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小噺専用
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「何よあんた…っ」
 私の光。私たちの希望。死という闇に愛されたスラムで唯一、冷ややかな死神の嘲笑を知らないキング。
「キングに何をしたの!?」
 その体が、糸の切れた人形のように崩れ落ちた。私の目の前で、突然現れた白い女の手によって。
「……」
 作り物のような女の指先がキングの頬を撫でる。
「答えて!」
 女が現れてから頭の中で鳴り響いている警鐘が、煩い。病気の発作で生死の境を彷徨った時だって、こんな…
「…い・や」
 こんな恐怖。
「ッ!」

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 ――スラムの平穏を蹴散らす轟音。
「…銃声だ…」
 乱立する建物に木霊して、その音がどこから聞こえてきたのかは分からなかった。なのに俺は走り出す。ぽつりと頬を打った雨粒に気付きながらも、濡れることを気にしてはいられなかった。
『お前は独りじゃないよ』
 何もかも見透かしたような爺さんの言葉が脳裏をよぎる。
「――爺さん!」
 嗚呼なんて出来すぎた死なんだろうと、広がる血溜りと泣き喚くガキ共を前に思った。
「…くそっ」
 あんたはもう、ここにはいない――

 俺を呼び続けていた〝人形〟が外の世界でなんと呼ばれているのか、俺は知っている。「絶対少女」人間と同じ見目をした、愛玩用の人工物。スラムの外でならそう珍しいものじゃない。財布の中に少しの余裕と暇さえあれば、精度はどうであれ子供だって手に入れられる代物だ。
「ちょっと我慢しろよ」
「……」
 中の絶対少女が濡れないように、赤い染みの広がった上着で鳥籠を覆う。
 その隙間からスカイブルーの瞳が物珍しそうにスラムを見つめていた。
 俺を呼んでいた彼女は、そこらにある絶対少女とは比べるのもおこがましいほど精密に、繊細に、完璧と言っても過言ではないほど造り込まれている。なのに大きさは大き目の鳥籠に入ってしまえるほどだ。こんな絶対少女見たことない。
「ヤマト」
「ん?」
 いくつかの建物を通り抜け、運よく誰にも出くわすことなく部屋の前まで辿り着き、そっと安堵の息を吐く。
 俺の名を呼んで鳥籠の中から手を伸ばし、銀髪の絶対少女は目を細めた。
「血が出てる」
 限界を超えたのか、痛みはない。だから気にかけていなかった脇腹のことを指摘され、今度は憂鬱な溜息が零れる。
「後でどうにかするよ」
 黙って出てきてしまった手前、ドクターを頼るのは気が引けた。なにより、
「先にお前を――「キング」
 出してやらないと。――そう続くはずの言葉を遮られたことよりも、遮った相手、そいつのいた場所が問題だった。
「…俺のねぐらで何してんだよ」
「ドクターの所から抜け出したんだってな、そのケガで」
 我が物顔で部屋に居座る仲間の存在と、タイミングの悪さに内心舌打ちする。
「そりゃ抜け出したけど…それがなんだっていうんだよ」
「〝かまわねーよ、死なせてやれ〟」
「……」
 咄嗟に背に庇った鳥籠の中で身じろいだ絶対少女は何も言わなかった。
「西地区の奴らはそれでいい。でもあんたは違う」
「ドクターと同じこと言うんだな」
 どいつもこいつも同じことばかり言う。お前はキングなんだからって、本当にそればかり。
「当然だ」
 狭苦しい部屋の中、開け放った窓に足をかけ名のない男は肩越しに振り返る。
「お前はキングなんだ。それを忘れるな」
 そして飛び降りた。
「…ここ五階」
 言いたいことだけ言って俺の前から姿を消す。どいつもこいつも、俺の事なんて何も知りはしないくせに。知ろうとしたことも、知りたいと思ったこともないくせに、自分たちの理想だけを押し付けていなくなる。
「ヤマト」
「…あぁ」
 お前はキングだから。必要な存在だから。
「あれは誰?」
「さぁ? ここに名前がある奴なんて滅多にいないからな」
 だから生きなければならない。自分たちの旗となってくれなければ。
「ヤマト」
「ん?」
「出して」
 どいつもこいつもそればかり。
「あぁ」
 誰も俺を必要としない。


