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「一年で模擬戦なんてやるのか」
「多分貴女が想像しているものとは違うわ」
「まぁ、そうだろうな」

「他の人と組んだりしちゃ駄目よ」
「わかってるよ」
「本気になるのも」
「ラスティール相手に? 無理だろ」
「あらそう?」
「絶対負ける」
「そんな事は無いと思うけど」
「いいや、負けるね。お前楽しくなってきたら手加減忘れるから」
「…あら、そう?」

「どれくらいやってもいいんだ?」
「…さぁ?」
「魔術使って良いかな」
「それはだめでしょ」
「魔法だけ?」
「円は二重までね」
「…二重ならいいのか」
「やっぱりだめ」
「どっちだ」

「…なぁ、」
「なに?」
「結界張ってやれば良くないか」
「…それもそうね」
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 巨大な緑色の芋虫が高層ビルの壁面に張り付き強化硝子を咀嚼している場面を目の当たりにして、さてどうしたものかとシーリンは小首を傾げた。ワームと呼ばれるその芋虫は人間にとって恐ろしく有害だが、その存在を認知出来る者は少ない。駆除できる人間はそれ以上に希少だ。

「シーリン?」

 迷ったのは、一瞬にも満たない刹那。

「用事思い出した。抜ける」

 大して楽しくも無い付き合いの買い物とワーム。シーリンの中で天秤はあっけなく後者へ傾いた。くるりと体を反転させ肩越しに手を振るシーリンに、連れ立って歩いていた級友は肩を落とす。

「また例のバイト?」
「ん」

 二人で歩いてきた道を一人で引き返すシーリン。置き去りにされた級友はゆるゆると首を左右に振りながら溜息をついた。

「ばいばい」

 声を張り上げるでもなく独り言のように呟かれた形だけの挨拶は、足早に人混みを縫うシーリンには届かない。別れた級友が振り切るように自分へ背を向けた事も知らないまま、シーリンは何度か道を曲がり小奇麗な雑居ビルに入った。適当な階の適当な部屋に潜り込んで鍵をかけたら、付けっぱなしにしていたゴーグル型の視覚デバイスを外して携帯端末を取り出す。座り込んだ床は冷たく寄りかかった壁は硬かったが、そんな事シーリンには関係がなかった。邪魔さえ入らなければそれでいい。
 携帯を握りしめたまま目を閉じたシーリンが次に目を開けた時、そこは小奇麗な雑居ビルの一室ではなく高層ビルが立ち並ぶ大通りだった。
 視線の先には二匹のワーム。強化硝子にぽっかりと開いた大穴が彼らの食欲が旺盛である事を物語っていた。放っておけば厄介な事になるのは目に見えている。だからと言うわけではないが、シーリンは素早く右手を上げ左から右へ凪ぐように払った。同時に組み上げられた呪文[スペル]は完成と同時に発動してワームに火を付ける。図体ばかりの芋虫二匹はあっけなく火達磨になってぼとりとビルから落ちた。

「――よし」
「なぁ、あん――」

 ぱしっ、と小気味良い音と共に叩き落とされたのは見知らぬ男の手だった。

「さわるな」

 不機嫌さも顕わにシーリンが唸る。男の手を叩いた左手は今にも軌跡を描きだしそうな勢いだ。何がそこまで彼女の機嫌を損ねたのか分からず、ラスティールは内心首を傾げながらもやんわりとその手を押さえた。初めから手を繋いでいたために、その時点で両手が塞がる。

