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 持ち上げられた冬星の腕を風が取り巻き包み込む。



「ほぅ」



 小さく感心した様な声を零す蒼燈の隣で、伏せていた夜空が立ち上がった。



「風、ですか」
「僕、眠ってるのを邪魔されるのが一番嫌いなんだよね」



 横薙ぎに払われた腕から風が抜け、それが刃となって空[クウ]を切る。



「特にこんな日は」
「わっ」



 発現した力によって蒼燈の首が刎ね飛ばされるより早く、その体を夜空が引き倒した。
 彼の殺気を孕む視線を真っ向から受けた冬星は軽く目を細め口角を吊り上げる。



「風の刃。――君たちに防げるかな?」



 今にも放たれようとする二度目の脅威に、夜空は迷わず蒼燈を背に乗せ地を蹴った。



「何だ、逃げるの」



 一足飛びに冬星の真横へ。そしてもう一度力強く地を蹴り丘の向こうへ。



「つまんないなぁ、まったく」



 振り向き様狙いも定めず風の一閃[イッセン]を放った冬星は、分かりきっていたにも関わらずその手応えの無さに肩を落した。



「須佐」



 けれどすぐさま、事のほか真剣な声色で須佐を呼ぶ。



「姐さんに知らせて」



 自分ではどう処理していいか分からなかったのだと、一人になった丘の上、風王の巫女は呟いた。






























「―――」



 それまで気持ちよく頬を撫でていた風が凪ぎ、訪れた静寂の狭間微かに聞こえた呼び声に、暁羽は端末のモニターから顔を上げた。
 言霊を統べる一族の本家。その最奥[サイオウ]にある禁域の社[ヤシロ]。



「風王、一時[イットキ]の来訪ならば許そう」



 閉ざされた扉の奥から聞こえた主[アルジ]の声に、嗚呼と、暁羽は開[ヒラ]けた社の前へと目を向けた。
 どこからとも無く吹いてきた風が渦を成し、四散する。



「何の用?」



 暁羽はそこに立つ風王須佐を睥睨した。



「教会の丘に外つ国[トツクニ]の神来[キタ]る。――冬星からの伝言だ」



 その視線に思うところがあるのか、何の反応も示さず須佐は要件だけを告げ一旦口を閉ざす。



「外つ国の・・神?」
「じゃあ俺は行くぜ。・・お前の旦那の機嫌は最悪らしいしな」



 そして姿を消した。










「・・・カヅキ」



 須佐の気配が完全に禁域を出るのをまたず開いた社の扉に、暁羽が咎めるように手を伸ばす。
 その手を巫女姿の華月がとった。



「大丈夫」



 触れ合った手の平から伝わる冷たさに暁羽は顔を顰め、彼女の温かさに華月は苦笑する。



「じゃ、ない。な・・でもお前の手伝いくらいなら出来るだろ」



 人間[ヒト]の温かさに慣れてしまった。



「それは、」



 人間[ヒト]の、人であるが故の脆さを知っていたのに。



「大丈夫」



 渋る暁羽に華月は空いた手を軽く持ち上げ閃かせた。

 一振りの「矛」が顕現する。



「〝俺〟は駄目でも〝私〟は絶好調だ」



 手を引かれ、禁域の外へと促されながら暁羽は胸中で毒づいた。
 だから外に出したくないのに。と、それにあえて気付かない華月への苛立ちと憤りをこめて。









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 突き立った刃の手応えが、違うと解っていて尚思考の隅から嫌な考えを引きずり出す。



「・・・」



 やめろ。





「沙鬼」





「・・・あぁ、」



 返り血が付いたはずの頬を拭っても、手の甲は綺麗なままだった。
 声をかけてきた煌を一瞥した沙鬼の足元で、地面に落とされた一対のナイフが光の粒子となって消え失せる。

