昔、子供を養っていたことがある。
小さな男の子。
にこりとも笑わなくて、可愛気の欠片もないけど利口な子。
生きることに強かで、憎たらしいほど賢くて、脆弱な人の子。
食べなければ飢える。
眠らなければ疲れる。
寒ければ凍えて、暑ければバテる。
そんな、どこにでもいる当たり前の子供だ。
あれはいったい、いつのことだったか。
「エカルラート」
あの頃はもっと違う名前で呼ばれていた。
そんな回顧。
なんでもないような顔をして、声のした方を振り返る。
「どっちがいい?」
声をかけてきたのは、見慣れた連れ。
まっすぐに長く伸ばした黒髪を結うこともせず、すとん、と腰まで落とした女性。
凛とした立ち姿がいたく様になっていて、私はついつい笑みを浮かべてしまいながら、差し出された右手の先へと目を向ける。
どっちがいい?
そう言って差し出されたのは、白くて丸い二枚のプレート。
プレートにはそれぞれ黒字で「96」「97」と数字が刻印されている。
前者はいかにも、それを差し出してくる彼女のために誂えられたような数だ。
「こっち」
そういう意味で、私に似合いの番号とは「46」だろう。
迷うことなく後者をとった。
彼女が「黒」で、私が「白」。
そういうコンビだ。
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「もうだめよ」
独り言じみた呟きは、傍にいないアゲハのためのもの。明確な命令を下す必要はなかった。私たちを結ぶ《魔女》の呪いは、代を重ねそれほどまでに強まっている。
《箱入人形劇》の中にいるなら、本当はもう声に出して告げる必要さえなかった。
「皆殺しにしたら合格できなくなっちゃう」
私は順調に塔を下ることができているのに。一人で不合格になるのはそれこそ堪えられないでしょう? ――と、言い聞かせるように笑う。
私だって、そんなことになると困ってしまう。これから先、全ての試験が必ずしも屋内で行われるとも限らないのだから。アゲハの助けは絶対に欠かすことができなかった。
「下で待ってるから。いい子にね」
アゲハの上体が完全に落ち着くのを待って、落とし込まれた迷路の攻略に戻る。《箱入人形劇》で建物の内情を瞬時かつ完璧に把握することのできる私へ与えられた課題が「迷路」だなんて、とんだボーナスステージだった。
仕掛けられている罠の類だって、所詮ハンター試験の受験者向け。まっとうな念能力者になら傷一つ付けられないようなものばかり。
こっちは楽勝、だ。
----
放ったらかしにしていた携帯の奏でるドナドナの旋律に、はてと首を傾げる。それから一人で納得したよう「あぁそうか」とつぶやいて、アゲハは電話を取った。
「カナンなら電源切ってる」
どうせ用件はそんなことだろうという第一声。
尤も、そんなことは相手にだって分かりきっているだろう。
明確な殺意、と言えるほどの殺意でもない。
それでも「殺していい」というルールなら、揚羽は目前の獲物に対して遠慮してかかる理由が分からなかった。
「――――」
ひゅっ、と短く息を吸って。瞬き一つする間に向かってきていた囚人の喉首を掴み上げている。アゲハは間髪入れずにその体を床へと叩きつけ、鮮血をまき散らした。
「嗚呼、しまった」
無表情なまでに言って、既に事切れた男の上から傾いていた体を起こす。
汚してしまった手袋を抜き捨てると、なんの感慨もなく真新しい死体へ背を向けた。
「まぁ、ざっとこんなもんさな」
四人の元へ戻る頃には、上着の胸元から取り出した新しい手袋を着け終えている。
----
喉を潰しに来た相手の行動を嘲笑うかのよう身を翻して。軽やかに跳ねたアゲハはすれ違いざま、囚人の頭を両手で掴み着地した。
反動で持ち上がる囚人の体は、本人が状況を理解するより早く首を捩じ切られた上で床へと叩きつけられる。