「変な籠」
 継ぎ目どころか表面に傷一つのない鳥籠の一部を、小振りのナイフでバターのように切り落とす。
「ほら」
 差し出された手に戸惑った様子も見せず掴まり、銀髪の絶対少女は立ち上がった。
「オリハルコンなの? そのナイフ」
「そう聞いてるけど、どうだかな」
 そのまま籠の外へ出してやると、テーブルの上に置かれたナイフを興味深そうな目で一瞥する。
「まだそんなもの残っているのね」
「レアメタルだから、本物なら一生遊んで暮らせるんだろうけど…」
「この大陸を出ればいくらでもあるわ」
「へぇ…」
 使い物にならなくなった鳥籠を部屋の隅に追いやって、俺はテーブルに頬杖をついた。
「…ヤマトは、大陸の外にも人がいるって信じてる?」
「さぁな。スラムキングの爺さんは、もう一つくらい大陸があるみたいなこと言ってたけど…俺は見たことない」
「その人は正しいわ」
「お前は見たことあんの? その、もう一つの大陸ってやつを」
 絶対少女はテーブルの端に腰を下ろし、投げ出した足をぶらぶらと退屈そうに揺らす。
「ゼロ」
「…ゼロは、見たことある?」
 透けるように白い肌が、このスラムでの彼女を表しているようだった。
「見たことはないけど、知ってるわ。この大陸の外で生まれた人は皆、当たり前のように知っている。この世界には二つの大陸と三つの国があることを」
 知らないのはこの大陸に生まれた人だけよ。――嘲るでもなく、蔑むでもない、ただただ柔らかく温かいゼロの言葉は、滑るように胸の中へと落ちてくる。
「大陸は二つのなのに、国は三つ?」
 何の根拠もなしにそれが真実だと思えてくるから不思議だ。
「一つは島国よ。沢山の小さな島が集まって、一つの国なの。…海を見たことある?」
「いいや」
「私はその島国で生まれたの。海がとても綺麗なのよ」
 ゼロの伸ばした両手が、何かを抱きしめるように動いて――その仕草すら、このスラムには不釣合い――、薄い唇が弧を描くのを俺は見つめるばかり。
 何もかもが遠い。彼女が語るのは甘く優しい夢物語だ。
「その国、なんて名前?」
「…やまと」
「?」
「倭、よ。貴女と同じ。私が生まれたのは、貴女と同じ名前の国」
「それは…」
 まるでその響きが幸福を運んでくるみたいに、ゼロは出会ってから一番の笑顔で俺に告げる。
「倭には貴女の目と同じ色をした空があるわ」
 不可触の女神。
「貴女はこんな所にいるべきじゃない」
 ゼロの存在が不釣合いなのはこのスラムにじゃない。この大陸に、ゼロと言う少女はいるべきじゃないんだ、
「私と行きましょう?」
 だってゼロは、こんなにも、
「ヤマト…?」
 讃美するかのように、世界の事を語るのに。
「ヤマト」

 呼び寄せられるまま駆け込んだのは、スラムの地下に張り巡らされた通路の一つ。長い年月をかけて地下へ地下へと広がるアンダーグラウンドの表層であり、もう使われなくなって久しいそこは、西地区の連中が好んで入り浸る場所である一方、いつ気紛れな地下の住人が現れるかわからない危険な場所でもあった。
 その通路を、俺は下層へと向かって走る。
 ――早く。
 呼び声は進む度強くなっていった。
「まだ先か…」
 閉ざされた隔壁に行き当たり、息を吐く。傷口にもう一つの心臓があるみたいに、痛みが脈打ち思考を取り留めなくさせている。ここでは視界がぼやけていることを雨のせいにすることもできない。
「は、あ…」
 苦痛をやりすごそうと目を閉じ、壁に沿って滑らせた指先が窪みに触れた。窪みに指をかけ弾くと、その下から操作用のコンソールが顔を覗かせる。
 ――私はここよ。
「もう…少し」
 コンソールを操作して隔壁を開けるのにさえ手間取った。昔は――ムカシ? ――こんなこと――ソレハイツ――、呼吸することのように――テバナシタカコガマタ――出来ていた――コノミニマトワリツク――のに。
 ――ここにいるの。
 分かってるよ、大丈夫。もうすぐ着くから、そんな声で俺を呼ばないで。
 ――ずっと、ずっと…
「…ここだ」
 俺はもう、何を信じればいいかすら分からなくなっているんだ。
 ――ここにいたの。
 硬く閉ざされた扉。何重にもかけられたロックを解除するのにまた手間取って、傷口から滲んだ血が手を汚す。
 ――ずっとここで、待っていたの。
「俺、を…?」

「――貴女だけを」

 薄暗い室内。嘘みたいに輝く銀の髪。
「やっと来た」
 開かれた色のない瞳に息を呑んだ。
「ここから出して」
 冷たい輝きを放つ鳥籠の中から手を伸ばし、その〝人形〟は真っ直ぐに俺を見つめる。
「私を全部貴女の物にして」
「…ヤマト」
「ヤマト」
 色のない瞳が鮮やかなスカイブルーに染まるのを見た。俺の目と、同じ色。
「私のマスター」
 外はまだ、きっと雨だ。