 もうそこに骸はない。



「これは持って帰った方がいいな」



 小さな小さな、太陽の欠片だけが落ちてる。



「華月さんにでも渡せはいいよ」
「あぁ」



 服が汚れるのも構わず膝を折り、沙鬼は両手で恭しくそれを掬い上げた。



「沙鬼」



 微かに先ほどまでの緊張感を取り戻した声で煌が沙鬼を呼ぶ。
 沙鬼の手に大人しく乗っていた太陽の欠片は、ふわりと浮き上がり彼女の手を離れた。

 ぴしり。



「・・・」



 ぴしり。



 ぴしり。



「どうしたいんだ?」



 ぴし、



「沙鬼」
「黙ってろ」



 ――あのこ、は



「お前にはやれない」



 ――わたし、は



「お前はお前だ。彼女にも彼女達にもなれない」



 ――わたし・・



「お前はどうしたい」



 ゆらゆらと、儚く揺れる地に堕ちた太陽。
 彼女は光。彼女は闇。彼女は全。彼女は無。



 ――わたし、は・・



 彼女は私の絶対。



 ――さびしかっただけなのに



「そうか」






























「沙鬼」



 感情と呼べるものが一切含まれることのないその声を、冷ややかだと思わなくなったのは、一体いつからだ。
 初めからだったのかもしれない。つい最近だったのかもしれない。

 嗚呼、本当にいつからだ?