ギャラリーの目にも留まらぬ速さで獲物を一人仕留めたアゲハは、至極つまらなそうに肩を落として首を傾げる。
「せっかくのゲームなんだ。もう少し楽しませてくれよ」
これじゃあ暴走もできやしない、と。床にめり込みひしゃげた頭部へぼやいた。
----
両者はほとんど同時に駆け出して、舞台のほぼ中央で交錯する。
その時点でアゲハは相当お遊び気分だった。「走る」とも言えないような速さで走って。目の前の囚人を獲物であると認識したのは、手っ取り早く首を刎ねてしまおうと振りかざした手が男の首筋に触れた瞬間。
カチリとスイッチを入れたようあっけなく、アゲハは暴走した。
「壊れちゃえ」
アゲハに言わせてみれば一般人と大差ない。ギャラリーは、その動きを満足に追うことも出来ず至極楽しそうな笑い声を聞いた。
気付けば舞台の上に、アゲハ一人が立っている。
「な、何が起きたんだ…?」
狐に化かされでもしたように。誰かが言った。構えるでもなく舞台の中央で立ち尽くしていたアゲハは、その声につられたよう伏せていた視線を上げる。
自分自身の腹を割いて内臓を掻き毟りたくなるほどの空腹。中途半端に食事を終えたアゲハの周りには、お誂え向きな獲物がまだ残されていた。
ぽつ、と頬に落ちてきた液体が触れて。アゲハが一つ瞬きしている間に、屋内で血の雨が降った。鮮血に混じって落ちてくる肉塊は最早「塊」と言えるほどのものですらなく、それが元々「人」であったとは言われたとして到底信じられる光景ではなかった。
そんな手のかかる作業を目にも留まらぬ速さでやってのけた。アゲハは次の獲物を求めて一歩踏み出す。ぐちゃりと踏み付けた挽肉には目もくれず。
殺気を持たないことがあまりに異様。
----
(カナンから電話です)
「もしもし――?」
「え? えー……大丈夫だよ。まだ殺していいやつしか壊してない。…本当だって」
「あたし? あー、まぁそうだな…うん。気をつける」
----
腹を抱えて笑い出しかけたところを、なんとか耐えて。せめて直視しないようにと、アゲハは自称「旅団」の囚人から精一杯顔を背けた。
「ちょーうける…」
有名税よね、と。カナンがいれば一笑に付しただろう。
抑えきれず肩を揺らしてしまいながら。アゲハは思い上がりも甚だしい男が報いを受ける音だけを聞いた。
「笑いすぎだろ」
「元気なうちに写メ撮っとけばよかった。カナンに見せてやりたい」
それでも「殺していい」というルールなら、揚羽は目前の獲物に対して遠慮してかかる理由が分からなかった。
「――――」
ひゅっ、と短く息を吸って。瞬き一つする間に向かってきていた囚人の喉首を掴み上げている。アゲハは間髪入れずにその体を床へと叩きつけ、鮮血をまき散らした。
「嗚呼、しまった」
無表情なまでに言って、既に事切れた男の上から傾いていた体を起こす。
汚してしまった手袋を抜き捨てると、なんの感慨もなく真新しい死体へ背を向けた。
「まぁ、ざっとこんなもんさな」
四人の元へ戻る頃には、上着の胸元から取り出した新しい手袋を着け終えている。
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喉を潰しに来た相手の行動を嘲笑うかのよう身を翻して。軽やかに跳ねたアゲハはすれ違いざま、囚人の頭を両手で掴み着地した。
反動で持ち上がる囚人の体は、本人が状況を理解するより早く首を捩じ切られた上で床へと叩きつけられる。
ギャラリーの目にも留まらぬ速さで獲物を一人仕留めたアゲハは、至極つまらなそうに肩を落として首を傾げる。
「せっかくのゲームなんだ。もう少し楽しませてくれよ」
これじゃあ暴走もできやしない、と。床にめり込みひしゃげた頭部へぼやいた。
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両者はほとんど同時に駆け出して、舞台のほぼ中央で交錯する。
