結界都市を結界都市たらしめる結界の中へと、一歩足を踏み入れた途端。
最大限の悪意を持って首を掴まれでもしたかのような息苦しさを覚えた姫榊は堪らず、すぐさま取って返し結界を出た。
「御主人様?」
水掘に囲まれた周壁をくぐり、広大な農場を横切って、ようやく市街地を囲む街壁(がいへき)に辿り着こうかという時。
どうかしたのか…と、尋ねるよう振り返って首を傾げるニドヘグに、姫榊は足元の地面へ一本の線を引いてみせた。
文字通りの「境界線」を。
「思ってたより無理でした」
「無理なんですか?」
「絶対無理です。ハルカの胸倉掴んでがくがく揺さぶりながらどういうことなのか説明を求めたくなるレベルの無理です」
「いったい何が無理なんです?」
「私、これ以上進めません」
《門(ゲート)》と自動人形は似たような仕組みで動力を得ている。
《門》は魔法陣によって結界内の余剰魔力を。
自動人形は魔力炉によって周囲のエーテルを。
エーテルとは「世界という蓋のない水槽に満たされた水」だ。魔力とて元はエーテル。そういう意味で「制圧領域内に存在するエーテル」の全てに干渉できる自動人形は、あくまで器を溢れ主体を失くした「余剰魔力を収集」することしかできない《門》に対して有利…かと思いきや、現実はそう甘くない。実際にはその規模の違いで端から勝負にさえならないレベルで競り負け、大抵の自動人形は結界都市内でその行動を大きく制限される。
だがそれも、通常機動に支障のあるレベルではないはずだった。
《門》が展開する結界の中へ入っても戦闘機動への移行を制限される程度だと、統計データに基く予想以上の確信を持っていた姫榊は、「話が違う」と内心で己の創造主を罵った。
「予定変更です」
無理をすれば入れないこともないが、わざわざそんなことをする必要はない。
徒人が圧倒的な割合を占める西側の街で、大した危険もありはしないだろう――。
冷静にそう判断した姫榊は、後戻ってくるニドヘグに対して初めての|おつかい(・・・・)を言い渡した。
「一人で街の中心部まで行って、魔術師ギルドで枷を売ってきてください」
おそらく「九歳」という設定年齢相応の小さな体がいけなかったのだろう…と、姫榊は来た道を戻りながら自己分析。
通常機動時、自動人形のエーテルに対する制圧領域は「体内」に限定される。徒人が呼吸によって酸素を取り込むよう、自動人形はエーテルから魔力を取り出すのだ。体が小さければ当然、比例して肺も小さく、取り込めるエーテルの量も小さくなる。
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主よ。救いたまえ――。
祈りは届かず、願いは潰え、望みの絶えた世界。神の不在によって訪れた暗黒時代。混沌とした世の中を生きるためには「力」が必要だ。――いつか「ハンプティ・ダンプティ」と呼ばれることになる男。「つぶれ卵」ことトートは考えた。
欲しいものは奪うしかない。奪われたくなければ戦うしかない。
奪い、戦い、時に負け、けれどおおよそ勝ち続けた男。トートはいつしか「最強」と呼ばれるようになった。最強の男トート。死神トート。トートは誰より強くなった。最強だった。――けれど死んだ。わりと急に。だが何を思い残すようなこともなく、あっさりと。死んで、生き返った。いや正解には「生き返らせられた」。墓穴の底でぐっすり眠っていたところを叩き起こされたのだ。埋められてから十五年と少し。とっくに朽ちていておかしくないはずの体がどういうわけか生前そのままだった理由をトートは知らない。棺桶の蓋が開かれてから今に至るまで、そんな基本的なことを尋ねる機会さえ得られぬまま、トートは巻き込まれていた。
「とりあえず、俺はこいつらを皆殺しにすればいいのか?」
「よろしくお父さん!」
――そう、トートは実の娘らしき少女に掘り起こされた。まったくなんて罰当たりなやつだと思ったが、一目見て自分と母親だろう女の遺伝子を3:7くらい受け継いでいそうだったので言うのはやめた。二人とも無神論者だったからだ。
「それで話が済むと思ってんのか、スー!」
「拾ってやった恩を仇で返しやがって!!」
周囲の騒音にトートは顔を顰めた。自分の娘がぎゃーぎゃー言うならまだ許せるが、生前からトートは喧騒より静寂を好む性質だ。煩い輩は力づくで黙らせてきた。周囲を取り囲んでいる連中など物の数にもはいらない。どうやら飛び道具を使ってくる様子もないので、余裕も余裕。
「そこ、座って、動くな」
「はいパパ!」