 ドアノブにかけていた手を離し沙鬼は振り向いた。
 向かいの部屋から暁羽が顔を覗かせこちらを見ている。



「何を連れて来たの?」



 迷子さ。






























 二度と堕ちてしまわぬように、いつか光に還れるように。









「誰だ、貴様は」



 言葉に込められた殺気に大気が震えた。
 色素の抜け落ちた髪を揺らし少女は振り返る。



「何故ここにいる」



 背を覆い隠すほどに伸びた髪と同じく、その瞳からも、あるはずの色は抜け落ちていた。
 ニヤリ。



「ッ」



 直感的に背後へ跳んだ沙鬼の目の前で地面が弾ける。



「沙鬼!」
「中にいろ」



 体の内側で眠っていたはずの煌が表に現れ沙鬼は舌打ちした。



「面倒見切れん」





「余裕そう、ね」





 そこには少女と沙鬼との二人きり。



「――チッ」



 分が悪いな。
 声には出さずそう呟いた沙鬼の内側で、煌がここを離れようと声を荒げた。



「最悪だ」



 タンッ



「お前のその顔が気に喰わない」



 一瞬で詰められた間合いに少女がこれといった反応を示す事はない。



「ねぇ」



 沙鬼が渾身の力を込めて振り上げたナイフは空[クウ]を切った。



「私が誰か、わからないの?」
「分かるから、気に喰わないんだ」
「(沙鬼!)」
「黙れ、煌」



 少女の笑みが深まる度沙鬼は苛立つ。





「生憎私の主人に慈悲なんてものはなくてな」





 その顔で、
 その姿で、
 その瞳で、



「貴様相手に尻尾を巻いて逃げたと知られれば、何をされるか分からん」



 私を嘲笑うな。



「全力で行かせてもらう」










 例え何があろうとあの人は生きようとする者を嘲笑ったりはしない。









「いいわよ?」



 二本目のナイフを指に絡めた沙鬼を見つめながら、少女は愚かなことだと笑みを深める。



「貴女が私に勝てっこないんだから」
「さぁな」



 私は〝私〟の残りかす。



「貴女は死んで、私と一つになるの」



 天照に祝福され幸を得た〝私〟に取り込まれ損ねた物の集合体。



「そして私は私を取り込んで「黙れ」



 でもそんなのおかしいじゃない。



「お前の存在など悟らせはしない」



 元は一つだったのに。



「ふふっ」



 真っ白なあの子だけが、



「やれるものなら、どうぞ?」










 クロイワタシヲステテシアワセニナルナンテ










「止めだ」



 振り下ろされる刃を防ぐ術が僕にはなかった。
 闘う術を初めから持たない、こんな僕に殺す価値なんてない。



「七つの大罪アスタロス、ヴァチカンの名の下にお前を処刑する」



 ここは平和の国。



「我が名はサン。七つの美徳において希望を司る、汝と対なす者なり」



 全ての不自然を受け入れ、命ある全ての者が平和に暮らせる夢の国。



「Amen.」



 振り下ろされる刃にただただ君の事を思った。










「任務完了。帰還する」



 頬にかかった返り血を拭い、サンは握り締めたままだったナイフをゆっくりと手放した。
 地面に突き刺さったそれの柄に刻まれたのは、銀色の十字架。



「くだらないな」「煌!」



 嘲るように落とした言葉に、女の声が重なった。



「ぁ、・・」
「お前、セイレーンだな」
「煌を・・・煌を殺したの!? どうして!」



 深海の色をそのまま紡いだような蒼い髪に、漆黒の瞳。
 資料として渡されたセイレーンと全く同じ彩色だった。



「人間であるこいつが人間でないお前と交わったからさ」



 つまりこいつも狩の対象。人でない者、異端者。



「っ・・彼は何もしてないわ!!」
「触れ合う事さえ罪なのさ。ヴァチカンにとってお前ら人外は穢れた生き物だ」
「・・・私を殺す?」



 そうだ。何を迷っている。



「殺さない」



 殺さなければならない。



「何故?」
「行け、海に潜ってしまえばもう追われない」
「何でよ!!」



 穢れた生き物なのだ、これは。



「マグダラのドールだって、ただ命令されるがまま狩をする人形じゃないってことさ」
「殺してよっ!!」
「死にたいのか」
「そうよ、煌のいない世界にいたくなんかない」
「・・・そうか」



 所詮いつの日か狩られる運命の下に生まれた命。



「せめて安らかに」



 そして我等は殺す為に作られた命。



「Amen.」



 逃れられない運命なのか、これは。










 失われた命を哀れむように、海が啼いた。
「あーあ、行っちゃった」



 落胆や、その他一切の感情も声には滲ませる事なく、セキレイは呟いた。
 何よりも大切にしてきた。ずっと一緒だったのに、彼女は自分と歩む道を選んではくれない。
 でも、そんなこと初めから分かっていた。



「まった一人だよ俺ぇー」



 自分は集積した情報が自我ともつかぬものを持った「生命[イノチ]なき生き物」で、彼女はれっきとした人間。
 分かっていたのに、どうして「一緒に」なんて一瞬でも思ってしまったのだろうか。



「ちょっと期待してたのにな、」



 彼女の未来に待ち受けているのは死。
 俺の未来に待ち受けているのは不変。



「ざーんねん」



 涙なんて流れない。
 そう、だって俺に涙する体なんてないから。



「バイバイ」



 どうか安らかに、帰らぬヒト。
「っ・・」

 赤く

「嫌われたな」

 気高い

「お前じゃあるまいし」

 その花を

「ほら」

 この手に

「・・・」

 しようと

「この棘は私を傷つけない」

 思った

「・・・」

 大した

「どうした?」

 理由は

「・・・なんでもない」

 ないけれど

「__?」

 でも

「何でもないって」

 似合ってる

「そうか・・」

 なんて

「行こう」

 口が

「__」

 裂けても

「?」

 言って

「似合ってる」

 言、って・・

「――あっそ」

 やらないんだからな
「何を考えている?」

 カランと音を立てたのはグラスの氷

「お前に言うようなことじゃないさ」

 クラリと揺れるのは俺の理性

「冷たいな」

 誰よりも冷めた心を持っているくせに人の温もりを欲しがる
 我侭な女。全てを手に入れようなんて強欲にもほどがある

 首筋を這う五本の指に目眩がした
 カラカラとグラスを揺らしお前は俺の顔を上向かせる

「んっ・・」

 不意打ちにあったのはお前。仕掛けたのは俺の方
 滑り落ちたグラスの音は毛の長いカーペットが飲み込んだ

「落ちた」
「どうせ空だろ」

 人を喰ったようにしか笑わないお前。笑いもしない俺
 俺の手から取り上げたワイングラスを揺らしお前は笑う

「これは違う」

 グラスの割れる音はしなかった

「酷いな」

 細く長い腕を引き腰を抱き寄せ俺はお前の首筋に顔を埋める
 鼻につくのは男を誘う甘い匂い
 真っ赤な唇に吸い寄せられ口付けた



 高価なカーペットに広がった染みはお前と同じ、ワインレッドの――



 俺はお前の名を知らない
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