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 ちょっとした手違いで召喚した悪魔を仕方なく連れて歩いてたら師匠にどやされた。

「大体なんで人の部屋勝手に入るかなぁ…」
「そこに部屋があるからです師匠」
「だまらっしゃい!」


「ところで何を思って部屋の入り口に魔法地雷なんて仕掛けたんですか師匠」
「あれは地雷じゃなくて端をちょーっと踏んだだけで壊れるほど繊細な封印だったの」
「手抜きですか師匠」
「面倒臭かったから」

 とりあえず悪魔は魔族で師匠は今日も面倒臭くて出来るならさっさと部屋に戻って寝たいらしい。

「髪乾かさないと風邪ひきますよ師匠」
「リーヴ、リーヴどこー? どこでもいいから私の髪乾かしてー!」
「叫ばないでください今夜ですよ師匠」
「ありがとー! 大好きだからミルクティー淹れてー!」

 出会い頭に捕縛された魔族(確かアルスィオーヴとか言ったっけ…)が師匠の足下で悔しそうに歯噛みしていた。乾いた髪を一払いした師匠は眠たそうに欠伸を一つ。

「あんたも災難ね。久遠の眠りを破ったのがよりにもよって私の教え子だなんて」
「全くだ」
「…まぁ、いいわ。勝手にしなさい」
「師匠?」

 師匠が気のない様子で手を振った。カチリと音がしたのはその足下で、真黒い服を着たアルスィオーヴの首には銀色の輪。

「グロッティ…!」
「魔力制御しとかないとバレるでしょあんた。面倒事はやめてよ間に合ってるから」
「あ、師匠向こうで猫様がこっち見てますよ行った方がいいんじゃないですか」
「ごめんリーヴすぐ行くからー! じゃあちゃんと面倒見るのよアロウ、私寝るから静かにね」
「ラジャ!」
「あとリーヴのこと猫様って呼ぶのやめなさいせめて人の姿してる時くらい」
「ラジャ!」
「よろしい」

 そんなこんなで自室に引っ込んだ師匠は朝まで出てこない。だだっ広い廊下に残されたのはあたしとアルスィオーヴだけで、師匠のかけた足止めの魔法は五分もしないうちに解けた。

「…とりあえずあたしの部屋行く?」
「……あぁ…」

 たっぷり間をおいて答えたアルスィオーヴは一度うかがうように師匠の部屋の方を見て、大人しくあたしについてくる。そういえばなんでこいつ地下室に封じられてたんだろ。召喚に失敗する師匠なんて想像出来ないなー…

「言っておくが、」

 あたしは部屋の扉に手をかける。アルスィオーヴは鬱陶しそうに《グロッティの輪》を引っ掻いた。

「俺様はあいつに喚ばれて来たわけじゃないからな」
「…とりあえずその一人称ヤメロ」

 ドアノブの周りにある溝に何度か決まったとおり指を這わせると鍵が開く。押し開けた扉はそうするまでもなく軽かったけれど、小さい頃からの癖は今更どうしようもない。師匠はおかしそうに笑うだけで直せとも言わないから別にこのままでいい。

「師匠に喚ばれたんじゃないならなんでウチにいんの?」
「ここで生まれたからだ」
「…いつ?」
「わからない。生まれた次の瞬間には封じられてた。目が覚めたらあんたがいて、魔力が底をつきそうだったから無理矢理《契約》した」
「師匠もついに魔族とか造っちゃったかー、人造人間には興味ないとか言ってたクセにそっちに走ったかー……ありえねー…」

 背中からベッドにダイブしたあたしの傍で立ち尽くすアルスィオーヴは、言われてみれば確かに生まれたての世間知らずで自分が何をすればいいかもわからず、途方に暮れている子供に見えなくもなかった。嵌められたグロッティを弄る手も心許無さ気で、下がり気味の目なんて今にも泣き出しそうだ。

「俺はどうすればいい」
「あんたはどうしたいの」
「わからない」
「じゃあここにいれば? 師匠も勝手にしろって言ってたし」
「ここにいていいのか」
「いいんでない?」
「ならいたい。…あんたの傍に」
「よしきた」

 動物を拾ったことはなかった。師匠がそういうことを極端に嫌がるし世話が面倒だから。でもあの時、突然息を吹き返した魔法陣からこいつが出てきた時だけは、絶対に手放しちゃ駄目だとそれしか考えられなかった。師匠はいつも「本能の囁きを聞け」と言って、あたしは「そんなもの聞こえて従ってるの師匠くらいですよ」と軽く返していたけど、もしかするとあれがそうだったのかもしれない。いや、きっとそうだ。