掘り返された墓穴の脇。暴かれた棺の影に娘――スー――が座り込むのを見届け、トートは十五年と少しぶりに拳を振るった。
「『パパ』って柄かよ、俺が」
圧勝だった。
---
別テイク
「はじめまして、お父さん。娘です」
少女は開口一番そう言って、懐から取り出した拳銃で部屋の入口に立った男をずどん。
「さっそくですが逃げましょう。もうここに用はありません」
いけしゃあしゃあとのたまう顔は、昔馴染みとよく似ていた。
そうして娘と名乗った少女がトートと逃げ出したのは、こじんまりとした病院。だが外観と内情が噛み合っていないことは、生き返ったばかりのトートにさえわかった。
娘は病院のエントランスへ突っ込むよう停めてあった車に乗り込むと、穴だらけのフレームや死屍累々の周囲に頓着することなく、エンジンを始動させた。ブレーキをいっぱいに踏み込んだままアクセルを吹かし、その場で半回転すると颯爽と病院を飛び出していく。
中身もあいつに似やがったな…と、トートは見覚えのない町並みへと目を凝らす。
「お前、いくつだ?」
「23」
「年上じゃねぇか」
「…そういえば、父さん二十歳で死んだんですっけ。年功序列を気にするタイプなんですか?」
「気にしねぇ。が、娘より年下ってのはさすがに思うところがあるな」
「じゃあ娘と思わなくていいです」
「そういうこと言ってんじゃねぇよ、馬鹿が」
--
「――よくもやってくれましたねこの腐れ外道。人の父親の体を実験に使うだなんて。有罪です。極刑です。超法規的措置も許可されます。執行官《アイギス》スーがここに宣言します。あなたの罪は今ここで、私によって裁かれます」
---
「不死身の兵士を作ろうとしていたのです。お父さんは完成形です。記憶を弄られる前に助け出せてよかったのです。お母さんに怒られずにすみます」
「…あいつ生きてんのか」
「とっくの昔に死にました」
基本、体力勝負な外回りの仕事を終えたヴェルメリオとレギがスィアチの館――トリルハイム――に戻ると、正面の広場でやたら露出の高い女がくるり、くるり、と踊っていた。
下着姿の方がよっぽど慎み深く見えるのではないかというほど。やたらと透ける薄布を幾枚か重ねて巻きつけ、隠すべきところをぎりぎりで隠せているかいないか微妙なラインの衣装で、蝶が鳥の類が舞うようひらり、ひらり、動く度にりん、りん…と涼やかな音がする。それは手首や足首につけた鈴から発せられる音だろう…と、ある程度観察した所で、館の正面入口へと辿り着いたヴェルメリオはレギのため、重い扉を開けてやる。
凄腕の幻術使い(ただし色狂い)がわざわざ人目につく場所で踊る理由は、生憎と一つしか思いつかなかった。
目を奪われたら最後、命どころか貞操が危うい。よって関わらず、さっさと立ち去るのが吉…と、ヴェルメリオは――ぴしゃり――扉を閉めきった。
ヴェルメリオとレギが共に所属するパーティーは、長らくスリュムヘイムの盟主スィアチに雇われ、大陸最大の魔境で《迷宮(ダンジョン)》の保守管理を任されている。
大陸の四分の一を占めるヨトゥンヘイム。更にその三分の一ほどを占める魔境――スリュムヘイム――に点在し、増減を繰り返す数多の《迷宮》を一つ一つ見て回り、個々の状況を報告書にまとめ上司へ提出することがまず基本的な仕事。その他にも、「初心者向け」とされている《迷宮》に魔物が寄りすぎているようなら雑魚狩りを。どこかの《迷宮》が人知れず攻略されていたりすれば、新たな《心臓》を設置しに行ったりもする。
有能な上司が能力主義なため「できることはなんでも」やらされがちな戦闘職の二人だが、生憎と「スリュムヘイム内で|生まれた(・・・・)魔族の保護(・・)」は業務に含まれていなかった。パーティーを組む仲間の知的好奇心を満たすため、狩りに駆り出されることはままあるが。実際にはそれ専門に雇われている者が他にいた。
だがまぁ、別に断る必要もないだろうと、ヴェルメリオは拾ってきた魔族を――レギに促されるがまま――直接、レギとルシアに与えられた部屋へと放り込む。
魔境では何事も自己責任だ。落ちているものを拾おうと、誰かのものを奪おうと、誰からも咎められない代わり誰からも守ってもらえない。弱肉強食。
「ありがと」
だからレギの「拾い物」が咎められることもないだろう――。
端から必要としてもいなかった助力――それを大抵の人は「お節介」と言う――へ素直に感謝してみせるレギの頭をなんとなく、くしゃりと撫でてやりながら。ヴェルメリオは「いつものことだ」と肩を竦めた。
「あぁ。いいよ、これくらい。――お前に運ばせるのもあれだしな」
