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「・・・・なんで」



 睨むようにリドルを見上げるルーラのエメラルド色の瞳には、不満げな色がありありと浮かんでいた。



「駄目なものは駄目だよ」



 それ以上の問答は無用と言わんばかりにリドルは部屋の扉に手をかける。



「リドル!」
「また後でね」



 バタン。



「・・・何でよ」



 閉ざされた扉に向け手元の枕を投げつけるとルーラは背中からベッドへ倒れこんだ。
 不貞寝を決め込もうと寝返りを打ちながらブランケットを巻き込み、頭まで覆うと固く目を閉じる。



「理由くらい教えてくれたっていいじゃない」



 柔らかな日差しの下眠りに落ちるのはあまりにも容易だった。






























 ――我が主



 音もなく羽ばたく、それは純白の烏。
 誰。そう問いかけようとして、ルーラは自分の意識が肉体を伴っていない事に気付いた。



 ――我が主たるに相応しい人よ



 純白の烏。瞳は目の覚めるような赤。
 一目見てアルビノだと分かるそれはけれど、きっとただそれだけのものではない。



 ――我が名はクロウ



 その存在は危険だと心が叫ぶ。



 ――我が名を呼べ



 呼んではいけない。そう訴える。



 ――さもなくば、



(あぁ、これは夢だ)



 ――須く主は失われるであろう



 胸を締め付けるような哀しみが伝わってくるのに、私は涙することも出来ない。



 ――主の為に我は希う



 心は危険だと訴える。クロウと名乗った烏は自分が消えると訴える。
 ジャラッ。と、聞こえるはずのない音がルーラの耳朶を打った。



 ――須く、



 それは目覚めの兆し。



(待って!)






























 ――我が汝、汝が我であるように






























 息が出来ない。









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「あぁ、失敗だったか」



 言葉とは裏腹に卑弥呼は柔らかく微笑した。
 閉じた扇で用意させた水鏡の淵をコツコツと叩けば、映し出される場面が目まぐるしく変化する。



「やはり華月に任せるべきではなかったな」
『来い』



 今映し出されているのは差し出された手と、伸ばされた手。



『かあ・・さん?』



 コツ



『あの子は私のものよ!!』



 コツ



『諦めなよ、狭霧』



 コツ



「姉上」



 コツ...



「どうした、月詠[ツキヨミ]」
「須佐[スサ]が逃げました」
「・・・はぁ、」



 白銀の髪を揺らし現れた闇王の言葉に卑弥呼は微かに目を瞠り、額に手を当てると深く溜息を吐いた。



「誰だ? 須佐に下界のことを教えたのは」
「僕です」



 そして絶句。



「お前が?」



 意図せずしてその手から鮮やかな緋色の扇が零れ落ちる。
 落ちましたよ? そう無邪気そうな顔で告げ、闇王は続けた。



「だって、面白くないじゃないですか」



 全てが手の上では面白くない、と。



「最近退屈してたんですよ、このくらいの不確定要素があったほうが面白いんじゃないですか? 色々と」



 須くして運命は神の手を離れた。



「さぁ、これからが本当の始まりです」



 運命の時は近い。
 扉の向こうには何もない事を確信しつつ、だからこそ微かな力を行使しつつヴィラスはドアノブを捻った。



「ただいまー」



 間延びした声をあげ、後ろ手に扉を閉ざす。



「お帰りなさい、ヴィラスさん」
「ただいま、マルクル」



 港町の喧騒が離れ、階段の上まで出迎えてくれたマルクルに笑みを向けたところで、ヴィラスは漸く不自然な音に気付いた。



「ハウルが帰ってるの?」
「それが・・」



 肉の焼ける臭い。だけどそれは顔を顰めるようなものではなく、普通に台所からかおるようなにおいで、香ばしく食欲をそそる。



「・・・誰?」



 暖炉の前に居たのは見慣れぬ後ろ姿。



「助けてくれよヴィラス!」
「へぇ、凄い」



 そしてその手元でフライパンの下敷きにされた火の悪魔はヴィラスに助けを求め声を上げた。
 ヴィラスはさもおかしそうに口元に手をあてると、見物を決め込むため階段の上でそっと手摺に背をつける。