「ひっでーな」

 大げさに片手をひらつかせる男の目は髪と同じ夕焼色をしていた。

「どちら様?」

 夕焼色。つまり、赤だ。

「あんたの同類」

 一目見て分かる《同族》の証にラスティールは目を細める。「だからなのね」と、音も無く呟いて繋いだ手に力を込めた。すぐさまそれ以上の力で握り返されればもう、決定的。

「ヴェルメリオって言えば、さすがに分かるだろ」
「いいえ」

 男――ヴェルメリオ――の存在そのものがシーリンを苛立たせるのなら、ラスティールの取るべき行動は一つだ。

「…まじで?」

 くるりとヴェルメリオに背を向けラスティールはシーリンの手を引く。「行きましょう」と促す声は、不自然なほど普段通りだった。

「さっさと成仏なさい」
「――分かってんじゃねーか!」

 去り際の言葉にだけからかうような色を乗せたラスティールの手が、肩越しにひらりと揺れる。手を振ったのだと、気付いてシーリンは顔を顰めた。

「馴れ馴れしい」
「妬かない妬かない」
「…誰がだ」

 今度は別の意味で不機嫌なシーリンの耳元へ唇を寄せ、ラスティールは「絶対に大丈夫だから」と念を押す。「だから壊しちゃ駄目よ」と、釘を刺されてシーリンは鋭く舌打ちした。乱暴に振って解こうとした手は、しっかりと握られていて離れない。

「……」
「どうかした?」

 逆に腕を絡めるように手繰り寄せられ、距離を詰められたシーリンは恨みがましくラスティールを見上げた。

「私はお前のそういう所が嫌いだ」
「私は貴女のそういう所も好きよ、シーリン」

「よかったね」

 そう言って姿を消した《それ》は既に私の心臓ではなくなっていた。けれどそれ以上の事は分からない。もう私の一部ではないから、分かるはずもなかった。

「何が良いもんですか…」

 とくりとくりと、押し付けられた心臓は健気にその役目を果たそうとしている。今更こんなもの取り戻したって何の意味もないのに。

「レーヴァテイン…?」

 絶える事無い鼓動の音が疎ましいのか、レーヴァテインの存在は私の中で限りなく小さくなってしまっていた。体の内側から溢れ出す魔力を失くして、これじゃあ本当に普通の人間と変わらない。杖だって取られてしまった。リーヴから貰った、本当に大切なものだったのに。

「リ…」

 罪悪感が唇を凍らせる。杖も魔力も無い今の私では呼ばなければ見つけてもらえない事は分かりきっているのに、どこかで期待しながらも見つけて欲しくないと思ってしまっていた。リーヴにとって私が、私だけが特別なのだと証明して欲しい。でも、今の私を見られたくない。

「――こわい」

 リーヴはきっと、怒るだろう。でもそれは杖を取られたからではなく私が呼ばなかったからだ。私がもう一人の私と邂逅したその瞬間彼の名を叫ばなかったから、その一点に対してのみリーヴは激昂する。でももし私が呼んでいたら彼は深く傷付いたはずだ。たとえ側にいたって、私を傷付けられないリーヴが私から私を守れるわけない。そして守れなかったと自分を責めるのだ。それはどうしようもない事なのに。だから呼べなかった。呼びたく、なかった。
 彼の優しさは、時々真綿で首を絞めるような息苦しさを私に与える。優しすぎるのだ彼は。元々感情なんてもの持ち得ない生き物だったのに、今は私より遥かに人間じみている。

「こわい、よ」

 妬ましかった。羨ましかった。でも一度諦めて、捨ててしまった私はどうしても取り戻せない。温かい感情を、与えられただけ返してあげたいと思っているのに。

「怖いの…」

 本当はもうとっくに分かっていた。私に《心》が無いのは生まれと育ちのせいではなく私自身の《欠陥》だ。今の今まで沢山の言い訳を重ねてきたけど、私はちゃんと愛し慈しまれる事を知っている。与えられた《心》を自分の中で育てられないのはやり方を知らないからではなく、知っていても出来ないからだ。私は《心》を持てない。持てるようには造られなかった。
 何よりも恐ろしいのは、リーヴが私の《欠陥》に気付いてしまう事。彼は私の全てを肯定してくれると言うけど、それだけは否定して欲しい。《心》を切望した私の前で、「それでも構わない」なんて心からでも口にして欲しくない。