《マナ》が生み出す魔力にそれなりの余裕があれば、レギのよう細腕の女だろうとそこそこの膂力を発揮することができる。だとしても、女に人一人運ばせて自分が手ぶら、というのはなんとなく嫌…というは、完全にヴェルメリオの都合だ。ちっぽけなフェミニズム。
どうせ何かしらと戦闘になった時、戦うのはヴェルメリオでもレギでもなくレギに張り付いたルシアなのだから――と、そんな風に考えなくもなかったことだし。全く、これっぽっちも、レギがヴェルメリオに対して感謝する必要はなかった。
「うん」
「ところであれ、本気でルシアのやつどうするつもりなんだ?」
「知らない」
「…中身、空だろ?」
「多分」
「ヴェルナーのとこ行って、奴隷用の記録魔石もらってきてやろうか?」
「……」
「ルシア。いらない」
「だから本気でどうするつもりだよ…」
「洗う」
「…洗って、そのあとは?」
「……ルシア、食べる」
「あいつなんでも丸呑みするじゃん」
「性的に」
「まじか…」
「あいつそういう趣味なわけ」
「レギ。知らない」
「ヴィオレッタじゃあるまいし…。まぁいいや。そういうことならお前、ちょっとこい」
「どこ」
「隣だよ。俺の部屋。それくらいなら別にいいだろ」
「……ルシア、いい。行く」
ルシアが「いい」と行ったから、行く。
「とりあえずシャワー浴びて、飯な」
「食堂無理。怒られる」
「それくらいなんか取ってきてやるよ。何食べたい?」
「ヴェル?」
「…まじか」
昔、子供を養っていたことがある。
小さな男の子。
にこりとも笑わなくて、可愛気の欠片もないけど利口な子。
生きることに強かで、憎たらしいほど賢くて、脆弱な人の子。
食べなければ飢える。
眠らなければ疲れる。
寒ければ凍えて、暑ければバテる。
そんな、どこにでもいる当たり前の子供だ。
あれはいったい、いつのことだったか。
「エカルラート」
あの頃はもっと違う名前で呼ばれていた。
そんな回顧。
なんでもないような顔をして、声のした方を振り返る。
「どっちがいい?」
声をかけてきたのは、見慣れた連れ。
まっすぐに長く伸ばした黒髪を結うこともせず、すとん、と腰まで落とした女性。
凛とした立ち姿がいたく様になっていて、私はついつい笑みを浮かべてしまいながら、差し出された右手の先へと目を向ける。
どっちがいい?
そう言って差し出されたのは、白くて丸い二枚のプレート。
プレートにはそれぞれ黒字で「96」「97」と数字が刻印されている。
前者はいかにも、それを差し出してくる彼女のために誂えられたような数だ。
「こっち」
そういう意味で、私に似合いの番号とは「46」だろう。
迷うことなく後者をとった。
彼女が「黒」で、私が「白」。
そういうコンビだ。
「あ、流れ星」
きれいだなー。
右から左。
長々と尾を引いて伸びる一筋の光を追い、リリスは視線を巡らせる。
地面からほぼ垂直方向に上昇している《グレンデル》の機内から、流れる星が燃え尽きるまでの一部始終は驚くほど鮮明に見て取れた。
〈さっきこっちで墜とした船の一部かもね〉
(どうしてそういうロマンのないこと言うかなー)
〈かも、というかそのものですね。墜落時の軌道予測と一致します〉
「――そういうことはわかってて黙っててよ」
〈ロマンチックなこと言って欲しい?〉
「…欲しくない」
〈今から君の――君だけの――ために、数えきれないほどの星を降らせてあげる〉
(ロマンチックというより物騒だー…)
〈いい加減に雑魚が鬱陶しいからね。――アベル、主砲に《重力遊戯(グラヴィティギア)》を接続しろ。重力波で薙ぎ払え〉
「こっちを巻き込まないでよ?」
〈《グレンデル》の機動なら狙ったって避けられるよ〉
(えぇー…)
それはつまり努めて避けてはくれないということだろうか。
さすがに母艦の主砲は喰らいたくない。
「アベル、重力波の影響予測」
〈――《グレンデル》の帰投予定に変更はありません〉
(そういうこと言ってるんじゃなーい)
空の、とてもとても高いところに浮いている、竜の都のお姫さま。魔除けの銀をその身に纏う、真赤な宝石の目を持つお姫さま。
ある日、はるか地上の国の騎士さまが、竜の都へやってきて、竜のお姫さまが持つ、たった一つの宝でお国を救ってくださるように、どうかどうかと頼まれました。
心優しい姫さまは、お国のためなら仕方がないと、大事な宝を手放され、道端の石ころを一つ拾ってくると、それを大事な宝の代わりにしようと考えました。
そうしてはるばる竜の国までやってきた、騎士さまの、地上のお国は救われました。