その時点でアゲハは相当お遊び気分だった。「走る」とも言えないような速さで走って。目の前の囚人を獲物であると認識したのは、手っ取り早く首を刎ねてしまおうと振りかざした手が男の首筋に触れた瞬間。
カチリとスイッチを入れたようあっけなく、アゲハは暴走した。
「壊れちゃえ」
アゲハに言わせてみれば一般人と大差ない。ギャラリーは、その動きを満足に追うことも出来ず至極楽しそうな笑い声を聞いた。
気付けば舞台の上に、アゲハ一人が立っている。
「な、何が起きたんだ…?」
狐に化かされでもしたように。誰かが言った。構えるでもなく舞台の中央で立ち尽くしていたアゲハは、その声につられたよう伏せていた視線を上げる。
自分自身の腹を割いて内臓を掻き毟りたくなるほどの空腹。中途半端に食事を終えたアゲハの周りには、お誂え向きな獲物がまだ残されていた。
ぽつ、と頬に落ちてきた液体が触れて。アゲハが一つ瞬きしている間に、屋内で血の雨が降った。鮮血に混じって落ちてくる肉塊は最早「塊」と言えるほどのものですらなく、それが元々「人」であったとは言われたとして到底信じられる光景ではなかった。
そんな手のかかる作業を目にも留まらぬ速さでやってのけた。アゲハは次の獲物を求めて一歩踏み出す。ぐちゃりと踏み付けた挽肉には目もくれず。
殺気を持たないことがあまりに異様。
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(カナンから電話です)
「もしもし――?」
「え? えー……大丈夫だよ。まだ殺していいやつしか壊してない。…本当だって」
「あたし? あー、まぁそうだな…うん。気をつける」
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腹を抱えて笑い出しかけたところを、なんとか耐えて。せめて直視しないようにと、アゲハは自称「旅団」の囚人から精一杯顔を背けた。
「ちょーうける…」
有名税よね、と。カナンがいれば一笑に付しただろう。
抑えきれず肩を揺らしてしまいながら。アゲハは思い上がりも甚だしい男が報いを受ける音だけを聞いた。
「笑いすぎだろ」
「元気なうちに写メ撮っとけばよかった。カナンに見せてやりたい」
室内試験なら私向きだと、楽にクリアしてしまうつもりだったのに。
とんだお荷物を抱えさせられたものだ。
「私、一人目がいい」
はぁーい、と子供らしくも手を上げて。別にそれが苦とは言わないけど。なんの茶番かとは思う。
「いいでしょう?」
渋るのは年長者の二人だ。実際には私の方が年上だけど。見かけの表向きの話。
「いいんじゃね?」
「カナンが行きたいっていうなら、俺もいいと思う1」
味方なのは子供仲間二人で、多数決ならこちらに分がある。
追い打ちをかけるよう上目使いに見上げてやれば、「無茶はしないこと」と条件付きのお許しが出た。
ちょろい。
「決まったか?」
「えぇ!」
とりあえずまぁ、無茶はしない。
てくてく狭い足場を進んでいって向きあうと、やはりこうでなくてはと思う。キルアやクラピカあたりならまだいいんだけど。年上振ってレオリオなんかに出られていたらことだ。
「ルールは?」
「なんでもいいわ。殺し合いでもする?」
猫被りはもういいだろうと、傲慢にも言い放って笑う。後ろでうるさいレオリオのことは綺麗に無視して。
「死んだ方が負けね」
「いいだろう」
笑う。人見知りは、これから死んでしまう相手になら平気。
試験官が死闘の開始を告げると、囚人は真っ向から突っ込んできた。
「バイバイ」
ぐしゃり。――側面の壁へと叩きつけられ潰れた体は人としての原形を留めない。無残な血と肉の塊としてこびりつき蝶のよう左右対称に翅を広げていた。
ちょっとしたアートだ。血腥いことこの上ない上、アゲハがいたなら「趣味が悪い」と顔を顰めてしまうような代物だけど。上手くできた。
「私の勝ちね」
