「左京君にはいらないんだよそういうの。あの子つっよいから」
「科戸より?」
「俺より」
「…真面目に相手したの?」
「うっかり殺されるところだった」
「ふぅん…」
「あれ、そっちには興味あるんだ?」
「だってあの子、そのうち僕を殺しにきそうじゃない」
「…なんでまた」
「僕のことが大嫌いだから」
「うっそだぁ」
「嘘なもんか」
「妖狐はそんなこと言ってなかったよ?」
「…言い方が悪かったかな。左京は次の塚守になりたいんだ。だから僕と父さんのことが邪魔で邪魔で仕方なくてでも今は敵わないってわかってるから大人しくしてる。まぁ僕には関係ないけど」
「右京ちゃんは人間だもんね」
「僕は父さんほど甘くない。左京が身の程も弁えず楯突いてきたら血祭りに上げてやるだけだ」
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『僕が半妖でなかったらどうだというんです』
今まで一度だって聞いたことのない、冷め切った声で右京が問う。見守ることだけを許された私は、呼ばれなければ彼女の元に駆けつけることすら出来ない。
『そんなことはありえないと言っているのだ』
大妖は苛立ちも露に右京へ詰め寄った。それでも彼女は取り乱す素振りすら見せず、逆にさもおかしげな笑みを浮かべる。
『いつまでも貴方の思い通りになると思ったら大間違いですよ? ――父さん』
蓮華。と、音もなく呼ばれ私は狐火を放った。絶対の名を持つ力の前に大妖は成す術なく命を落とし、彼の力は私の力となる。
右京は言った。これでもう大丈夫だと。
『大好きだよ蓮華』
私は彼女の狂気を知っている。私だけが知っていた。
『もう絶対に離れたりしない』
かつて一つだった私達は二つになったのに、今また一つになろうと二つでいる《必然》に抗っている。彼[カ]の大妖が生きていたならこの愚かしさを嘲笑っただろうか。それとも、忌々しいと歯噛みしただろうか。
『一緒にいよう』
私の狂気を、彼女だけが知っていた。
「あの忌々しい太陽を堕としてはくれないか」
今日も今日とて、男は地下深く、太陽の光どころか地上の喧騒すら遠い部屋の隅で、到底叶えられそうもない願いを私に唱えた。毎日のように繰り返される代り映えのしない言葉へ、私は無言をもって答える。すると男はさも憂鬱そうに息を吐き、苛立ちを隠そうともせず髪を掻き毟った。それでも、私は無言を貫く。何故ならそれすら、毎日のように繰り返されている代り映えのしない行為の一つだからだ。毎日毎日、厭きることなく同じことを繰り返しても、繰り返しても、男はまだ繰り返す。いい加減、構う気も失せるというものだ。
どうせ、放っておけば五分もしない内に男は膝を抱えて目を閉じる。けれどまどろむ程度の眠りは儚く、目が覚めれば男はまた唱えるのだ。私には到底叶えることの出来ない、大それた願いを。そして私は、男の願いを叶えなければならない運命[サダメ]の哀れな存在。男が永遠の落日を望む限り、私は見、聞き続けなければならない。太陽を疎み世を捨てた男のつまらない生と、身分不相応な恨み事を。
今日も今日とて、男は地下深く、太陽の光どころか地上の喧騒すら遠い部屋の隅で、到底叶えられそうもない願いを私に唱えた。毎日のように繰り返される代り映えのしない言葉へ、私は無言をもって答える。すると男はさも憂鬱そうに息を吐き、苛立ちを隠そうともせず髪を掻き毟った。それでも、私は無言を貫く。何故ならそれすら、毎日のように繰り返されている代り映えのしない行為の一つだからだ。毎日毎日、厭きることなく同じことを繰り返しても、繰り返しても、男はまだ繰り返す。いい加減、構う気も失せるというものだ。
どうせ、放っておけば五分もしない内に男は膝を抱えて目を閉じる。けれどまどろむ程度の眠りは儚く、目が覚めれば男はまた唱えるのだ。私には到底叶えることの出来ない、大それた願いを。そして私は、男の願いを叶えなければならない運命[サダメ]の哀れな存在。男が永遠の落日を望む限り、私は見、聞き続けなければならない。太陽を疎み世を捨てた男のつまらない生と、身分不相応な恨み事を。
桜の盛りはとうに過ぎ、時季が時季なら桃色の絨毯に覆われる小道は木々の影に覆われ涼やかな空気で満たされていた。
「もうそんな季節か」