めでたし、めでたし。
「――と、いうわけで。お前、国に戻されることになったから。今日中に身仕度済ませるように」
「はぁ…」
いったい何が「と、いうわけ」なのか。わからないなりに、扉を開け放つなりおそらくとんでもないことを言い放った女性――エレイン・ヴィルヘルミラ――の勝手気ままな言動にも慣れっこなカッシュは、「あーよっこらせ」と居心地の良い出窓から腰を上げた。
「サーシャも連れていいっていいんだよね?」
「騎竜の一匹もいないと格好がつかないだろう」
「…ま、確かに」
カッシュにとって大切で、必要なものというのはそうない。姉に貰った本と、姉が仕立ててくれた服と、姉から贈られたものの全て。
それと、サーシャ。
(サーシャは騎竜というより恋人なんだけどなぁー)
まぁ、いいか。
読みかけの本をそのまま書架へと戻し、カッシュは何やら立ち読みを始めたエレインに一声かけ、他ならぬ彼女の私的な書庫を立ち去った。
長いこと暮らしている城内をあちこちへの挨拶がてら歩いていると、どうやら、生国で双子の弟が死に、世継ぎの王子がいなくなったため、やむなく竜都へ預けられていた「忌み子」のカッシュが呼び戻されることになったらしい…と、エレインが説明を省いた大凡の事情がわかってくる。
エレインが国へと返すカッシュの「代わり」にと使者の一団を率いる竜騎士団の長を望み、団長もそれを二つ返事で承諾したという――ある意味で今世紀最大の――スキャンダルに沸く城内。渦中のカッシュが情報を得るのは、比較的容易かった。どうして本人をすっ飛ばしてそんなことに…と、思わなくもないが。竜都における公式の立場が「竜姫のペット」であり、次代の竜帝の所有物でしかないカッシュにどうこう言える筋合いもない。
そもそも生国から正式に要請があれば返還に応じるというのが現竜帝――ひいては竜都――の方針だ。それでも頑として拒否すればエレインが何としてもここへ留まることができるよう動いてくれることをわかっているだけに、カッシュは聞き分けよく生国へ下るしかない。何より、元はと言えばエレインに拾われた命だった。エレインのいいように。エレインが本当に「欲しいもの」とトレードされたというのなら、まだ納得もできる。
聞くところによると、使者の一団を率いて竜都に入った竜騎士団長というのは大変な美丈夫で、エレインと同じ銀の髪を持ち、真夏の空のよう青々とした目の――竜さえ霞ませるほど凄絶な美貌を持つエレインと並べても見劣りしないほど、並の美女では隣に立つことさえ躊躇われるほどの――男らしい。
正直この世にエレイン以上の美貌の主はいないと確信しているカッシュも、些か気になる触れ込みだった。銀髪というのも、カッシュの生国では珍しい。主流は――カッシュもそうだが――金髪紫眼だ。銀髪が多いのは隣の大国。戦争中というわけではないが、けして関係良好でもない他国の血を色濃くその身に宿した男が国の要とも言える竜騎士団の長。これいかに。
はてさて首を傾げながらも自室へ戻ったカッシュは、部屋に入ってまず、人一人分こんもりと盛り上がった寝台へと近付き、上掛けをひっぺがした。
「ふわっ!?」
いかにも「驚きました」といった具合に飛び起きたのは、少女時代のエレインによく似た美貌の少女。ただしあくまで「よく似ている」というだけで、全く同じ造形でも表情の出し方一つでここまであからさまに違ってくるものか…と、使い魔として彼女を造った本人(エレイン)でさえ首を傾げてしまうほど、その少女はエレインからかけ離れて幼く、あどけなかった。
一目見れば誰にもエレインでないとわかる。
「なんだ、カッシュかぁー」
「もうとっくに昼過ぎてるよ、お寝坊さん」
見かけどおりに幼い仕草で目元をこすり、欠伸を零す少女――サーシャ――が寝台から下りるのに手を貸してやり、カッシュは自分も人伝にしか知らない事情を簡単に説明した。
「えー、じゃあもうカッシュとさよならだね」
「えぇー、なんで迷いなく残る体(てい)なの。サーシャも来るんだよ」
「サーシャはエレインと一緒!」
「姉さんは俺と一緒。サーシャは一人で竜都に残るの?」
「エレインがカッシュと一緒ならサーシャもカッシュと一緒!」
分別もろくにつかない子供を言い包めて拐かす悪い大人になった気分で、カッシュは「よくできました」とサーシャにご褒美のキスをした。
ノリノリである。
(第七書庫)
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