 扉の向こうにはがらんどうな部屋が広がっていた。点された明かりが一点に集中しているせいで、照らされていない場所の闇がより一層濃くなり、部屋がどこまで続いているのか分からなくしている。
 部屋の中央に、は…

 ――穏やかな顔で俺を手招き、スラムキングは自分の隣を軽く叩く。そこに座れと、この爺さんは言っているのだ。
「んだよ」
 逆らったってなんてことはない。なのに従ってしまうのは爺さんの持つ空気のせいだ。スラムには縁のない、酷く温かで柔らかい雰囲気。
「頬に血がついているよ。また誰かと喧嘩したんだね」
「売られたから、買っただけだ…」
 知らぬ間に感化される。
「無闇に傷つけてはいけないよ。傷つけただけ傷つけられてしまうからね」
「…いつか報いを受けるって言いたいのかよ」
「あるいは既に受けているのかもしれない」
「……」
 だからこの爺さんは嫌いだ。何も知らないくせに、全部知っているような顔をして、俺の中を掻き回す。
「私にはわからないけどね。全部平等なんだよ、それだけは憶えておいで」
「あぁ…」
 少しずつ少しずつ、俺が捨てた〝俺〟を俺の中から引きずり出す。
「お行き。もうすぐ雨が降る。それまでに帰りなさい」
「引き止めといてよくゆーぜ」

「気をつけて」

「あぁ。…また来る」
 空は濁った灰色をしていた。
「私はいつでも、ここにいるからね」
 温かい大気が頬を撫で、俺は誘われるように外へ出る。
「お前は独りじゃないよ」
 何を馬鹿なことを言ってるんだと、その時は思った。でも――

「――……」
 小奇麗な天井が目に付いた。
「俺、は…」
 しかも見覚えのある。
「起きたのかい?」
「ドクター…?」
 俺が寝かされたベッドの三方を囲むカーテンの隙間から「ドクター」が顔を覗かせた。
「憶えてるか? あんた撃たれたんだよ」
「…俺が?」
 表向きは今一状況を理解していないような顔をして、嗚呼またかと、俺は内心息を吐く。
「そう、あんたが」
 何がそんなに楽しいのか、ニヤニヤと笑みを浮かべるドクターが指差したのはドクター自身の腹で、そこを撃たれたんだと俺は気付いた。
「あんたは運がいいよ。さすがキングだ」
 撃たれたのは三回目。
「今までで一番近いな」
「…西の坊主共に感謝しな、あいつらがあんたを見つけるのがもう少し遅かったら、死んでたよ」
「ここじゃいつどこで誰が死んだって不思議じゃない」
 一つ目の銃弾はあの人の命を奪い、二つ目は足を掠め、三つ目はついに俺の胴体へと辿り着いた。
「あんたはまだここに必要だ」
 俺の命を狙って何が楽しいんだか。
「そーだな…」
「…心臓に風穴開いたら治療は無理だからね」
「分かってるって」
 スラムキングであろうとなんであろうと、このスラムを出れば身よりも何もない孤児であることに変わりなんてないのに。
「今日くらい大人しく寝ときな、どうせ外は雨だ」
「あぁ」
「大丈夫、一日くらいあんたがいなくても皆ちゃんとやるよ」
「うるせぇな、寝かせろよ」
「はいはい」
 下手な狙撃手のせいでまた死に損ねた。
 ――死にたいの?
「ぇ?」
 病室として使っている部屋に俺だけを残してドクターはどこかへ消えた。耳を澄ませば、さらさらと布と布が触れ合うような雨の音が聞こえる。
 あの日と同じ音の雨だ。
(幻聴か…?)
 死にたいわけじゃない。あの人が俺を庇って死んだあの日から、俺はあの人の為に、あの人の死を無駄にしないために生きてきた。
 ――迎えに来て。
「…聞こえる」
 ――私を…
 スラムキングとしてスラムを束ねるためにじゃない。
 ――迎えに…


「っ」
 病室のある三階の窓から飛び降りて、着地したのは隣の建物の屋上。絶えず痛みを訴えてくる傷口を押さえ、乾いた雨の中を駆け出した。
 ――迎えに…
 頭の奥で囁くような声は止まない。
「わかってるよ」
 俺が独りになった日も、あの人が死んだ日も、スラムキングの爺さんが死んだ日も、こんな雨が降っていた。
 空は見慣れた灰色より深く濁り、雨が降っているのに大気はどこか温かい、今日みたいな日。
「すぐ行く」
 だから俺は、また運命が動くかもしれないなんて、淡い希望を胸に抱いていた。

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