途切れることのない蝉の声に耳を傾け、女――イヴリース――は頬を撫でる風の心地よさに目を細めた。
「桜の咲く頃には戻ろうと思っていたのに」
落胆した言葉とは裏腹に、自嘲と呼ぶには淡すぎる笑みを浮かべ歩き出す。あてもなく、というにはしっかりとした足取りで。目的があるにしては穏やか過ぎる彼女の歩みにあわせ、那智も歩き出した。
態々イヴリースが口にするまでもなく、場の雰囲気を感じる心さえ持っていれば、ここに訪れる四季を容易に想像することが出来る。
春には桜。夏には青々と茂る草木。秋は紅葉。冬は見渡す限りの銀世界。
「いい所だろう」
「あぁ」
心を読んでいたようなタイミングで発せられたイヴリースの言葉に何の含みもなく返し、那智は感嘆と共に深く息を吐き出した。
「こんな所、初めて来たよ」
「そうそうありはしないんだよ、ここまで清められた場は。今はどこもかしこも少なからず穢れているからな」
「穢れとか、そういうの俺にはわかんないけどさ、とりあえずここが他の場所とは違うってことは分かる」
「それが分かるだけお前は幸せさ」
「それに――」
「それに?」
「…なんでもない」
あんたと同じだ。
俺はいつの頃からか、自分の頭の上に天井があることを知っていた。そのことを普段気に留めることはないけれど、ふとした瞬間、天井は絶対のものとして俺の存在を押し潰そうとする。そして天井は、俺がその存在に自覚的である限り消えてなくなりはしない。一度自覚してしまった以上、目を背けることなんで出来るはずもないのに。
悲観的な考え方だってわかってる。でも俺は、どう足掻いたって一度見つけた天井から逃げられる気がしない。たとえ乗り越えられたとしても、天井の上には空があり、今度こそ越えられないという絶望を味わうくらいなら、俺は――
「――いい加減にしろ」
「あでっ」
唐突な衝撃と痛みに俺は目を覚ます。
眠った覚えはないのに頭は雨の日の寝起きみたいに重くて、体も似たようなものだった。
「いつまでもいつまでもぐだぐだぐだぐだと…ガキはガキらしく何も考えないでぽけーっと生きてろ。可愛げのない」
「……誰…?」
そして俺の前には一人の女。
「…私はイヴリース」
しかも銀髪。しかも超のつく美人。
「お前は――…と言っても、思い出せないだろうな」
暑くもなく寒くもない昼下がり。まどろんでいたジブリールは、ふと落ちた影に誘われるよう目を開けた。
柔らかな日差し。ジブリールの午睡を遮って、イヴリースが口を開く。
「おはようジル」
「…おはよう」
そんなことを言うために、彼女が態々出向くわけもない。
「なにか用?」
流した髪を梳かれることに心地よさを覚え、もう一度瞼を下ろしながらジブリールは尋ねた。
イヴリースの指先が髪に絡み、微かなくすぐったさを伴って眠りを誘う。
「ちょっと出掛けてくるよ」
まるで、彼女の触れた場所から眠りが流し込まれているみたいに。
「どこへ?」
「おかしなことを聞くな」
お前は知っているだろう? ――眠りがその色を増す。現実が、音を立てて沈んだ。
「ジブリール」
緩やかに眠りへと引き込まれたジブリール。そっとおやすみのキスをして、イヴリースは硝子張りの天上を仰いだ。
「ゆっくりおやすみ」
一四三一年、この世に生を受けた後のワラキア公ヴラド・ツェペシュは、生まれながらに優秀な魔術師であった。
一四五六年、邪悪なる儀式によって自らを人ならざる《吸血鬼》へと変貌させたヴラドは夜の支配者となり、魔性の者として世界にその名を広める。
彼には血を分けた子が二人いたが、《純血》の娘・リトラは彼自身が《血分け》を行い、魔性の者へと変えた愛人ニキータの子で、正妻であるキルシーとの子セシルは呪われた混血児《ダンピール》だった。
一四七六年、セシルは持って生まれた「吸血鬼を殺す力」によって実の父であるヴラドを手にかけた。こうして《真祖》と呼ばれる始まりの吸血鬼は昼と夜の分かたれた世界に別れを告げる。
けれど彼を祖とする新しい種は、彼の死後も夜の支配者として君臨し続けた。
ヴァンパイアフィリア。――それがあたしにつけられた病名。自分でも酷い言われようだと思う。好血症なんて、まるであたしが吸血鬼だと言わんばかりじゃないか。
「――立花夕里が、ここに宣言する」