「あ、ハウルさんおかえりなさい!」
「おかえり? お疲れのようだね、王子様」



 ヴィラスの視線は暖炉に向けられたまま。



「ただいま」



 自分を一瞥すらしない視線を釘付けた光景を目にとめ、階段を上りきったハウルは静かに暖炉に歩み寄るともう一度立ち止まった。
 途端ヴィラスは興味をなくしたかのように手摺から背を離し、階段へと向かう。



「よく・・いうことをきいているね、カルシファー」



 覇気のない声。



「私の分はいいから」
「わかった」



 階段を上りきる寸前落とした声は、しっかりと届いて欲しい人物には届いたらしい。



「あぁ、疲れた」



 零した呟きとは裏腹に楽しげに笑ったヴィラスは、一度リビングへと視線を落とし寝室へと姿を消した。
 ヴィラス。
 それは忌わしい名。



「見つけたぞ」



 ヴィラス。



「・・・見つかっちゃった」



 それは輝かしく敬われるべき名。



「あーあ、もう少しで家だったのに」



 ヴィラス。



「ざーんねん」



 それは――



 ふわり、風を孕み淡い水色の髪が宙を舞った。
 すっ、と伸ばされた手が限られた者にしか目視する事の出来ない存在へと向けられ、空へと向け開かれていた手の平が、まるで見せ付けるように握られる。



「面倒だから取り合えず死ね、ザコ」



 ヴィラス。
 それは神を殺した悪魔の名。

「最後の警告だ」



 落とされた言葉は一体誰のものだったのか。



「ハッ、警告? それって力の強い者が弱い者にするんじゃない? 普通」



 彼の言葉だったのか、



「私より弱いくせに、ナマ言ってんじゃないわよ」



 あの人の言葉だったのか、



「失せなさい。さもないと、」



 それとも、



「――八つ裂くぞ、若造」



 あいつの言葉だったのか。






























 ともかく、采は投げられた。









 初めて入った「漏れ鍋」の中は取り合えず騒がしかった。



「いつもこんな風なの?」
「いや、多分彼がいるからだよ」



 彼?
 リドルが指差した店の奥を改めて視界に入れると、ルーラは途端目を輝かせリドルの袖を掴む。



「ここ一巻軸なんだ!」



 視線の先には大人たちに囲まれた大男――そこにはハリー・ポッターもいるはずだが、ルーラには見えなかった――が一人。誰に言われずとも分かる、あんな大男一人しかいない。



「そうみたいだね」



 ルビウス・ハグリッド、禁じられた森の番人。



「ホントバカそうな顔」
「満面の笑みでそれはどうかと思うよ」
「リドルだって」



 行こう。
 掴んだ袖を引くように歩き出したルーラに続き、リドルは「まぁね」と軽く頷く。
 自分は物語の中のトム・リドルとは違う、けれど同じ。だから彼を陥れたのは自分でありそうでない。



「そういえば、ここって杖なしで開くの?」



 中庭への扉に手をかけてから首をかしげ尋ねてくるルーラに、リドルはもう一度――今度は笑顔で――頷いた。
 ルーラと繋いだ手とは逆の手を見せ付けるように視線の高さまで上げ、弾き鳴らす。