 真赤な花が咲いていた。たった今ぶちまけられた鮮血で色を得たように瑞々しくて毒々しい赤を誇らしげにした、花が。
 私はその花へと呼びかける。

「レーヴァテイン」

 花は揺れて、輪郭をぼやかし、やがて人の形を模した。

「なぁに?」
「なぁに、じゃない」

 真赤な子供が、宙に浮いたまま緩く膝を抱えて、笑う。酷く愉快そうに。酷く、嬉しそうに。
 レーヴァテインと、私はもう一度その名を口にした。

「大丈夫よ」

 子供は笑う。酷く無邪気に。何が大丈夫なものかと、私は顔を顰めた。

「だから、ねぇ、怒らないで?」

 冷たい手の平が頬に触れる。至近距離で覗き込んだ子供の目には、真赤な私が映り込んでいた。

「大丈夫だから」



 ゴトリ、と。



「ッ、――貴様…っ!」

 音を立てて、二人の意識が入れ替わる。私からレーヴァテインへ。体の支配は奪われて、私はただの傍観者になった。

「その体を勝手に使うな!!」
「凄んだって怖くないわよ。だって貴方、私になぁんにも出来ないじゃない」

 忌々しげに舌打ちするリーヴの唇から滴る血の味が、私の唇からもする。何が楽しいのかレーヴァテインはけらけら笑いながら飛び退いてリーヴから距離をとった。

「貴方は私になぁんにも出来ない。だってこれはあの子の体だから!」
「黙れ!」

 奪った魔力で元に戻した体を見せびらかすようにぐるりとその場でターンして、また笑う。リーヴの機嫌はもう最悪だ。これ以上悪くなりようが無いのに挑発なんてしないで欲しい。後始末を丸投げされて被害を被るのは私なんだから。

「貴方がいけないのよ。さっさと魔力をくれないから、私が文句言われちゃったじゃない」

 でもこれで大丈夫。――したり顔でのたまうレーヴァテインに、何が大丈夫なものかと私は夢の中と同じように顔を顰めた。

「元はと言えばお前が――!」

 そしてまた、ゴトリと音がする。二人の意識が入れ替わる音。咄嗟に体の感覚を掴みかけて傾いた体を、直前まで声を荒げていたリーヴがそっと抱きとめる。

「リーヴィ…?」

 その手つきは明らかに《私》に対してのものなのに、どこか確信の持てない呼び方が少しおかしかった。

 今自分の前にいる青年がどこの誰でどういう存在か、分かっていても恐怖は生まれなかった。彼が私を傷付ける存在ではないと理解しているから。怖がる必要なんてなかった。

「気分はどう?」
「悪くないわ」

 互いの記憶と、感情と、思考が、絶え間なく混ざり合って私達の境界をあやふやにする。それはとても不思議な感覚だけど、そうして混ざり合ったものを抱えたまま触れ合っているのは存外心地良かった。

「嬉しそうだね」
「嬉しいんでしょう?」
「それに楽しそうだ」
「貴方も楽しいんでしょう?」

 空気を響かせる言葉があまりに無意味すぎて、笑いが止まらない。

「そうだね」

 記憶も、感情も、思考さえ混ざり合っているから、私達は口を開く前に相手の言わんとする事を知る事が出来る。触れ合った互いの薄皮一枚。その向こうには同じものがあるだけで、私達には目に見える肉体以外の違いなんて何もない。

「思ったより楽しめそうだよ」

 どこからが私でどこまでが彼なのか分からない。そんな、奇妙な関係が酷く互いを安心させた。裏切られる事も嘘を吐かれる事もすれ違う事もない、唯一絶対的な存在が今この瞬間も存在しているという奇跡じみた現実。ただそれだけで、何も不安に思う事なんてない。何を怖がる事があるだろう。

「そうね」

 

 ぐるり。回って、混ざる。ぐるり、ぐるり。混ざって、回って、一つになる。



「おはよう、ルーラ」



 目が覚めた時、私は全てを理解していた。理解する事が出来ていた。だから何も不安に思う事なんてなかった。

「おはようリドル」

 頬に添えられた手に手を重ねて、笑う。穏やかに艶やかに、何の憂いも一片の曇りもなくただ嬉しげに、楽しげに。笑って、私からも手を差し伸べた。

「気分はどう?」
「悪くないわ」

 私とリドルは、一つの対[ツイ]。そういうものなのだと、私は理解していた。だからそうする事に躊躇いは感じない。交わす言葉にだって偽りはいらない。ただありのままを曝け出していればそれでいいのだと、知っていた。

「それはよかった」
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