだろうから。別に取り戻したいとも思わなかった。

 私は私。


----


 何事もなかったかのよう、裏門の脇へつけた車に乗り込んできた恭弥は血まみれだった。

「うわぁ…」

 しかも顔に傷がついてる。

「なに」
「お前顔は避けろって」


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(四人逃げた…)

 だけどまぁ、あの怪我ならそう長くは持たないだろうと判断して車へ戻る。乗り込んだ瞬間ぱっ、と《バタフライラッシュ》を消して一呼吸。恭弥につけていた蝶も一緒に消えたから、こちらが片付いたことに恭弥は気付いてくれるだろう。あとは裏門にでも車を回して待っていればいい。

「つかれた――」

 あちらこちらへ力を振るのは意外と大変なのだ。


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 リナと別れて以来、ずっと付かず離れずついてきていた黒い蝶がさらさら形を崩す。それを横目に、雲雀は何食わぬ顔でもうほとんど乾きかけている頬の血を拭った。リナがいれば悲鳴を上げること間違いなしの適当な遣り様で。けれどそこにあるはずの傷が痛みを訴えることはなかった。他に負った傷も同じ。そのほとんどがもう塞がりかけているからだと、雲雀には感覚で分かった。
 そしてもうすぐ完全に塞がって跡形もなくなってしまうことも。


----


 裏門へ回した車の中で目を閉じて、何をするでもなくただ待っていた。


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 何気なく手を添えた頬にあるはずのものを見つけられなくて、私は少し面食らう。

「返り血、じゃないよな? これ」
「ちがうよ」

 服の汚れや破れ具合からしてそこそこ深い傷がいくつかあるはずなのに、どこを探しても綺麗なものだ。

「じゃあ傷は?」
「もう治った」
「…は、」

 そう、まるで私が治療した後みたいに。

「お前、それ…まずくないか」
「どうして」
「私がやらなくても勝手に治るようになってるんだろ?」
「便利だよ」
「いやそういう問題じゃなくてだな」

 確かに恭弥からしてみれば便利だろう。放っておいても怪我が治るのだ。それも普通では考えられないようなスピードで。

「便利だから、いい」

 そんなこと、本当は出来ていいはずもないのに。

「…そうか?」
「そうだよ」
「…そうか」


----


 リナと別れて以来、付かず離れず側を飛んでいた黒い蝶が肩へとまって形を崩す。それを横目に、素知らぬ顔で雲雀は頬の血を拭った。
 乾き張り付いていた血と乾きかけた血の混ざったものが袖を汚す。そんなことをすれば真先に飛んでくるはずのリナはどういうわけか姿を現さない。
 蝶が消えたことを合図と見ていた雲雀は俄に顔を顰めた。


----


 《バタフライラッシュ》を消して裏門から入ると、恭弥と合流する前に《跳ね馬》たちを見かけた。事情は粗方把握しているのでどうしたものかと横目で見ながら通りすぎようとして、それはそれで面倒かと踵を返す。

「――リナ?」
「間抜け」

 無表情のまま罵って、ガツリと赤外線装置を蹴りつけた。

「おい!?」
「いいぞ」
「は?」

 《バタフライラッシュ》がなくてもまぁ、これくらいのことなら出来る。要は動かないようにしてしまえばいいのだ。

「壊した」

 触れてしまえばどうとでも。


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