「お、凄い」



 大して驚いた風もなくルーラは出来上がったアーチを抜けた。



「君もやろうと思えば出来るよ」
「そうなの?」
「今だって君の魔力でやったんだしね」
「へー」



 物珍しそうに辺りを見回すルーラの離れかけた手を、リドルは指と指を絡めるように繋ぎなおし引き寄せる。



「まずどこにいく?」



 ルーラの視線はまだ周囲に釘付けだった。



「んー・・軽いものから?」
「なら杖か制服」
「じゃあ制服で!」
「いいよ、行こう」










 それはまっとうに生きている人間もそうでない人間も、必ず一度は聞いたことのある鳴き声。



「・・・」



 リドルに手を引かれているのをいい事に、ルーラは軽く雲のかかった空を真っ直ぐに見上げ、そして見つけた。



「 おいで 」



 自分を見下ろす、リドルのそれとは違う真紅の双眸。
 バサリと羽を広げ、それは建物の屋根から飛び立った。



「ルーラ?」



 立ち止まったルーラにつられたリドルが訝し気に振り返る。



「 いい子だね 」



 高く上げられたルーラの左手に、1羽の烏が舞い降りた。










「 名前は? 」



 むきだしの肌に爪も立てず器用に羽根を休めた純白の烏に問いかけ、返らぬ答えに気を悪くするでもなく腕を肩へと近付ける。
 跳ねる様に腕から肩へと移り、烏は目を閉じた。



「アルビノだね、それ」
「そんな感じの色だね」



 呆れまじりのリドルに笑顔で返しルーラは歩き出す。



「連れてく気?」
「ペットじゃないよ?」
「そう」



 それ以上リドルが烏に注意を向けることはなかった。




















 ――見つけた




















 邂逅の刹那行使されたのは彼女の術と同種の力。









 透き通った空。頬を撫でる心地いい風。
 ジャラジャラと全身につけたアクセサリーが歩くたび揺れた。



「すごーい」



 極めて平坦な、声。



「ねぇリドルぅ?」
「・・・その気持ち悪い話し方止めてくれるかい?」
「ひっどぉい」
「ルーラ」



 いい加減本気で怒り出しそうなリドルの声を耳に留め、ルーラは貼り付けたような笑みを拭った。



「リドルはこういう笑い方好きだと思ったけど?」



 からかうように紡がれた言葉に軽く肩をすくめ、リドルは進行方向に向き直る。



「ルーラのはわざとらし過ぎ」



 ひっどぉい。
 けれどこの声には自分でも鳥肌がたった。










「それで?」
「?」
「さっき何を言おうとしたの?」



 どこにでもいるようなマグルの格好で二人並んで歩く。
 勿論行き先は彼の「漏れ鍋」、ダイアゴン横丁への入り口があるパブ。



「あぁ、さっきのね」



 ルーラは何気なく首を巡らせた。



「ただちょっと気になっただけ」
「何が?」
「だってリドル、リドルのままだから」
「・・・あぁ」



 見つめる先には真紅の瞳と漆黒の髪。
 リドルはただ進みすぎた時計の針を巻き戻すかのように若返っただけ、だからきっと学生時代の彼を知る人が現われれば気付かれてしまうだろう。――彼は偽名を使う気もないと言っていた。



「そのことなら心配ないよ」
「何で?」



 そしてその〝誰か〟は確実にホグワーツにいる。



「彼女がうまくやってくれたらしい」
「うまく?」



 というか、いなければならない。
 彼は所謂「光」に属する魔法使いたちにとって、なくてはならない存在なのだから。



「誰も僕がトム・リドルだとは気付かないように」
「・・・ふぅん」
「わかってないでしょ」
「9割方」



 彼の名はアルバス・ダンブルドア。



「要はリドルが言った「僕は君の知ってるトム・リドルであってそうじゃない」っていうセリフの、「そうじゃない」ってとこだけ強調して無理矢理頭に刷り込んだ・・って感じ?」
「わかってるじゃないか」



 よく出来ました。
 そう言わんばかりに頭を撫でてきたリドルの手を払い落とす事も出来ず、ルーラは顔を顰めた。



「何この子ども扱い」
「子供だろ?」
「リドルだってガキのくせに」
「そんな事言ってると塞ぐよ」
「・・・」



 降参の意を示すように両手を挙げ肩を竦める。
 取り合えずリドルがリドルだとばれないのなら問題はない。



「リドルってやっぱり黒いよね」
「スリザリンだからね」



 だって初めから目をつけられてちゃ何もすることが出来ない。



「私も多分スリザリンかな?」
「十中八九」
「色々病んでるしね」



 私は全てを思いのままに進める、今度こそ。










 遥か頭上を白い烏が横切った。









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