「あたしはアロウ。アロウ、クロスロード」
「…俺はアルスィオーヴ」
「我が名の下に宣言する。汝――」

 昔一度見ただけの契約の詞は酷く曖昧で、あたしはだらしなく横になったままだったけど、二人ともそんな細かいこと別に気にはしなかった。
 詞を思い出すのに必死で途中目を閉じてしまったあたしに確かめる術はないけれど、アルスィオーヴは泣いていたのかもしれない。

「――誓う」

 だって最後の言葉を口にしたアルスィオーヴの声は、誤魔化しようのないほど震えていたから。


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 イヴリースはただ楽しそうに笑うばかりで、手を出してくる気はないらしかった。そのことを確認した蓮華は僕を抱く腕に力を込めてそっと息を吐く。呼吸を整えたら、――反撃開始、だ。
 紡がれた絶対防御の力は《絶対》の檻として《敵》を閉じ込める。壊れることのない不可視の壁に囲まれ暴れる敵は、もう無力に等しい。

「終わりだ」

 見せ付けるように蓮華が手の平を閉じる。その動きにあわせて結界は縮まり、最後には消えてなくなった。


 ぽつぽつと、道標のように灯る焔を追って走る。息切れして苦しさにあえぎながら、もう感覚のない両足をなけなしの気力で前へと踏み出し続けた。蓮華と、いくら呼んでも助けが来ないことを知っていたから。


 突如走り出したルナは一瞬で両手にトンファーを構築し、文弥へと飛び掛る。不意打ちをくらった文弥は咄嗟に体を引き、同じくナノマシンによって構築した三叉槍で攻撃をいなした。

 そのまま、息つく間もない攻防が始まる。

 均衡を破ったのはルナの一撃だった。勢いのついた打撃をもろに受け、よろけた文弥の三叉槍が地面に突き立てられる。
 そこから爆発的に発動した幻術は、ルナに対しても有効だ。

「ちょっ…卑怯!!」
「不意打ちは卑怯じゃないのかよ」

 非難の声を上げながら隙のない幻覚に呑まれたルナに、文弥は冷ややかな一瞥をくれた。
 少しもしないうちにルナは降参してしまう。元々、意に沿わない戦闘だった文弥はすぐさま幻術を解き、二人の武器が同時に分解された。

「いい加減学べよ」
「あんたも手加減くらいしたら」
「したらしたで文句言うじゃん」
「そりゃ言うけど、幻覚は使わないとかさぁ!」
「ヤだよ。俺殴られるの嫌いだし」
「そういう問題?」
「そういう問題」


 目を閉じて耳を塞いで口を噤んで、私は私以外のありとあらゆるものを拒絶しながら体を丸めた。胎児のように。


伸ばした手で掴める物なんてほんの僅かだ。

「ルナ」

 あたしは知ってる。

「そろそろ行こう」

 ちゃんとわかってる。

「ルナ」

 腕を掴まれて半ば引きずられるように立ち上がり、私はぼんやりと文弥に目を向けた。
 文弥の手は私の腕を伝い下りて――するり――指が絡まる。

「泣くなよ」
「泣いてない」
「父さんがいい顔しない」
「文弥よりは優しく慰めてくれる」
「慰めてほしいのかよ」

 鼻で笑っているような、呆れているような、驚いているような顔で、文弥は言った。
 私ははぐらかすようににっこりと嘘っぽく笑う。

「俺達は二人で一人だろ」
「…10点」

 守れるのは自分の命と、あとは多分、たった一つだけだ。



 限りある命を持つ者の住む世界――《ミズガルズ》――にある二つの秘境。その一つである《ヨトゥンヘイム》とフィーアラル王国とは、イヴィングと呼ばれる一本の川で隔てられている。

「そんな所で何をしているの?」

 隔てるといっても、イヴィング川を渡るのはそう難しくない。それなりの広さはあるがけして深くない川だ。その気になれば、年端もいかない子供だろうと歩いて渡ることが出来る。
 だから対岸に一目見て人間だと分かる少女の姿を見つけた時、早く連れ戻さなければと思った。

「どうして子供が…」

 ばしゃり、と足下でイヴィングの水がはねる。それがどんなに軽率な行動だったかを思い知るのは、川を渡りきり少女の腕を取ろうとした、その時だ。


「ベクシル!」

 一緒に来ていた親友が俺を呼んで、伸ばした右手に激痛が奔る。

「っ、ぁ――!」

 ばしゃり。





「この方に触れるな。脆弱な人ごときが」

 不快感も顕わにビューレイストは吐き捨てた。男の腕を一振りで切り飛ばした剣には血飛沫一つ付いていない。
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