立花夕里[タチバナユウリ]。今年で十八の高校三年生。性別:女。身長:一六七センチ。髪:近切ってないからちょっと伸びたけど黒髪のショート。目:同じく黒。持病:ヴァンパイアフィリア、あるいは吸血病、あるいは好血症と呼ばれる血を好む症状を示す病気。趣味、
「あんたの負け」
吸血鬼狩り。
宣言された勝利によって、あたしの目の前で無様に這いつくばっていた吸血鬼が青い炎と共に燃え上がり、やがて灰と化す。その灰を持っていた携帯灰皿に入るだけ詰め込んで、あたしはさっさと埃臭い廃ビルを後にした。
日はとっくに暮れていて、見慣れない街並みに青白い夜が覆いかぶさっている。
(最近多いな…)
あたしは生まれながらに吸血鬼を殺す術を知っていて、殺すことの出来る力を持っていた。何故知っているのか、何故持っているのかは自分でもわからない。でも、一つだけ理解していることがある。
吸血鬼はあたしの命を狙っている。殺らなければ殺られるという現実を前に持てる力の行使を躊躇うほどあたしは博愛主義者じゃないし、偽善者でもなかった。
目には目を、歯には歯を。遠い異国の法典に則って、ではないけど。あたしはそうすることを選んだ。だからまだ生きている。
なんて生きづらい世の中なんだろう。「人間ではないから」なんて薄っぺらい言葉が、命を奪う免罪符になるはずもないのに。
「――混血の臭いがするな」
ぴちゃりと粘着質な水音がして、あたしは立ち止まる。歩きながら考え込んでいたらしい。おかげで気付くのが遅れた。致命的でらしくないミス。
鼻につくのは夜の冴え冴えとした空気に薄められて尚強く存在を主張する、血の臭い。
異質な気配がねっとりと肌を撫でた。
「名を聞こう、我が同胞を手にかけし者よ」
限りなく満月に近い月の下。片手に大きな塊をぶら下げた男が少し先の曲がり角から姿を現す。塊は死んだか気を失ったかした人間で、男は口元を真っ赤に濡らした吸血鬼。
「立花、夕里」
あたしは心中で鋭く舌打ってポケットの携帯灰皿を握り締めた。
「憶えておこう。お前は優秀なハンターであるようだからな」
「それはどうも…」
闘って勝てる状況ではないと分かっているのに、目の前の男相手に逃げおおせられるとは到底思えないせいで、両足が地面に縫い付けられたように動かない。
もしかすると、あたしはここで殺されてしまうのかもしれない。
「だが残念だ。お前がハンターである以上、私はお前を倒さねばならん」
吸血鬼の男は引きずっていた獲物を何の未練もなく手放して、その言葉とは裏腹に嗤った。
「何か言い残すことがあるなら聞いてやろう。敬意を表して」
あたしという絶好の獲物を前に、勝利を確信してやまぬ笑み。
(言い残すこと、か…)
この手を、吸血鬼とはいえ生き物の血に染める度、あたしはその血の持ち主を忘れないよう努めた。努めていた、はずだ。なのに今、あたしは自分が初めて手にかけた吸血鬼の顔を思い出せない。男だったか、女だったかさえあやふや。
「必要ない」
ならば尚更、対峙する吸血鬼の言葉は戯言だ。
「人にしては気高くもある」
気休めは必要ない。誰かの記憶に残る必要だってない。あたしが生きることを選択して、この手を真っ赤に染めたあの日から。本当のあたしを知っているのはあたしだけ。
「ならばせめて、苦しめずに逝かせてやろう」
男は親指の腹で唇を拭って、吸血鬼らしい残忍な笑みを浮かべた。
青白い、夜。
「それはどうも」
あたしは目を閉じた。
「さらばだ、若きハンターよ」
「――ざぁんねんでしたぁ」
ガラリと色を変える世界。下ろされた瞼。
「なっ…」
「このコはあげなーい」
唐突に現れ、世界を反転させ、崩れ落ちる夕里の体を抱きとめた《灰被り》は、灰色の空の下場違いに笑った。
彼女へ死の祝福を与えようと翳されていたコールの手が、驚愕に震える。
「何故だ…」
空は雲もないのに不透明な灰色をしていた。世界の裏側。ヒンタテューラの領域が見渡す限りどこまでも広がっている。
引きずり込まれたのだと、コールは即座に理解した。色鮮やかな《表》の世界から、一瞬にして荒廃した《裏側》へと。
「小生のタカラモノだからネ」
たった一人の吸血鬼によって。
「だからキミにはあげなーい」
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