デスマッチなら、わかりやすい。これ以上に勝敗の明瞭な勝負もありはしないだろう。
おかげで楽ができた。
とんだお荷物を抱えさせられたものだ。
「私、一人目がいい」
はぁーい、と子供らしくも手を上げて。別にそれが苦とは言わないけど。なんの茶番かとは思う。
「いいでしょう?」
渋るのは年長者の二人だ。実際には私の方が年上だけど。見かけの表向きの話。
「いいんじゃね?」
「カナンが行きたいっていうなら、俺もいいと思う1」
味方なのは子供仲間二人で、多数決ならこちらに分がある。
追い打ちをかけるよう上目使いに見上げてやれば、「無茶はしないこと」と条件付きのお許しが出た。
ちょろい。
「決まったか?」
「えぇ!」
とりあえずまぁ、無茶はしない。
てくてく狭い足場を進んでいって向きあうと、やはりこうでなくてはと思う。キルアやクラピカあたりならまだいいんだけど。年上振ってレオリオなんかに出られていたらことだ。
「ルールは?」
「なんでもいいわ。殺し合いでもする?」
猫被りはもういいだろうと、傲慢にも言い放って笑う。後ろでうるさいレオリオのことは綺麗に無視して。
「死んだ方が負けね」
「いいだろう」
笑う。人見知りは、これから死んでしまう相手になら平気。
試験官が死闘の開始を告げると、囚人は真っ向から突っ込んできた。
「バイバイ」
ぐしゃり。――側面の壁へと叩きつけられ潰れた体は人としての原形を留めない。無残な血と肉の塊としてこびりつき蝶のよう左右対称に翅を広げていた。
ちょっとしたアートだ。血腥いことこの上ない上、アゲハがいたなら「趣味が悪い」と顔を顰めてしまうような代物だけど。上手くできた。
「私の勝ちね」
デスマッチなら、わかりやすい。これ以上に勝敗の明瞭な勝負もありはしないだろう。
おかげで楽ができた。
「――…最近、よく夢を見るの」
ベッドに寝そべりだらけ気味の私を冷ややかに一瞥すると、アゲハはまたすぐ自分の手元に目を戻した。
「どんな?」
ナイフの手入れは続けながら、一応話を聞いてくれるつもりはあるらしい。
「クロロと二人でいた頃の夢」
「…そんな話あたしにされても困る」
「どうして?」
「あたしはあんたをそのクロロとかいう奴と会わせてやる事も代わりになる事も出来ないからさ」
「……そうね…」
痛くも無いところを突かれて言葉に詰まったのは、諸々の罪悪感からだ。誓って、私はアゲハをクロロの代わりにしようと思ったことは無い。
「会いたいなら探せばいいだろ」
「そんなに簡単じゃないのよ」
「見つけて欲しいのか?」
「それも多分違うわ。見つかったら逃げ出しそうだから」
「会いたいのに?」
「…会いたくない」
「嘘だな」
「本当よ」
「会いたいけど会ってどうしたら良いか分からない、って顔してる」
「……本当?」
「あんたと違って、あたしは嘘を吐かない」
「……だってどんな顔して会えって言うのよ。私、黙っていなくなった挙句もう六年も音信不通してるのよ? …忘れられてたりしたらどうしよう…」
「乙女か」
「…十四の貴女より十六の私の方が乙女的な歳だと思うけど」
「中身はとんだ年増だがな」
「おだまり」
「おぉ怖い」
それは突然と言えばそうだった。でもなんとなく予感はしていた。
死にそうなほど退屈でつまらない日常が跡形もなく崩れ落ちて再生不能になる。――そんな、とてつもなく物騒で心躍る予感。
「みぃーつけた」
かくれんぼで鬼になった子供が隠れていた最後の一人を見つけた時のように、その声は純粋な喜びと達成感に満ちていた。聞いているこっちが思わずつられて笑ってしまいそうになるほど楽しげで、「あーあ見つかっちゃった」と、悪くない敗北感をもたらす声。
「もっと聞きたい」と、他意もなく思った。
「…見つかっちゃった」
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